4月14日より発生し、なお継続している熊本地震災害につきまして、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された被災地の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
私も東日本大震災で家族は無事だったものの、第1級河川の北上川とは川岸から約1Kmもない場所で、地震後の津波で基礎を1m高く造った石巻市川口町の自宅は、2階の床上まで浸水して大規模全壊、愛車を含め3台が水没と言うなんとも言い難い有り様でした。
3.11 地震の当時私は異動の挨拶を兼ね、東京本社へ出張しビルの6階で会議中に大揺れに遭遇いたしました。その日はビジネスホテルへの宿泊だったのですが、夜の12時を回っても車は大渋滞、人々がぞろぞろと歩き続ける姿を目にした事が焼き付いています。
3.12 当然、交通は寸断されレンタカーを借りることさえもできず、ただ会社で地震対策本部の設置に奔走と疲弊。
3.13 営業本部長並び流通部長から家族の安否を自身で確認するよう難としても帰れと指示をいただき、同じタイミングで異動となった山形営業所の所長と一緒に関西空港から福島空港へ飛ぶ飛行機の予約ができ、のぞみで新大阪まで移動し前泊。
3.14 災害時派遣医療チーム(DMAT)の人達が大半の中を搭乗し、福島空港に降り立ちました。
郡山営業所の所員が迎えに来てくれて、郡山営業所に到着したのですがここも大規模半壊し書庫のキャビネットが倒壊して手の付けようが無い状況でした。
ここから、宮城に向かおうにも乗り捨てられるガソリンが満タンに入った営業車が全く1台も無く途方に暮れていた所、山形県の山形市内までだったら行ってくれるタクシーを捕まえることができました。
確か5諭吉は当然超えたと記憶しておりますが、後にも先にも無い非常事態ですから。
山形へ到着し、所長と別れ妹の嫁ぎ先へ身を寄せ1泊。
3.15 義理の弟の車に救援物資まで準備していただいて、妹に宮城県仙台市の仙台駅まで送ってもらう。山形自動車道は笹谷トンネルより先の東北自動車道へは通行止め。R286よりアクセス。
※出張は1泊2日で午後スタートの会議だったので、仙台駅屋上Pへ駐車。
ただ、仙台駅自体も被災し屋上へ向かうらせんの通路も危険のテープで封鎖。
警備員に連絡し、ティーダラティオの無事を確認。前日に満タンに詰めていたのも幸い。
(柱のそばに置いていたら、食い込んで走行不能)
自宅へいち早く向かいたい気持ちを抑え、仙台支店へ向かう前に仕事用の資料・資材と救援物資と義理の弟の車に積み替え。
支店長へ挨拶し、一路石巻市へ向かうが三陸自動車道・R45は通行不能。
仙台市内旧R4-黒川郡富谷町明石台-レインボーヒルズG.C-R9吉岡街道
-黒川郡大郷町道の駅おおさと-大崎市鹿島台-R346佐沼街道-大崎市鹿島台木間塚
-県道6東松島市よりアクセス。
途中、妻の実家に寄ったら妻と子供たちがいて、妻の妹が旦那さんと迎えに来てくれたとの事。
長靴を借り、妻と一緒に石巻市立湊小学校へ向かう。
母が、町内会のお世話係をして教室に残っている。大人の事情にて、妻の実家にお世話になるのは全く固辞。
母とおち合い車に待たせて、1km弱の道なきみちをガレキを乗り越えながら自宅へ向かう。
やっとの思いで、30分以上かかって到着。二間続きの和室の片方に、ご丁寧に普通自動車1台並び全くロケーションにそぐわないコカコーラの赤い自販機が鎮座という状態。
ヘドロの足元を気遣い貴重品のみ取り出して、またもや道なき道を戻る。懐中電灯を照らしながら。
カーポートの下にあった愛車もどこに流されていったか発見できず。
その後、妻の実家経由にて妹のいる山形市へフル乗車で向かい約1ヵ月ちょっとお世話になる。
ガソリンの供給も儘ならず、雪のしんしんと降る中午前2時ごろからスタンドに並ぶ日々を過ごす。
3月の最終週で山形市内は安定供給となったが、仙台市内は4月初旬までガソリンスタンドに並んでいたと記憶している。
余震が続き携帯の地震エリアメールも鳴りっぱなしの状況下と察しますが、
まず自身並び家族の安全を最優先に、できましたら愛車を安全な場所への避難させて下さい。
(部品の窃盗、ガソリンの抜き去り等が多発)
生活用品 (使い捨ての物品) とガソリンの確保もお願いいたします。
※携帯充電ケーブルも重宝します。
今後の状況を冷静に判断していただければと思います。
長文になり、誠に大変申し訳こざいませんでした。
Posted at 2016/04/16 10:22:50 | |
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