やおろよずの神々というよりは、それのご利益とやらを求める人間というか、彼らが抱く欲望というか。
出雲大社は3回目だが、その西方には一歩たりとも進んだことはなかった。
ただ時間がなかっただけ。
今回はいなさの海(写真)も、日御碕にも立ち寄ることができた。
神在月(神無月)は10月であるが、旧暦で勘定するので、今月の3連休はそれに該当しない。
しかし、人出はひどいもので、日御碕行きのバスは45分も遅れる始末。
全国からやってきた神々のお宿に向かって、2礼4拍手1礼するのがこの地の慣わしのようなのだが、
天邪鬼の僕は、
お宿に向かって「起きろ。願いを叶えろ」と叫んでいる。
同じようなしぐさで、同じような個人的な欲望ばかり願っても、神様もややこしかろう。
「僕が神なら、一風変わったやつのことのほうが目に付くけどね」と付け加えて。
え? 周囲の視線?
どうせ、神々はここにいないんでしょう??
神を信じるにしても、理神論以外には手を出すべきではないと、子どものうちから教育しておかないといけないからね。
じゃあ、なぜ出雲に行くの? (いや、どこへ旅しても宗教施設には行くよ)
それは、現実を知るためであり、反面教師でもある。
それでも、幾らか心は落ち着くものだしね。
そういう効果も求めているので、「拝金主義」宗教(門前町も含む)は、大嫌い。
(イエスもそうだったね)
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ドメスティック遍路 | 日記
Posted at
2016/10/16 23:41:15