6月30日(金)
桐生のクローバーな会社に出張した2日目
お仕事は午前中で解放\(^o^)/
そのあとは、台湾鉄路管理局『普悠瑪号』塗装の、東武特急「りょうもう」で久喜へ。
久喜でJR宇都宮線に乗り換え、E233系上野行で「大宮」へ向かいます。
大宮で下車すると・・・、
新幹線の高架下に、209系のようでどこか違う電車が見える。(@_@)
『おっ!』 小田急4000形です!?
しかし何故、JRの大宮に?
小田急4000形は、JR東日本E233系と共通設計の、地下鉄直通対応通勤電車。
東京メトロ千代田線、JR東日本常磐緩行線直通運転に使われる車両です。
(Wikipediaから)
ベースとなった、メトロ千代田線・小田急線直通用JR東日本E233系2000番台
(Wikipediaから)
JR東日本は、次世代信号保安システムCBTC(注)を、2020年常磐緩行線に導入する計画を進めています。小田急4000形は乗り入れ対応で、CBTC対応機器搭載工事のため、JR東日本大宮車両センターに入場しているのでした。
他社の車両が改造工事で別の会社の工場に入場するのは珍しいそうです。
(注) CBTC(Communications-Based Train Control)
軌道回路ではなく、無線通信による、次世代信号保安列車制御システム。
JR東日本が常磐緩行線に2020年導入予定。
【鉄道ホビダスから】
小田急電鉄4000形4060編成がJRの大宮総合車両センターへ入場するため松戸車両センターから大宮(武蔵野、東北貨物線経由)まで配給輸送された。牽引機は長岡車両センター所属のEF64 1031であった。
冒頭から、脱線した話を元に戻して・・・。
大宮から、新交通システム「ニューシャトル」に乗ります。
「ニューシャトル」は、正式名を埼玉新都市交通伊奈線といいます。
東北・上越新幹線開業時に高架線で街が分断されることを危惧した地元が請願して、新幹線高架に併設されたコミュニティ路線。これは最新型の2020系。
“ひと駅目” で下車。
高架下の、プロムナードを歩いていくと・・・。
D51と腕木式信号機のモニュメントがお出迎え・・・!?
さて、やって来たのは・・・!
JR東日本が設置、運営する
『鉄道博物館』
神田、万世橋に合った「鉄道博物館」から移設されて10年になります。
訪問は、これで4回目。(たぶん・・・)
そのコンセプト、(公式ホームページから)
1.日本及び世界の鉄道に関わる遺産・資料に加え、国鉄改革やJR東日本に関する資料を体系的に保存し、調査研究を行う「鉄道博物館」とします。
2.鉄道システムの変遷を、車両等の実物展示を柱に、それぞれの時代背景等を交えながら、産業史として物語る「歴史博物館」として位置づけます。
3.鉄道の原理・仕組みと最新(将来構想を含む)の鉄道技術について、子どもたちが、模型やシミュレーション、遊戯器具等を活用しながら、体験的に学習する「教育博物館」としての性格も持ち合わせます。
コンセプトをこう書き連ねるとお堅い感じがしますが、『鉄道博物館』では、単に車両を展示するだけではなく、鉄道を取り巻く時代と背景が再現されています。
この産業史を物語る、ストーリー性あふれる展示は、他の鉄道展示施設に比べて1歩も2歩も抜きん出たものがあります。
奇しくも、先日7月1日の、
NHK『ブラタモリ』は、『「大宮」はなぜ鉄道の街になったか』がテーマ。
「てっぱく」こそ出ませんでしたが、隣接する大宮総合車両センターで交番検査を受ける185系、分解整備中のDT32台車など、結構見どころが満載!
アシスタントの近江友里恵アナが、
「大宮なんてー、来ることありませ~ん…♪」
と、あっけらカ~ンと言ってたのが印象的でしたが…。
では早速、交通系ICカード対応の自動改札機で館内へ。
という訳で、4度目、再びやってきました『てっぱく』。
『鉄道博物館』は大宮総合車両センターの北側に位置し、JR各社が設立・運営する鉄道博物館/記念館の中でも最大規模。
一部の引き込み線は車両センターに直接つながっています。
まずはともあれ、展示車両。
1872年、新橋―横浜間で開業した日本最初の鉄道『1号機関車と客車』
新橋駅ホームが再現されています。
本州の鉄道はイギリスの技術を導入しましたが、北海道はアメリカから。
北海道鉄道開業時に使用された『弁慶号』
北海道開拓の役人専用車「開拓使号」
日本最古の木造電車「ナデ6110形」
ここ「鉄道博物館」は、車両だけではなく、線路、ホームや架線柱、標識類が配置され、車両の並べ方も年代と背景がさりげなく考慮されてして、往時の雰囲気を十分に感じることができます。
EF58 89、上越線つらら対策で前面窓にひさしが付いたタイプで、JR東日本が継承したものです。
手前のキロポスト、速度制限表示、勾配票がリアル。
中型国産電機機関車『ED17』 中央線、青梅線、飯田線で使用されました。
横川‐軽井沢間、碓氷峠に投入されたアプト式国産電機機関車ED40。
重連運転が基本の片運転台の機関車。線路間にラックレールが見えます。
蒸気機関車C57 135 山口線やまぐち号牽引機はトップナンバーC57 1.
C57 135は、1975年に蒸気機関車が全廃となる最終旅客列車、室蘭本線室蘭-岩見沢間225列車の牽引機を務めたことで知られています。
マイテ39型 特急用1等展望車。これは連結面。
こちらがマイテ39の展望デッキです。
戦前には、特急「富士」、「桜」、「つばめ」、「はと」などの名特急が東海道・山陽筋を上下していました。
「桃山式」と評された豪華な和風調の、マイテ39の内装。
中央線、総武線、青梅線で活躍したクモハ400074。
後ろのホームには「御茶ノ水」の駅名が。
古いレールを用いたホーム上屋の柱もリアルです。
気動車の前身。キハ41307形ガソリンカー。戦後はディーゼルエンジンに換装されました。
形式統合、変更後はキハ04となお改め地方支線で走りました。
1936年製造の流線型電気機関車EF55 1です。。
東海道線の速度向上を狙い、当時流行した流線型を取り入れた車体。
この頃造られた他の流線型車両は、C53、C55、モハ52、キハ430000などがありました。
そもそも最高速度95km/h程度では流線型による空気抵抗の低減効果は期待できず、EF55の場合、流線型は運転台片側だけのため、折り返し時は転車台による方向転換が必要で、カバーを外すなど保守点検に手間がかかることから、現場ではあまり歓迎されなかった、とのこと。
3両造られましたが、2,3号機は既に解体。
保管されていた1号機は1986年に大宮工場で復元整備され、2009年までイベント列車用として本線を走行。
2015年廃車除籍され、鉄道博物館で保存展示されることになったのでした。
さらに奥へ。
ココは、国鉄形特急、急行電車が並ぶ懐かしいゾーン。
上越線特急「とき」のクハ181-45
151系の勾配区間用として開発された161系の増備車として製作の途中、形式統合変更により181系40番台に編入された先頭車。
ホームには、「とき」の終着駅「にいがた」の駅名。
車内は国鉄形回転式クロスシートが並びます。
ホーム反対側には20系特急寝台客車のナハネフ22 1 「あさかぜ」の姿が!?
特徴的な20系客車の出入台と表示類。
寝台特急「あさかぜ」は、最盛期に東京-博多間2往復、東京-下関間1往復が20系で運転されていました。
20系の客用扉は折り戸ですが、ドアエンジンはなく開閉は手動式です。
現役時代は、発車後車掌さんが1両1両ロドアをロックして回っていました。
B寝台車です。幅52㎝の3段寝台。
それでも冷暖房完備で横になって移動できる20系寝台特急は「走るホテル」と呼ばれ大好評だったのです。昼夜に渡り長距離を走る列車では、写真の様に、車掌補(旧列車ボーイ)が、走行中に寝台のセット/解体を行っていました。
最後尾ナハネフ22の片側は展望室になっていて、乗客が自由に立ち入ることができました。
てっぱくのナハネフ22 1も、展望室に入ることができます。
小生、函館-札幌間の急行「すずらん」10系寝台に乗ったことがありますが、20系の現役乗車はできませんでした。
2階のデッキに上がって覘きこむと・・・!
この角度で見ると、20系東海道線寝台特急「あさかぜ」、181系上越線特急「とき」、455系東北線急行「みやぎの」、485系東北線特急「ひばり」が並びます。
これは、東北・上越新幹線工事で敷地を譲るため1974年に撤去された『東京-上野回送線』を経由して、東北、上信越、常磐線の特急・急行が東京/品川に乗り入れていた頃、ありえた光景。
現在の『東京-上野ライン』は、宇都宮・高崎線と東海道線を直通させ広域一体運用を図るため、神田付近の重層高架工事を経て、2015年3月に改めて開通したものなので、言わば2代目。
さて反対側からこの角度で見ると、駅名票に浮かび上がる「にいがた」の文字。その後ろに20系のシルエット。これは新潟駅で181系「とき」と並ぶ20系寝台急行「天の川」を再現しています!?
急行『天の川』は1963年に上越線経由、上野-新潟間で運転を開始。
その後、新潟から羽越線を北上して上野-秋田間を結ぶようになります。1976年には余剰となった20系客車に置き換えられました。
YouTubeで見つけた、寝台急行『天の川』の上野発車シーン(^^)
またまた、話が逸れました。
東北線上野-仙台間485系特急「ひばり」のクハ481-26です。
ボンネット型特急の電照式列車名表示は、アクリルプレートなので列車名が変わるときは交換作業が必要です。
会津若松行特急「あいづ」への交換作業は、上野駅車端部で見られました。
この角度から見ると上野駅そっくり。ホーム上屋から延びる架線のビームもgood!。
軒下の、吊り下げ式乗車位置案内表示が臨場感を掻き立てますが、以前はさらにリアルでした。
これは2007年に来館した時の、鉄道博物館クハ481-26。
軒下の乗車位置案内の組み合わせが泣かせる<(^^;)、
見事に70,80年代の上野駅のホームにタイムスリップ!?
こちらに戻してほしいですねー。
コレは2010年頃の、実際の上野駅14番線、実物の情景です。。
こうしてみると「鉄道博物館」の情景再現レベルは相当高いことがわかります。
列車は金沢から到着した寝台特急「北陸」
「てっぱく」では、『16』のホーム番線表示の、その形と大きさ、書体までもが、そのまんま上野駅!?
ホーム柱のリベットや、有線通話装置(昔は駅員同士これで連絡)、非常通報ボタンも当時の雰囲気のままに。
クハ481-26に連結された、モハ484-61の車内です。
リクライニングしないロマンスシートが並ぶ車内。天井はAU12クーラーの吹き出し口が…。
「懐かしい~」
交直流急行型電車455系 クハ455-1です。
455系は東北本線、常磐線、磐越西線、奥羽本線、仙山線で使用されました。
車内は、近郊化改造後の姿で、車端部にはロングシートがあり、モケットは国鉄時の青から茶色に変更されています。
交流電気機関車の標準型ED75です。
これは奥羽本線、羽越本線用の700番台、ED75 775。
日本海縦貫線での塩害防止のため、EF81と同様に特別高圧機器を室内配置に変更したため、屋上の特高圧配線がシンプルになっています。
80年代から東北本線でも使用されるようになり、仙台以南で485系「ひばり」と並ぶこともありました。
34両が、青函トンネル開業に伴い、海峡線専用のED79形に改造されました。
今も、6両が保線工事列車牽引用としてJR東日本に6両が残ります。
寝台特急「エルム」は、「北斗星」の人気を補うため、食堂車無し、オールB寝台で上野-札幌間を走った臨時寝台特急。
さらにその昔には、函館-札幌間を走る80系ディーゼル特急にも使われた名称。
貨物列車のゾーン。
東海道・山陽の高速コンテナ特急と鮮魚特急用に開発され、貨物列車の100km/h走行を可能にしたEF66の11号機、EF66 11。
それまでEF65F形では重連運用していた高速貨物の単機けん引を実現。
1988年から交直流切換え拠点、東北本線黒磯駅への運用も始まったので、実際にED75 700と並ぶシーンもあった訳です。
JR発足後は、JR西日本とJR貨物が継承。
JR西日本所属車は、九州ブルートレインの牽引を務めました。
JR貨物には現存車があります。またデザインを変更したJR貨物増備の100番台も存在します。
EF66 11につながれるのは、JOTコンテナ(日本石油輸送;Japan Oil Transportation)と、国鉄式タンクコンテナを積載した、コキ50000形コンテナ車。
と、ここで、館内アナウンスが、
『これよりー、車両展示ゾーンの中央にてー、EF55形電気機関車の、転車台方向転換実演を行いま~す♪』
という訳で、デッキ上に上がって転車台実演を見学することにします。
「(後編)行くぜ てっぱく」 に続く。
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