明日で東日本大震災、大津波から4年となります。
震災・大津波で亡くなられた方々とそのご遺族様に対し
心から哀悼の意を捧げます。
(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 ここは住宅地だったのですが…
巨大津波により、ほとんどの建物が土台からえぐり取られていました。)
(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。 このように日常を失った荒野が延々と続いていました。)
(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。
空爆されたかのような惨状に言葉を失いました。)
(3.11から一か月後の仙台市荒浜地区。
電柱をへし折るような圧力が人体にかかった…どんなに苦しかったことか)
みんカラは、皆さんが癒しを求めて集まってくる憩いの場
だから やはり このことは語るつもりになれなくて、
以前ちょっと触れただけで、これまで封印してきました。
ですが4年という歳月が流れても、東北では相変わらず余震が続き、そして
広島での土砂災害 御嶽山の噴火 阿蘇山の噴火 長野白馬村地震
体験してしまうと、報道での痛ましい出来事が疑似体験され、他人事とは感じられ
なくなりました。
全国各地でも気候変動や地殻変動の活性化による災害が多発していることに憂いています。
いつまでも感傷に浸ってはいられないと感じています。
南海トラフ巨大地震だって予測されているわけですから、
次に備えねばなりません。
私たちの経験を教訓にして、どうか被害を最小限に食い止めて。
皆さんにとってかけがえのない人々と故郷を失わないように。
私がお伝えしたいのは、命が危うくなったり、苦労したわりに
報道で指摘されなかったようなコトです。あるいは、私がその報道を見逃しただけかもしれません。
『 上着と鍵は手の届くところに 』
仙台市内のオフィスビルにて被災。
職場のロッカールームが最上階にて損壊していたため立ち入れず、
家やクルマの鍵も取りに行けません。
この雪の舞い散る時期に
下着の上に制服一枚で街にさまよい出るしかありませんでした。
出勤時はダウンジャケットを着ていたのに…
暖房完備で薄着だったのが仇となったわけです。
どこかのコンビニででも合羽を買ってやり過ごせるかとも思いましたが、読みの甘さを知ることに。
あっという間にデパートからコンビニまでシャッターを降ろしてしまいました。
公共交通機関もマヒ。
家族の消息を心配しつつ、倒壊したビルの間を抜けながら
十数キロを雪の中傘もなく徒歩で帰宅することになりました。
(3.11 地震直後 N〇Tのビルが無残に倒壊し歩道に落下していました。 )
吹き付ける風雪に間もなく低体温状態となりました。
自覚症状から、暖をとらないと危険だとわかったのですが、その場所がない。
体温低下も限界でした。あまりの寒さのため、駐車していた車に
『凍えてしまいまして。一時でいいので車内で暖をとらせてもらえませんか?』
とお願いしたほどです。
まさに危機でした。しかし…
丁寧に断られてしまい立ち去りました。
仕方がなかったのでしょう。世の中物騒ですし。
それからとぼとぼと十数キロ歩いてようやく自宅アパートに到着。
鍵がかかっており入れません。がっくり…さっ寒い…
家族もクルマも姿が見えません。
『動いてる=生きている』 それでともかく妻の無事を確信できました。
その後、なんとか避難所に辿り着き 一枚の毛布をいただき
それにくるまって、なんとか最悪の事態を免れました。
上着を身近に置いておくべきだったと痛感したものです。
皆さんの場合も羽織る一枚の有無が生命線を決するかもしれません。そしてキーも。
企業の非常時のマニュアルにはそんな記述はありません。
自分で自分を守るしかないのです。
『 非常時のタクシーは乗り合いで 』
(3.11 地震直後の仙台駅。 駅構内にも入れず、押し寄せた人々でごった返しました。私はこの辺りから低体温症を発症。ガラケーだけは持っていました。カイロを持っていれば…それか「ぬこ」か…)
電車も地下鉄もバスも公共交通機関は地震直後から使えませんでした。
バスは満杯でした。
大勢の被災した人たちが雪の中、重い足取りで家路に急ぎます。
その中で、自家用車とタクシーが颯爽と走り過ぎていきました。
そのほとんどが運転手のみで同乗者なしです。
タクシーもお客さんが一人というケースがほとんどでした。
何度も手を挙げて停まってもらおうとしましたが、
ヒッチハイクもできず、タクシーもつかまらず…。
同じ方向に行列を成して延々と歩いている人々。
多少の距離でもタクシーに同乗させてもらえたら、低体温症に陥ることもなかった。
どれほど助かったことかと思います。
あと3人は乗れるのに、一人だけ乗せて走っていくタクシーたち。
非常時は乗り合いで、同じ方向に行きたい人を募って同乗してもらう。
そのような配慮があればと思いました。
タクシー会社と行政に今後の検討事項としていただきたいです。
あと、ドライバーの皆様、確かに世の中物騒ですが、それでも 有事の際は、人命救助の精神で尽くされる名も無き良心を持つ方々がたくさんおられます。
『人間は悪意よりも善意が上回っている。』私はそう感じます。
ですので、どうでしょうか?『有事の際の助け合いヒッチハイク』というものは。
沈みゆくタイタニックから脱出したものの、
救難ボートに乗せてもらえず、無念に沈みゆく…そんな気分を味わいました。
『 早めの給油を 』
大震災の前日、燃料タンクの残量が3割ほどに減っていたのですが、
まだ大丈夫だろうと思い給油しませんでした。
思えばこれで苦しむことになったのです。
もしかしたら次の瞬間に大地震が発生して、給油できなくなるかもしれない。
そう考えた方がいいかと。
早めの給油は燃費を悪化させることになりますが、
大震災後、私は燃料が半分になったら給油することにしています。
『 高齢者を守ろう 』
食料がなくて、私は体重が落ち、いつも食べ物のことばかり考えていました。
『どこのスーパーで何時から食料品を売る』という噂を聞いては、
出かけて行って何時間でも並びました。
最低2時間は並んで食料品を確保しておりましたが、
70代以上の方々を見かけなかったことが気になりました。
高齢で何時間も並ぶのはキツイです。かと言って並ばなければ食料品は買えない。
高齢者だけのご家庭は少なくないハズ。
食べていけているのだろうか…と心配でした。
買える体力のある者だけが食糧にありつけることができるなんて、
私たちはそんな民族ではないハズです。
きちんと救援物資が一人暮らしのご家庭にも届くよう
各自治体の区長さんがガイドラインの作成を進められているところもあるようなので期待しております。
『お年寄りを大切にしよう』という当然のスローガンやCMやポスターが
テレビや新聞や街角から消えたと不思議に感じているのは私だけでしょうか?
こうした風潮、心配です。
『 原発は、まだ、使って良いテクノロジーにまで進化していない。
やめましょう 』
賛否両論の原発ですが、シンプルにそう思います。
恩恵は大きいものの、事故が生じれば今回のように国土を失います。
電力と引き換えにするには大き過ぎるリスクです。
原発を稼働させることは、
ブレーキの効かないクルマを運転するようなものではないでしょうか。
または、たき火を焚いて焼き芋を焼くのはいいのですが、
これは私たちが点けた火をコントロールできるからです。
焼き芋ができたら火を消して、焼いた落ち葉や木の枝は灰となりて土に戻ります。
これに対し原子炉はどうでしょう。
たき火みたいに点けた火を危なげなく消すことができるかといえば 否です。
暴走が起こり得るということは今回証明されてしまいました。
消すことのできない火は燃やしてはいけないでしょう。
そして燃えカスは土に還りません。
地中深く、貯蔵庫を掘って放射性廃棄物を地層処分しても
高レベルの廃棄物ですと管理期間が数万年以上となります。
処分方法が確立されないまま、原子力発電はスタートしてしまったわけです。
負の遺産を後世に残し続けることなど、私は賛同できません。
そんなご先祖様は迷惑千万でしょう。
そして こたびの福島原発による被害に喘ぐ福島・宮城と隣県の人々の苦悩。
現在でも汚染水は、世界へつながる海へと流れ込み…
地球規模の迷惑をかけ続けています。大好きな海に申し訳ないです。
この事実を以て、世界に対し私はとても肩身が狭い思いをしています。
原発を再度稼働したいのなら、
放射性廃棄物を処分する まともなテクノロジーを先に開発して下さい。
あと、今回のように放射能で深刻な環境汚染が生じた時のための
『放射能除去装置』の開発も不可欠です。 宇宙戦艦ヤマトですね。
発明できないのなら、原発は人類には扱えないテクノロジーなのです。
それが原子力の専門家でなくても、シロウトの私でもわかるリスク管理ってものです。