バイク通な人だったら分かるかもですが、そうなん です。 親父はまともなマシンには興味が持てないのです(笑 ) 350とか200とか、変わった排気量ばかりでしょ?( 笑)
1986~88年の二年間だけ発売されたこの一機。 レーサーレプリカ全盛期にヤマハが操る楽しさを提 案したライトウェイトスポーツ。 故に軽量化といってタコメーターをつけていなかっ たり、125ccクラスの乾燥重量105キロの車体に200 ccのエンジンを搭載しちゃったりと、 まぁ過激な一 機です(笑)
おまけにYPVS(YAMAHA Power Valve System)なんてものがついており、低回転域ではバルブが閉じ、 高回転域にいくほど、バルブが開いていく仕様のた め、2stの弱点である低回転域でもなんなく34PSを 発生、まさに死角なし(笑)
KIRA家では一番古い年式ですが、
が速い一機です(笑) この子との出会いは複雑(笑) 初めて跨がった二輪がこの子。 確か5歳前後だったかな?(笑) 親父が母さんと結婚する前から通勤や峠攻めに駆っ ていた一機でしたが、歳月と共に老朽化が進み、倉 庫で眠る事に… それから10年以上の年月を経て、
に、ボクが学則を無視して自動二輪免許を取得! しかし、愛機のないままに大学生になる… 大学生になって、YAMAHA・ポッケに乗り出したボ クは楽しんでいたものの、やはり中型の排気量への 情熱がくすぶっていた…
そんなボクを見かねてなのか、バイク魂に火がつい たのかはともかく、親父がSDR復活宣言を行う。
最初は夢物語だとばかり思っていた明くる日、学校から戻ると親父が
「明日SDR回収行くぞ!手伝え」
訳のわからないままに千葉は我孫子までついていく と、そこには一機のSDRが! そうです!このタヌキ親父、部品取り用の実動SDR を購入し、自宅のSDRと組合せ、 ニコイチで一機のS DRを作り上げるという、壮大な計画を企てていたの だ!(笑)
画して、親父とボクの手によって、子供の頃に見た 憧れの一機が完成し、現在に至っています! 親父の手がその後も入り、 カーボンのフロントフェ ンダー、ジャッカルのチャンバー、バックステップ 化が施され、本気の走り屋仕様に(笑)
2019年1月25日、フロントフォークのオイル漏れに端を発した各部の劣化により、父が維持する事を放棄、廃車の流れとなりました。
所有期間は、父がボクが生まれた頃には乗っていたので、ボクの誕生日からにしてあります。
ボクが生まれたの日曜日だったのか。
そんなことまで、このバイクに教えてもらえるとは。
ありがとう。
こんな貧乏な家のバイクになったが為に維持出来なくてゴメンな。
お前と走った日々は絶対に忘れないよ。
さようなら。