2008年08月24日
ここ数日の無理がたたり、今朝方、39度の高熱により床から立ち上がるだけで眩暈と足元の浮遊感に襲われ、それでもと、死力を振り絞って近所の医者に行ったところ、「あ~肺炎寸前。自宅療養しないと、あんた、あっち側行きだよ。」と凄まれてしまい、今日のために涅槃の徳俵に足を掛けてでも頑張った仕事のほとんどが無駄になった、本末転倒メタラーのFlyingVこと私ですが、
そんな体の衰弱がピークに達しようとしていた日曜の夜半、とても嬉しいメールをとある方から頂きました。
その方とは、私が3年間にわたり、次々と贅沢品を買い与え、オイルはブランドのトップグレードを奢り、ボディケアは高価なエステに通わせるなど、あらんかぎりの愛情と経済援助を行う見返りとして、飽くことのことない快楽と絶頂をMの毒とともに、私の車人生にたっぷりと注ぎ込んでくれた前車であるM3Limoの現オーナーさん。
私信につき、文章全部はご紹介できませんが、非常に端的にM3Limoの様子が書かれておりまして、「VさんのLimoが手元に来てから、一年になります。大きな不具合も無く、この一年順調ですよ v(^^)」
と、まるで、嫁いでいった愛娘とめっきり疎遠になった親に、気を利かせた嫁ぎ先の心優しい旦那様からいただいたお手紙のよう・・・
『そうか、不束ものながら、大病もなく、きちんとお勤めができているのか、、、、』と熱くなった眼がしらを押さえ、感慨に浸ることしばし。
さらに、続くお言葉に、不覚にも涙線が決壊してしまいました。
「マティラさんの意もこめて、私も乗れるところまで乗ってやろうと思います。」
なんと、私と同じくM3Limoのオーナーであり、その愛車と先日お別れをしたマティラさんの思いまで背負って、添い遂げるお覚悟をされるとは。。。
まるで柔道金メダルの内柴選手が、メダルを期待されながらも2回戦敗退という屈辱にまみれた平岡選手に、「おまえが持っている重いものを、ぜんぶ俺によこせ。力にかえるから」と伝えたエピソードを思い起こし、このオーナーさんのもと、末長く可愛がられるM3Limoの姿がありありと浮かんでまいりました。
ああ、本当に素晴らしい方にもらわれて良かった(男泣)
メールと一緒に添付いただいたのが、こちらの画像で、toto会長のブログで掲載されていたものと同一です。
私の頃よりも若干低く、精悍になった車高が、幸せな時間が過ぎていることを物語っています。
時薬とは良く言いますが、お別れから1年がたち、また、E46M3と過ごす時間によって、風化はせずとも、ようやく、一緒に過ごした3年間の思いをガラスケースに入れて、懐かしく笑いながら鑑賞できるようになってきた今日この頃。
こんな風に、次のオーナーさんともやりとりでき、前車とつながっていられるのもSNSの醍醐味。
みんカラに登録して今年で3年目、WEBから体温が伝わってきた気がしました。
Posted at 2008/08/25 20:54:31 | |
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M3Limoと交わした約束 | 日記
2007年06月06日
M3Limoとの別れが、刻々と迫ったこんな時に限って、先週の土日からほとんど眠ることすらままならないほど連日にわたる激務が続く始末に、自分の仕事の業の深さを思い知りながら、ひたすらPCと向き合う灰色の時間が過ぎていましたが、
ようやく、昨日の深夜に、無理やり100ページ超のレポートを納品し、M3と語らう時間を迎えることが叶いました。
階段を降りると、近所の明かりも消え、人が寝静まった頃に呼吸を始める草木の薫風が満ち始めた、いつもの場所に、なにごともなくたたずむM3Limo。
湿り気を含んだ瑞々しい若葉の香りを纏ったエストリルブルーのボディは、毎年この季節になると、つくづくこの色を選んで良かったと思わざるを得ないほど良く映えます。
久しぶりのシートに身を沈めると、そこに広がるのは見慣れたドライバーズビューがありました。
ただ、違うのは、すでに後付けパーツなどが取り払われ、初めてうちにやってきた時と同じコクピットに模様替えが終わっており、別れの準備が済んでいること。
キーを捻ると、月末からほとんど乗っていないにもかかわらず、一瞬のクランキングでS50が目覚め、高目のアイドリングから来る不敵な鼓動はいつものことながら、この夜に限っては頭の中の整理がつかないまましばらくぶりにハンドルを握る私に、ちょっかいを掛ける子供の声のような無邪気さが漂よっていました。
水温が安定したところでギアを入れ、目的地もなく走り始めると、S50とスーパースプリントのフルエキゾーストシステムが奏でるバリトンに混じって、
目地段差を乗り越えた時にビルシュタインがショックをいなす掛け声が、
11年が経過し、チリがぶつかり始めたインパネが発するきしみ音が、
ショートシフトのメカニカルノイズが、
LSDのゴリゴリとした作動音が、
名古屋弁を矯正されたクラッチペダルの踏み込み音が、
ウィンカーのチカチカが、
キーホルダーのカチャカチャが・・・
私がハンドルを握るのを待っていたかのように、3年分の思いを一気にまくし立て始めました。
脳裏に浮かぶ、このM3Limoでなければ、出会えなかったであろう良き思い出ばかりに胸が詰まり、無言のままの私に、かまわず語り続けます。
なに一つ答えを求めないのは、自分の運命と私の不義理もひっくるめて受け止め、立ち去る覚悟がもうできているからなのでしょう。
ひとしきり走り回り駐車場に入れると、突然溢れ出してくる気持ちに、イグニッション・キーに掛けた手に力が入りません。
まだまだ語りたいことは山ほどあったはずなのに、つながらない言葉。
「ありがとう。」の一言をようやく絞り出し、イグニッションを手前にひねると、饒舌だったS50は初夏の夜風に溶けながら眠りにつきました。
まるで、いつもの朝を迎えるかのように。
ほんとに、これで最後なのか・・・
ひょっとして、勘違いなのかもしれない・・・
その、いつもと変わらぬM3の居ずまいに、実感がわかないまま布団にもぐりこみ眠りに落ちると、まどろみに浮かぶのは、、、
・・・十数年後、M3の助手席で自分の背丈をとっくに追い越し、免許を取った息子に、「ウィンカーとワイパーを間違えるなよ。」と声をかける自分の姿・・・
そして、
梅雨入り間際の晴れ上がった夏空の今日、嫁から、陸走業者に引き取られていくM3の後ろ姿を見送ったとの連絡が入りました。
そのスーパースプリントの最後の咆哮は、嫁には「またな!!」と聞こえたそうです。
そう、サヨナラはなしで、、、So long!M3 Limousine
Posted at 2007/06/06 18:26:11 | |
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M3Limoと交わした約束 | 日記