久方ぶりとなる「古のモーターショーのパンフレット」話をお送りします。
配布されたのは1979年に開催された第23回東京モーターショーですから、今から40年近く前となりますね。
フォードは、ご存じのとおり、昨年末を以て日本から撤退をしているということで、何とも微妙なタイミングではあるのですが、ネタ探しをしていてふと書庫で見つけたというだけであって、深い意味や意図は全くありません。
今回のパンフレットを改めて読み返してみると、撤退の際に触れられていなかった内容も含まれていまして、意外と貴重な資料なのかもしれませんね。
それでは、以下紹介していきます。
最初は、メーカーについてということで、主に歴史を紹介したパンフレットです。
最初は、フォード自動車(日本)の概要について書かれています。
日本法人を設立したのは、1974年(昭和49年)のようです。
BMWジャパンの設立が1981年、メルセデスベンツ日本の設立が1987年ですから、一足早い日本法人の設立だったのです。もっとも、前年末にオイルショックが勃発し、クルマが大きな変革を強いられていたことからすると、何とも微妙な時期にも思えますね。
日本自動車輸入組合(JAIA)の統計を遡ってみると、フォードは、この年に9,000台弱を販売。この数字は、17,000台を売ったVWに続く台数でした。フォードに続くのは、約8,000台のGM。
今は台数を伸ばす他のドイツ車も、メルセデスが約5,000台強、BMWが約4,000台、アウディが約3,500台だったのですから、それらより台数としてははるかに多かったのです。
それにしても、当時の輸入車の総数は約60,000台。昨年の台数は300,000台を超えているのですから、新車全体の台数の増加を考慮しても、輸入車の伸びは著しいと言えます。
輸入車の中では定番の一つだったフォードの台数ですが、後述する理由により、翌年以降は減少に転じることとなります。
続いては、フォードの日本での歴史が書かれています。
フォードがはじめて日本に入ったのは明治時代まで遡るそうですから、その歴史の長さを改めて思うところです。トヨタや日産の生産開始よりも前ですからね。
今も使われている、ディーラー、ユーザー、サービス等の言葉は、そんな時代にフォードが持ち込んだものが由来であることも書かれています。
続いては、フォードの国際活動ということで、当時の拠点が紹介されています。
台数の規模は今とあまり変わらないようですが、拠点の場所は当時の世界情勢を反映している感がありますから、その数はきっと今よりも限られているのでしょうね。
こちらはフォードのあゆみ、世界編ということで、長い歴史を画像で紹介。
フォードの歴史がモータリゼーションの一角を担っていることは、間違いありませんね。
最終の見開きでは、モータースポーツでの活躍と当時のディーラー網を掲載。
レース&ラリーフィールドでの活躍に加えて、何故か宇宙開発も紹介。当時の宇宙開発といえば、やはりスペースシャトルですよね。
自分的に貴重な資料と思えるのが、当時のディーラー網です。
もちろんオートラマの展開前ですから、近鉄モータースを筆頭に商社系や地場の有力モータース系との混合でディーラー網が構成されていました。その中にはホンダ系のHISCOが含まれていますね。
そんなフォードが、1980年に向けてどんなクルマを売ろうとしていたのかというと・・・ということで続いては、当時の取扱車についてのパンフレットを紹介していきます。
この時の目玉は、久方ぶりの再登場となったサンダーバード、通称“Tバード”と、その兄弟車となるマーキュリークーガーXR-7でした。
元々は全く違う由来となる2台ですが、この時点では兄弟車の関係とされています。こうした名前を変えずでキャラクターを変えてしまう事例は、アメリカ車の方が日本車以上に多いですね。
マーキュリーは、フォードの一クラス上を担うブランドでした。長く続いていたのですが、フォードとリンカーンの間に挟まれたポジションは差別化に苦労したようで、近年になってブランド廃止となっています。
当時はオイルショックを契機とした、省資源化がかつてない規模で求められていて、恐竜に例えられるぐらいの大型化が進行していたアメリカ車は一気のダウンサイジングが行われていました。その成果は、何せ元が元だけに、長さ50cm、車重500kgという何ともスゴイ数字が並んでいます。
続いては、フォードの高級ブランド、リンカーンです。
キャデラックと並ぶ高級車の位置にありました。
リンカーンとコンチネンタルは、当時の子供心にセットの名称でありまして、どんなクルマか詳しくは知らなくても、何となくすごい(=怖い人の)クルマという印象があったものです(笑)
コンチネンタルシリーズは、こちらも80年モデルとしてモデルチェンジが行われていて、ダウンサイジングの成果として気前のいい数字が並びます。
軽く調べたところ、マークシリーズはこれまで2ドアのみだったところ、このモデルチェンジにより、4ドアが追加されてコンチネンタルシリーズの上級とされたようです。この後マークシリーズは一足先にモデルチェンジされて、再び2ドアのみに、という複雑な経緯を歩みます。
ヴェルサイユは、キャディラックセビルが成功に触発されて登場した、小さな高級車の成り立ちとなります。アメリカ車の”小さな”ですから、結構な大きさですけれど(笑)
急造モデルだったようで、フォードグラナダ/マーキュリーモナークをベースにリンカーン版を仕立てましたが、差別化が足りないという評価だったらしく、モデルライフの途中で手が加えられています。残念ながら、そうした手入れも販売には結びつかずということで、この後、新世代のコンチネンタルが後を継ぐことになります。
先に登場していたコンチネンタルは、新たにタウンカーを名乗ることになるのですから、何とも複雑な経緯としか(笑)。結局タウンカーは、部分改良のみで80年代を生き抜いたクルマとなりますね。
マーキュリーブランドの各モデルが並びます。
この時点のフォードの戦略は、やや上級のマーキュリーを主体としていたようです。
グランドマーキスには、インターミディエイトと書かれていますが、実際はフルサイズですね。こちらも、タウンカー同様に80年代を部分改良のみで乗り切っています。昔ながらのキャラクターは理解され易かったようで、本国では販売も好調だったようです。
モナークは、オイルショック直後に登場したモデルということで、この中では古株。登場直後は、他モデルを喰うほどのかなり好調な販売だったようです。モデルライフも後半に入っていましたので、当初の丸目2灯は角目の縦4灯に変更されています。
ゼファーは、コンパクトサイズということで、ようやく親近感のあるサイズとなってきます(笑)
かなりのヒット作だったようですが、台頭する日本車への対抗もあって、あまり時間を経たずで、FF&更なるコンパクト化が図られていきます。日本への輸入車としては、結構いい感じでして、勿体ない感もあるのですけれどね。
カプリは一見で判る、マスタングの兄弟車。
元々はドイツフォードのカプリを輸入していたそうですが、モデルチェンジを機にマスタングとくっ付けられたということのようです。最初に紹介したクーガーが、元々マスタングのマーキュリー版だったそうですから、複雑なモデル経緯は日本車の比ではないのです。
アメリカンマッスルカーとして、カマロ/トランザムと並んで日本にも多く輸入されたマスタングも、ダウンサイジングが進行することで、この時にはかなりコンパクトなモデルとなっていました。
最廉価のMT車は、200万円を切る価格設定ということで話題となったようです。まだ1ドル=200円を超えていた時代ですから、日本車と競合するまでは言えないものの、かなり戦略的な価格設定ではあります。
このマスタング、日本車に先行してのターボが追加ということにも注目が集まりました。省資源に寄与するというセールスポイントは当時のターボらしいものですが、この場合の比較対象はV8 4.2というのがポイント。それとの比較であれば、確かに省エネと言えそうではあります。エアスクープ付きのボンネットも当時らしいですね。
裏表紙には諸元表。
アメリカ車らしい、大らかな数字が並んでいます。
以上、80年モデルは、全てアメリカフォード製となります。
実は、この直前まではヨーロッパフォード、特にフィエスタが台数を稼いでいたのですが、この時点以降、ラインナップからは外されたようです。
この年に締結されたマツダとの業務提携、年々厳しくなる排ガス規制への対応等、導入を止めると判断する状況だったのでしょうね。
画像の引用元=FavCars.com
といったところで、いかがだったでしょうか。
80年代以降も躍進を期していたフォードは、マスタング等は好調だったものの、台数を稼いでいたフィエスタを失うことで、この年以降、減少傾向となっていきます。
マツダと共にオートラマを展開したものの、主に売れたのはマツダのOEMという状況しばらく続き、ようやく台数が上向くのは、初代トーラスやプローブ等の販売によってでした。
以降の歴史については、長くなるので触れませんが、確実に言えるのは、日本のメーカー以上の紆余曲折があったということでしょうか。輸入車の中でもヨーロッパ車が日本法人を設立し、日本市場での台数拡大を図る一方で、フォードはいろいろなアプローチを行ったものの、何れも大きな成果と呼ぶには難しいものがありました。
それだけに、撤退という決断に至ったというのも、非常に残念ではありますが、仕方がないのかなと思えるものがあります。
既に既視感のある日本市場の非関税障壁が再び声高に叫ばれつつある昨今にあって、日本市場における難しさというのを理解しているのは、何よりメーカー自身なのかもしれませんね。