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2015年03月09日

とある被災地の憂い感

とある被災地の憂い感 明日で東日本大震災、大津波から4年となります。

震災・大津波で亡くなられた方々とそのご遺族様に対し

心から哀悼の意を捧げます。



(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 ここは住宅地だったのですが…
巨大津波により、ほとんどの建物が土台からえぐり取られていました。)





(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 このように日常を失った荒野が延々と続いていました。)




(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 
 空爆されたかのような惨状に言葉を失いました。)




(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 
 電柱をへし折るような圧力が人体にかかった…どんなに苦しかったことか)




みんカラは、皆さんが癒しを求めて集まってくる憩いの場

だから やはり このことは語るつもりになれなくて、 

以前ちょっと触れただけで、これまで封印してきました。

ですが4年という歳月が流れても、東北では相変わらず余震が続き、そして

広島での土砂災害  御嶽山の噴火  阿蘇山の噴火  長野白馬村地震

体験してしまうと、報道での痛ましい出来事が疑似体験され、他人事とは感じられ
なくなりました。

全国各地でも気候変動や地殻変動の活性化による災害が多発していることに憂いています。

いつまでも感傷に浸ってはいられないと感じています。

南海トラフ巨大地震だって予測されているわけですから、

次に備えねばなりません。

私たちの経験を教訓にして、どうか被害を最小限に食い止めて。

皆さんにとってかけがえのない人々と故郷を失わないように。



私がお伝えしたいのは、命が危うくなったり、苦労したわりに

報道で指摘されなかったようなコトです。あるいは、私がその報道を見逃しただけかもしれません。




『 上着と鍵は手の届くところに 』



仙台市内のオフィスビルにて被災。

職場のロッカールームが最上階にて損壊していたため立ち入れず、

家やクルマの鍵も取りに行けません。

この雪の舞い散る時期に

下着の上に制服一枚で街にさまよい出るしかありませんでした。

出勤時はダウンジャケットを着ていたのに…

暖房完備で薄着だったのが仇となったわけです。

どこかのコンビニででも合羽を買ってやり過ごせるかとも思いましたが、読みの甘さを知ることに。

あっという間にデパートからコンビニまでシャッターを降ろしてしまいました。

公共交通機関もマヒ。

家族の消息を心配しつつ、倒壊したビルの間を抜けながら

十数キロを雪の中傘もなく徒歩で帰宅することになりました。




(3.11 地震直後 N〇Tのビルが無残に倒壊し歩道に落下していました。 )

吹き付ける風雪に間もなく低体温状態となりました。
自覚症状から、暖をとらないと危険だとわかったのですが、その場所がない。

体温低下も限界でした。あまりの寒さのため、駐車していた車に

『凍えてしまいまして。一時でいいので車内で暖をとらせてもらえませんか?』
とお願いしたほどです。

まさに危機でした。しかし…

丁寧に断られてしまい立ち去りました。
仕方がなかったのでしょう。世の中物騒ですし。

それからとぼとぼと十数キロ歩いてようやく自宅アパートに到着。
鍵がかかっており入れません。がっくり…さっ寒い…
家族もクルマも姿が見えません。

『動いてる=生きている』 それでともかく妻の無事を確信できました。

その後、なんとか避難所に辿り着き 一枚の毛布をいただき

それにくるまって、なんとか最悪の事態を免れました。

上着を身近に置いておくべきだったと痛感したものです。

皆さんの場合も羽織る一枚の有無が生命線を決するかもしれません。そしてキーも。

企業の非常時のマニュアルにはそんな記述はありません。
自分で自分を守るしかないのです。








『 非常時のタクシーは乗り合いで 』




(3.11 地震直後の仙台駅。 駅構内にも入れず、押し寄せた人々でごった返しました。私はこの辺りから低体温症を発症。ガラケーだけは持っていました。カイロを持っていれば…それか「ぬこ」か…)



電車も地下鉄もバスも公共交通機関は地震直後から使えませんでした。

バスは満杯でした。

大勢の被災した人たちが雪の中、重い足取りで家路に急ぎます。

その中で、自家用車とタクシーが颯爽と走り過ぎていきました。

そのほとんどが運転手のみで同乗者なしです。

タクシーもお客さんが一人というケースがほとんどでした。

何度も手を挙げて停まってもらおうとしましたが、

ヒッチハイクもできず、タクシーもつかまらず…。

同じ方向に行列を成して延々と歩いている人々。

多少の距離でもタクシーに同乗させてもらえたら、低体温症に陥ることもなかった。

どれほど助かったことかと思います。

あと3人は乗れるのに、一人だけ乗せて走っていくタクシーたち。

非常時は乗り合いで、同じ方向に行きたい人を募って同乗してもらう。

そのような配慮があればと思いました。
タクシー会社と行政に今後の検討事項としていただきたいです。



あと、ドライバーの皆様、確かに世の中物騒ですが、それでも 有事の際は、人命救助の精神で尽くされる名も無き良心を持つ方々がたくさんおられます。

『人間は悪意よりも善意が上回っている。』私はそう感じます。

ですので、どうでしょうか?『有事の際の助け合いヒッチハイク』というものは。

沈みゆくタイタニックから脱出したものの、

救難ボートに乗せてもらえず、無念に沈みゆく…そんな気分を味わいました。







『 早めの給油を 』






大震災の前日、燃料タンクの残量が3割ほどに減っていたのですが、
まだ大丈夫だろうと思い給油しませんでした。

思えばこれで苦しむことになったのです。

もしかしたら次の瞬間に大地震が発生して、給油できなくなるかもしれない。
そう考えた方がいいかと。

早めの給油は燃費を悪化させることになりますが、
大震災後、私は燃料が半分になったら給油することにしています。





『 高齢者を守ろう 』




食料がなくて、私は体重が落ち、いつも食べ物のことばかり考えていました。

『どこのスーパーで何時から食料品を売る』という噂を聞いては、

出かけて行って何時間でも並びました。

最低2時間は並んで食料品を確保しておりましたが、

70代以上の方々を見かけなかったことが気になりました。

高齢で何時間も並ぶのはキツイです。かと言って並ばなければ食料品は買えない。
高齢者だけのご家庭は少なくないハズ。

食べていけているのだろうか…と心配でした。

買える体力のある者だけが食糧にありつけることができるなんて、

私たちはそんな民族ではないハズです。

きちんと救援物資が一人暮らしのご家庭にも届くよう
各自治体の区長さんがガイドラインの作成を進められているところもあるようなので期待しております。

『お年寄りを大切にしよう』という当然のスローガンやCMやポスターが

テレビや新聞や街角から消えたと不思議に感じているのは私だけでしょうか?

こうした風潮、心配です。






『 原発は、まだ、使って良いテクノロジーにまで進化していない。 

 やめましょう 』










賛否両論の原発ですが、シンプルにそう思います。

恩恵は大きいものの、事故が生じれば今回のように国土を失います。

電力と引き換えにするには大き過ぎるリスクです。

原発を稼働させることは、
ブレーキの効かないクルマを運転するようなものではないでしょうか。

または、たき火を焚いて焼き芋を焼くのはいいのですが、

これは私たちが点けた火をコントロールできるからです。

焼き芋ができたら火を消して、焼いた落ち葉や木の枝は灰となりて土に戻ります。


これに対し原子炉はどうでしょう。


たき火みたいに点けた火を危なげなく消すことができるかといえば 否です。

暴走が起こり得るということは今回証明されてしまいました。

消すことのできない火は燃やしてはいけないでしょう。

そして燃えカスは土に還りません。

地中深く、貯蔵庫を掘って放射性廃棄物を地層処分しても

高レベルの廃棄物ですと管理期間が数万年以上となります。

処分方法が確立されないまま、原子力発電はスタートしてしまったわけです。

負の遺産を後世に残し続けることなど、私は賛同できません。

そんなご先祖様は迷惑千万でしょう。

そして こたびの福島原発による被害に喘ぐ福島・宮城と隣県の人々の苦悩。

現在でも汚染水は、世界へつながる海へと流れ込み…

地球規模の迷惑をかけ続けています。大好きな海に申し訳ないです。

この事実を以て、世界に対し私はとても肩身が狭い思いをしています。

原発を再度稼働したいのなら、

放射性廃棄物を処分する まともなテクノロジーを先に開発して下さい。

あと、今回のように放射能で深刻な環境汚染が生じた時のための

『放射能除去装置』の開発も不可欠です。 宇宙戦艦ヤマトですね。

発明できないのなら、原発は人類には扱えないテクノロジーなのです。

それが原子力の専門家でなくても、シロウトの私でもわかるリスク管理ってものです。




ブログ一覧 | 東日本大震災 | 日記
Posted at 2015/03/10 22:53:06

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この記事へのコメント

2015年3月10日 23:06
こんばんは

報道や周年番組は良く観ましたが、初めて現場で起こった生の声を聞いたような心境です。

遠く離れた南の地ですので義援金というカタチが思いつき所属団体が世界一早い手配が出来た事を嬉しく思いましたが、やはり現場は想像以上の惨事だったのですな。
コメントへの返答
2015年3月13日 21:04
レオンちゃんのパパさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。

メディアで取り上げられる情報にはむろん貴重なものが数多くあると認識しております。
ただニュースバリューがある内容に偏ってしまう傾向があるのは致し方ないところでしょう。

4年の歳月と復興の進み具合を照らし合わせ、非常な危機感を持ったので、この度発信しました。

義援金下さったのですね!
ありがとうございました。心から感謝致します。バナナ一本を手に入れたくて避難所で並びましたので…。世界一速い手配。
貴重なご配慮だと思います。援助の手というもの まさにスピードとの勝負だったので、パパさんの助けであの時バナナが食べられたのだと思います。
この気の遠くなるような大惨事が日本の経済の中核を成す関東・関西・九州で起きていたらと思うと震えが来ます。
南海トラフ巨大地震が来るまで、その時まで
とにかく東北が立ち直っておかなければ、行きたくとも助けに行けません。
ご恩は忘れません。
2015年3月10日 23:19
あの時は、仕事仲間や友達を津浪でなくしました。
人生が変わりましたね。
だから、今も風呂の浴槽には水を毎日貯めて寝ています。
車には水と食糧と防寒具が搭載してます。
4年が経過してもちょくちょく中身を新しくしたり気を付けています。
日頃の備えは大切だと当時を振り返り思います。
コメントへの返答
2015年3月13日 21:27
池さん@NCP58さん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。

私と同じくあまりにも多くのかけがえのないものを失われたのですね。

私も人生が変わってしまいました。当たり前だと思っていた日常と生き甲斐がほぼ永遠に失われました。

でも、生き残った者には、生きよ!ということでしょう。生き抜いたことで得た知恵を次世代へと伝えていかねばならないでしょう。

浴槽の水は私もやっています。大事なことだと思います。同じく愛車への搭載も。

レガシィは、実は、再襲来するであろう次の大災害に備えてのツーリングワゴン購入です。
教訓を活かさずに同じ目に遭うなど、悔しいですから。
神戸、広島、長崎などなど手を差し伸べてくれた 日本各地の人々の真心を心に刻んで。

今度は、自分が救えるように充電したいと思います。
まずは、自分を守り、家族を守り、故郷をできるだけよみがえらせましょうね。
2015年3月10日 23:25
こんばんは。

私は阪神大震災も東日本大震災も大きな被害を受けることはなかったものの、どちらも震度5強の大きな揺れを感じるところにいました。
被害は軽かったとはいえ2回も巨大な地震に遭ったわけです。

どちらの時もライフラインの心配をし、食べ物や消耗品が買えなくなるという事態に遭遇しました。
日本という国に住む以上、地震や津波は避けられませんが、日頃から気をつけておけば被害を軽減できることはたくさんありますね。(実践していなくて情けないのですが・・・)
コメントへの返答
2015年3月13日 21:59
SEIJI-07さん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。

今回の揺れの恐ろしさは言うに及ばず、阪神淡路大震災の揺れも強く印象に残っています。

そして目を覆いたくなるような神戸の惨状がテレビ画面に映し出され、愕然としました。

おっしゃる通り、地震と津波の発生はこの先、科学技術が進歩しても押さえられないでしょう。
しかし、対策なら立てられましょう。
避難の仕方、
耐震構造を含む建築の在り方、
そしてこの地震津波大国に原発やリスクの高い施設を保有していいのかどうかの検討などなど
市民レベルから行政レベルまで、やれることはたくさんあると思います。
備えあれば憂いなし。
但し、想定される事態の深刻さをずっと引き上げた上での備えが必要であると
この度、被災者となりて強く感じております。

ともに備えてまいりましょう。
2015年3月10日 23:36
ナメタさん、こんばんは!


被災地の現状を間のあたりにした方でなければ書けない深い深い内容でした。

アタスも被害こそありませんでしたが、
外出や出社していたら、信号機も機能しないなか大混乱にあってたと思いましたね。

ガソリンもそうでした。
たまたま数時間暖をとるくらいはありましたが、それもみるみるうちにへり、翌日からガソリン行列並ぶはめになり、
夜勤上がり真夜中にならんだこともあったり、新潟まで調達したりと本当にたいへんでした。

ナメタさんが関わってきたあらゆる事柄は、本来国がメディアが発するべき事なのに…

未だにコントロール紛いなことをしているようにしか感じられません。

まして、一番大事な原発収束も、収束宣言してるのに実際は冷却と燃料棒を抜き取る作業をやっとやっとしてる事実は一切報道されてませんよね。

挙げ句、汚染水の漏れを防ぐ凍土も効果の程はどうかも中途半端、そんなしてるうちに建屋地下から流れたりと、仕方ないにしても未だに間に合わせの対策しか出来てない。

もっと海外に援助を求めたらいいのにと思ったりしました。

そろそろ本気で復興進めてもらいたいものですね。



コメントへの返答
2015年3月14日 0:31
天童のスバリストさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
仙台のコンビナートでの備蓄がやられ、さらに壊滅した太平洋側からのガソリンの輸送路が断たれ、日本海側からの輸送路が生命線となりました。
秋田、山形の方々には大変お世話になった経緯があるという認識を持っております。

山形へ辿り着ければ、給油できるらしい…
また、食料も調達できるらしい…
さらに風呂にも入ることができるらしい…
そのような噂が流れ、行ける人は次々と日本海側へと。
私は、仙台を離れることができなかったので数週間風呂にも入れず、日々の食料を確保しつつサバイバルしておりました。

食欲・睡眠欲などが極限状態では最も優先されるものだと思っておりましたが、
私の場合「風呂に入りたい、垢をこすり落として頭も洗いたい。」その欲求が格段に強かったです。これは意外でした。
「テルマエ」というものもライフラインのひとつとして考えるべきだと確信したものです。

あと何よりも情報が不足していました。自分のところからたかだか数キロ~十数キロ先で起きていた大津波の情報が入って来たのはだいぶ後の事です。
避難所となるところには、自家発電装置と情報の送受信ができる無線か、衛星を使った通信装置の設置が望ましいと感じました。

さらに原発がやられたことを知り、仙台にいることも危ないこともわかり、諸国の勧告に従い仙台にいる外国人が次々と姿を消していく中で、「安全ですから」と言い続ける政府の発表。
なんで、合衆国をはじめ、諸国が危ないと言って在日外国人に避難勧告を出しているのに、日本人は無事と言えるのか?神風でも吹くのか?
そうしたことで、政府の発表する情報には嘘・偽りがあるという確信を強めました。

逃れることを諦め、できるだけ外気に当たらないようにし生活しておりましたが
自衛隊の皆さんをはじめとする現場の皆さんの献身的な働きに頭が下がる一方で、政府と霞が関と東電の上層部の存在感の無さにあきれ果てるばかりでした。
そしてそれは今も続いています。
定年退職者や高齢の技術者の方々270人が無報酬での決死隊を集め原発に乗り込むという そのように原発事故の行く末を憂いて我が身を省みず行動される方々もおられるというのに
政府と東電上層部の対応…言葉を失います。



2015年3月10日 23:46
こんばんは。

東北並みでは無かったですが、地震の影響は、なかなか食らったものです^^;

知り合いは、津波で建物の一階部分丸々浸水した方もいます。

震災後、自分が小さい時に住んでいた所の震災時の様子が、映ったDVDが復興資金稼ぎの為に発売されて、それを見ましたが酷いなんてものじゃ無かったです。

昔、住んでいたとこは、川沿いで、海まで10分位の所だったんですが、そんな所まで、津波が来てて、辺り一帯水浸しでした。

給油と食料は、本当に苦労しましたね。
自分も、地震があった日にガソリン入れるつもりだったので、その後、全く身動き取れませんでした。

四年経って、比較的被害が少なかった茨城は、東北の方々から比べたら、まだましだったのかな?って思います。

茨城は、震災時、北と南の被害の差があり過ぎて、南の方とかに住んでる友達は、そこまで酷い事になってるみたいだなんて、
思って無かったみたいです^^;
コメントへの返答
2015年3月14日 11:58
サクタロウさん、おはようございます。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
茨城も揺れたでしょうし、海岸もやられたでしょう。
放射性物質拡散の被害もありましたでしょうし。
私も自分が馴染んだ風景が木端微塵に破壊されるという映像を見て衝撃を受けました。

私も通い詰めた釣り場やご近所、馴染みの釣具店、住み慣れた三陸の都市が黒い濁流により崩壊していく様を何度もテレビで観て、感情が麻痺していくのを感じました。

また、ここで釣ろうと下見のために大震災の3日前に訪れた地元の海岸線。それが大津波に呑みこまれていく様子、日付が違っていたら私自身も呑み込まれていたでしょう。
海岸線に並行する道路はあるのですが、海から離れる道路はとても少ないのです。
あれではとても逃げ切れない。

給油と食料では苦労したものですね。
ひたすら開店した店舗を見つけては並ぶ日々でしたが、当たり前のようにやっていることが海外で「なんで暴動が起きないんだ」と評価されていたことに驚きました。

ただ避難して無人となった住宅地が次々と泥棒の標的にされ、被害に遭っていたことは残念でなりません。泥棒はむろん言語道断ですが、それにしても酷すぎる仕打ちでした。
うちはめちゃくちゃで泥棒が入ろうとしても
ムリでした。金目のものもなかったし…。
とにかく震災時は情報がとれなくて、とても困りましたね。無線機を持っていればよかったか?と考えたものです。今でも有事に備えて無線資格をとるかどうかと考えております。
とにかく次に向けて備えてまいりましょう。
首都直下型がきたらそちらも大変です。
2015年3月11日 2:23
こんばんは お疲れ様です (^o^)


僕が被災地に 初めて訪れたのは

震災から 1年後でしたが

あの光景は 未だに

鮮明に覚えています。

所々に 津波で大破した車輌の集積場に

数々のガレキの山・・・。

泥だらけの道に 辛うじて残った

家の土台だけが 広がる沿岸部・・・。


南海トラフ地震が いつ起きても

不思議ではないといわれる今

改めて ナメタさんが 経験された事象などを

参考にさせて頂くとともに 東北各地の

復興への 道のりも継続的に

見守らせて頂きたいと思います!



コメントへの返答
2015年3月14日 17:52
reicolin-navigatorさん、こんにちは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
この度の東北来訪でもブログで紹介していただきまして感謝しております。また遡ること3年前にも来て下さったのでしたね。
ありがとうございました。

あまりに無残な風景が延々と続く沿岸部

地元の海へは一か月後に立ち入り、呆然としました。厳戒態勢が敷かれ、それまで立ち入りすることはできませんでした。安置所には次々に御遺体が運び込まれる日々、知っている名前を新聞で見つけてはがっくりする日々でした。

住み慣れた三陸の方へのお見舞いは私も一年後となったのですが、かつての同僚や地元知人からの体験談を聞き、
テレビでも放送できない
私もここで文章にすることがはばかられるほどのあまりにも無残な話に心痛みました。

私も一緒にあんなに何度も津波警報が出て繰り返し避難したのに

間に合わなかった…

ここまでやるのはやり過ぎだろうと日頃眺めていた田老町の要塞のような堤防が波に呑まれるなんて…

瓦礫の山を歩いていて、親しくしていただいた人々の悲鳴が聞こえて来るようで、耐え難かったです。

三陸海岸の人々は過去何度にもわたる大津波に遭遇しながらも、逞しく立ち上がって来ました。

襲い来る大津波を止める術はありませんが叡智を集めて、次の時には最小限の被害で済むようなそのような復興を望みます。

地元民の一人として復興に携わっていきますので、各地の皆様にはどうか大震災と大津波の記憶を風化させないでいただきたいです。
そして避けられないと言われる南海トラフ地震
これをどう乗り切るか、未来を見据えて備えてまいりましょう。 
2015年3月11日 7:46
おはようございます。

地震があった日に、こんな天気で・・・。(^▽^;)
あの日までは天気の良くて、春だねって言った午後の事でしたからね。

地震の後の異常なまでの降雪には、ビックリしましたね。
秋田は直接の大被害は有りませんでしたが、食糧不足や燃料不足など
結構不便を感じましたね。それでも、仙台や岩手などにこちらから
優先的に輸送してる事には不満など有りませんでした。

停電により、岩手や宮城、福島などの被害の確認が出来ず、やっとTV見た時は
その惨状に絶句でした・・・。自然には無力だと・・・。

まだまだ、真の復興までは長いとは思いますが思いやり、助け合いの精神は
忘れずに持ち続けたいと思います。
コメントへの返答
2015年3月14日 20:49
チャンパパさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
4回目の3.11はあの日と同じような雲行でしたね。
好天が続いていて、釣り場の下見に出かけた後日のことでした。
ビルが倒壊するような揺れをしのぎ、オフィス着で、外にさ迷い出たところにあの雪でしたからまいりました。服がなかったのだから仕方がありません。

ガソリンも食料も電池も何もかも不足しておりました。家についても入れず、(鍵を開けてもすぐに住める状態ではなかったので)避難所となった小学校の校庭に
寒くて
狭くて
怖くて
ブルブルと震えながら数日の間、車内泊しておりました。
エコノミーシンドロームの自覚症状が出て来たので、あまりの居住性の悪さに泊まれるクルマを買わねばと決意したのでした。それでレガシィを購入したわけです。
大震災当日の時点でガソリンの残量が残り少なかったので、不便なことこの上なかったです。実家の親の安否確認もできず、かといってクルマはいつエンストするかもわからないので使えず…
太平洋側の道路は地割れで寸断されており、海岸は壊滅。頼みの綱は、山形と秋田からの補給路のみでした。
ですので、山形・秋田からの生命線に命救われたという認識を持っております。
大変感謝しております。
ライフラインが復旧してからも
日本海側には、太平洋側では失われてしまった日常がありましたので、それがとても恋しくて…
度々出張に行っては、山形と秋田の方々にねぎらっていただいておりました。
山形にて出迎えてくれた方も、秋田駅で出迎えてくれた人も、困った時はお互い様ですから、何かありましたら遠慮しないで頼って下さいねと申し出て下さいました。
その東北人らしいお気遣いがとてもありがたくて目頭が熱くなったことが思い出されます。
夏になれば日本海へと出かけるようになり、
穏やかな海にとても癒されました。
長い道のりとなりますが心優しき隣県の方々にこれからも頼らせていただきます。
変わらぬお付き合いをよろしくお願いします。
2015年3月11日 19:36
こんばんは。

やはり被災を経験された方のお話しは為になります。
ナメタさんの体験談を教訓にして、いろんな事に備えていければと思います。
とは言え、時間がたつと忘れてしますのが人間…
未だ仮設住宅暮らしの方も多くおられるのに、そんな報道はあまり見なくなった。
何の解決もしていない原発も再稼働させようとしている。
山口県にも中国電力が原発を作ろうと必死になってます。

最近はやたら日本をベタ誉めする番組が多くなった気がしますが、いろんな大事なことから目を背けてるような気がします…

うん、私は頭が悪いので上手くまとまりません(;^ω^)ゴメンナサイ
コメントへの返答
2015年3月14日 21:46
まめろーさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
被災の体験談を発信することは、災害に対する備えの在り方についての情報を共有するという長所があります。短所としては、読者に思い出したくないことを思い出させてしまうこと。また、風評被害を助長する一因となる恐れがあること。
それが心配ではあります。
ですから痛し痒しの部分はあります。
この度は長所を重視したことと、やはり市民レベルでも真実を伝えるということが風化に対する最善策なのではないかと判断しましてのブログアップです。
テレビでは3.10に明日で震災から4年ですねと言い、当日はあれから4年という特集を組んでましたが、何といいますか被災地では大震災の日をスタートとして私の場合は人生が一変しました。そうした方は膨大におられると思います。そしてスタートしてまだまだこの時間は過ぎていくわけで、
海岸線をどのように復興するか
コミュニティを崩さない住宅移転のためにどうしたらよいか
家だけできても雇用先がなければどうにもならないので、それをどのようにコーディネートしていくか
東京オリンピックに持っていかれた人材と資材をどのように補充するか
原発に汚染された故郷にどれだけの未来があるのか?頑張って解決できることなのか?
などなど、時間が経てば経つほど難問が浮上してきています。
政府の終息宣言は論外で、むしろこれからが正念場となってきます。
やはりネックは原発です。それで希望の光が見えてこないのです。住宅地の除染は結局地元住民や民間企業に委託されてやっています。なかなかすすみません。田畑や宅地はよいのですが、山河海などは手付かずです。除染しても元に戻ってしまう所もあります。
このようなリスクを抱えているのにそれでも原発を稼働するという判断に同意できません。それしかテクノロジーがないのであればまだしも、他にも周知されていない代替案があるのです。私が考えているのは地熱発電です。地熱利用の先進国アイスランドには原発や火力発電所は一基もなく、水力発電と地熱発電だけの自然エネルギーのみで国内全てのエネルギーをまかなっているわけで、同じ火山国である日本でもその可能性を検討すべき時が到来したと考えています。
ところがここ12年間、国内では地熱発電所は建設されていない。政府は熱心ではないのです。不思議ですね。
ご参考までに
http://globe.asahi.com/feature/111002/01_1.html
とにかく原発が作られてしまったら福島・宮城の二の舞になる可能性を抱え込むことになります。
一番得をするのは誰でしょうか
地元に根っこがある人々ではないはずです。
そして有事の際に故郷を失うのは誰か。

その辺をよく考えて判断されますよう。
とにかく次に来るであろう大震災に備えてまいりましょう。ありがとうございました。
2015年3月11日 20:45
こんばんは。

学生ボランティアで阪神大震災の現場に入ったとき、そのあまりの惨状に言葉を失ったことは忘れられません。
東日本大震災の映像を見たときも、失われた人のことを思うと現地の人の悲痛は想像を絶するものがあると思います。

福井の子供たちは、必ず1948年の福井地震の話を聞かされて育ちます。
戦後復興間もない福井が壊滅した災害でした。
福井は川の氾濫と空襲と地震で三年間で3回も壊滅しました。
その絶望から、先人達は不死鳥を合い言葉に復興してきました。
東北の被災地の方々も、不死鳥のように復興すると祈ってますし、信じています。
コメントへの返答
2015年3月14日 23:28
ニシモティさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
ボランティアで行かれましたか
私もボランティアという貢献方法を浮かべましたが
条件的に難しく、義援金という方法をとりました。
阪神大震災の現場をご存じであれば
こたびの東日本大震災の悲惨さも想像されることができるものと推察致します。
現場を見た方、また現場を知っている方から、備えについて聞かされて育った方々は
なんと申しましょうか
当たり前の如く ボランティアにいらして下さいます。
神戸・広島・長崎・そして各地から。
お仕事もおありでしょうに
遠いところから駆けつけて下さるそのお気持ちにありがたく感じ入りました。
不死鳥の如くですね。
私も神戸の方と交流する機会を得て、
元気を分けていただきました。
福井の方々も絶望の淵から這い上がって来られたのですね 3回も。
元気付けられます。
福井や神戸の方々の情熱・そして各地から支援して下さった方々のお気持ちに応えることができるよう
とにかく前へと進んでまいりましょう
これからもこの大震災の記憶を持ち続けて
次世代に伝えていただければと思います。
ありがとうございました。
2015年3月11日 23:33
こんばんは。

3.11以降、特に1.17~3.11は、テンションが落ちますね。

とはいえ、助かった身として、では次に何を残すか?
同じ様な悲しみを起こさぬよう、やることはないか?

そんなことをずーっと20年間考え続けています。

今回、低体温の記述を見て、車には簡易寝袋や
乾パン積んでますが、職場にないことを思い出し
ました。貴重なご体験により、助かりました。
ありがとうございます。

あと、乗り合いも賛成ですね。
千葉北西部地震(2005.7)に遭遇した時には、
周りの人と、どこまで行く?と話してて、
同乗したことがあります。

そういうのも伝えていきたいですね。
コメントへの返答
2015年3月14日 23:52
かずとよさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
ご支援いただいた全国の方々に感謝しておりますが
神戸の方々の救いの手は、とても大きな精神的な支えとなりました。
一緒に復興していきましょうという
共に歩んで行きましょうという
静かで慈愛の祈りにも似た姿勢の方々に接することができました。
とても励まされたものです。

私も阪神淡路大震災の教訓を受けて
生きてきましたので 備えはしているつもりでした。
低体温の体験記がお役に立ったのであれば嬉しい限りです。
とくに冬場、濡れた体は命を奪われるほどの危険にさらされると思いますので、小さく折りたためる防寒着を夏場でも欠かさず持ち歩くようになりました。
そして イメージトレーニング。
揺れを感じて30秒を過ぎ、それでも揺れが大きくなり思ったのが「しまった!!」ということでした。いつかこの時が来るのはわかっていたはず。なんで、必要なもの一式を手元に置いてなかった!油断してしまった!
という後悔でした。
ですので、思い付いたことはできるだけ実行に移していこうと思います。
そのことのひとつがタクシーと自家用車ドライバーの方々に非常時の乗り合いを呼びかけることでした。
かずとよさんは、実際に体験されているのですね。
このことを提言していくだけでも、有効な手段を推し進めることになると思います。
当然解決すべき課題もありましょうが、ご助言をいただければ幸いです。

今後もよろしくお願い致します。
2015年3月12日 8:18
初めまして。

私は東京で個人タクシーを営む者です。みん友さんのコメント欄からこちらへお邪魔したのですが、非常時の乗り合いタクシーのお話はとても考えさせられる内容でした。

法律上、平時は乗り合いが禁止されているタクシーですが、非常時には乗り合い客を乗せてもよいと明記されています。しかし、この「乗せてもよい」が曲者で、乗せなくても「よい」訳ですし、そもそもお客さんの同意が必要なのは言うまでもありません。非常時には誰しも早く目的地に着きたいのも道理で、中々同意をいただくのも難しいようです。

それに私の知る限りでは多くの法人タクシーが、乗せる・乗せないという部分の法律上の正しい定義を乗務員に説明していません。乗務員が自分勝手に解釈してお客さんを選別するのを防ぐためと思いますが、このために乗り合い出来る事を知らなかった乗務員も多かったと思います。

そういった事情もあって、乗り合いさせられなかったのも仕方ないと考えていたのですが、ナメタさんのブログで被災地の当日の様子を知り、仕方ないでは済まない問題と思いました。報道ではどうしても津波や原発の話題が先行してしまい、当日の皆さんの状況は知らなかったのですが、本当に大変なおもいをされたのですね。ご無事で本当に良かったです。また、文章にする事も大変だったでしょうね。思い出したくない事も思い出さないと書けませんものね。お察しいたします。

このような震災が二度と起こらないのが一番ですけど、また起きた時にどうするかをもう一度よく考える必要があると気付かされました。ありがとうございます。

一日も早い復興を、心からお祈りしています。長文失礼いたしました。
コメントへの返答
2015年3月15日 14:55
hiro1283さん、はじめまして。こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
タクシー関係者の方からご意見を頂戴できるとは思っておりませんでした。恐縮です。

また、被災した者に対して、かような温かな言葉をいただきまして、感謝しております。
最も人を癒すものは、お金でも食料でもなく
つまりはそうした行為や物に込められた思いやりなのでしょう。

法律上の事は何もわからないままでの提案でしたので、このような専門職のお立場にあるお方の貴重なお話を聞けて、自分の考えについてまとめるのに大変参考になります。
なるほど、お客さんの同意が必要となるわけですね。
それに非常時なればこそ
少しでも早く自分の目的地に着きたいと思うのは自然な思いでしょうし。

hiro1283さんのお立場上 非常時の乗り合い制度を導入しようとしてもクリアすべき課題があること、理解できたと思います。

なんとかクリアできるとタクシーという職種の社会に果たす役割が現在のサービス業という枠を越え、一種の救急車両に似た性質を帯びてくるものかと考えます。
今回の大震災に限らず、非常時は鉄道網や公共の交通機関がストップし、タクシーが頼みの綱となることが多々あります。タクシー乗り場に長蛇の列ができる場面を何度もニュース場面にて拝見しております。
つまりはタクシーの社会に果たしておられる役割が異常気象などの影響もあり、今後益々増えていくものと推測しております。

いかがなものでしょう。
非常時であるとドライバーが判断した場合、または配車を取り仕切る責任者が判断を下した瞬間から、
行燈の色が非常時用に変わり、「空車」のタクシーが「乗り合いタクシー」の宣言をするというのは。そうすると乗り込む客は初めから乗り合いになると了解しての乗車となります。これですと、法律上の難しい解釈や、同意を得る必要は元からなくなるわけです。

非常時の命を繋ぐ唯一の機関であると
この度、タクシーを拝見して感じた次第です。
無理難題を申し上げておりますかもしれませんが、検討してみていただければ幸いに存じます。


2015年3月12日 22:06
初めまして。
同じ被災者として失礼します。
いくつかの提案に対しての私の考えですが、概ね貴方の意見に賛成ですね。
1つめ、3つめは言わずもがな、2つ目のタクシーなどのそういったものは非常時の「緊急的な小型の移動車両」として重宝できますしね。

ただ、私の経験談であれですが4,5は賛同しかねますね。
『お年寄りを大切にしよう』というのは理解できますがその「お年寄り」が震災時、最も我侭でルールも守らず暴言ばかり吐かれて、挙句の果てに人のものを勝手に盗もうとしていたので。
少なくとも懸念されている不自由なお年をめいた方もおりましてそういった方々には微力ながら我が家の食料などを分けたりしましたが、私の住んでいた地域では『お年寄りを大切にしよう』とは思えない我田引水な方々で正直大切にしようとは今も思えませんね。まぁ、同じ被災地なのに被害者意識が強く特別扱い意識(福島から避難されてきた方の一部にはですが)が地元に多いのも要因なのかなとも思いますが。

で5ですが。
以前からこういった反対意見にお伺いしたいことがありまして。
「代替の発電」は如何するのか?
私は「原発」は賛成です。
というより『お年寄りを大切にしよう』のですが。
というのも、資源の乏しいこの国では火力、水力、風力、地熱と様々なものが御座いますが、確かに今現在は火力などで事足りておりますがそれも石油でいつまで続くか分からない、他の発電もまだ国全体を補えるレベルに無い。

と、なると確かにリスクは大きいですが、原子力に頼らざるを得ないのかなと。
こうなるとリスクと需要に対する供給と水掛け論となりますが、ただ原発を止めるなということではなく、もし止めるのであればただ「原発を止める」のではなく、それに対する「代替発電」が必要なのでは?
と、思うのですが、ここが私が「ならざるを得ない」理由ですがその「代替発電」はあるのか?
ぶっちゃけいいとこ取りできる発電は現時点では無いですね。
少しの燃料で大気を汚さずそれでいて大きな発電量を誇る。
そんなものは災害時など大きなリスクを背負うけど原子力ぐらいしかない。
ならば、「代替」が出来上がるまではそれでしのぐしかないんじゃないかなと。

最も、いずれにしてもそれらの「対策」がきっちりしていることが前提ですしそれらが確りしてなかったからこそ、今回の結末を迎えたわけですが。

私としてはこれからも災害はあるでしょうしそれは避けられません。
ですが、同じ過ちを繰り返さない為にも我々個人で復興させつつもどうするべきかを忘れないようにしたいですね。

長文失礼しました。
コメントへの返答
2015年3月15日 20:38
T-Magicさん、はじめまして。こんにちは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
被災者は周囲に普通にいるものの、なかなかこういうテーマで話し合う機会はないので、こうして私の提案に耳を傾け、ご意見を頂戴できるということはありがたい限りです。
家庭でこういう話を始めますと、「面倒くさい話は聞きたくない。」と避けられます…だから意見のやりとりも発生しない。大切なことなのに関心がないのですよ。嘆かわしい。
すみません。愚痴ってしまいました。

さて、本題に入りますね。
「上着や貴重品の持ち歩き」「早めの給油」これは気の持ちようですぐにでも実行可。
そして「非常時のタクシーの乗り合い化」につきましては、上記のなんとタクシー業界の方より検討の余地ありということで、貴重なご意見をいただくことができました。もしかすると実現するやもしれません。

次に「高齢者を守ろう」という提案について。
人生の先輩でありながら、我がままで、暴言、盗みまでするとは不届き者ですね。他の避難して来た高齢者の方にも援助なされたのですね。そのお方も人格的に問題ありで…それでも救いの手を差し伸べられたこと頭が下がります。
高齢者の我がままや暴言、反社会的な行動ですが、ご本人の人柄がそのような残念なことである可能性が一つ。
もうひとつは脳の器質的障害である可能性から人格が壊れていっている可能性があります。
立派な経歴をお持ちで、性格が温厚で誠実なお方のはずなのに、我がまま、暴言、被害妄想、物取りなどがみられるようになる方は実は少なくありません。
そのような方の脳画像診断をしてみますと前頭葉が委縮しているという所見が得られることが多いです。
私の経験からですと、認知症とはいかないまでも、人格を形作っている部分、理性的な判断をする部分の脳がダメージを受けておりますと、理性が働かなくなり欲望のままに行動してしまう「脱抑制」と言われる症状が見られるようになります。
「認知症」の診断が出なくても「認知機能低下」として治療の対象となり得ます。麻痺などは見える障害なので周知がしやすいのですが、この認知機能低下ですと、見えるものではないので周囲の理解が得にくいです。我がまま・暴言・反社会的という関わりたくない性格なのだろうと思われてしまいますので、ご家族としてもご苦労されるところです。ご家族の負担が大きいので地域みんなでお世話していこうという「認知症サポーター」というものも各地で募り拡大しているところです。病気だとわかってはいても接するのは大変ではあります。
長くなりましたが、そのような可能性もありますという話でした。

そして、原発への反対意見についてですが、代替案も持たずに主張するのは片手落ちですよね。今回は、テーマを絞りたかったので、代替案には触れませんでした。

ご意見の中にありましたようにいいとこどりの方法は現在のところありません。
私の代替案は、火力、水力、風力、太陽光、地熱、自家発電の燃料電池を動員するミックス案です。
ポイントは、CO2が増加しないように火力発電の比率はこれ以上上げないようにすることです。
そこで問題になってくるのは原発に頼っていた電力をどこから供給するかです。
震災前の電力供給の比率が原子力32%、火力が60%ほど、その他水力などが8%といったところです。原子力の32%を水力その他8%の比率をだんだんと引き上げていって代替します。現在確立されているテクノロジーとしては、地熱発電です。
地熱発電先進国アイスランドのようにその条件を満たしていながら、日本では世界の地熱発電が増えていく中で、おいてけぼりをくっています。地熱か、原子力かとどちらかを選ぶ際にてっとり早く原発を選択したためと考えられます。アセスメントに時間やコストを要するなど課題はありますが、真剣にもっと増やす時期が到来したとの見方が地熱発電ではされています。
ただし、これでも建設稼働までに時間を要します。そこで代替発電としての最有力、
水素を使っての燃料電池を普及させるのです。これは、家庭用燃料電池の普及、
燃料電池車(FVC)の普及、燃料となる水素ステーションの増加が欠かせません。
水素の長所はご存じでしょうからここでは省きますが、日本各地で、とりわけ東北各地では、水素の活用に前向きで、計画が進んでいるところです。
水素社会の実現は、もはや夢物語ではなくなりました。国内で新たな段階を迎えています。
とりわけ水素を製造する拠点となり得る可能性を秘めているのが東北です。
これを推進していくことが、原発との決別、二酸化炭素を排出しない供給しないシステムの確立につながると思っております。
というわけで、それまでは今ある原発以外の発電に頑張ってもらわないと。
新たな原発事故は防げる可能性が示唆された今、とにかく良い形での復興を推し進めたいですね。個々人が人任せにせす゜、よく考えて判断することが大切ですよね。
ともに頑張ってまいりましょう。
ありがとうございました。
2015年3月13日 23:35
こんばんは。
もう4年なのですね。
私は前職があり、そのときは復興支援のため震災翌日に北海道を出発しましたが、フェリーも小樽から日本海経由、丸一日フェリーに揺られ結局震災から3日後に宮古入りしました。
つい数日前までは栄えていたであろう場所が津波で流され更地になっていたり、2階部分まで浸水した跡があったり悲惨な状況だったのを覚えています。
実際に被災された方のお話はとてもためになりますね。
とても考えさせられる内容でした。
コメントへの返答
2015年3月15日 21:15
d@isuke15さん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
あれから4年が経つとは、長いのだか短いのだかわからないところですが、
概観しますと観光地など人目に付く仙台市みたいなところは体裁を整え、地方の地元民だけが暮らすところはまだまだ放置されているという印象を持っております。

東京オリンピックの招致により、いよいよ本気で取り組んでくれるのだなと思ったりもしましたが、そのような意図はないようです。

宮古に行かれたのですね。私が住みなれた第三の故郷です。復興支援に来て下さりありがとうございました。私もすぐにでも宮古に駆けつけたかったのですが、地元の海が精一杯。次々と運び込まれる同じく被災した人々に対応する日々でした。
宮古市は前年の秋口から何度も地震があって津波警報・避難勧告が出て、その度に市民は避難していたのです。ですが、空振りが何度も続きまして、警報が出ても 本当に来るのかな…と私も避難を渋るほどになりました。
さすがに潮が異常に引いて海の底が見えたなら、それこそ必死になって逃げたことでしょうが。
私は海が大好きで、オフタイムはせっせと朝な夕な通い詰め釣りをしておりました。
とても美しい顔と魔物のような恐ろしい顔の両面を持ちますが、そもそも自然はそういうもの。
よりうまく海と付き合っていけるよう、私たちは自然に畏敬の念を持ちつつ、賢くあらねばならないと思います。
これからも東北太平洋側のバックアップをよろしくお願いします。奥尻島の津波被害のことも私の記憶には新しいです。
2015年3月14日 18:53
こんばんは!

自然災害は何度も襲ってきていて、人は立ち直っていきます

時間が癒してくれるから

でも

また同じところに街を作り海を呪うのは人の浅はかさ

そしてさらに

未来永劫取り返しのつかない原発まき散らしの害を見ないふりして後世に残す愚かさ・・・


痛ましく、悔しくてなりません・・・
コメントへの返答
2015年3月15日 21:42
はるのさくらさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。

海辺に住まう人たちは、常日頃、様々に変化する潮と風を読んで暮らしているので
海の素晴らしさも 恐ろしさも わかっていると思います。

私も三陸沿岸部に住まいし、過去にチリ地震などによる大津波を経験した地元のお年寄りたちから、大津波がいかに恐ろしいものかということを聞かされておりました。

ご先祖様を津波で亡くされている方々も多いので、警戒心はとくに三陸の方々は強いのですが、何度も警報が出て だけど津波らしい津波が来ない 空振りが続いたのです。
今度こそ本当に来る!とわかった時には既に遅かった…

地元民に伝わるのは「てんてんこ」の精神。

大津波が来たら、肉親でさえ見捨てて、とにかく自分が助かるために全力を尽くすこと。

釜石の子どもたちはそうした精神で、自らの判断で避難所も危ないと脱出し九死に一生を得たのです。

海を知るものは海を恨まず。

想定外の事態が起こり得ることを此度知り、より用心深く海と付き合う方法を選択することでしょう。

但し、原発事故による放射能汚染は別次元の問題です。あれは自然界に存在させてはならないものだと言うことが明らかになりました。
それなのに再稼働しようとしているなどというのは暴挙です。
代替発電としての地熱発電を増やすこと。、また水素を使っての燃料電池による水素社会の到来。
世界はクリーンエネルギーに向かっていることを認識し、原発は全て廃炉にする決断を国に促して行かなければなりません。

今後も東北太平洋側のバックアップをよろしくお願いします。
2015年3月16日 16:15
はじめまして
先日は 篭めんとありがとうございました m(__)m

未曾有の大災害 流れてくる映像に声も出ませんでした
私は 阪神淡路大震災で従姉の家が全壊 恐ろしい風景でした
地震・津波は 一瞬にして 命・家族・友人・財産・思い出をすべて奪い去ってしまう
奈良に住んでいて 東北の情報は日々少なくなっています
そんな私に出来ることは 忘れない 風化させない いつもこの気持ちだけは大切にしたい
いつか 癌が根治したら 時間をかけて 夫と尋ねたいと思っています
コメントへの返答
2015年3月17日 20:48
ブルルンさん、はじめまして。こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
阪神淡路大震災にせよ
此度の東日本大震災にせよ

自然の猛威の前には人の儚さというものを感じてしまいます。
みんな ここで命潰えるなんて思ってなかったでしょう 
大津波 想定される大きさであれば、三陸の被災者は日頃から避難訓練を重ねていたのです
私も参加していました

でも実際に来た津波は、私がよく足を運んだ磯、宮古市重茂半島の姉吉地区で津波の遡上(そじょう)高(陸地の斜面を駆け上がった高さ)が約40.5メートルに達したそうです。
いつものところに立っていたら最高で40mの波に呑まれていたということで、あまりのことに現実感が湧きません。
悲鳴すら発する間もなく黒い濁流に呑まれたことでしょう。
この悲惨な現実を1000年後にも後世に生々しく伝えていくことが大切なのではと思います。私たちが土に還ってから後のことまで考えることが課せられているように感じています。
癌の根治。闘病生活は、辛く長い闘いとなりますが、どうぞ勝利されますよう祈念致します。私もあちこち壊れていてオーバーホールしながら身体を使っております。どうぞお体ご自愛下さいね。
そして東北へ来訪下さいますようお待ちしております。ありがとうございました。

2015年3月18日 12:32
震災直後の貴重な体験談、私も体が冷えてくるくらい真剣に読ませていただきました。
私も阪神•淡路大震災を味わい、その日の夜はセーターとジャンパーを着て、足元に靴を置いたまま休んでたことを思い出しました。

きっと東北の方々一人一人に、震災直後の体験談があるのでしょうね。
私たちが知らないだけで…

役人が会議室に集まって会議したり、復興の担当大臣が宮城県知事にサッカーボールを蹴ってる間に、4年たってしまった気がします。

今、あの日と同じ大規模な地震が来た場合は、おそらく4年前と同じ混乱がおき、避難所の環境も4年前と同じだと予想されますね…


あまり長文になってナメタがれいさんの負担になるといけないので、一つだけ質問させて下さい。

ズバリ…「復興」って何なのでしょうか?

西日本に住んでる我々が東日本のことを思って使う「復興」という言葉、
東京のテレビ局が使う「復興」という言葉、
そして東北•関東で被災された方々が使う「復興」という言葉…

もう私の頭の中も混乱してきます。

「復興」のゴールって、どこになるのでしょうか…?

最後に変な質問をしてすいません(^^;)
コメントへの返答
2015年3月18日 23:20
Forest-Shadowさん、こんばんは。
コメントお寄せいただきありがとうございます。
巨大災害というものに直面することがどのようなものか、人の想像力だけで体感するには、おっつかないのだろうと思います。
経験せずに済むのが一番よいのでしょうが、備えるために、体験した者の提言に耳を傾け、自らの糧にしてほしいと願うばかりです。
この4年の間、貴重な電波では、相も変わらず視聴率や興味優先のスキャンダルなどの出来事やらが流れておりますが、ワイドショーの「今日は何の日」のコーナーで、大震災があった日、あれから4年が経つんですね…と取り上げられ、絶句しました。
~いつの間にか 完全に過去のものとして扱われているではないか。なんてことだ。~
名状し難い違和感に突き動かされてブログアップするに至りました。

復興とはなんぞやという命題を問われるとは…
今回のブログをアップしてつくづく良かったと思います。
「初めて被災者の生の声を聞けたようだ」
「心温まる共感とねぎらい」
「私と同じく被災の辛い経験と現状でもがいている姿」
「風化はさせないようにしたいとの決意」
「タクシー相乗り提言についての業界の方からの回答」
「原発反対意見についての代替案の質問」
そして「復興とは?」
皆、真摯なコメントでずしりとした重みがありました。

私の捉え方は「復旧」と「復興」を明確に区別します。
結論からいきますと残念ながら真の「復旧」は無理です。
復旧は「精神的な復旧」と「物質的な復旧」から成るかと。

「精神的な復旧」はあまりのことに麻痺し、憔悴しきった精神状態から日常の心の在りようを取り戻すこと。これは、全国から寄せられた皆様からの励ましの声や、寄り添って下さる方々の存在によりこれからも満たされていくものと思います。
家族を失った悲しみからも個々人が立ち上がれる日が来ることでもあります。

次に「物質的な復旧」は、街が再興され、被災者が以前の若しくは新しき家に戻り、新生活を始めること。そして新たな雇用先を得て、再び働き始めることです。
大雑把にここまでを「復旧」と考えています。

但し、放射能に汚染された私たちの故郷は、数十年いや下手をすると数万年経たないと元の環境に戻らない。
ですので、残念ながら真の「復旧」は無理だと申し上げました。
放射能…恐ろしいもの。得体のしれないものです。

そして「復興」
これも「精神的な復興」と「物質的な復興」から成るかと。
私たちの生活は日常生活が失われ、人生が一変してしまいました。

失ったものは『生き甲斐』です。個人が震災前に持っていた『生き甲斐』を何らかのものに再び見出せることができれば…
それが「精神的な復興」だと考えています。

また大震災前の東北太平洋側は、豊かな自然と旅情溢れる土地柄で、海の幸と山の幸が自慢でした。
しかし、これはもう生半可な年月では元に戻らない。
ならば、東北に何の強みがあるか?強固な地盤と豊富な水資源、地熱資源など。そこから、価値のあるものを再発掘して、東北ならではの産業を興していくことです。
難題ですが、私はそれが代替エネルギーの推進にあるのではないかと考えています。

「壊滅した中から、新たな強みを引っ提げて
立ち上がってきた。」東北人としての誇りと、
支援してくれた日本各地や全世界への恩義を感じながら。

放射能汚染が残存していても、それを凌駕するほどの魅力を持つ故郷。
それが「物質的な復興」です。

どうぞ東北へ移住されますように!と自信を持ってオススメできる故郷を新たに生み出すこと。

そこが明確なる私のゴールたるビジョンです。

プロフィール

「@あうと。『VAG』 さん、ほお~東北学院が代表だったんだ。知らなかったよ♪」
何シテル?   08/11 18:21
海好きのおやじリーマンです。よろしくお願いします! IDFH(国際毛髪防衛軍)東北基地司令          PSF(国境なき釣り師団)東日本海洋分団団長 ...
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