これ全て今場所の取り組みです。
・・・これが横綱の取るべき相撲か?(-_-)
あと何勝すれば歴代最多か知らんけど
千代の富士は横綱時代に格下の小兵力士相手に変化したか?
張り手張ったか?
これが横綱の相撲、と考える私はアタマが古いんでしょうか。
まぁ
この時↓とは中の人が変わってるんだろうな多分。
No.683 求道者・白鵬<< 作成日時 : 2011/01/23 04:28 >>
神事としての相撲の伝統につらなり、一途に相撲道を歩む大横綱。
■1.「勝ちにいってしまった」
昨年11月の九州場所で、白鵬の連勝は63でストップし、双葉山の持つ歴代1位の69連勝には届かなかった。
稀勢の里に寄り切られ、土俵の下に倒れ込んだ白鵬は、少し首をひねって、照れたような笑いを
浮かべた。
大記録を逃して、さぞや無念だったろうと思いきや、その余裕ある表情が意外だった。
その後のテレビのインタビューではこう語った。
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もうちょっといきたかったな。少し相撲の流れにスキがあった。慌てた。勝ちに行った。
こんなもんじゃないかな、という感じ。
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「こんなもんじゃないかな」というのは、自ら目指している双葉山に比べれば今の実力はまだまだ、
というほどの意味であろう。
「勝ちに行った」ことを反省しているのは、双葉山のDVDから次のようなことを学んでいたからである。
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いちばん印象に残ったのは、「勝ちに行くぞ」という気合いがほとんど感じられないことである。
力んでいないというか、適度に力が抜けている。
立ち会いではどっしり構えて、
相手をしっかり受け止めている。[1,p117]
・・・私は2009年の9月の(東京)場所で、翔天狼(しょうてんろう)に負けた。
稽古場で一回も負けない相手に土をつけられてしまったのだ。
なぜ負けたかというと、心が動いてしまったからだ。
苦労しなくても勝てる相手だから簡単に勝ちたい、早く勝ちたい、と思ってしまった。
要は「勝ちに行ってしまった」わけだ。そこに甘さが出てしまった。[1,p119]
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連勝記録という数字よりも、相撲の内容、そしてそれに取り組む心構えを追い求める白鵬の姿勢は、まさに相撲道の求道者と言うにふさわしい。
■2.「いまだ木鶏(もっけい)たりえず」
「勝ちに行かない」ということは、無心に、相撲の「流れ」にしたがって体が自然に動くに任せる、
ということである。白鵬は座禅を組むことで、勝ち負けにこだわらない「無」の境地に近づいたという。
双葉山の連勝が69で止まったとき、思想家の安岡正篤(まさひろ)氏[a]に
「いまだ木鶏(もっけい)たりえず」という電報を打った。
これは『荘子』などの中国の古典に出てくる話である。
昔、闘鶏飼いの名人が、ある王から一羽の闘鶏の調教を依頼された。
10日ほどたって、王から「鶏はもう使えるか」と訪ねられると、
「空威張りの最中でいけません」と答えた。
さらに10日経っても、「まだダメです。敵の声や姿に興奮します」。
また10日経っても「まだまだダメです。敵を見ると『何をコイツが』と見下すところがあります」。
それから10日経って、ようやく闘鶏として使えるという答えが返ってきた。
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いかなる敵にも無心です。
そばで他の鶏が鳴いていても平然としていて、あたかも木でつくった鶏のように動じません。
徳が充実してきました。まさに天下無敵です。
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双葉山は、この「木でつくった鶏」のように動じない無心の境地を目指した。
白鵬もその双葉山の辿った道を歩んでいる。
■3.土俵上のガッツポーズはなぜいけないのか
心の有り様を重んずる白鵬の姿勢は、同じモンゴル出身の朝青龍と比べるとさらにはっきりする。
平成21(2009)年9月場所千秋楽で、白鵬との優勝決定戦に勝って、24度目の優勝を達成した
朝青龍は、観客席に向かって派手なガッツポーズをした。
これについては、横綱審議会でも意見が分かれたが、白鵬はこう述べている。
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勝敗以上に、相撲というものの美しさがよく出た取り組みとして、先輩力士から聞かされたのは、
1970年頃に行われた横綱同士の「北の富士・玉の海戦」である。千秋楽のその取組は
2分を超える熱戦となったが、戦いを制したのは玉の海関だった。
しかし北の富士関が土俵を割る瞬間、興味深いことが起きた。
相手が土俵を割るのを確認してから、玉の海はふっと力を抜いたのだ。
最近ならば、勢いあたって土俵下に突き落としているところだ。
私もたまに流れの中で無意識にやってしまうことがあるが、玉の海関はそうしなかった。
そこに美しさを感じる。
何が美しいかというと、勝者が敗者をいたわる姿である。
これぞ大相撲であり、これぞ礼儀の極みなのである。
相撲道は、武士道の流れをくんでいる。
武士道には、敗者の悔しさを思いやる勝者の心構えが説かれており、玉の海関の行為は、
それに沿った行いである。それが相撲道とすれば土俵上でガッツポーズをすることなど
できないはずだ。
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武士の戦いに例えれば、相手を倒した後、その冥福を祈って手を合わせる武士と、
倒れた相手の事など一顧だにせず勝ちどきをあげる武士と、どちらが本物か、ということである。
■4.土俵は「神の降りる場所」
また
白鵬は、大相撲が「神事」であるからこそ、力士にとって品格が必要であるとして、
こう説いている。
まず土俵は俵で円く囲ってあるが、そこは「神の降りる場所」である。
大相撲の場所の前日には、土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを奉じ、
相撲の神様をお招きするための「土俵祭」を行う。
土俵上で力士が四股を踏むのは、土の中にいる魔物を踏みつぶす所作であり、
取組前に塩をまくのは、土俵に穢れを入れないためと、己の穢れをはらい、安全を祈るためである。
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そもそも「横綱」とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。
その綱は、神棚などに飾る「注連縄(しめなわ)」のことである。
さらにその綱には、御幣(ごへい)が下がっている。
これはつまり、横綱は「現人神(あらひとがみ)」であることを意味しているのである。
横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである。
こう書いているだけでも、緊張して背筋が伸びる感じがする。
こういう立場の力士に「品格」が必要なのは明らかなのである。[1,p166]
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相撲の神様の前では、各力士は心の穢れも落として、無心に美しい相撲をとらねばならない
のである。
■5.横綱の責任
こういう相撲道のあり方、神事としての神聖さを弁えない力士、親方が増えたからであろう。
近年、相撲界に不祥事が相継いだ。
平成19(2007)年6月、同年春に時津風部屋に入門した17歳の少年が、集団暴行を受け、
死亡した事件が発生。
平成20(2008)年8月には、3人のロシア出身の力士が大麻を吸っていた疑いで、
解雇処分となった。
平成22(2010)年1月には、朝青龍が泥酔して一般人に暴行を加え、その責任を取る形で
突然の引退を余儀なくされた。
そしてこの年6月、暴力団を胴元とする野球賭博に関与したとして、大関琴光喜と大嶽親方が
解雇され、多くの力士、親方が謹慎処分に処せられた。
7月10日からの名古屋場所はなんとか開催されることになったが、白鵬は出稽古さえもできず、
心に大きなヒビが入った状態で、これではとても満足な相撲がとれないと悟って、休場を考えた。
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しかし、よくよく考えてみれば、名古屋での本場所は年に1回である。
それを楽しみにしておられるファンがたくさんいる。
横綱として、その人たちを裏切るような真似をしていいのか。
こういう厳しい時期にこそ、ファンのためにいい相撲を見せるのが、
横綱としての仕事ではないのか。
それが相撲の信頼回復に向けてやるべきことではないのか。
横綱である以上、それを率先してやっていく責任があるのではないのか----
という思いが日を追うごとに強くなってきたのである。
私はあらためて心と体を一つにして、名古屋場所に臨もうと心に決めた。[1,p181]
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■6.「相撲を守ってくれ!」
名古屋場所が始まった。
チケットのキャンセルが相次ぎ、初日なのに空席が目立って、「満員御礼」が出なかった。
土俵入りの最中、観客席から「相撲を守ってくれ!」というかけ声が白鵬の耳に入ってきた。
守るための方法は分からなかったが、とにかく連勝を続けることを考えた。
場所が進むにつれて、客足も戻り、7日目には初めて「満員御礼」の垂れ幕が下がった。
白鵬は、土俵下で控えに座っているときから、なんともいえない感慨と有り難いなという気持ちを
抱いた。
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その日、私自身も連勝を39まで伸ばしていたが、帰り際、会場の愛知県体育館の周りに
大勢のファンが待っている光景が目に飛び込んできた。
そのとき思わず「うれしいな」という声が出て、胸が熱くなった。
気が付いたら、車から何度も手を振って応えていた。[1,p182]
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マスコミもやがて、野球賭博だけでなく、大鵬親方の持つ歴代3位の連勝記録45を抜き去るのか
どうか、という話題を報道するようになっていった。
結局、名古屋場所で白鵬は全勝優勝を果たした。
連勝記録も47に伸ばし、大鵬親方を抜いて、昭和以降で単独3位となった。
危機に陥った角界を一人で支えた白鵬に、「白鵬、最高!」という暖かい声援が向けられた。
■7.陛下からのお励まし
しかし表彰式で土俵にあがって、優勝旗を受け取る白鵬は涙顔だった。
「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇賜杯がなく、
さびしくて自然に(涙が)出た」と後で語っている。
土俵下のインタビューでも、
「この国の横綱として、力士の代表として、賜杯だけはいただきたかった」
と声を震わせた。
相撲が国技であり、神事であるならば、その優勝力士に与えられる栄誉は、
天皇陛下からの賜杯をおいてない。それをいただけなかった無念さが、涙となった。
その無念さに、陛下は応えられた。陛下のねぎらいとお祝いのお言葉が、
侍従長からの書簡として届けられたのである。次のような内容だった。
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困難な状況にありながら、連日精励奮闘して幕内全勝優勝を果たしたのみならず、
大鵬関の連勝記録を超え、歴代第3位の連勝記録を達成した白鵬関に、
おねぎらいとお祝いをお伝えになるとともに、今後とも元気に活躍するよう願っておられる。[1,p184]
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宮内庁によれば、陛下の祝意を力士に書簡で伝達するのは初めての事である。
側近の1人は、今回の書簡は天皇陛下御自身の御発案だと明かし、
「大相撲を長年、大切に考えてきた陛下は、野球賭博をめぐる問題を大変心配されていた。
そうしたなかでの白鵬の頑張りに対し、何とかお気持ちを伝えたいと思われたのだと思う」
と語った。陛下のお言葉に、白鵬は感じ入った。
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陛下からこのような有り難いお言葉を頂き、光栄の至りである。
陛下からの書簡を一人で何度も何度も読み返した。
お言葉の一つ一つが心にしみた。それ以上の喜びはなかった。
陛下のお言葉を糧に頑張らねばと思った。[1,p184]
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■8.モンゴルの大横綱と日本の大横綱
言うまでもなく白鵬は、モンゴル生まれのモンゴル人であるが、その白鵬が、
これほどまでに相撲の伝統に思いをいたし、それを支えようと頑張っている姿には、
日本国民の一人として、ただただ感謝と敬意を表するのみである。
日本人を親として、日本に生まれれば、自動的に日本人になるわけではない。
日本に生まれながら、日本の歴史伝統を理解しようともせず、さらには言われも無き悪罵を
投げつける輩もいる。
日本人とは、生国や血筋には関係なく、日本の伝統を、その一端なりとも我が身に背負っていこうと
努力している人々、と定義すれば、白鵬こそ真の日本人と言えよう。
ここで忘れてはならない事は、このような白鵬を育てた父親の存在だ。
父親はモンゴル相撲の大横綱だったが、白鵬が横綱に昇進した際に、こうアドバイスした。
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大横綱になるには、心・技・体がそろい、常に自分を磨くことだ。
国民に愛される横綱になりなさい。[1,p147]
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モンゴルの大横綱も日本の大横綱も、その本質においては変わるところはない。
同様に、真の日本人は他国の人々からも理解され、尊敬されるだろう。
それこそが国際派日本人と言える。
(文責:伊勢雅臣)