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2016年01月03日

1992年のプリメーラのカタログ

1992年のプリメーラのカタログ 新年第一弾のカタログ話は、初代プリメーラを取り上げることにしました。
このクルマ、だいぶ前に、コメントの返信で「近い内にやります」と書いておきながら、先延ばしになっていたんですよね。

初代プリメーラは、それまでのオースターの後継車として、1990年2月に心機一転して投入されたのですが、先代に変わって人気車となり、マーチと並んで90年代前半の日産を支えるまでの成功車となりました。詳細は後述しますが、この人気が爆発的にではなく、ジワジワと口コミ等で盛り上がったというのが特徴で、一見地味なミドルセダンながら、実は中身は濃厚という内容を裏付けるかのようでした。

自分的にブルーバードの510・910と並ぶ日産のベストミドルセダンですし、間違いなく名車認定できるモデルでもあると思っています。


紹介にあたっては、いつものように、月刊自家用車誌の車種別総合研究からの引用で内容を補足してみます。インタビューに答えられているのは、つい先日サンタナでも紹介した、津田靖久氏です。津田氏はサンタナを担当された後、1987年1月にプリメーラの担当に移られています。インタビューをしているのは、当時は高原誠のネームで仕事をされていた川島茂夫(高原誠)氏。高原氏は、プリメーラを高く評価していて、自車としてイエロイッシュホワイトのTmを購入されています。

そんなこともあってか、このインタビュー記事は、津田さんのノリがいい印象があります。ちょっと長い部分もあるのですが、参考にしてみてくださいませ。


人気車ということで若干長いモデルライフ、さらに細かな変更も多くて、さてどの時点を取り上げるかで悩んだのですが、自分が一番ベストに思うということと、初期モデルのカタログは横判という掲載の事情を考慮して、1992年9月にマイナーチェンジしたモデルを取り上げることにしました。

発行年月自体は1992年12月となります。

このため、インタビュー時点の初期モデルとは異なるマイナーチェンジの内容は紹介の中で補足していくことにします。


それでは、以下お付き合いくださいませ。



最初の見開きでは、4ドアと5ドアの並びと共に、大きく「プリメーラ パッケージ」と謳われています。パッケージという設計概念的な言葉を前面に出したことで、世に知らしめたのはプリメーラの功績だと思っています。
プリメーラで、パッケージとかパッケージングという言葉を知った方も多いのではないでしょうか。

その提唱には多くの賛同が得られたため、マイナーチェンジは変化ではなく「もっと、プリメーラである。」というコピーのとおり深化と言える内容となっています。

コンセプトについては、津田さんの説明が解り易いので、以下引用します。

大きさは私どもが呼んでいるMクラスというものでありまして、ヨーロッパで言うとDセグメントと言っていますが、おおざっぱに言って、当社で言うとブルーバード・クラスであります。一口で言うと、ファミリー・セダンのくつろぎと、スポーティカーの快適さを兼ね備えたクルマ。ゆとりのコンフォートと走りのコンフォートをパッケージしたコンフォート・パッケージセット、こんな風に言っています。

基本は目的地に確実に、速く、快適に着くこと。速くとか、快適にとか、確実にとか、そういうことから付随していろんな要件が出てくると思うんですね。走りがよくなきゃいけない。快適でなきゃいけない。それから、キャビンもトランクルームも必要なだけのスペースが確保されている。それで経済的で安全であるということだと思います。

いわゆる実質的な要件がありますね。そのかわり、最初から華美でなきゃいかんとか、そういう要件はとりあえず置いているわけです。実質本位でやって、結果的にきれいなものができればいいし、きれいという要件と実質の要件が喧嘩したら実質をとらなきゃいけないというルールはあるわけですね。

一部性能の特化ではなく全体のバランスを求められるという、ミドルサイズ級のセダン作りの難しさを裏付けるような内容ですね。





カタログの目次を紹介しつつ、各部のポイントが記載されています。
その中にはマイナーチェンジで取り入れられた部分が各所にあります。

詳細は、各ページで紹介することにして、ここでは先を急ぎます。





プリメーラのメイングレードだった、Tm。
販売の中心は、この下のCiの方だったのですが、欧州を指向するプリメーラとしては、ここが中心と言いたかったのでしょう。

マイナーチェンジではパネル類の変更はなかったため、フロントウィンカーレンズがアンバーになったことが数少ない識別点となっています。
パールが入ったレッドカラーは、当初からメインカラーとして掲載されていましたが、ダークレッドパールからラズベリーレッドパールに変更されていたりします。

売れ筋は、ダークグレー・ブラック・シルバー等のモノカラーでしたが、パールレッドも着こなせるセダンですね。

前後ウィンドーを大きく傾斜させたスタイリングは、ボンネットやトランクが短くなってしまい、小さく見えることが懸念されていましたが、結果的にこのスタイリングは成功の要因ともなりました。凝縮感があるスタイルは、このクルマの中身をも表していると思うのです。





新たに追加されたCi Lセレクション。
カラーは、新色のグレイッシュグリーンです。

この角度では、リヤエンドパネルのテールランプ間がブラック化されたことで、マイナーチェンジ前後の識別が可能です。このブラック化は再変更の際にカラードに戻されたため、中期型の特徴にもなりました。





トップグレードかつ最もスポーティなグレードとなるTe。
ダークグレーは、好評だったため継続色となるようです。

エアロパーツを標準装備とすることで、空気抵抗係数(Cd値)は、標準ボディの0.30から0.29に向上しています。

自分的にはエアロパーツレスの方がスッキリしていて好みですが、市場的にはこちらの方が好評でしたね。この後、Ciをベースにリヤスポイラー・アルミホイール・フォグランプを付けてTeに近い装い(ただしシルスポイラー等は無)となった特別仕様車が量販グレードとなりました。

どことなく、アウディ90Sportやプジョー405MI16を連想させるのも当然で、津田さんも両者からの影響を否定されていません。

以下、コンペティーターについて語られている部分を引用します。

プリメーラを構想計画して、開発する初期の段階で、いちばん新しい競合車はアウディ80だったわけです。ですから、まずCD値は、アウディに負けるなという話にはなりました。

そのうちよく市場を見てみますと、一クラス下のゴルフもあった、GTIがあった、プジョーにもあったり、その傾向がだんだんDクラスにも浸透してきて、やっているうちにプジョーのMI16が出てきた。そうすると、やっぱりそういうほうも詰めなきゃと。そうなると、アウディだけでは物足りなくなって、あちこち、どのクルマもいいところをとってやれという・・・。






唯一のフルタイム4WDを搭載するT4。
当初からの設定ではなく、1990年10月に追加されています。欧州仕様も1991年からの追加。
このスーパーブラックも継続色ですね。グレーやシルバーと並んで多かった印象があります。

T4は、標準だとTmやTsに近い仕様だったのですが、スポイラー一体式バンパーやシルスポイラーを含めたフルエアロスポイラーが選択可能だったため、画像のようにTeに近い装いとすることが可能でした。





Tmのインテリアです。
マイナーチェンジで、シートバックポケット(Cuを除く)、後席センターアームレスト&ヘッドレスト(CiとCuを除く)が追加されています。さらにTe・Tsと後述するLセレクションには、トランクスルー機構が拡大採用。

これらは、T4でいち早く採用されたものが含まれるものの、いずれもユーザーの声を反映した改良でした。


以下は、室内スペースに関する津田さんの思いです。

走りは一つの重要なファクターですね。操安性といいますか、とにかくこういうときだから思い切って吹いちゃいますけれど、901なんてやってましたでしょう。そういうことで、走りについては、おこがましいんですけれども、世界一になりたいというのがありまして、(中略)掛け声はとにかく、志はたかくやりました。
次いで、室内のスペースだとか何だとか、荷物室だとか、これは世界一になったって・・・何もかも世界一というわけにはいかんから、これはお客様が十分満足してくださればいいと。そのくらいですが、とにかく劣ってては駄目と、そんなことをやってきたわけです。


前でも触れましたが、ミドルセダンではバランスが大事。相反する要素の中で何を優先するかとなることを裏付ける話ですね。室内スペース世界一を目指したら、もっと大きなボディとなっていたはずですから、ここではその選択を是としたいと思います。





Tmのインパネです。
この角度での改良点は、ステアリングのスポーク本数がが3本から4本となったことが目立ちますかね。助手席ドアグリップに追加されたパワーウィンドースイッチもさり気なく(?)アピールされています(初期型のカタログではこの部分が見切れています)。プリメーラは、元々センターコンソールにパワーウィンドースイッチが集中配置されていて、運転席ドアグリップのみスイッチが別付されていたのですが、それでは不便だということで、スイッチが助手席にも追加された形です。

なお、リヤスピーカー用のアンプをデッキから独立させた電子制御アクティブサウンドシステムは従来から選択可能でしたが、新たにCDプレーヤーと6スピーカーもセットとなりました。あわせてデッキの意匠も変更されていますね。

インテリア共々、このマイナーチェンジは、外観のフェイスリフトではなく内容を充実させるという実質的な改良でもあったわけです。





新たにTmとCiに追加されたL SELECTIONの紹介です。
内容こそ異なるものの、ラグジュアリー志向という点では同じでした。

ライバル車が高級志向を強めたことに端を発する対抗グレードと言えますが、豪華というよりは上質といった感が強いですね。

Ciに関しては、14インチタイヤへの拡大という実質的な福音も含まれていました。





左はTeとCiのインテリアです。
これまで取り上げた変更内容が反映されています。
共にシート地も変更。初期TeとTsのシート地はアクセントが強過ぎて賛否が分かれたことから、やや地味目な方向に振られていますね。


右頁ではレザーバージョンの紹介。
それまで設定のあったT4に加えて、新たにTmにもレザーバージョンが追加されています。Tmのレザーはホワイトの本革ということで、ヨーロッパを指向するプリメーラの世界観とは異質に見えますが、運転席のみならず助手席までパワーシートとなっていることからも推測できるとおり、どうやら北米とカナダに輸出されたインフィニティG20との共用を見据えた設定だったようです。実際、G20は当初パワーシートの設定が無く、この直後の93年モデルからパワーシートの設定が追加されています。





プリメーラで称賛されたものの一つに、トランクの開閉機構がありました。画像のとおり、大きく開きヒンジが邪魔にならない機構となっています。トランクを閉める際にやや力を要する点と、構造上どうしても開口部が狭くなってしまうという点はあるものの、思想を反映する機構と言えますね。

リヤスポイラーは、従来、ディーラーオプションとして設定されていたのですが、先述のとおり装着率が高いため、新たにフロントフォグランプとセットでメーカーオプションで選択可能となりました。

ガラスは、英国生産のGTがグリーンガラスで、Ciがブルーガラス、その他はグレーガラスとなっています。ブラウン内装にはブロンズガラスの設定もあったのですが、内装色の統合に伴いそちらは廃止されています。それでも都合3種類の設定です。これは、プリメーラに限った話ではありませんが、ガラスメーカーからの要望もあって、この後はグリーンガラスに統合されていくこととなります。





プリメーラ唯一の5ドアが紹介されています。
このモデルのみ、国内生産ではなく英国生産モデルを、1991年10月から輸入していました。このため、細部が4ドアと異なり、カラーやオプションの制約がありました。

なお、途中からの登場ということで、この時点のマイナーチェンジからは外れてもいます。

個人的には4ドアのスタイルを好みますが、5ドアのスポーティとユーティリティを両立させたこのスタイルにもファンがいましたね。





エンジンとミッションの紹介です。

エンジンは、ブルーバードでデビューしたばかりのSRエンジンが選ばれました。前代のCAエンジンはSOHCでデビューして、後からDOHCが追加された形でしたが、SRはDOHCのみ。

これに関して、津田さんの見解は以下の通りとなっています。

高性能エンジンはDOHC。これを前提で考えますと、その他のエンジンもすべてDOHC化したほうがいいんだという結論になったわけです。
その理由は、やっぱり燃焼条件、燃焼効率で考えると、DOHCのほうがより合理的だと。早い話が、プラグが真ん中にくる分有利ですね。そういうことから、パワーを求めないお客様には燃費を差し上げられるんだと。
高性能のDOHCは無視して、SOHCとDOHCでは、DOHCのほうが数が少ない中で、別のヘッドを償却していかなきゃいかんわけですから、バカッ高くなるんです。そういうことも防げるということで、皆さんにとっていちばんいいものだと。
なおかつ、パワーを求めないお客様だって、結局はSOHCよりは優位にパワーを引き出せますからね。そんなことですべてDOHCがいちばんいいなと、こんなふうに私は最後は結論づけたわけです。



当時はトヨタもシザースギヤを用いたハイメカツインカムという方法で実用エンジンのツインカム化を進めていました。トヨタはDOHCという名称は同じながらも、ヘッドを2種類持たせる方法を選択していましたから、ヘッドの償却を含めた考え方の違いが興味深く思います。

マイナーチェンジでは、当初シングルポイントインジェクションだった1.8もマルチポイントインジェクションに進化しています。電子制御の廉価化が進んだことで、マルチ化の利点が勝ったということですね。


車種別総合研究では加速データを計測していますので、2000MT/2000AT/1800MT/1800ATの順で掲載してみます。

 ・0→100km/h加速 : 8.31 / 7.32 / 11.81 / 13.07
 ・0→400m加速 : 16.23 / 17.52 / 18.16 / 18.82

1800は初期のシングルポイントですし、0→100kmでは2000のMTとATの逆転という?もあるので、あくまでも参考ということにて。


ちなみに欧州仕様は、最初SR20DE・SR20DI・GA16DSというバリエーションで、1991年にCD20が追加されています。さらに1993年4月以降、SR20DIはSR20DEに統合、GA16DSはGA16DEに変更という国内に準じた変更をされています。
北米とカナダのG20は、SR20DEのみでした。


2.0はエンジンの変更はなしでしたが、オートマチックが電子制御方式に進化しています。これも電子制御の廉価化の賜物ですね。





プリメーラの特徴として、フロントサスにマルチリンク式を採用したことがありました。

この採用については、いろいろあったようで津田さんもかなり力が入った答えをされています。抜粋しつつでも長くなっていますが、読み応えはあるはずですので、以下どうぞ。

(フロント・マルチリンク・サスが出たのはあとからかと聞かれて)
これは最初っからです。だって、あの当時でアウディ並みを狙うというのは、相当の決心でしたよね。

こういうサスペンションを選択する過程でいろんな議論があって、(中略)意味ないじゃないと、潰せば潰されるような状況があったわけですよね。幾つかのファクターが相相対しあって、結果的にあれが採用されたわけです。

何が気に入ったかを幾つか考えてみますと、一つには確かに私のこだわりもあったわけで、サンタナ・プロジェクトなんかやってたんで、ドイツにしょっちゅう行って、いろんなクルマに乗って、このクルマいいなあとか、こういうときのこれいいなあとか(中略)、それなりに、どういう足が欲しいなんて、感じでイメージが出てくる。そういうものをシャシーの開発のメンバーにいつもぶつけちゃ、こんなにならないかとか言いながらやってきた。そういうところに、そういうシャシーがパッと出てきて、こういうものを使うと、こんなことができるんだなとパッと視野が開けたと。

最初に乗せられたバラックセットがきわめていい味だったんですね。これでとにかくコロッとまいって、それの虜になって、これしかないと思い詰めたのが一つあります。

それからもう一つは、おっしゃるようにプリメーラというのはスカイラインじゃない、走りのクルマじゃない、コストもかかるんじゃないか、これはあったんです。一方では日産のヨーロッパ市場戦略でトップバッター、本当の意味で、日産が腰を据えてヨーロッパに取り組む最右翼のクルマですよね。打順から言って一番だということだけじゃなくて、英国工場でつくって英国工場を食わせなければとか、そういう責任を考えると、本当にもう失敗できない。
失敗できないだけじゃなくて、日本のクルマというのはヨーロッパでは十把一からげで、「日本のクルマ」と言われているんで、日産だとか何だとか、そういう認知があんまりされていない。それを「日産ここにあり」とイメージを上げていかなきゃいけませんから。(中略)
それでも勝てるようにするには、むこうのクルマと同じか、あるいはそれ以上の条件で付加価値をつけて買ってもらわなきゃいけないわけです。

欧州みたいに現実的な人たちが住んでいるところでは、いくらいいコマーシャルをやったって、別に見直してもらえるわけでなし、いいものを作って見せなきゃしょうがない。普通のものを作ったんでは、今までと同じイメージの延長線で見られるだけだと。ハッと目の覚めるようなものをとにかく作らなきゃいかん。



こういう記事を読んでしまうと、サスペンションは構成要素のたかが一部なんてとても言えなくなります。こういった志は、最近あまり見かけない気もするのですけれどね。

さらに、このプリメーラ、サスセッティングも従来のこのクラスとは異なり、かなり欧州寄りとなっていました。

以下、セッティングについての見解です。

欧州仕様でも相当に肩に力が入っていますので。(中略)日本の場合はさらに肩に力が入ったと思うんです。これは私だけじゃなくて、やっているみんな肩に力が入りまして、やっぱり901という言葉の話術でしょうかね。

それと先行してスカイラインというクルマも出しましたし、あのあたりで日産の足がいいよ、いいよとどんどん認めていただけるようになってきた。そうなるとプリメーラだって負けてなるもんか、と。社外だけじゃなくて、社内を含めてチーム同士の切磋琢磨ってありますからね。

何が売りかっていうと、あの切れ味のよさですよね。ですから、2.0リッターは、とことんそれに振らせていただきたいと。

それに対して1.8リッターというのは、もっと使いやすいというので設定した。



ちなみに2.0リッターのセッティングは、欧州仕様に出すSR20DEモデルと基本的にチューニングは同じ、1.8リッターの方は、SR20DIとGS16DSの中間くらいで国内専用のチューニングと答えられています。

見解のとおり、力が入り過ぎたのか、2.0リッターの方は特に固いと評されたのですが、パラレルリンクのレインフォース形状、バンプラバーの材質、ショックアブソーバーの減衰力がそれぞれ変更され、それに加えて新たにフルフレックスショックアブソーバーがTe・Ts・T4に採用されることで、その対策とされました。





安全性が重視され始めた時代背景もあって、エアバックが新たにオプション設定に加わりました。

さらにABSは、初期1.8リッターでは選択できず、ドラムブレーキとの組合せが出来ないことがその理由とされていたたのですが、このマイナーチェンジにより、14インチタイヤ&ホイール(=ブレーキ径の拡大)、リヤディスクブレーキとセットとすることで選択可能となりました。

先に書いたステアリング形状の変更も、センターパッドの衝撃吸収機能付加が含まれていました。





ここからは、バリエーションの紹介です。

参考までに各グレードの東京地区標準価格もMT/AT順で記載してみます。

 Te: 2,399千円 / 2,496千円
 Ts: 2,164千円 / 2,261千円
 T4: 2,392千円 / 2,489千円

この内、Tsは、TeとTmに挟まれて存在感が発揮できず、この後設定から落とされることになります。





 Tm: 1,914千円 / 2,011千円
 Tm Lセレクション: 2,006千円 / 2,103千円
 GT(ATのみ): 2,515千円
 Ci: 1,734千円 / 1,817千円
 Ci Lセレクション: 1,791千円 / 1,874千円
 Cu: 1,477千円 / 1,560千円

ここからも、価格訴求グレードだったCuが後に落とされています。





外装色では、先述のラズベリーレッドパールとグレイッシュグリーンに加えてシルバーが新色として追加されています。その一方で廃止となったのは、ダークレッド、イエロイッシュホワイト、ライトブラウン、ラベンダーの各色。全体的に有彩色から無彩色への移行が行われました。

内装色では、Tm以下に設定のあったブラウンとブルーが廃止されて、オフブラックのみに統合されています。これは、当時の日産において各部品の種類の膨大さが問題視されていたため、一気に膨れ上がる要因となる複数内装色を減らせば、大幅に種類を減らすことが可能と認識されたためのようです。同様の統合は、S13シルビア等でも先行して行われていました。

この内外装色の変更は、ヨーロッパ車の中でもドイツ車に近い雰囲気を持つプリメーラでは違和感のないものでしたが、選択肢が減らされたのも事実。今でも各車で見受けられますが、新車購入時の醍醐味の一つが失われる気はします。


右頁では各種ディーラーオプションが紹介されています。
R32スカイライン同様、リヤスポイラーはディーラーオプションでも選択可能でした。





主要装備一覧と主要諸元表です。
細部を突いちゃうと、長いブログがさらに長くなりますので、ここではボディサイズのみに話を絞ります。

全長4,400mm × 全幅1,695mm、ホイールベース2,550mmというサイズは、5ナンバーの枠内で見ても、全長に300mmほどの余裕を残すものでした。これは、現在だと日産の最小セダンであるラティオよりも全長で55mm短く、当時でもDセグメントの中では短い方に属していました。

このサイズは、当時はもちろん、現在でも日本で使うセダンとして一番使いやすいと信じています。同様の見解が多かったのか、プリメーラの短さというのは、決して販売上の不利とはなりませんでした。ライバル車がどんどん長く・広くなる中では却ってその使い易さや凝縮感が評価されたように思えます。





おまけで裏表紙も掲載しちゃいます。



それでは最後に、津田さんの一番苦労された点を掲載しつつでまとめに持っていきます。

キャラクターを出すというのが大変な問題であります。
今回の場合は特にいろんないきさつがあって、結果的には基本はヨーロッパ・コンセプトで行こうということに決めたわけですが、ヨーロッパ・コンセプトというからには本当のヨーロッパ・コンセプトでなきゃいかん。そうしないと、ヨーロッパに行った場合、本場の人が見て、なんか違うぞ、これは、というのでは話にならない。

それから、日本のお客さんというのは本当に厳しいんですよね。詳しい人も多いし。ヨーロッパですと言ってヨーロッパでなければ、バカにされちゃう。バカにされれば、買ってもらえない。ある意味ではブランドものの評価だとか、目利きについて言うと、ヨーロッパ以上に厳しい市場ですよね。

じゃ、本当のヨーロッパはというと、このへんになると不遜な言い方になっちゃって、雑誌が出て、社内で見られると、僕がまた総スカン食っちゃうようなことになるんですけれども、あえて言うとヨーロッパって遠いですよね。まずアメリカとヨーロッパの差が分かる人が、そういない、いないどころか、差があるということも分かっていない人がいる。そういうところから出発しての話ですから、何がヨーロッパかという思想的なものというか、カルチャー的なもの、そのへんのわきまえをつけて、本当のヨーロッパ的な因子だけを残してクルマに押していくという、この作業がいちばん大変だった。

本当にヨーロッパ的にモノを特徴づけていく、とんがらせていく作業というのは大変なんでしてね。ほっとくと、なんせ優秀な人たちで、自負心はあるし、これでいいんだ、ということでヨーロッパでもない、アメリカでもない、日本でもない、そんなものになってっちゃうわけですね。

このへんが口ではなかなか言えないんですが、いちばん難しい。(中略)乗っていただけて、少しでもそういうところが出ていると言っていただければ、きわめてありがたいことだし、まずいじゃないかと言われると、また努力しなきゃいかんということになろうと思います。そのへんは本当に必死になってやったところですね。


このプリメーラは、先代となるオースターが成功作とは決して言えない状況であったことから、欧州市場を優先したクルマ作り、そしてそれを国内にも転用した的なものを感じます。

ただ、その割切というのは当時の日本市場にとってとても新鮮だったのは事実であり、先述のとおり、じわじわと人気が盛り上がっていきました。その売れ方というのは、ローレルスピリットと以前は兄弟車だったスタンザを統合して後から登場したプレセアが、最初に売れて徐々に下がっていくという一般的な売れ方をしたのとは対照的でもありました。

その好調を受けて、販売店も当初のプリンス店のみからサニー店との並売に拡大されています。

また、ブルーバードがU13に世代交代したことで販売台数を落とすと(数自体はブルーバード優勢のままでしたが)、日産の小型車の中心はプリメーラに移行することとなり、次世代となるU14ではプリメーラに近付く形で統合という結論に至ります。

この話の裏付けとして、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から、日産各車の台数を掲載してみます。

(プリメーラ(1990年2月登場))
 1990年:50,336台、1991年:74,611台、1992年:72,700台、1993年:68,781台、1994年:50,307台

(プレセア(1990年6月登場))
 1990年:40,390台、1991年:56,200台、1992年:39,914台、1993年:31,632台、1994年:22,627台 

(ブルーバード)
 1990年:115,196台、1991年:104,464台、1992年:87,469台、1993年:73,800台、1994年:69,687台

オースターの末期は年間2,000台という販売規模でしたから、プリメーラはほぼ既存顧客を持たない状態でのスタートということになります。そんなことからすれば、大健闘の数字と言えますよね。


プリメーラが与えた影響は、日産内に留まりませんでした。190コロナは最たる例だと思いますが、それ以外にも大なり小なり影響を受けたモデルは、存在していたように思います。

この時期、既にセダンのマーケットは、若者のセダン離れが表面化しつつありました。トヨタはその流れを受けて、セダンのスポーティグレードの縮小を始めています。そんな状況にあっても、プリメーラは老若を問わずで売れたのです。その理由は様々あると思いますので、ここでの言及は止めておきます。

そんなプリメーラも次世代以降は、改良は認めつつも、マーケットの支持を受けたことで、守りに入った印象が否めませんでした。そして、初代のインパクトの大きさを再現できないまま、3世代で幕を閉じることとなります。


初代プリメーラが登場して、間もなく26年という長い時間が経過しようとしています。その間、プリメーラが属していたDセグメントは、サイズ拡大を続けて、日本で使うのには限界に近い所に至ってしまいました。それであっても、その思想や志というのは、CセグメントあるいはBセグメントの中でも再現可能だと思えるのです。

そんな視点で同社のセダンを眺めると・・・以下略。さらに最小セダンは、後継車もないまま国内撤退という情報が入るに至っては、もはやため息しか出ようがないというものです。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2016/01/03 23:26:29

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この記事へのコメント

2016年1月4日 0:00
こんばんは<(_ _)>
14シルビア買った時の最終候補でした お値段もあって1・8CiクルーズのMT  UKは高くて全然ダメで そしてこの値段ならサニーのスポーツグレードも買えるしと堂々巡りしていたのが懐かしいです
プリメーラは父が一押しも二押しもしていました ユーノス500と違い見た目より実を取ったところが勝因の一つだったのかなと思っております みんなこういうのが良いならちゃんとドイツ車買ったらいいだろうと欲しがりながらも毒づいたのもみな懐かしく


二台目以降急落していきましたが本来の狙いの欧州でも不発だったのでしょうか??
コメントへの返答
2016年1月4日 6:04
おはようございます
14シルビアを買われた時に迷われた話は、その文体と相まって印象深いものでした。同系列内ですから、サニーを検討していたはずが、プリメーラを買ったという方もいたように思います。

プリメーラは、明らかに和製ドイツ車ですよね。一方のユーノス500はラテンの方が近い気がします。表示価格が強気ではなくて信頼性のあるドイツ車だと思えば、意外と貴重だったのかもしれませんね(笑)

欧州での評価ですが、初代こそヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーで2位まで上り詰めたものの、2代目以降はそんな履歴もないようです。あちらでも3代目で幕を閉じてしまい、以降セダン系は扱い無というのが結果を物語っているのかもしれません。
2016年1月4日 1:55
こんばんは。

ご存知の通り、P10、三台乗り継ぎました。買った本人もここまではまるとはって一台でしたね。

初号機、前車・U12ブルーバード後期XEサルーンのセダンが、四年で八万キロほど乗り、SRエンジンの小気味よさがお気に入りだったので、次もSR搭載車にと考えていたのですが、当時プリメーラは中古でも玉数少なく高嶺の花。希望の黒かワインレッドなどとても予算内に収まらず、それじゃU12のSSSかスーパーセレクトにしようと思っていたところ、自宅近くのプリンス店が中古車センターを新設し、そのオープン目玉商品が、ガンメタのCiでした。もちろんバイトとはいえ別の中古車屋にいたわけですから、買えないのは重々承知の上で見に行ったのですが・・・やっぱりいいんですよ。金額も十分納得いく価格にしてくれたので、とりあえずバイト先の社長に相談。この方、面白い方で、「自分のクルマは、自分と関係ないところで買ってみて、一人のカスタマーとして体験して勉強しなさい」と。社会勉強の一つとして、他所で買ってみろってわけなんですね。おかげさまでめでたく初期モノの1.8Ciが自分のものになりました。

初期型ですから13インチの小さいタイヤでしたが、まだ免許取ってさほどのキャリアがあるわけじゃない私でも、タイヤの能力を目いっぱい引き出して曲がっていることがよく分かるハンドリング、シンプルだけど、必要なものはすべて備わっている造作、いかつい顔つきの多い国産車の中で、なんとなくほんわかした雰囲気のエクステリア、にもかかわらず、そこいらのスポーティーカーなんぞ足元にも及ばない動力性能との二面性に、すっかり参ってしまったのでした。もちろん、裏テーマとして考えていた、顧客としての体験も、後々にわたるいい勉強になりました。

で、前期Ciを2台、通算12万キロほど乗り、これまた通算4代乗り換えた190コロナと出会うのです。
190、非常に気に入っていましたが、自分で下取った車に、走行2000キロのCiLセレクションがあり、新車が買えなかった思いでもあって、これは自分で、と、購入しました。走りっぷりは相変わらず一級品でしたが、190を体感した後だと、そのあたりの強い乗り心地がなじめなくなっている自分がいました。ゆえにまた190に戻り、P10の正常進化上級版ともいえるA32セフィーロへと車歴は進んでいきました。

その後、P11カミノも2年ほど家クルマとして乗りましたが、やっぱりP10ほどの輝き・魅力には乏しい一台と、残念に思いました。

いま、我が家には最後の日産製1500CC大衆セダンのティーダ・ラティオがいます。もう現行ラティオ登場した時点で、半ばあきらめていたのですが、こういった健康的なセダン、もう日産からは買えないもかと思うと、何か、割り切れない思いがします。しばらくは、こいつを使い倒してやろうと思っています。海外向けのダットサンON・DOとか、なかなか見るべきクルマはあるのですが、この会社はどこの国の会社かってこと、忘れてしまったようです。
コメントへの返答
2016年1月4日 6:27
おはようございます
期待に違わぬコメントをありがとうございます。

P10プリメーラを3台乗られたという話は聞いていたものの、詳細な部分は初見のモノが多いように感じます。「他所で買ってみろ」の話とか、190コロナを体験する前後での印象の違いとかは、印象深いものを感じます。

190コロナはプリメーラを見た後の作ですから、指摘されそうな点は手を入れていますし、尖がった点が無い反面でバランスは取れている印象がありますね。パッケージについては、ゆとりを取った190よりも、凝縮を取ったプリメーラを支持しますが、共に90年代のベストミドルサルーンとしていいと思います。

そんな経験を経た後で乗ったP11は、輝き・魅力に乏しい1台という評価になってしまうのですね。多かれ少なかれ、初代ほどの販売とならなかった理由がそこにある気がします。当時でもP10からP11に代替するかというと、なかなかそうはならなかったような。

現在乗られている先代ティーダ・ラティオは、日産最後の良心的なセダンかもしれません。あれ、登場時に乗ってみて、良心的な作りに感心したものです。
今回こうしたブログを書いてきて、現在の日産の国内市場の見切りと比べてしまうと、4半世紀強という時間を経る中で、まるで別の会社に変容してしまったことを感じざるを得ませんでした。
2016年1月4日 7:24
P10は前期の2.0Tm、販売店オプションのフルエアロとフォグ、そしてメーカーオプションでサンルーフとアルミロードホイール、ABSが装着されたガングレーパールに乗っていました。
マルチリンクによるハンドリングの良さが謳われる事が多い同車ですが、個人的には2.0Tmエルゴノミックシートの良さと横風に強い点を推したいと思います。
足回りは、雑なステアリングさばきをしても破たんがないところが良かったですが、荒れた路面でサスペンションストロークの伸び側が足りなかった点が気になりました。
津田さんの意見が比較的通って商品化されたというのも、時代なんでしょうね。ティーダラティオと高さ以外は近いボディサイズというのは本当に使いやすく、近場からロングドライブまでオールマイティに使えるベストサイズだと思います。
コメントへの返答
2016年1月4日 19:19
こんばんは
tteeさんも、プリメーラにお乗りでしたか。前期Tmのガングレーパールだと、職場の先輩が乗っていた仕様と同じです。こちらはオプションがもう少し簡素でしたが(笑)
エルゴノミックシートは、本文で触れなかったものの、皆褒めていましたね。一見緩そうでいて芯はしっかりしているという評が多かったような。
引用した元文からも、比較的主管の意見が通り易かった風土を感じます。当時の日産が上り調子だったのも大きいのでしょうね。
サイズへの見解はtteeさんと同感です。今でも、初めて乗った170コロナのサイズが多用途に使えて一番使い勝手が良いと思っていまして、初代プリメーラはほぼ同じサイズなんですよね。
2016年1月4日 8:21
 これ、出たのが高校生くらいの時でした。すでに欧州車に傾倒していた私が欲しくなった日本車の一つでした。今でもそうですが、「レザー内装、サンルーフは絶対」の私にとって、このTmレザーセレクションはツボな1台でした。後年、祖父の葬儀の際に叔父が乗ってきた初期型Ciを、私の家族を乗せて少し運転することがありましたが、ローバースターリングとボルボ850エステートの2台体制の家族を乗せたところ、「これ外車?どこの車?」と質問が来たのはある意味納得できた次第です。

 話は変わって、この車は「技術の日産」を象徴する1台ではありますが、同時に「販売ベタの日産」を象徴しているとも思います。プリメーラは言うまでもなく、バイオレット/オースター/スタンザの後進であり、源流は710バイオレットです。710バイオレットは510ブルーバードにたどり着くわけですが、凝った脚のファミリーセダンと云う点に於いて、510ブルーバードとP10プリメーラは合致します。もし、プリメーラをブルーバードとして出していれば、現在の日産のセダンはこんな状況ではなかったかもしれません。

そして、所謂最後のブルーバードがプリメーラのシャシーで出たときは唖然としました…
コメントへの返答
2016年1月4日 20:26
こんばんは
アウディ80、オペルベクトラ、プジョー405辺りに一番近い日本車でしたね。T4のレザーセレクションは欧州車風味でしたので、Tmのホワイトレザーは意外な追加設定に思えました。後に北米共用と知って納得したのですが。
プリメーラは本場の欧州車よりも欧州車風味という評もありましたから、ご家族の質問もなるほどと思ったりします(笑)

プリメーラ登場以前の3兄弟は、最初から最後まで様々な手法は取れども販売には結びつきませんでしたね。カリーナとコロナを共存させつつ、兄弟車に至らせたトヨタの育て方と比べると、如何にも商売下手な感は拭えません(日産ファンはそんな不器用さを支持するかもしれませんが)。

プリメーラ登場時点では、まだまだU12が好調でしたから、タイミング的にもブルーバードとしては出せなかったのでしょう。ブルーバードとして出そうとすると、国内要望がもっと入り込んだ気もします。もっとも市場的には、後から登場したU13の失速もあって、プリメーラに往年のブルーバードの姿を映していた感もありますね。

Dセグメントの大型化が始まっていたことから、アルティマと切り離した国内ブルーバードは、プリメーラに近付ける以外の選択肢はなかったのでしょうね。
2016年1月4日 8:21
おはようございます。
私の中では、不思議な車でしたねぇ、プリメーラ。

これ、日本では売りにくい車だろうなぁと思ってました。
ハードの性能、特にプロジェクト901の影響もあり、操安性は特筆しています。

でも、日本は不思議なマーケットでして・・。
それだけでは売れないのですよね。
ちょっと華が少ないかなと。

それなのに、尻上り的とはいえ、日本でも大ヒット。
ブランド関係なしで、車の性能を評価して買われる様になったんだなぁと、感心しました。

あと、文中にある津田さんのコメントは、非常に参考になりました。
私、プリメーラは「FFのスカイライン」だと思ってました。
かなり操安で尖っていた印象ですが、狙いはあくまでトータルバランスなんですね。
ちょっと驚きです。
コメントへの返答
2016年1月4日 20:43
こんばんは

E3ギャラン等、個性的なミドルセダンは出始めていたものの、このクラスの主流は和風セダンに低全高ハードトップでしたからね。私も輸入車好きには受けるかなあと思ったのですが、あれほど売れたのは、いい意味で予想が外れました。

本文でも触れましたが、ベースマーケットはほぼ皆無な状態からのスタートでしたから、プリメーラの実力が認められたということなんですよね。

津田さんの意としては、スカイラインのように、操安性を優先して室内空間やトランクスペースを狭めることはしないという意味だと受け取りました。かといって、室内空間は劣ってさえいなければ、広げることを優先にはしない。この辺りは微妙なニュアンスなのかもしれませんが、出来上がりとしては、大きな違いになったりしますね。
2016年1月4日 15:05
こんにちは♪

いや、懐かしいです♪
私はTe のインパルエアロを付けて乗ってましたが、当時のS14辺りならば下りなら充分渡り合えました(笑)

ただMTはやや癖があり、セカンドからサードにシフトする際、ややドライバー側に引きながらシフトアップしないと入りづらい車です♪

ガラスは私のはブロンズでしたが、後部ドアガラスを割られ、車上荒しにあって修理したら、手違いで一枚だけグリーンガラスになって戻って来ました(笑)

ブログ拝見して、そうそう♪そんな車だった♪と思い出しました♪
コメントへの返答
2016年1月4日 20:58
こんばんは
コメントをありがとうございます。

元峠師さんもプリメーラにお乗りでしたか。当時のインプレには「ギリギリまで追い込んだ走りをすれば、ワインディングロードでは国産スポーツモデルのトップクラスの速さを示す」とありまして、それを裏付けるようなお話だなぁと(笑)

シフトの話も元オーナーさんならではの視点ですね。

ガラスの話は、81の時にブルーガラスを補修用に発注したらグリーンガラスに品番代替されていた経験を思い出しました。後年は、各車純正品だとグリーン以外は入手困難になったようですね。

当ブログから懐かしく思い出していただけたのであれば、こちらとしても嬉しく思います。
2016年1月5日 0:28
こんばんは!初コメント失礼いたします。

P10プリメーラ懐かしいです。取り上げていただいたカタログの中期Tm 5MT スーパーホワイトに乗っていました。5MTとホワイト+リヤスポ&フォグセット+純正アルミという組み合わせで納車まで待たされたことがいい思い出です。

パワフルなSRエンジンと固めながら気持ちの良い足回り、扱いやすい大きさとたいへんお気に入りでしたが、納車半年後には、右左折時や信号待ち直前の減速時に突然アイドリングストップするようになり、5年間乗りましたが結局治らず、手放してしまいました。

当時、今のように、ネットやSNSが発達していれば原因追究も出来たのでしょうが、Dラーはアイドリングスピードコントロールバルブを一度換えただけで、あとは異常なしを繰り返すばかりで・・・。調子がよければ、もっとプリメーラを楽しめたのかもしれません。

4.5m前後の取扱いのし易い5ナンバーサイズの志の高いセダンが生まれることはもうないのでしょうか。残念です。

 
コメントへの返答
2016年1月5日 6:23
おはようございます
初コメントをありがとうございます

乗っていたというコメントが多い点に改めて人気車だったことを実感します。

乗られていた仕様ですが、ホワイトと5速を組み合わせると確かに注文生産になる気がします。特にホワイトが少なかったクルマという印象でした。

右左折時や減速時のアイドリングストップとなると、パワーステやブレーキのアシストが突然無くなる訳ですから、かなり怖い話です。完治しないのならば手放す要因になってしまいますね。
情報網の発達した現在であれば、大問題にもなりそうな話ですが、当時だとディーラーだけで話が止まっていたのかもしれません。

そもそも「世界一になろう」とか「日本のユーザーの目は厳しい」みたいな話が表に出なくなったように思います。日本で使い易いものの前に、世界全体で何台売るみたいな話が優先されてしまうのは本当に残念ですね。
2016年1月5日 1:14
こんばんは!

今思ったら、Dセグメントって日本のミドルサイズのコロナやブルーバードのクラスだった筈でしたね。
最近のDセグメントが大きくなっているので、改めて思い出しました。

U13ブルに乗っていた僕の叔父がプリメーラを選べば良かったと嘆いていました。
足回りが固めで、トランクリッドがリアウインドウに当たりそうになるまで開くという話をその時に僕も聞いていたので、当時から変わった車だなぁというイメージがありました。

今やP11も含めて名車ですね。この頃の日産が本当に面白かったです。

今の自分だったら、敢えて鉄ホイールのCuグレードを選んで見かけと乗り心地のギャップ差を楽しみたいです(笑)
コメントへの返答
2016年1月5日 6:32
おはようございます

この当時のDセグメントが一番使い易いサイズだった筈なのですけれどね。競争の中で少しずつ大きくなって、今では当時のEセグメントすら上回るサイズとなってしまいました。

U13ブルーバードは、従来からの和風セダンの延長線上で作られていましたから、そんな視点からすると、P10は変わったクルマという印象にもなりますね。

本文で触れたとおり、自分的には名車認定です。引用を省略した中に、「いい人材といい道具が揃っている」という言がありまして、そんな背景から生まれてくるクルマたちは、やはり魅力的になるんだなぁと思いました。

あえてのCuとなると、当時だと営業車に勘違いされそうです。今だとマニア認定でしょうか(笑)
2016年1月5日 16:21
P10、本当に好きな車です。
日産でベスト3を挙げようとすると、
K11、P10、家車のよしみでC23となります。

過去に、知人が代車でP10に乗っており、
運転させてもらいましたが、
これはスポーツカーだと思いました。
ただの1800だったにも関わらずです。
曲がれない、と思うような速度で急なカーブを
何事もなかったの様に駆け抜ける。
これは相当なもんだと思いました。

今はAE92に乗っていて、ワインディングが楽しい車ですが、
この楽しさとは違うハイレベルな操縦性が魅力でした。

廉価版の1800でアレなのだから2000って一体どうなってしまうのだろう・・・と思います。

2代目は初代のネガをつぶして正常進化したはずなのに勿体無いことになりました。
3代目も欧州路線としては正しかったのですが、結局4代目は作られませんでした。

カタログを見ていてT4が非常に気になります。
派手さは無いですがこれでスキーとか行ったらかっこいいだろうなぁと想像します。
(時々スカイラインでスキーに来る年配の方が居られますが渋くてかっこいいです)
コメントへの返答
2016年1月5日 20:49
こんばんは

挙げられている日産車ベスト3、期せずしてか、90年代前半で揃っていますね。同時期の日産の販売を支えていた3台と言ってもいいかもしれません。
そんな中でも、P10にはアプローチこそ異なりますがプログレと同じような理論的な成り立ちの正しさを感じます。

当時の日産が操安で世界一を目指したクルマですから、一見普通のセダン風の成り立ちながらも、操縦性は非凡ですよね。操縦性に関しては、ショールームの展示車を見ても分からなくて、実際に運転した経験とか口コミによって周知されるものですから、登場直後よりもむしろ少し経ってから売れた理由もその辺にあるのかなと思ったりします。

2代目は初代のリファイン版なのですが、日産自体リファインは得意ではありませんし、それに加えて当時の日産の状況もあって、バブルトヨタ並みの精緻さは無かったですね。これはプリメーラに限らずですが、リファインは徹底的にやらないと、前代のインパクトは超えられないだろうなぁと。3代目の時代には、初代の競合車と想定していたアウディはA4になっていますし、プジョーも406とか407ですから、欧州でも厳しかったということなのでしょうね。

T4は、ブルーバード・ギャラン・レガシィとセダンのターボ4駆が揃う中、ノンターボで登場しましたから、生活4駆的に受け止められた感があります。そういう意味では、今視点の方が魅力的に映ります。ちょっとスポーティな使用にも対応可能な多機能セダンですよね。
2016年1月7日 23:55
こんばんは。

何かの弾みでP10を思い出します。

私の中古で購入したCIクルーズも、
メーカーオプションでABSが付き、14インチ、リアディスクブレーキになっていました。
1.8はドラムと思い込んでいたので、
買ったディーラーの方に聞いたら
ABSが付くと自動的にブレーキなども強化される。
本当にそうだったんだな、と改めて思いました。

接触事故でガラスを壊されたんですが、その時に、
グレードによって色が違う、ということも知りました。

1800でもパワーは十分。
異次元の曲がり。
かと言ってピーキーな挙動ではなく
誰でも簡単に扱える。
ほんと良い車でした。

乗れる機会があればもう一度乗りたいです。
もう街で見かけることがなくなりました。
コメントへの返答
2016年1月8日 6:38
おはようございます

ブログをなるほどと頷きつつで拝見しました。

Ciクルーズだと中期以降ですから、ABSもだいぶ一般化が進んだ時期で、注文装備されることも多かったのでしょうね。ドラムブレーキとABSの制御が確立化していないこともあって、最上級の仕様に合わせることでABSと両立させるという事例は、プリメーラ以外でも多く見受けられました。

当時はガラスの色が多数ありましたから、発注間違いも多かったようです。あれ、一見では判断がむずかしいですし、またグレードと色で変わったりもしましたし。

一見は平凡ながらということで、乗ってみると強く印象に残るクルマですよね。そういう意味ではユーザーを啓蒙した面があって、今ではそんなクルマが減ってしまったことを、寂しく思います。

エコカー補助金の影響もあって、残存数こそ減りましたが、マニアが存在する車種ですから、その種の機会では先々も見れるのではと思ったりします。
2016年1月8日 18:51
遅いコメント失礼します。
もう15年程前ですが、イギリス・イングランド北東部のニューカッスルという都市に行ったことがあるのですが、日産のイギリス工場が近いせいかこの初代と2代目マーチが一杯走っていました。ブログにもあるようにイギリスには1600ccもあり、驚きでした。当地では初代のタクシーも結構いて、これも驚きでした。日本でプリメーラのタクシーなんて想像つかないですからね。販売台数はどうだったかは分かりませんが、2代目プリメーラもイギリスではかなり見ましたよ。日本より人気があったのではないでしょうか、
コメントへの返答
2016年1月8日 20:09
こんばんは
遅れコメント、歓迎しております(笑)

当時の貴重なイギリス情報をありがとうございます。
日本に限らず、現地でもマーチとプリメーラは売れていたのですね。先代にあたるオースターは、CA16とCA18でしたから、現地的にはGA16搭載でも違和感がなかったのでしょう。タクシーとしても使われていたというのが、自分的にも驚きです。

2代目はU14ブルーバードと統合となったことが、国内のイメージ形成に影響している部分はあるんですよね。現地では、プリメーラのみですから、正常進化と捉えられたのかもしれませんね。
2016年1月10日 23:11
こんばんは。

プリメーラといえばこの型を思い出しますが、5ドアがあったことは全く頭にありませんでした・・・(~-~;)。

この型のプリメーラは、走り好きの人間からしたらまずは「マルチリンクの素晴らしい足」というイメージがあります。そんなに素晴らしい足なのか?!と私も当時興味を持っていましたが、どちらかというとストーロークの短い足というのがそっち系では言われていました。
この頃ホンダはしなやかにストロークするダブルウィッシュボーンに舵をきっていたので、プリメーラの足はどちらかというとそれまでのホンダの足に近いというイメージを持っていました。それはこの次のモデルのプリメーラも一緒で、某ビデオでライバルだったCFアコードとの旋回限界性能比較があり、4輪接地で周回し続けるアコードに対し、プリメーラは内側後輪の浮いた3輪走行していたのが印象的で、ストロークの短い硬い足で接地性を高めていたのがよく分かる映像でした。

しかしマルチリンクならではのアライメント変化の少なさ、またセッティングの難しいそれを素晴らしく仕上げていたことは確かで、これが決まっていたからこその素晴らしいハンドリング評価だったのでしょうね。

加えて、プリメーラは欧州の匂いがプンプンするスタイルだったのも人気になった理由でしょうか。
コメントへの返答
2016年1月11日 11:43
こんにちは

初代プリメーラで一般的にイメージされるのは、やはり4ドアなのだと思います。5ドアは輸入車ということもあって、価格・仕様的にも多数派を目指していませんでしたし。5ドアを好きな方だと、気になる存在ではあったようですが。

プリメーラの足についての解説をありがとうございます。通説と異なる部分があって、興味深く拝読しました。
様々なフィールドで乗ってみて、初めて分かってくる部分もありますね。
P11の3輪走行というのも驚きですが、よく考えたら、あれはリヤサスを変更しているためかなと思ったりしました。実際の要因は何とも言えないところですが。

フロントのマルチリンクについては、利の部分だけではなく、負の部分を聞いていたりもします。もっとも採用は英断でありますし、あれが出たことで、他車の技術水準も上がったのだとすれば、やはりエポックなのだと思います。

スタイリングは、低全高ハードトップの全盛期にあれが出てきたことが第一ですよね。情感が優先されていた時代に、理詰めのパッケージングという提案は、欧州車という下地があったとはいえ、国内セダンとしては新鮮に映りました。初代プリメーラが人気を集めたことは、低全高ハードトップが衰退した要因の一つになったと思っています。
2016年1月14日 12:12
失礼いたしますm(__)m
プリメーラ『1.8Ci』が我が家のクルマ候補の1台になっていたのを思い出し、懐かしい気持ちになりながら読ませていただきました。

候補車種はプリメーラ1.8Ci、ビスタ2.0VX、ギャラン1.8ヴィエントでした。

当時私は13歳。将来免許を取ったら戴きたいぜー!との思いで父にプリメーラを激推ししましたが、『大人の事情』でビスタとなってしまいました…
コメントへの返答
2016年1月14日 19:37
こんばんは
コメントをありがとうございます

プロフィールを拝見したところ、1995年の出来事になるようですね。当時を思い返しつつだと、候補車種の3台は、どれも一長一短があって結構悩ましい感があります(笑)

その中から、先々自分で乗るという観点でプリメーラを推されたというのは、解る気がします。プリメーラは年齢問わずで乗れる感がありましたよね。

そこから20年が経過した今では、同じような比較が出来ないのを寂しく思ったりします。
2016年1月15日 23:20
 この車が出た当時、いすゞがオペルベクトラを導入し、よく似たスタイルだと思ったものです。この車が発売された当初、スポーティーセダンというよりは、シンプルで室内が広い理想的なセダンとして売っていたような記憶があります。その後、対象とした層はホンダのドマーニに関心が向いていったようですが、走りに情熱を失った層はやがて車に関心をう失うのか、どマーニの後を次ぐ車は見受けられませんでした。

P11の時代は、一時的にスポーツセダンがもてはやされた時期になりました。が、若い人はレガシィやRAV4、SMXにステップワゴンに関心を向けた時代でした。
コメントへの返答
2016年1月16日 1:09
プリメーラのデザイン過程では、縦型テールや6ライトの案が含まれていまして、そちらはよりベクトラに似ていたりします(笑)
おそらく開発時期からして、共にアウディ80(B3)を横目で見ているはずなのが理由だろうと推測するところです。

初代プリメーラは日産ファンが支えていたというのが私的印象なのですが、そこは認識の違いなのでしょう。
シンプルで室内が広い理想的なセダン・・・不人気モデルながら最終ビスタとか書いてみます(笑)

P11は確かにセダンが縮小していた時代でしたね。途中からワゴンが追加されましたが、セダンとどちらが売れたのか気になります。
2018年3月19日 21:23
はじめまして。楽しい記事を拝見させていただきました。
当方、モデル末期のTm-Sセレクション(4AT)に乗ってました。
何がきっかけか忘れましたが、とにかく25歳になるまでにプリメーラに乗るぞ!と、25歳になる寸前にオーナーとなりました。
愛車紹介でもアップしています。
その後WHP11プリメーラワゴン(G-V)にも乗りましたが、走りの楽しみで言えば、HP10のほうが操る楽しさがあったように感じます。
今は一生乗ることが無いと考えていたマツダ車に乗っていますが、クルマ選びの基準はプリメーラを買った時と変わらず、クルマを操る楽しさがある事と(人馬一体)、普段使いに困らないパッケージであることに変わりません。
コメントへの返答
2018年3月19日 23:25
はじめまして
オーナーだった方からの共感を大変嬉しく思います。

25歳で4ドアセダンって、若干大人なように思える一方で、プリメーラなら年齢を問わずで乗れるような雰囲気もありましたね。
愛車紹介を拝見しまして、当時流の手の入れられ方に懐かしさを感じました。特にBBS-RGIIは、本当に欲しいと思いつつも、ついに入手できなかった逸品という思い入れが重なったりもして。
HP10が当初想定以上に売れたことで、HP11は要件が増え過ぎてしまった印象です。純粋さは初代かなと思います。

各メーカーのクルマ作りは大きく変遷していっていますので、私含めて昔は予想もしなかった選択というのも起こり得ますね。クルマ選びの基準、大いに賛同します。それほど難しい基準ではない気がしますが、いざ選ぶとなると基準を満たすクルマが少なかったりするんですよね。

プロフィール

「日毎に暖かくなる季節の中で http://cvw.jp/b/1984303/47641110/
何シテル?   04/07 21:25
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