久しぶりの雪に狼狽しているみさわ@アクセラ22XDです
こんばんわ( ゚Д゚)
いや、久しぶりにケツ振りました。
それほど滑りやすい雪質のように見えなかったので油断していたのですが、交差点で思いっきりドリフト状態になってしまいました(;´Д`)
慣れてるつもりでしたが、油断してはいけませんねw
さて、本題です( ゚Д゚)ノ
これまで3度に渡ってお送りして参りました
何故私が
22XD L Packageを選んだのかシリーズ。
これまで長々と綴って参りましたが、いよいよ今回で最終回となります。
その1は私の家庭環境の理由ということもあり、これは環境要因。
その2、
その3は車自体の理由ですから、ハード的要因。
そして最後、今回のその4は私のメンタリティな理由、精神的要因ということになります。
正直今回の理由は今までの中で
最もしょーもない理由です。
しかし一方で本能的なものであるとも言えますから、抗うのは難しい問題でもあります。
さて、メンタル、精神的要因とはどういうことか?
それはつまり…
『車の価値観』 について
『車』 という
『道具』 は、基本的に人を遠くへ運ぶ乗り物ですから、極端な話人を乗せて動く事ができればその存在意義は果たしている事になります。
それに対し、動力性能であったり、静粛性、快適性、スタイルなど、そういったものはあくまでも付加価値であり、それらは価格として金額に反映されています。
ですが、本来は付加価値であるはずのそれらの性能が、いわば車の価値として世間一般では認知されているのが現状ですね。強引な言い方をすれば
価格の大小が一般的な価値観の指標
と言えなくもないわけです。
ただ、価値観と一言で言っても
自らが満足する面と同時に
他人に対して誇示する面の両方の側面を持っていますね。
上で私が述べているところの一般的に車における価値観とは
一種のステータスとしての側面を示していますから、これは
他人に対して誇示する価値観であります。
それとは別に
自らが満足する価値観というのが存在するのは皆さんご存知でしょう。
所謂
『自己満足』 というやつですね。
これは、自分が満足できるのであれば自動的にそこに価値が発生するものです。
つまり、仮に一般的には価値観がないと言われるものであっても、自分がそれに満足しているのであれば、自分にとっては無条件で価値が生まれるという極主観的なものです。
車に対しての価値観というのは、大別すればこの2つのうちのいずれかに属すると思います。
今回私が車を選ぶ際に決して無視できなかった感情というのは大別すればどちらかというと前者に属するものでした。
私が今回完全に排除できなかった感情を言語化するならば
『どうせだったら最上級グレードに乗りたい』
という非常に俗物的な一言に尽きます。
これは一種の
『見栄』 とも言えるのかもしれませんね。
『見栄』 と書いてしまうと
本当にしょーもない理由ですが…
車のように露出が多く他者の目に留まることの多い道具というのは往々にしてこの 『見栄』 という要素を排除する事が難しい。
車の価値は価格が全てではありませんが、価格が価値を示す最も分かりやすいバロメーターであることも紛れも無い事実です。
誰しも
価値ある物を所有したいと願うものですし、誰しも
それを人に認めて欲しいと願うもの。
人それぞれその欲求の大きさに差はあるでしょうが、大なり小なり誰もが心のどこかで少なからず感じていることだと思います。
これが全く無い人というのも存在しないとは言いませんが、それは極少数派でしょうね。
特に車に興味があり、またみんカラのようなSNSで自己表現をしている人間にとっては、尚の事この感情を完全に排除するのは難しい事だと思います。
今まで挙げてきた理由のうち、今回の理由が全体に占める割合は極僅かでしょう。
恐らく数%程度、多く見積もっても1割には満たないと思います。
しかしその一方で、頭の中から完全に切り離してしまう事も叶わなかった理由でもあります。
良い物を所有したいという欲求は本能みたいなものですから、まぁこれを理論的に排除するのは難しかろうという話でした(;´Д`)
車なんて乗れればいいやと思っていたほんの数年前の私だったら、こんな買い物はしなかったかもしれませんねw
そういう意味では、車に対して興味が蘇ったのも良し悪しという気がしないではないですが(;゚∀゚)
そんなわけで、これにて
何故私が
22XD L Packageを選んだのかシリーズ。
終了となります( ゚Д゚)ノ
長い間お付き合いいただき、
ありがとうございました(-´▽`-)
Posted at 2017/01/08 22:11:29 | |
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