『ヤマト』世代である私はまた『北の国から』世代でもあります。
YouTubeをウロウロしていたある日、私は
『北の国から '11 正吉の死 -倉本聰』なるラジオの録音を聞きました。
この番組の中で倉本さんは、「大震災当日に正吉は福島県のいわき市に住んでいて…」とお話し始めます。
『北の国から』には思い入れが強い私は、話しだすと一晩中でも語り通せるファンを自認しており、「笠松正吉」も好きな登場人物の一人です。
彼にはある意味「五郎さん」のような余生を送ってほしいと思っていましたが、意外な最期を迎えたようで残念ですが、『北の国から』ファンの方にもお伝えしたいと思っておりました。
数年前から新聞の定期購読をやめてnetでのニュース見聞に切替えていた私は、今日も夕食後にnetでニュースを読んでいると、
『ナゾの日産新型車、正体判明?』なる記事を見付けました。
リンクを辿って記事や写真を見て思った事は、
日産のピックアップ?
「DATSUN」だろ!
僕らが若かりし頃、ビージーズが賑やかだった頃、荷台のロールバーにボードを括りつけたDATSUN(
ダッツン)が一方の雄を形成していて、車高を落としていた僕らとは真逆のカスタマイズをしていて...
...でも友達だったなぁ。
「尾崎豊」は共通でした。
中学の時の友達が高校生になり、大学生や社会人になってそれぞれの世界を持つようになっても、友達は友達のままでした。
それぞれの家庭を持って、それまでとは違う世界で生きていくようになっても、友達は友達のままでした。
最近でこそ縁遠くなったヤツもいますが、梅雨が明けたら久し振りにビアガーデンでも?などと連絡してみようかなぁ...なんて思いを巡らせながらニュースを読み進めていくと、
『三瓶さん死去』の記事が。
私も家庭を持ち、下の子が歩き出した頃に流行り出したガーデニング。
ちょうどその頃だったと思います、『DASH村』が始まったのは。
休日の度に昼は子供と一緒に庭に出て、夜は一緒に『DASH村』を見る生活が続いていました。
ある意味、私は『DASH村』世代でもあるのかもしれません。
三瓶明雄さんは自分の親戚のような感じです。
三瓶明雄さんの死を悼みます。
難しい事は私には分かりませんが、私の中で、またひとつの時代が終わった気がします。
そして、ひとつの時代は終わったけれど、それとはまた違う時代も動き続けている。
そんな思いもしています。
快君はどんな少年になっているのだろう?
Posted at 2014/06/07 19:51:16 | |
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