思い出のクルマ第18回です。
自車の1年点検は、予想通り何事も無く終了しました。
交換部品はE/Gオイル、同フィルター、ワイパーブレードのみで、次の1年に向けて新たなるスタートとなります。
点検の際に乗せてもらおうと思っていたW205は、相変わらず試乗車がフル回転しているようで、機会に恵まれなかったのが若干心残りですが。
さて、本題に入ります。
3代目カローラは、1974年(昭和49年)4月に登場。排ガス対策に開発力を注がざるを得なかったため、当時の通例だった4年間でのフルモデルチェンジは叶わず、1年延ばしの1979年(昭和54年)3月まで、約5年間のモデルライフとなります。
国内・輸出共に販売面では大成功。前後世代より、約1年販売期間が長かったということもありますが、歴代では最多の販売台数を記録していたはずです。
そのため、よく見かける車ではありました。
サンバーの回で紹介したお隣さん、父の交友関係、親戚も乗っていましたね。
もっとも、あまりのタマ数から、次世代登場以降は市場でのダブつき感も強かったようです。中古車輸出が今ほど盛んではなかったこともあり、悪評高かった50年規制、続いて51年規制のクルマから比較的早期に解体送りになっているのが見受けられました。(年数換算すると5年落ち未満(!)だったり)
この世代は、大きく分けて、
1.1974年4月 ~ 1977年1月の前期
2.1977年1月 ~ 1978年4月の中期
3.1978年4月 ~ 1979年3月の後期
に分類できます。
それ以外にも排ガス規制期のクルマらしく、一部グレードだけを抽出した順次適合としたため、改変はかなりの回数になります。
今回のカタログは、そんな排ガス対策も一段落した1978年(昭和53年)5月発行の後期からとなります。
2015/5/31 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。
ライバル車たち(特にサニー)の一新に対抗すべく、前回変更から僅か1年3ヶ月での再変更となります。後期型を象徴する大型バンパーの採用により、全長は170mm延長されて、ついに4,000mmの大台を超えています。この延長は、全長が車格の大半を決めていた時代ならではの改良。「隣の車が短く見えます」でないと商談が不利になってしまったのですね。
中期型までは、1400・1600と1200・1300でエンジンフード・フロントグリル・リヤテール等を別部品にして差別化が図られていましたが、後期型では中期型と同一部品のリヤテール以外を統一しています。
セダンデラックス(モイスチャーグリーンM(メタリック))
徐々に法人比率が上がっていましたが、まだまだオーナー層も多かったグレード
前段に書いた大型バンパーは、当時流行していた衝撃吸収式(通称:5マイルバンパー)に見えますが、吸収機能は備えません。
デラックスはフロントもドラムブレーキ、1300はさらに6.00-12インチ、バイアスタイヤを採用しています。
続いて、セダンの中心グレードだったハイデラックス(クリアーブルーM)
こちらは個人ユースが大半でした。
今回の改良により、タルボ型ミラーやキャップレスホイールの採用、ドアサッシ・センターピラー・ロッカーパネルの黒塗装化が図られていて、見た目の商品力は向上しています。
1300ハイデラックス以上は13インチタイヤを採用。
左は1300ハイデラックスのインパネ
中期型になる際に、インパネ外枠以外のデザイン変更やカラーコーディネート化が図られているため、今回の改良では大きな変更はなし。
デザイン自体は、上端が横一線で展開されるインパネ、低い配置の空調、埋め込み式のメーター等、70年代流の様式。
右は1600ハイデラックス・エクストラのインパネ
排ガス規制導入とほぼ同時に始まったエクストラインテリアも、試行錯誤を重ねた上で、この頃には追加&変更装備が大体決まっていきます。
木目調インパネ、キャストウッドステアリング、木目シフトノブの印象が強いのですが、カローラではキャストウッドステアリングはオプションとなります。
左はセダン1300ハイデラックスの室内
こちらも中期への変更の際に、カラーコーディネート化が図られているため、シートの材質向上くらいで大きな変更はなし。
初期型は部分ファブリックでしたが、この時点では前面は全てファブリックとなっています。
右上はセダン1600ハイデラックス・エクストラの室内
エクストラの真骨頂はシート材質の向上でした。
カローラではフロントシートのローバック化、リヤシートへのヘッドレスト&タイヤハウスカバーの追加も行われていて、ベースグレードとは大きく印象を変えています。
この頃には、「内装のトヨタ」という評価も定着しつつありました。
右下はハードトップ1600GSLの室内
紹介の都合で省略していますが、このカタログはハードトップとの合冊となっています。
メカニズムの紹介です。
ようやく排ガス規制が一段落した頃で、エンジンの主力は、53年規制に適合した1300と1600でした。
リヤサスは、カローラセダンとしては最後のリーフスプリング。
他車がコイルサスを採用していく中では、競争力を失いつつありました。
デラックスは前輪ドラムブレーキ、1300のシートベルトはNLR式というあたりは、安全性が商売に結び付きにくかった時代ならではの設定です。
セダンの他グレードを並べて掲載してみます。
1300と1400・1600のリヤテールの微妙な違いが、解り易いかと。
一見同じように見えるバンパーも、GSLのみ注文装備だった衝撃吸収式が装着されています。
セダンのグレード一覧です。
排ガス規制が始まるまでは、SLとGSLはツインキャブエンジンを備えたスポーティグレードだったのですが、排ガス規制でエンジンが減らされたため、装備を増やした上級グレードに位置付けが変更されています。
中期からハイデラックスとGSLに追加設定されたエクストラは、同グレードをベースに室内の質感向上を図った仕様です。
この当時はカローラに限らず、クラウンからカローラまでフルライン・エクストラが展開されていました。
ここでの成果は、次世代の上級グレードSEに結実していきます。
エクストラといえば、この色(エクストラカッパーM)ですよね。
主要装備一覧と内外装色一覧です。
ボディカラーは、セダン・HT共に9色で、内装色は3色。
グレードによる制約はありますが、効率第一主義になる前のカラー選択の楽しさが残されていた時代ですね。
主要諸元表
1977年10月に行われた1200 → 1300の排気量拡大により、従前からあった1400はカタログに残されてはいますが、最後まで53年規制に適合されることはなく、ほぼ受注生産状態となります。
後期型では排ガス規制対応も一段落して、グレード整理がされています。
これより少し前だと、53年規制と51年規制、あるいは排ガス対策方式(TTC-CとTTC-L)が混在、さらにATの53年規制適合はMTより遅れたりと、カタログの諸元表はカオス状態になります。さらにこれらの変更が順次行われたため、発行年月の僅かな違いでも諸元表は異なることに。
販売の最前線はかなり混乱していたでしょうね。
さて、ここからは、記憶に残るエピソードを紹介。
この世代を通せば、他にもそれなりの数あるのですが、一番印象の強いエピソードを紹介します。
父の友人の一人が、このクルマを2年落ちの中古車で購入していました。
仕様は1300ハイデラックスの4MTですから当時の最多量販グレード。色はサイレンスゴールドMでした。
確かこの話には父も一枚噛んでいて、
マークIIを購入した営業氏からの購入だったと記憶しています。納車時は、走行1万キロの極上車。
ところが、この極上車も、納車後間もなくその方の息子さんが免許取り立てで運転することとなり、たちまち一変。あちこちぶつけまくること、その回数は数えきれないくらい。修理が終わった翌週末には別の箇所をぶつけて再入庫なんていうこともありました。
原因は運転技術ではなく、乗り方に起因していたようです。
曰く「(某映画のインターセプターの)真似をしようとして、80kmでハンドルきってサイド引いたらエンストしちゃってできなかったんだよね」という具合。お解りのとおり、クラッチを切らなかったための失敗ですが、もしもクラッチ切りをしていたら、当時のクルマでその速度、事故を誘発した可能性は高かったでしょうから、エンストで済んだのはむしろ幸いだったと思います。
そんな乗り方でシートベルトの着用義務がなかった時代でありながら、奇跡的に同乗者含めて誰も怪我することなく、させることなく。破損自体も自損ばかりで誰にも迷惑はかけなかったのですから、30年以上経過した現在では「今は昔・・・」で済む話ではあります。
相次ぐ入庫にも嫌な顔一つ見せず、豊富だった解体車のパーツを活用しながら中古車展示場の片隅で、「安い・早い」の片手間修理を続けた職人の技もなかなか見事でありました。
修理返却の過程で、同乗する機会も何回かありましたが、当時の4K-Uエンジンは、4速MTとの組み合わせだと90km/hを超えたあたりから、一段と騒音が高まって唸りだしたのが記憶に残っています。
直進性も何やら怪しく、100km/hでの連続巡航は難しそうな印象ではありました。まぁ、上記のとおり酷使されていた車ですから、その分は若干割り引いて考える必要はあるのでしょうが。
そんなこんなで元は極上車も、2年後には走行6万キロ、ルーフと前後ガラス以外の外板パネルは全て交換歴か盛り沢山のパテによる再塗装品、おまけでフレーム修正歴まであるR点の程度極悪車に変容。
都度修理はしていたため、一見では大きな傷無に見えるというのがさらに一癖。
そんな車を、「シャレードを買いたい知人がいるんだけれど、その人、昼間は仕事で忙しいんだよね」と
馴染みのダイハツのセールス氏を夜に呼んで査定&商談させた挙句、即決で話をまとめたのが策士であるなら、「引き取ってよく見たら、あの下取り車とんでもない代物じゃないですか。一般売りはとてもできないので、関連業者に卸しましたが、それでもねぇ、、、ハハハ。」と話すセールス氏も大物でありました。
策士がとぼけて、その話はそこで終わったのですが、今にして思えば、セールス氏はきっと内情を解っていたのだろうと思います。
お互い、長年にわたる信頼関係があったために、さしたる問題にもならなかったのですが、当時はまだノンビリしていたということもあるでしょうね。
誤解のないよう、その後も両者の良好な関係は続いたと、申し添えておきましょう。
この世代のカローラというと、何よりこのクルマに関することをイロイロ思い出す私なのです。