プリンス党だった
父が
S50系スカイラインを前後期と乗り継いだあと、日産と合併後モデルチェンジした箱スカ=C10系が我が家にやって来ました。
その後、スカイラインは俗に言う
ケンメリ=C110系にモデルチェンジする訳ですが、展示会で実車を見た父は
『あんな後方視界の悪い車はアカン!』
と、言ってC110を酷評・・・買い換えずにC10の1500セダンに乗り続けたのです。
ケンメリの後方視界と言っても2HTならともかく、4ドアセダンの話ですからねぇ(汗
何かよほど父はケンメリが気に喰わなかったんでしょう、今となっては分かりませんが。
後年の僕の運転経験から言えば、C110系には快適性と引き換えにC10系の持つ「しっかり感」と言うかトータルでのバランスの良さみたいなモノが失われていた様に思えるんです。
全体的に「ヤワく」なってしまった みたいな。
エンジン。。。GTの場合、同じL20でも吹け上がりなどC10の方がずっと鋭かった記憶があります。しかしG型系エンジンの載った4気筒C110前期型のフィーリングはC10と変わらぬ印象でした。
それよりもクルマ全体の感じが(表現しにくいですが)、何か「カチッ」っとしてないと言うか「何かが抜けてる」と言うか・・・でもC110は爆発的に売れたんですよね~。
根拠はありませんが、旧レオーネが新レオーネになった時、あるいはレオーネがレガシィになった時、それぞれの旧オーナーの何割かはスバルを離れて行った・・なんて事があったんじゃないでしょうか。
Scene 1
さて、そんな1970年代初め頃、多分僕が小学校高学年だったと思うんですが 運転する父の膝の上に乗っけてもらってハンドルだけを握らせてもらった事が良くありました。
今考えると、とんでもない事を平気でやってたんですねぇ・・・ま、父がアクセルとブレーキを制御してる訳ですし、ハンドルだっていつでも修正可能な状態だった筈ですが。
真っ直ぐ走らせる為、ハンドルの遊び部分で車両の流れを微調整していく事が子供だった僕には上手く出来なかった。
運転に慣れれば誰もが無意識の内にやっている事なんですがね(笑
タイトル画像にある様に、C10スカイラインにはGT-Rを除いてフード先端にクロームのオーナメントがありました。
父はそのオーナメントを車線の中の一点に据えるのが
『コツなんだよ』
そしてもちろん
『オーナメントを注視してもいかん、見える風景全体を見る事』
と教えてくれました。
右にふらついたかと思えば左に流れ・・・その都度、父は
『真ん中のアレ(オーナメント)に注意して・・・ほらほら左に行ってるやろ?』
って感じで、「当て舵」の感覚を教えてくれたのでした。
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Scene 2
中学生になった僕は、父の仕事用のグランドファミリア・バンを夜な夜な無断で乗り回していました。
しかし、路肩に駐車する時には車両感覚が読めず前後に停められている近所のお宅のクルマにゴツン!ってな事が度々あったんです(汗
ま、大した傷も付かなかったと思うんですが、そんな事をしでかしても僕は平静を装っていました。
(ん?知らないよ、オレ)
って感じで(笑
そして御近所からも苦情などもらった事は無かったのです。
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Scene 3
高校3年生になった僕に父がクルマを買ってくれる事になりました。
と言っても、まだ免許取得前だったんですが二人で馴染みのモータース屋さんに出向きました。
僕はもちろん父の影響で「スカイラインが欲しい!」と思ってたんです。当然希望は6気筒GTであったものの人気絶頂だったケンメリは高過ぎ、新車のジャパン=C210系など とんでもない話でしたから必然的に価格のこなれたGC10系(それでも中古車としては異例の高価格を維持していた。)って事に。それに
本カテゴリー既出のM田先輩の事もありましたし・・・。
店には紺色のKGC10、つまりハードトップGTがあったので、僕は
「絶対コレが欲しい!」
と言ったんですが、父は
『これ、6気筒やろ?お前みたいなヤツはきっと飛ばすからアカン、アカン!』
と一蹴されてしまいました。。。「スカイライン」で育った僕なのに!
で、20型カローラのクーペ1200SL?だったかシルバー色の個体を指差して
『これにしろ』
と。
当然僕は拒否したんですが、父は『それならば・・・』と、店に有った初代ギャラン・セダン1300との二者択一を迫ったのでした。
僕はカローラがイヤだった・・・例えそれがクーペであっても大衆車・オッサン車の代表とも言うべきカローラと言うブランド・立ち位置全てがイヤだった。
(カローラなんかに乗れるか!)
もしその個体が27レビンだったら?やっぱり選ばなかったと思う。
で、僕の最初の愛車は初代ギャランに・・・(なんで俺がギャラン?なんでスカイラインじゃないの!)
買ってもらう立場なのに、こんな我侭な親心も分からないガキだったんですね。
のちに友人から言われました・・・
『ベイカー君、ギャランの頃は何かに憑かれたように爆走していたよなぁ』
好きでもないギャランに辟易し、粗末に扱ったのでしょう。初心者のクセに、本当に荒い運転をしていたと思います。
当時は高校生のガキが車を持っている事自体、まだまだ贅沢に見られ、実際に中学時代の友人にバッタリ出会った時
『え~、ベイカー君ってクルマ持ってるんやぁ!』
そう言われながらも
(こんなモン、自慢にもなるかい!ボケ)
と心の中で毒づいていたんです。
グリルやリヤエンドパネルのガーニッシュを外し、GTOのダミー・エアインテークを付けたり・・・テールランプやエアクリなど弄り回した10ヶ月、ついにエンジンが掛からなくなって御釈迦に。
ギャランにはちょっと苦い思い出ばかりが詰まっているのです。
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回顧 | クルマ
Posted at
2014/07/18 04:20:16