お参り。
向かいながら涙。
寝る時も泣いてた。
「なぜ泣くの」 なぜ「鳴く」のかは聞いてもいいけど「泣く」のは聞いちゃダメだよ
「聞きたいかい? それはね」
「なぜなくの」 なんて聞くんじゃなかったと墓場まで「苦」とともにドスコイかかえていかないといかん人生になるから言わんでおくよ。
優しだろう?
力強さがいっぱいに注がれた花
ばたやんの親戚みたいなのが乗って喜んでおるよ。
「もう大丈夫」
雲いっぱいの空でも上を向いて嬉しそうに咲く花
夜にはぼんやりお月さま。 大きゅうなったなぁ。。。。。
何度も何度もいっぱい撮るよ。
明日はもう上弦の月。 しばらく雨の予報だから逢えないなぁ凹
なんだか元気も出ないし泣いてばかり凹
メール友が
「たいしたこと言えんけどなんでも言ってちょんまげよ」
とは言ってくれた。
ありがたいぞ、しかし文字だけのやりとりってかなり怖い。
言葉には想像力があるから。
いつか別のところで自分の足が不自由だと書いたら 「車椅子なの?」
車椅子の生活というのが美化されてるような世の中のようで独居老人の車椅子生活というものに興味津々のようなのだ。
いやしかし杖っこに装具だよ、とリアル現実を伝えるとなんとなくがっかり感パンチが飛んでくるのよ凹
一人暮らしの知人の母親が本人の不在時に家にきて荷物を置いて帰る、とな。
「合鍵の仲なのね❤」
「牛のらーめんなんだって」
牛肉が乗ってるのか牛骨のスープなのか。
「クルマ買ったの」 「どんなの?」 「あうでぃ」
あうでぃにもいろんな種類とグレードがある。
会話ってのはほんとに想像力とのやりとりでもあるな、と思うけれど言葉と同時にリアル現実も併せ持ってないと想像力だけが一人走りしてしまうと、、、、、
、、、、、、、、、、、、、なのよね~~ ^^;
「月がきれいですね」
言葉のウラに意味なんかなくていい。
「ぱんつ安かったから買うてきた。赤いんやで~ 綿やで~ グンゼ風やで」
色気はなくていい。 わかればいい・伝えられたらそんでええ。
今日は心の底から助けたい、守りたい、助かってもらえたらいい、守られますように、、、、
神様の前で神頼みしかできなかった、そんな儚い命や希望が奪われた日であった。
たぶん誰にでもある、大切な人や命をなくした人なら誰もが感じるやるせなさ、寂しさや憤り。。。。哀しみ。
そんな「みんなにあるもの」を少し。 共に感じて過ごす日。
命っていつかなくなるから大切なんだよ。 亀は万年・・・・そんなに硬くないし強くもないし長もちもしない。
「またくるよ」 「いつもありがとう」
何度この言葉だけ伝えてきたかな。 聞く方も飽きちゃうね^^;
それでも「ありがとう」には想像力はいらないのかもしれないよ。
「次の満月までがんばれるかな。。。。。。」
そんな言葉には想像力が働くのだよ。
泣いたりすると頭が水分不足でかぴかぴになるのだ、すまんw ろくなこと書かれへんな。
Posted at 2023/06/25 22:31:29 | |
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