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2017年03月11日

第23回東京モーターショー、フォードパンフレットの話

第23回東京モーターショー、フォードパンフレットの話 久方ぶりとなる「古のモーターショーのパンフレット」話をお送りします。
配布されたのは1979年に開催された第23回東京モーターショーですから、今から40年近く前となりますね。

フォードは、ご存じのとおり、昨年末を以て日本から撤退をしているということで、何とも微妙なタイミングではあるのですが、ネタ探しをしていてふと書庫で見つけたというだけであって、深い意味や意図は全くありません。

今回のパンフレットを改めて読み返してみると、撤退の際に触れられていなかった内容も含まれていまして、意外と貴重な資料なのかもしれませんね。


それでは、以下紹介していきます。
最初は、メーカーについてということで、主に歴史を紹介したパンフレットです。




最初は、フォード自動車(日本)の概要について書かれています。

日本法人を設立したのは、1974年(昭和49年)のようです。
BMWジャパンの設立が1981年、メルセデスベンツ日本の設立が1987年ですから、一足早い日本法人の設立だったのです。もっとも、前年末にオイルショックが勃発し、クルマが大きな変革を強いられていたことからすると、何とも微妙な時期にも思えますね。


日本自動車輸入組合(JAIA)の統計を遡ってみると、フォードは、この年に9,000台弱を販売。この数字は、17,000台を売ったVWに続く台数でした。フォードに続くのは、約8,000台のGM。
今は台数を伸ばす他のドイツ車も、メルセデスが約5,000台強、BMWが約4,000台、アウディが約3,500台だったのですから、それらより台数としてははるかに多かったのです。

それにしても、当時の輸入車の総数は約60,000台。昨年の台数は300,000台を超えているのですから、新車全体の台数の増加を考慮しても、輸入車の伸びは著しいと言えます。

輸入車の中では定番の一つだったフォードの台数ですが、後述する理由により、翌年以降は減少に転じることとなります。





続いては、フォードの日本での歴史が書かれています。

フォードがはじめて日本に入ったのは明治時代まで遡るそうですから、その歴史の長さを改めて思うところです。トヨタや日産の生産開始よりも前ですからね。

今も使われている、ディーラー、ユーザー、サービス等の言葉は、そんな時代にフォードが持ち込んだものが由来であることも書かれています。





続いては、フォードの国際活動ということで、当時の拠点が紹介されています。

台数の規模は今とあまり変わらないようですが、拠点の場所は当時の世界情勢を反映している感がありますから、その数はきっと今よりも限られているのでしょうね。





こちらはフォードのあゆみ、世界編ということで、長い歴史を画像で紹介。
フォードの歴史がモータリゼーションの一角を担っていることは、間違いありませんね。





最終の見開きでは、モータースポーツでの活躍と当時のディーラー網を掲載。

レース&ラリーフィールドでの活躍に加えて、何故か宇宙開発も紹介。当時の宇宙開発といえば、やはりスペースシャトルですよね。

自分的に貴重な資料と思えるのが、当時のディーラー網です。
もちろんオートラマの展開前ですから、近鉄モータースを筆頭に商社系や地場の有力モータース系との混合でディーラー網が構成されていました。その中にはホンダ系のHISCOが含まれていますね。



そんなフォードが、1980年に向けてどんなクルマを売ろうとしていたのかというと・・・ということで続いては、当時の取扱車についてのパンフレットを紹介していきます。






この時の目玉は、久方ぶりの再登場となったサンダーバード、通称“Tバード”と、その兄弟車となるマーキュリークーガーXR-7でした。

元々は全く違う由来となる2台ですが、この時点では兄弟車の関係とされています。こうした名前を変えずでキャラクターを変えてしまう事例は、アメリカ車の方が日本車以上に多いですね。

マーキュリーは、フォードの一クラス上を担うブランドでした。長く続いていたのですが、フォードとリンカーンの間に挟まれたポジションは差別化に苦労したようで、近年になってブランド廃止となっています。


当時はオイルショックを契機とした、省資源化がかつてない規模で求められていて、恐竜に例えられるぐらいの大型化が進行していたアメリカ車は一気のダウンサイジングが行われていました。その成果は、何せ元が元だけに、長さ50cm、車重500kgという何ともスゴイ数字が並んでいます。





続いては、フォードの高級ブランド、リンカーンです。
キャデラックと並ぶ高級車の位置にありました。

リンカーンとコンチネンタルは、当時の子供心にセットの名称でありまして、どんなクルマか詳しくは知らなくても、何となくすごい(=怖い人の)クルマという印象があったものです(笑)

コンチネンタルシリーズは、こちらも80年モデルとしてモデルチェンジが行われていて、ダウンサイジングの成果として気前のいい数字が並びます。

軽く調べたところ、マークシリーズはこれまで2ドアのみだったところ、このモデルチェンジにより、4ドアが追加されてコンチネンタルシリーズの上級とされたようです。この後マークシリーズは一足先にモデルチェンジされて、再び2ドアのみに、という複雑な経緯を歩みます。

ヴェルサイユは、キャディラックセビルが成功に触発されて登場した、小さな高級車の成り立ちとなります。アメリカ車の”小さな”ですから、結構な大きさですけれど(笑)
急造モデルだったようで、フォードグラナダ/マーキュリーモナークをベースにリンカーン版を仕立てましたが、差別化が足りないという評価だったらしく、モデルライフの途中で手が加えられています。残念ながら、そうした手入れも販売には結びつかずということで、この後、新世代のコンチネンタルが後を継ぐことになります。

先に登場していたコンチネンタルは、新たにタウンカーを名乗ることになるのですから、何とも複雑な経緯としか(笑)。結局タウンカーは、部分改良のみで80年代を生き抜いたクルマとなりますね。






マーキュリーブランドの各モデルが並びます。
この時点のフォードの戦略は、やや上級のマーキュリーを主体としていたようです。

グランドマーキスには、インターミディエイトと書かれていますが、実際はフルサイズですね。こちらも、タウンカー同様に80年代を部分改良のみで乗り切っています。昔ながらのキャラクターは理解され易かったようで、本国では販売も好調だったようです。

モナークは、オイルショック直後に登場したモデルということで、この中では古株。登場直後は、他モデルを喰うほどのかなり好調な販売だったようです。モデルライフも後半に入っていましたので、当初の丸目2灯は角目の縦4灯に変更されています。

ゼファーは、コンパクトサイズということで、ようやく親近感のあるサイズとなってきます(笑)
かなりのヒット作だったようですが、台頭する日本車への対抗もあって、あまり時間を経たずで、FF&更なるコンパクト化が図られていきます。日本への輸入車としては、結構いい感じでして、勿体ない感もあるのですけれどね。

カプリは一見で判る、マスタングの兄弟車。
元々はドイツフォードのカプリを輸入していたそうですが、モデルチェンジを機にマスタングとくっ付けられたということのようです。最初に紹介したクーガーが、元々マスタングのマーキュリー版だったそうですから、複雑なモデル経緯は日本車の比ではないのです。







アメリカンマッスルカーとして、カマロ/トランザムと並んで日本にも多く輸入されたマスタングも、ダウンサイジングが進行することで、この時にはかなりコンパクトなモデルとなっていました。
最廉価のMT車は、200万円を切る価格設定ということで話題となったようです。まだ1ドル=200円を超えていた時代ですから、日本車と競合するまでは言えないものの、かなり戦略的な価格設定ではあります。

このマスタング、日本車に先行してのターボが追加ということにも注目が集まりました。省資源に寄与するというセールスポイントは当時のターボらしいものですが、この場合の比較対象はV8 4.2というのがポイント。それとの比較であれば、確かに省エネと言えそうではあります。エアスクープ付きのボンネットも当時らしいですね。





裏表紙には諸元表。
アメリカ車らしい、大らかな数字が並んでいます。

以上、80年モデルは、全てアメリカフォード製となります。

実は、この直前まではヨーロッパフォード、特にフィエスタが台数を稼いでいたのですが、この時点以降、ラインナップからは外されたようです。
この年に締結されたマツダとの業務提携、年々厳しくなる排ガス規制への対応等、導入を止めると判断する状況だったのでしょうね。


画像の引用元=FavCars.com


といったところで、いかがだったでしょうか。
80年代以降も躍進を期していたフォードは、マスタング等は好調だったものの、台数を稼いでいたフィエスタを失うことで、この年以降、減少傾向となっていきます。
マツダと共にオートラマを展開したものの、主に売れたのはマツダのOEMという状況しばらく続き、ようやく台数が上向くのは、初代トーラスやプローブ等の販売によってでした。

以降の歴史については、長くなるので触れませんが、確実に言えるのは、日本のメーカー以上の紆余曲折があったということでしょうか。輸入車の中でもヨーロッパ車が日本法人を設立し、日本市場での台数拡大を図る一方で、フォードはいろいろなアプローチを行ったものの、何れも大きな成果と呼ぶには難しいものがありました。

それだけに、撤退という決断に至ったというのも、非常に残念ではありますが、仕方がないのかなと思えるものがあります。

既に既視感のある日本市場の非関税障壁が再び声高に叫ばれつつある昨今にあって、日本市場における難しさというのを理解しているのは、何よりメーカー自身なのかもしれませんね。
ブログ一覧 | 古のモーターショーのパンフレット | 日記
Posted at 2017/03/11 08:46:52

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この記事へのコメント

2017年3月11日 12:42
こんにちは。
>ディーラー、ユーザー、サービス等の言葉は、フォードが持ち込んだ
こうした由来話は大好きです。改めてフォードの残した足跡は極めて大きかったことが伺えます。
現行モデルではフィエスタしか乗れませんでしたが、実車の出来が良かっただけに撤退は残念でしたね。
コメントへの返答
2017年3月12日 7:47
おはようございます
由来を知ることもなく、何気なく使っている言葉だけに、私もなるほどと思わさた記載です。早くから日本に入っていただけに、功績も大きいですよね。

現行モデルも、クルマは悪くなかっただけに撤退が残念に思います。もう少し早くから、対策を打てた気がするんですよね。
2017年3月11日 22:56
勉強になりました。

もはやラインナップがすごいですね。
当時の日本車では着いて行けない圧倒的な存在感。
これぞ個性だなと思います。
しかも、マスタングだけで十分かと思いきや、兄弟車のカプリまで導入するとは数打ちゃ当たる的な感じもしました。

販売面も健闘していたというのが私にとっては意外でしたが、
前半のフォードと日本のかかわりを見るとそれも納得です。
当時の日本人のフォードが買える層の方々はきっと
子供の頃からフォードをよく知っているのでしょう。
認知度が現代とは段違いなのでは無いでしょうか。

また時勢を考えて大胆なダウンサイズをやってのけたのも
当時の力があってこそですね。
今も昔もやる事は同じなのでしょうか。
F150トラックも軽量素材を駆使してなりふり構わぬ軽量化と
エンジン排気量の縮小を成し遂げました。

ラインナップを見ていると、マーキュリーやリンカーンがメインとの事で、
もっと小型車を入れたらいいのに、と思いきやマツダと提携直後だったのですね。

フィエスタはあっさりとしていて日本でも受け入れられそうな車でしたね。
70カローラのデザイナーはフィエスタを見て、それまでのセミファストバックを捨てて直線基調のスタイリングに舵を切ったそうです。

現在では撤退してしまったのが残念です。
コメントへの返答
2017年3月12日 8:58
撤退後だけに、貴重な資料かもしれませんね。

このラインナップが、日本人が今も想像するアメリカ車の姿を解りやすく表している気がします(笑)。このイメージが残っていることは、功罪共にありそうですが。

おそらくですが、外車=高級車ということで、やや上級のマーキュリーを主体で売りたかったのかなと。当時のGMも、ミドルセダン以上はシボレーよりビュイックが入っていますし。フォードブランドでもマスタングやTバードは知名度からの導入。

歴史を振り返ると、輸入車の主流がアメリカ車からヨーロッパ車に移り始めたのがこの時期ですから、今とは各メーカーの認知度も違ってきますね。

当時のダウンサイズは、他の選択肢があり得ないんです。文献によると、1979年の第二次オイルショックでは、末端のガソリン価格が倍になったそうですから、何より燃費最優先になる訳で。アメリカは、元来、大型車を好むようで、行き過ぎては揺り返す、そんな歴史に思います。

この時期のフォードはマツダだけでなくトヨタにも接近していたりして、危機感はかなり強かったようです。マツダとの提携が、良くも悪くも日本でのフォードの展開に影響した感がありますね。

フィエスタは国際戦略車とされていて、日本導入の際には話題にもなりました。FF大衆車としても早期の作で、(表に出ていないのも含めると)これに影響された日本車も多いのではないでしょうか。こういう素のキャラクターを作らせるとフォードは上手ですね。

それだけに、私も撤退を残念に思うばかりです。
2017年3月12日 23:33
こんばんは

これは懐かしいパンフですね!
私アメ車も割と好きだったりしますので、この時代前後の輸入車ガイドブック(東京モーターショーで販売していた)等は親にねだって買ってもらってました。残念ながら処分してしまって今は無いのですが(´;ω;`)

ダウンサイジング前のカタログ類も見ていたので、マスタングあたりは随分とこじんまりとしてしまって、子供ながらに「な~んだ、つまんない」なんて思ったりしていまして。あの頃は省資源なんて言葉の意味もわかりませんでしたし・・・・
サンダーバード、クーガー、コンチネンタルマークⅥ、グランドマーキーあたりはダウンサイズされたとはいってもまだまだ見た目が大らかな感じがしたので好きでした。
この後90年代でしたか?更なるダウンサイズを受けてどうしようもなくチンチクリンになってしまいましたが・・・
決して大きければ良いというものでもないとは思いますが、サイズを詰めるにあたって従前のデザイン手法を一部残しながら無理矢理カットするから可笑しな事になるのですよね><
コメントへの返答
2017年3月13日 19:06
こんばんは

まだまだアメリカ車の個性が強かった時代のパンフということで、懐かしいのお言葉を嬉しく思います。
輸入車ガイドブックは、私も何冊か持っていたのですが、資料を減らす際に処分してしまいまして、今更ながらに後悔しています。減らす時は勢いでやってしまうんですよね。

マスタングはIIで一気にダウンサイズしていて、カマロやファイアバードが継続していたことも相まって、こじんまりした印象が強かったですね。フォードもそのあたりは認識していたようでターボで新たなスポーティーを訴求したかったようですが。

書かれているクルマ達は、第一弾のダウンサイジングこそ行われていますが、まだプロポーション等は損なわれてはいませんね。この中の一部は部分改良だけで残されて、主に保守派の受け皿となりますが、販売は意外と堅調だったようです。
この後の80年代は、GMやクライスラー系が寸法の制約からか一部を除けば寸詰まりの金太郎飴的になる中で、フォードはエアロダイナミクスに活路を見出して、トーラス等のヒットを生み出していますね。
再び大型化した90年代も含めて考えると、アメリカ車のパッケージングやデザインには、ある程度のサイズが前提となっていて、そこにノウハウの蓄積もあることを感じます。それだけに、限られた寸法内で合理的に要件を詰めるとかは、どうしても不得意となるのでしょうね。
2017年3月14日 0:47
こんばんは。エクストラインテリアに続き、偶然にも私の大好きなフォードを取り上げていただくとは!ワタクシ古いアメリカの車、しかも当時のディーラーものにいたく興味をそそられる若干変態(笑)な人間でございまして・・・。
当時の正規ディーラーの紙物は一時期集めまくってたので、私の手元にもニューエンパイヤモーターや太陽自動車、国際興業などの発行した当時のアメリカ3大メーカーのカタログがあります。フォード日本は各ディーラーが配布できるような小冊子を1965年から作成してますので、今回紹介されてるモーターショーで配布されたものもそういった類のものなんでしょうね。
フォード車の中でも特にマスタング(私の世代だとムスタングの方がなじみがありますが)が好きで、現行モデルで初めて右ハンドルが設定されることになったので、これでいつかは右ハンドルのディーラーもののマスタングが買えるかも、と思った矢先の日本撤退(泣)。残念でなりません。
コメントへの返答
2017年3月14日 19:49
こんばんは
エクストラインテリアとフォード、繋がりを全く意識していない選択だけに、共に琴線というのを大変嬉しく思います(笑)

アメリカ車の販売については、オイルショックまでは、それなりに台数が出ていましたし、一台当たりの儲けも大きい美味しい商売ということで、商社系を中心とした輸入代理店が多数あったようですね。それらは、ほぼ全てが撤退してしまっていますので、当時の記録も明確には残っていませんし、当時モノの資料というのは非常に貴重に思います。1965年からの配布だと輸入自由化にあわせてとなりますかね。
私の幼少時代も、ムスタングでして(笑)、特に73年モデルまでだと、こちらの方がしっくりくる感があります。いろいろ変遷したモデルですが、ようやくの右ハンドルでしたね。売り方次第では、展望もあったように思うので、急いで撤退を決めた感が強いですね。
2017年3月14日 21:27
こんばんは。

フォードの話を興味深く読ませていただきました。
フォードと言えば、レーザーやテルスターなどのマツダ兄弟車の印象が強いです。
そこから、マスタングやトーラスやエクスプローラに興味を持ちました。
アメ車は製品作りが大味なので、日本の指摘に対しても相手にされないことがあったそうです。
特に塗装やボディの合わせに対して、走行するのに支障ないという判断されたというエピソードを知ってます。
もしかすると、そんな細かいことを気にする日本人よりも、もっと魅力ある市場を見つけたのでしょう。
お国柄と言われるとそれまでですが、そう言った現状をアメリカ大統領は知っているのか気になります。
コメントへの返答
2017年3月15日 6:15
おはようございます

フォードのディーラー数が増えたのはオートラマ以降ですから、書かれている経緯を歩まれている方も多いように思います。だいぶ前にオートラマを取り上げた時に、レーザーは意外と台数が少なかったのですが、フォードブランドへの貢献という意味では比較的大きいものがあったかもしれませんね。
日本における塗装やボディの合わせへの要求は、相当に高いものがあります。高い車だと尚更で、欧州ブランドも、新車整備センターを構えて対応しているのが現状ですね。
既視感のある自動車問題の再現なのですが、日本で売るよりも、台数差を盾にして自国内のルールを有利にすることに主眼があると見ています。短期で台数を稼ぐには、そちらの方が話が早いですし。
2018年7月12日 14:56
これは非常に面白く、じっくりと読ませていただきました。

アメ車は非常に好きなのですが、当時注目していたのは、どうしてもコルベットやトランザム、カマロなどのスポーツタイプが中心だったので、セダンタイプのカタログや、グレードごとのパワー記載は新鮮でした。

モナークやゼファーは、当時の映画などで4ドアをパトカーで見かけますね。
車体からするとパワーは非常に非力ですが、他に「フェアモント」という車も、2300ccがこのくらいのパワーであったと思います。

マスタングは、このモデルが一番元気がなかった頃だと思いますが、次の型では5000ccも出て、また大型化に戻りましたね。

フェスティバ、レーザーやテルスター、プローブなどはオートラマがあったので、日本仕様を街中でたまに見かけましたが、一般のアメリカ車は排気量が大きく個性が強かったため、「OHV誤解」などで、日本に対応するのに当時苦労していたのが見てとれました。
日本では廉価版は売られず、メイングレードのAT仕様車だけが販売されていたりとかもありましたね。

ただ、トーラスはワゴンが3800cc・3000cc問わず、たまに走っていました。
コメントへの返答
2018年7月12日 21:17
40年近く前の資料であることに加えて、メーカーは日本から撤退していますから、かなり貴重な資料なのではないかと思うところです。

この時代の国内での売れ方からしても、スポーツタイプ中心が自然なのではないでしょうか。一部ハイヤー用途等を除くと、セダン等はヨーロッパ車に人気が移っていた時代ですね。

そうなると、当時のアメ車の4ドアは、映画(の壊され役)で覚えるとなる訳で(笑)
フェアモントは、ゼファーのフォード版ですね。2300ccはマスタングとの共用。
そのマスタングは、この前のマスタングIIが不評で、失地回復を狙った世代でした。末期にはプローブへの統合が意図されますが、結局次世代に繋がっていますね。

オートラマは当初、マツダ主体のモデルが主力でしたね。それまでの近鉄モータースも並行して扱っていた関係もあるのか、アメリカからの輸入モデルはトーラス登場まで、あまり話題にはなりませんでした。

トーラスは、初代が売れたことで、2代目では日本仕様に力を入れるのですが、初代程の成功とはなりませんでした。この辺り、ローカライズのさじ加減を表しているようで、興味深かったりします。
2020年9月13日 7:02
私の父はマーキュリー ・モナーク・グランド・ギアを1975年にHOND HISCOから買いました。リンカーンを小型にした感じで、カッコ良かったです。それまではずっとヤナセ からでしたけど。HISCOの事がほとんど情報がありません。ご存知ならお教えください。
コメントへの返答
2020年9月14日 21:25
グランドモナークとHISCOについて、軽く調べてみました。前者は75年と76年yearのみ販売されたモナークの上級版で、77年以降はリンカーンベルサイユが後継となるようです。系譜からしてもリンカーンの小型版ですね。
後者は75.8~79.12にフォード全般を輸入した記録がJAIAの加盟歴として残っています。おぼろげな記憶だと、カプリやフィエスタを取り扱っていたかなくらいですね。

プロフィール

「日毎に暖かくなる季節の中で http://cvw.jp/b/1984303/47641110/
何シテル?   04/07 21:25
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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