夢なら覚めて欲しい……、
戻れるなら豪雨の日の前に戻りたい……、
そんな想いが嫁さんの生まれ育った町、倉敷市真備町を包み込んでいます。
テレビなどでは明るく前を向く被災者の表情が映し出されますが、実際にボランティアに伺って被災者の方と話をすると、前を向いて顔を上げて私たちと明るく接してくれるものの、目の前の現実を受け止めきれない絶望感とこれから先の不安を抱えた部分も伝わってきます。
私と嫁さんも気がつけばこの1ヶ月の間に、親父の軽トラを使って倉敷市真備町にボランティアに三度も通ってました。
アクティトラックからコスモスが咲いています(笑)
ここは倉敷市真備町の入り口近くに位置するドラッグストアです。
いつもここで昼ごはんなどを調達してボランティアに向かっています。
ちなみにこのドラッグストアも豪雨による洪水で被害にあってました。
この赤い矢印がこのドラッグストアでした。
ピーク時は水深2~3mほど浸水したと思われます。
店内の商品もレジも何もかも全滅しましたが、店を畳んで撤退することなく倉敷市真備町の復興のためにお店を清掃し、何万点もの商品を一から陳列し、営業を再開してくれました。
信じられないかもしれませんが豪雨災害の時は、奥に写るビアンテがスッポリ隠れるくらい泥水に浸かってしまったんですよね…
買い出しを済ませた我々は、アクティトラックでボランティアセンターに向かい、助けを必要とされてるお宅に伺います。
嫁さんの故郷でもありますし、私も15年ほど住んでいたので依頼主のお宅まで道に迷わずたどり着けるのが自慢です。
依頼内容はお家それぞれ違います。
被災された方々のお気持ちを考えて、あえて作業の風景の写真はございませんが、9月17日に伺った古民家は、お家のすぐ隣に川の堤防が決壊していたため、ジワジワと水かさが増して浸水した嫁さんの実家と違ってまるで津波が押し寄せたかのように建物を破壊していました。
災害から2ヶ月以上経っても、濡れた家財道具や畳・ふとんなどがまるで洗濯機で撹拌されたかのようにいっぱい残っていました。
我々が到着した頃にはもうすでに5人組のボランティアさんのチームが、濡れた家財道具の運び出しと袋詰めを始めてました。
我々の役目はアクティトラックに大小さまざまな災害ゴミを載せ、ゴミの仮置き場まで運ぶことです。
真っ白だったアクティトラックのボディは、災害ゴミを運搬する度に泥汚れが増えていきますが、泥汚れの数だけ被災者が助かってると思えばこれも勲章みたいなもんです。
嫁さんの成人式の会場だったマービーふれあいセンターは災害ゴミの仮置き場となり、人の背丈以上に積み上がった災害ゴミからは思わずエズきそうな匂いが立ち上がってますが、この匂いも悲しみに変えてアクティトラックで必死に働きました。
9月21日に伺ったお家も老夫婦が住む古民家でした。
嫁さんの通ってた小学校の目の前に位置するこの古民家は、手入れの行き届いたお庭と大きな窓に縁側が据えられてたので、災害さえなければホッコリした老後を過ごすことが出来たのに…って思わず悔しくなりました。
ここでの任務は床下に流れ込んできた汚い土砂を掘り出すことです。
我々の役目は土砂が詰まった土のう袋をアクティトラックで集積場に運ぶことでした。
土砂やコンクリート・石などのゴミは、仮面ライダーのボス戦みたいな集積場に持ち込みます。
もちろん荷台いっぱいの土のう袋はワタシひとりで積みましたし、集積場についてもワタシひとりで手降ろしです。
さすがに親父のアクティトラックにダンプアップの機能はありません(^^;
しかも写真の足元を見てお分かりの通り、この日は雨だったので地面はぬかるんでドロドロ。
アクティトラックは車内も車外も泥だらけ。
ぬかるみに足をとられてスタックしたら脱出不能になりそうなレベルの泥でした。
でもこのアクティトラックは4WDだったので、マニュアルミッションで何も気を使わずにクラッチを繋いでもイージーにぬかるみから脱出できました。
結局この日は土のう袋満載して4往復くらいしましたね(^-^;
ちなみに嫁さんは、被災された方とお話をするボランティアを頑張りました。
このお宅のおばあちゃん、災害後は慌ただしく避難所を転々とする日々を過ごしていたみたいで、災害から1ヶ月ほど経った後にふと立ち寄った市役所で読んだ新聞で、お友達が災害で犠牲になったことを知ったみたいです。
とてもかわいそうです。
言葉が見つかりません……。
お空から心配そうに真備の町を見ている51名の災害の犠牲者の為にも、アクティトラックと共にボランティアを頑張らないといけないって決意しました。
いろいろ話を伺ってると、今回の豪雨災害でたくさんのペット達も犠牲になったみたいですね……
小学校で飼育していたウサギ達にも空から天使が舞い降りて来たことでしょう。
あるお宅では豪雨で避難する際、野犬化してまわりに被害を及ぼすことを防ぐ為に飼育していた秋田犬のリードを外さなかったそうです……
思わず奥歯を噛み締めたくなりそうな悲しい話です。
だから、ボランティアはやめられません。
絶好の行楽日和になった10月8日は3連休のハッピーマンデーとなり、たくさんのボランティアさんが集まってきました。
…ということは、ボランティアを必要としている人も真備町の中にたくさんおられるということです。
軽トラもうちのアクティトラックを含めて10台ほどボランティアに集まりましたが、現地のニーズにはまだまだ足りてません。
この日まず伺ったお家では、事前にボランティアさん達が床下の泥を掘り出して庭先に集めておいてくれていた土のう袋およそ40袋を集積場まで運び、そして泥だらけの一階の部屋に残されていた大きな仏壇を災害ゴミの集積場まで運びました。
災害前はご家庭の中で優しく家族を見守っていたご先祖様の御仏壇……
もうすでに魂抜きはされているという話でしたが、私の心の中は寂しさと御仏壇を運ぶという大切な任務を任された責任感でいっぱいでした。
御仏壇をアクティトラックに載せてお家を後にする時、御仏壇を見送る依頼者の方の顔が忘れられません。
無事に大役を終えた後にいただいたジュース、美味しかったです。
仕事を終えてボランティアセンターに戻り任務完了の報告をした後は、2件目のお家に向かいました。
まだ新築の初々しさが残るお家でしたが、話によると2階の床まで水に浸かってしまったそうです。
依頼内容は下水にまみれたお家の庭の土を掘って捨てることでした。
もうすでに朝からボランティアさん達が汗まみれになって頑張っていて、たくさんの土のう袋がお家の前に積み上がっていたので、私の方でエッサホイサとアクティトラックに手積みしますが、砂利を含んだ土のう袋は見た目以上に重く、あっという間に積載量の限界を迎えてしまいます。
加速しない・曲がらない・止まらないアクティトラックをレッドゾーンまでギヤを引っ張りながら集積場まで突っ走り、一つずつ土のう袋を手降ろしします。
土のう袋一つ捨てる度にまだ入居してから半年しか経っていないお宅のご家庭が救われると思うと、自然とパワーも沸き上がってくるもんです。
でもこの土のう袋の手積み&手降ろしは運動部の部活みたいなサーキットトレーニングに近いので、だんだんと身体中の筋肉がアヘアヘウヒハ状態になり疲労してしまいます……。
そんな時、ユンボに乗ってるオッチャンが身ぶり手振りで軽トラの荷台のアオリを降ろせとの指示が……(^o^;)
……ひょっとして
……え、マジ?
うわぁぁぁぁ((( ;゚Д゚)))
親父にバレたらメッチャ怒られるwww
……とまぁこんな感じでユンボのオッチャンに手降ろしを手伝ってもらいながら、計4往復100個くらいの土のう袋を運びました。
翌日は心地よい筋肉痛に包まれましたが、こんな筋肉痛はほっといたら治るけど、浸水被害を受けた家屋は直りません。
豪雨災害から3ヶ月が経ち、災害発生当初からご心配をお掛けしたまわりの方達からは「落ち着きましたか?」なんてよく声をかけていただきます。
その場は多くを話すことなく「ありがとうございます……」と濁しながら会話を済ませます。
テレビとかでは被災地の復興への歩みばかり取り上げられるようになり、被災地を心配されてる視聴者を満足させる感動ポルノ気味になってきました。
倉敷市真備町の現実は……、とても単純です。
真備町を軽トラであちこち走ると、そんじょそこらでズゴックみたいな爪のアームを持つ重機が家屋の解体を始めています。
中にはもう既に更地になっている場所もあります。
ただ今の時点で解体に着手できている方というのは、豪雨災害直後からもう一度同じ場所に住む事を素早く決断された方でさらに金銭的に余裕のある方、もしくは二重ローンを覚悟してまで真備に住む事を決めた方です。
真備町地区一帯で約4600戸もの家屋が浸水したので解体業者も大忙しです。
今は解体の順番待ちが発生しています。
解体からの建て直しが先か、仮設住宅から追い出されるのが先か……
被災者の大半は先の見えない毎日を送っています。
夜になると真備町から人が消えます。
そりゃそうです。
今の段階で2階建ての家に住めるのは、豪雨災害直後に即片付けて消毒→乾燥をそこそこに済ませ、フルサービスでマッハで組み立てて電気工事と洗濯機・風呂・トイレ・キッチンなどを搬入したお家です。
そんな行動力は災害直後から沸きません……
2階が無事だった住宅で生活されてる方もおられますが、家を建てる段階で4m程の浸水を想定して2階にお風呂や洗濯機・キッチンを設置している方はおられないでしょう。
在宅避難されてる皆さんは、お風呂や洗濯・炊事に苦労しながらの生活を強いられています。
さらにここに来て、豪雨で決壊した岡山県倉敷市真備町地区の堤防の拡幅工事に伴い、県が堤防沿いの一部の住民に対して立ち退きを求めることが分かりました。
今回の豪雨災害を教訓にこれからもずっと真備で安心して暮らしていく為には絶対に必要な工事ではありますが、古くから築き上げてきたご近所さんとの付き合いやコミュニティの中にも工事計画の線引きが貫かれ、「○○さんちは○○万円もらって○○に御殿を建てたのよ~」なんて人を妬む話がこれからアチコチで広がります。
「がんばろう○○」や「絆」なんて言葉が真備町内で目立つようになりましたが、言葉を唱えるだけで魔法のように家が修復されたり家電が空から降ってきたりはしません。
大規模な浸水被害で全国的にも一気に有名になった倉敷市真備町。
ハザードマップの信頼性の高さや、自治体からの避難情報を待たずに自分の身や家族の身は自分で守ることの大切さを全国の皆さんに知らしめた悪い見本のような実例になりました。
来年以降も例外なく全国のどこかに降りかかって来るであろう自然災害に対し、想定外なんて言葉を使わずに、この真備町の教訓を生かして最大限の減災につながってくれたらいいなと願うばかりです。