親父が亡くなってからもうじき1か月……。
ここにお越しの皆さまからたくさんのイイね!や温かいお言葉を頂戴し、遺族を代表して心より感謝申し上げます。
父のお葬式は快晴の青空の元で滞りなく済ませる事ができました。
ありがとうございます(´・ω・)(´_ _)
3月13日(土)はジェームスでクラウンの車検を受けてきました。
車検の日程は早期予約割引が適用されるくらい早めに予約はしてましたが、危うく車検の代車のムーブラテで葬式に出るところでしたわ。
まるで親父がクラウンの車検の日程に影響が出ないようにお葬式の日程をコントロールしているようでした(爆)
そんな私の親父の愛車遍歴をご紹介しましょう。
高校生の頃に三輪トラックに乗っていたとかいった話も聞いたことありますが、その辺のヤンチャな話は置いといて……
【1】MS80クラウンセダン
これの5ナンバーのスーパーデラックスでしたね。
色は青の強い紺色だったかな~?
特殊なルートから個人タクシーのお下がりをゲットしてましたわ。
ベンコラ6人乗りだったので、親子3世代6人家族だった我が家全員積み残すことなくお出かけ出来てました。
ただ、2リッター6気筒M型エンジンのLPGだったせいか、登り坂に差し掛かるとパワーダウンが激しくてクーラーをOFFにして窓を開けてた事を思い出します。
【2】430前期グロリアセダン
こちらもまた個人タクシーのお下がりです。
参考画像は後期のセドリックですが、我が家にやって来たのは前期のグロリアのGLでした。
この頃の新車のセド/グロといえばY30からY31にモデルチェンジする時期だったかな~?
でも再放送で西部警察が流れてたので、その劇中車と同じクルマが我が家にあったので私も興奮してましたわ。
【3】MS120クラウンセダン
またまた個人タクシーのお下がりです。
つまり430グロリアが我が家に来たときには、その個人タクシーは新車で120クラウンを下ろしていたって事になります。
画像は黒のロイヤルサルーンですが、我が家に来たのは黒のスーパーデラックス。
しかも3台も黒いセダンが続いたので、母の強いリクエストで白にオールペンさせられてから納車になりました。
とはいえ3台続けてLPGエンジン(笑)
私も免許取り立ての頃に乗りましたが、パンチのないエンジンに漁船のような乗り心地、195SR14(だったっけ?)の地味なタイヤでクルマの運転の勉強をさせてもらいました。
【4】MS130クラウンセダン
またまたまたまた個人タクシーのお下がり(爆)
そして4台続けてベンコラですww
ただ、このクラウンセダンが我が家に納車された頃は、140クラウンが新車でデビューして日本中のクラウンファンがひっくり返った時期だったので、「NOクラウン,NOライフ」な私の父もこの130クラウンセダンをずっと乗り続ける事を決意してました。
そんな時に我が家を襲ってきたのが平成10年の豪雨災害……
120cmほど浸水した我が家の車庫にいたクラウンセダンは水没してしまい残念ながら廃車となってしまいました。
【5】GS140クラウンロイヤルエクストラ
突然の豪雨災害で130クラウンセダンを失った父は、岡山トヨタの中古車で5年落ちの140後期クラウンをゲットしました。
振り返ると約20年ぶりのガソリン車(爆)
私もたまに運転しましたが、1G-FEの2リッター直6とフレーム構造のシャーシの組み合わせはとてもジェントルでしたね~
まったり走ればリッター10kmの低燃費を記録するこのロイヤルエクストラは父のお気に入りとなり、180系ゼロクラが新車で売られていても気にすることなく10年以上乗り続けてました。
【6】200クラウンロイヤルサルーン(後期)
そして、この200系後期クラウンロイヤルですよ。
親父の部屋からこんな資料が出てきたので開封しましょう。
封筒のタイトル書きを見ただけで、親父がどれだけ200クラウンにワクテカしてたかよーく分かります(笑)
キッカケは2009年春から始まったエコカー補助金制度でした。
加藤清史郎くんが若いwww
エコカー補助金制度とは、初年度登録から13年以上経過した自動車をスクラップにして新車に買い換える場合に25万円もらえる制度でした。
そして……、
ふと実家の車庫を見ると、平成6年式の140後期クラウンロイヤルエクストラがある……(  ̄▽ ̄)ニヤァ
こうして親父のディーラー通いが始まりました。
最初の見積もりはナビ無しのパールホワイトを狙ってたみたいですね。
長年スーパーデラックスやロイヤルエクストラといった地味なグレードばかり選んできた親父は、200クラウンの商談でも「スーパーデラックスは無いんか?」って尋ねたとか…( ̄▽ ̄;)
コピーした見積り書の上で親父とセールスとのバチバチの攻防戦(笑)
レバノンに逃げたオッサンの如くコストカッターを炸裂させてズッバズバと見積りが斬られていきます。
結局親父は徹底的に見積りを絞りとった後、最後にはボディカラーがパールホワイトからシルバーパールに変わり、ナビ無しだったグレードが純正ナビ付きのグレードに変わっちゃいました。
……これってセールス側の勝利?(笑)
愛着持ってた140クラウン後期もスクラップインセンティブ(エコカー補助金25万円)の生け贄となりましたとさ。
年金がもらえる年齢になるまでずーっとタクシーのお下がりや中古車ばかり乗り継いできた親父にとって、ピッカピカの新車の200クラウンロイヤルはオシャレなお出かけ用の服だったのでしょうね。
クラウンがあるのに親父とおかん二人で近場にお出かけする時なんかはマーチに乗ったりしてました(笑)
結局、この親父の200クラウンロイヤルの出番は、バッテリー上がるからって理由をつけて隣町の大きなホームセンターに行ったり、母とお遍路さんに出掛けたりしたくらいで、突然の病に倒れてしまうまでの6年間で22000kmくらいしか走ってませんでした。
その後は成り行きでワタシが好き勝手乗り回し、TOM'SのGTシフターを付けたり、元号が平成から令和に変わった初日に皇居周辺を走ったりしました。
もちろん今後もこのクラウンは大事に保存しておきます。
……そして、親父の最期の愛車となったのが、
【7】200クラウンロイヤルサルーン(前期)
……どんだけクラウン好きやねん(爆)
そりゃ、葬儀の打ち合わせの時に霊柩車は洋型と宮型どっちにします?って聞かれて洋型とは答えましたが、まさか霊柩車まで200クラウンロイヤルとは(^-^;
出棺の際、クラウンの霊柩車の後に僕の運転する親父の200クラウンロイヤルが続いたので、親父の旅立ちの瞬間が200クラウンロイヤルのカルガモになりましたわ。
小さな箱に収まった親父と共に、自宅まで親父と僕の最初で最後のクラウンのドライブ……
とても感慨深いものがありました。
もっと親孝行すれば良かったなぁ……と後悔だけが僕の胸に残ります。