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2016年10月24日 イイね!
  
   

【完璧さを目指す気持ちの奥にあるもの 〜愛ある自分に気づくために〜】
もし、仲間を引っ張っていく責任感の強いリーダー的な立ち位置にあったとしたら、あえて厳しい局面に率先して自らを追い込んでいく、そんな犠牲的な姿勢を示さなければならないと考えることも、時にはあるのかもしれない。
そして、そんなストイックな生き方が身に馴染むのは、人へのやさしさや思いやりなどの気持ちのほかに、完璧な自分でありたいと思う気持ちがあるように思う。

完璧主義には、目指す完璧な世界へ向けて自らの心をも追い込んでいくことに、ある種の快感があるようだ。
そのためには揺れ続ける感情を排し、めまぐるしく沸き起こる思考を目的一本に絞ろうとしがちである。
もしそうなれたなら願いは叶い、生き甲斐を感じることができると、そう思ってのことかもしれないが、しかし、そうはなかなかなれないものだろう。
結論から言えば、そのために必要なことは皮肉なことにも排除し抑圧しようとしてきた心なくしては成し遂げられない。
完璧を目指している時、それは何か大きな法則や真理に反する行為であると、その矛盾に気づきながらも後戻りのできない自分がいたとしたら、その矛盾に気づいた時点で、たとえ自分の理想とする完璧には到達できていなかったとしても、少なくともトップレベルの実力は獲れていることだろう。
本人が気づけない、自分で自分を認めることができないだけであって、周りはもう十分に評価をしている。
そのくらい、自分を追い込むことで得られる快感は心と感覚を麻痺させるもののようだ。

完璧さを目ざす苦しみのループから抜け出したくても抜け出せない時、心の奥で強烈に欲しているもの。
それはきっと、愛だろう。
しかし、いくら大切な人からの愛があっても、愛されているとわかっていたとしても愛を受け取れない。
愛を受け取ってもらえないことにあなたは傷つくが、愛を受け取れない人にすれば、その愛を受け取ってしまったならば今の自分ではいられなくなってしまうかもしれないという恐れが出てくる。
だから、愛を拒絶すればするほど、その悪態の裏には、そのくらいあなたの愛がありがたく、価値あるものだと認識していることを示している。

人には、愛したくても愛せない時というのがあると思う。
わかりやすい愛だけが愛なのではなく、わかりにくい愛でもってでしか愛せないこともあるだろう。
それは、愛してくれていたあなたの気持ちに素直に応えることができないもどかしさ、そんな自分の心の弱さの一面を甘えという表現でもって、唯一あなたにだけは見せられたということだったのかもしれない。
そうであれば、意見がぶつかりあうたび、心の深いところではいったいどれほどの愛情を感じていたことだろうか。
後になってでしかわからないことは悲しいと思うかもしれないが、あなたとの絆を胸にそっと抱きしめ、あなたを思い、見守っていることだろう。

愛を、愛だとは気づかないふりをして受け取らないこと、それがその人なりの頑張り方だったのかもしれない。
愛を、愛としてはわからないように伝えようとすること、それがその人なりの愛し方だったのかもしれない。
偽善と矛盾で満ちたルールばかりの世の中で素直に愛を表すことは、真っ直ぐな気持ちを持つ人であればこそ難しい。
そのような状況の中で、その人なりの精一杯の愛を表すとすれば、それは偽悪をしたり悪態でもってでしか表せなかったのなのかもしれない。
その振る舞いの奥には計り知れないほどの深い愛と、あまりにもピュアで繊細な心があるということを表しているのだと思う。

きっと、見えないところに真実は隠れているものなのだろう。
疲れた体に鞭を打ち、無理を押してでもやり遂げようとしていたこと。
隠れた努力でもって、周囲に迷惑をかけないよう一生懸命に報いようとしていたこと。
絶望的な状況の中で、それでも諦めずに最善を尽くそうと必死になって立て直そうと努力していたこと。
それは隠れた思いやりであり、隠れた配慮であり、隠れた恩返しでもあったのだろう。
幾度となく切れそうになっても切れない関係であったということは、そんな心の深い部分からつながりあっていた二人だからこそ感じ合え、伝え合えると信頼していたからなのだと思う。

もしかしたら、今になって、そんなことをわかったところで「いまさら・・・」と、あなたは思うかもしれない。
確かに、昔の気持ちのままの延長として、やり直すことはできないかもしれない。
しかし、いま、あらためて愛を理解し、もう一度愛し始めてみようとすることはできるのではないだろうか。
そして、たぶん、その方がより深い気持ちから愛することができるのだと思う。

愛するとは、まず、あなたが幸せを感じること。
自分を責めることを手放し、大きな愛と幸せのある自分に気づいていくこと。
そして、ありのままを愛していくことによって、その人もまた、あなたを通じて自分の中にある愛に気づいていくことができるのだろう。
なぜならば、その人がほんとうに心の底から欲して望んでいたものは、自分が完璧になれば手に入れられると思い込んでいたもの、実は、それこそがありのままに愛してくれる愛だったのだから。
何よりも、あなたには幸せになってほしい。
それが、その人なりの生き様を通して伝えたかったメッセージなのだと、僕はそう思う。

Speed Groove. by yoshi



  

Posted at 2016/10/24 15:40:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | Speed Groove | 日記
2016年10月17日 イイね!


*Tuner's soul 限界に挑むチューナーの胸懐*

「チューナーとして当たり前に思うことを当たり前に挑戦しています」
84ページにあるサブライブさんの言葉がヒットした。
それは、人と同じことをやりたくないという独自性や自由な気持ちを表すものであると思う。
以前から不思議に思っていたことに、いつの頃からか自動車の修理や販売業界には「お客様のために・・」という意識が強く広まりすぎた感じがしていた。
それは、いい意味で、お客さんを大切に思い、大切に扱うこと、お客様主義に則っているというのは理解ができる。
しかし、自分自身でも経験してきたことなのだが、いささか行きすぎた感じもあり、どことなく犠牲的なスタンスを従業員に強いているかのようにも感じられていた。

よく通る道すがらにディーラーが2社あるのだが、そのどちらもが来店したお客さんを見送る時に店の前の信号が赤信号から青に変わるまで立って待っている。
そして信号が青になると、そのお客さんのクルマに向かって深々とお辞儀をして見送る。
(まあ、よく見かける風景だよね)
だから、たいして何も感じることはないのかもしれない。
ただ、あくまでも個人的な感じ方としては、どちらにも違和感を感じる。
というのも、A社のほうの従業員は、なんとなく上からの指示で仕方なくやらされている感じ。
いっぽうのB社の従業員は丁寧で完璧すぎるほどに礼儀正しいのだが、それがかえって気味が悪い。
おもてなしの精神でやっているのだと頭では理解できるが、あえてキツく言えば、マインドコントロールされているのか・・・?
そんなネガティブな印象さえ持ってしまう。
自動車業界の展望は苦しいと言われ続けている。
だから、そのくらいの丁寧な対応をしなければ生き残れないという危機に瀕しての必死の思いがあるからなのかもしれない。
しかし、それによってスポイルされている部分もあるような気がする。
話は少しそれるが、あるメジャーな整備工場では今までプラスアルファのサービスとして提供していたものがカットされていたり、あらかじめ担当者に釘を刺しておくかのように言っておかないと対応してくれないことが増えてきている気もする。
もちろん、サービスはタダではない。
きちんとした対価があってのサービスという考え方自体が悪いとは思わないが、それにしてもサービスの内容についての選択肢があるということへの説明が不足しているというようなケースも少なからずあるように思う。
そのようなこともあって今号において思ったことは、クルマ屋さんはクルマそのものへの技術やサービスではもはや成立しないと考えているのだろうか?
接客接遇はとっても大事なことではあると思う。
しかし、クルマそのものに対してすること以外の付加価値を高める方向への流れに偏りすぎてはいないだろうか?
そんな疑問についてのヒントが今号にあったように思う。



サブライブさんは製作中の1000馬力オーバーのデモカーについて、こう言っている。
「このマシンメイクは商売とは別のマスターベーションみたいなものです」
つまりは、デモカー作りというクルマそのものに対しての技術サービスが営業的な狙いではなく、結果としてお客さんに対してのプラスアルファのサービスになっているのだと思う。
まず、誰だって、欲求不満を抱えている人や鬱憤を解放できずに苦しんでいる人に好んで近寄りたくはないだろう。
だから、それだけやりたいことを明確にし前面に出しているスタンスというのは勇気があると思うし、素敵なことだと思う。
そのチャレンジ精神は会社を成長させるものになると思うし、社員の心を解放し自由にするものにもなるだろう。
だから、そんな自分の夢や欲求を感じることを否定する必要はなく、むしろ、そんなことをしたら会社を潰してしまう・・と思われるくらいの強い欲求があっていいのではないか。
(経営に影響のない範囲でだけどね)
なぜならば、そのくらい強い欲求を持つということは同時にそのくらいお客さんのクルマに対しても情熱を傾けられる能力があるということを示していると思うし、クルマのさらなる楽しみ方や可能性を見出すことは、これからの時代ますます必要なことになるだろう。
もし、ボディ屋さんであれば、それだけ修理するクルマ丁寧に扱いたいと思っていることでもあるだろし、作業の慎重さの表れにもなるだろう。

欲求とは自分の気持ちと向き合えた分だけ解放されていく。
そして、向き合った心には余裕が生まれ、お客さんの気持ちも理解できるようになっていく。
あらためて思うことは、自分の欲求というものは最終的にはお客さんに与えることへと変化していくことによって解消していくのだろう。
そうなった時、デモカー作りのようなイベントごとはマスターべション的な自己満足ではなくなると思う。
なぜなら、デモカーという素晴らしい見本となるものを作り、クルマの楽しみ方の一つを示すことによって、お客さんの心をも満たすものになるからだ。
素晴らしい技術と熱意を持つお店を応援したくなるのは、クルマ好きの素直な思いであるだろう。
デモカー作りのように自分の夢や熱意をぶつけるような仕事をした人はわかると思うが、お客さんが応援してくれるということ、これほどありがたい形となって自分の欲求が自分の元に帰ってくることはなかなかないと思う。
外見的に店の知名度の向上を図ることよりも、お客さんぐるみで盛り上がっていくこと。
そのほうが長い目で見て大事なこと(有効なこと)になるのではないだろうか。
お客さんをもてなすことの方向性と、そのバランスは実に大切なことのように思う。

自分の好きなことを見つけ、やりたいことを実行することは心を豊かにする。
そして、そこに人は魅力を感じ、やがて信頼へと繋がっていくのだろう。
対外的にはマスターベーションだと言いながらも、それが相手(お客さん)の為にもなるという好循環の流れをサブライブさんは体現されている。
それは犠牲的な精神を従業員に強いるスタンスでの運営よりも、よほど効果的な営業スタイルにもなっていると思う。
つまりは、クルマ屋であれば、それだけクルマが好きであるという自分をもっと認めていけばいいというこになるのだろう。
クルマ屋ならクルマで勝負する。
そんな熱意と勢いのある店は、いつの時代もカッコいい憧れの店であり続けると思う。
yoshi


Posted at 2016/10/17 20:00:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年08月13日 イイね!


製造を打ち切った部品が増え、34GTRの中古車価格がかなり上がったようだ。(ホンダS2000もそんな気がする)
価格変動の衝撃をイメージとして表すと、価格の横ばいからいきなりギャップアップでストップ高したような感じか。
つまりは、いったいどこまであがるのか?といった喜びなのか不安なのかよく分からない複雑に気持ちが入り混じった感じ、34バブルの様相を呈してきているのだろう。
そのような状況変化の中、今号の読者投稿のページ(リーダーズスタイル)には、第二世代オーナーが身近で率直に感じている気持ちが
に記載されている。
大阪のオーナーさんの投稿「第二世代を取り巻く環境おかしいと思いませんか」に、とてもうまく集約されていると思う。
特に、第二世代GTRの中古車価格の高騰傾向の原因はR35GTRとの価格ギャップにあるとの考察は同感で、
それは海外輸出要因のみならず、平均的な生活感覚としては「ちょっと頑張ったら・・・」という感覚を超えているところにも、
その原因の一端はあるように思う。
かつてはよく見られたR32からR33、R34への買い替えというような同級グレードの新型車への購入意欲の流れがR35には起き難くなっていると思うが、それはR35GTRはGTRと名はつくもののスカイラインの名は外されているところから見ても分かる通り、
初代GTRからのスカイラインとしてのコンセプトの流れは、やはりR34でもって終わったと見る方が自然なのだろう。
グローバルな視点でみれば富裕層とそれ以外という二極化の構造が進み、企業としてもそれに合わせたマーケティングを進めていくのが戦略の常識となっているのだと思う。
35GTRがスポーツカー需要の高い富裕層をメインターゲットとして開発・設定されているとは必ずしも思わないが、
企業意識の変化の中で取り残されたかのように悩ましく思う第二世代オーナーも少なくなのだろう。



もちろん日本においても格差が問題となってきており、主流をなしていて中間層の分布が今後どう変化していくのかはなんとも言えないところだが、そのような中で日本企業もグローバルスタンダードという実質的には偏ったスケールに合わせていく流れとなっているようだ。
(たとえば日産CEOの報酬についても国内では突出しているとか、世界標準であるとか毎年のように話題になりますよね)
グローバルな企業としては国内の事情や動向よりも標準を世界に合わせ、ますます「国内 < 世界」へと変化していくのかもしれない。
そして、その行き着く先は自動車の家電化(どれを買っても大差なし・壊れたら直すよりも買い換えたほうが得)のような気がしている。
もしそうなるとすれば、GTRという車は”愛着の持てる自動車”として最後の存在となるのだろう。



これからの時代、部品の足りなくなっていく状況を乗り越えるためにどうするか?
その対応策のひとつが今号で掲載のBFR・ブルーフォースレーシングのようなプライベータースタイルでの展開なんだと思う。
オーナー目線そのもののコンセプトにプラスして優れた技術を提供してもらえるのは、実に頼もしく嬉しい限り。
このような展開にならい、今後も業界内の有志で知恵を出しあったり、気の合うオーナー同士での情報交換、支え合っていく気運がますます高まっていけたらいいように思う。

製造廃止部品の多さは特に板金屋さん(ボディ修理)にはダメージが大きい。
外装部品、パネル類の供給があると無いとでは修理の方向性が全然違ってくる。
「限度を超えると、さすがに無理」とカナザワさんがコメントしているように、致命的と言っていいほどになっていくのかもしれない。
今のところは、まだストックしてある部品取り車のパネルを適宜切り取って使ったりすることによって凌いでいるようだが、
果たしてストックがいつまでもつのか・・。
作業のやり方次第にはなるだろうが、ある意味、妥協となってしまう修理もこれからは増えていくのだろう。
そうなった場合、どの程度でOKとするか、オーナー側に一段と寛容さが求められてくるのかもしれない。
とはいえ、そもそもボディ修理に限っては経験者の立場からすれば、極論、すべての修理は妥協策である、と言える。
それがうまく仕上がっているように見えるのは、元々のコンセプトの違いが大きいが、それだけでなく細かな詰めの部分の処理であったり、微妙な調整の加減であったりもする。
例えば、R32のサイドシルは腐食しやすい箇所であり、外観重視で進めていくのか、強度・耐久重視で進めていくのか・・・。
もちろん、その両立こそが理想ではある。
が、現実的には、その重視するパーセンテージは状況によって変えざるを得ないものであり、「それでベストなんだ」と言えばそうとも言えるし、
「それは妥協だろ」と言えばそう言えるような死角となる部分はどこかに見つけることはできるものだと思う。
僕のやってきた方法を振り返ってみても、もっと強度優先でやることもできたと思うし、使用材料を減らしたりのコストダウンもできたと思う。
特にドアの当たる部分などは補強パネルの枚数をさらに追加する余地はあったし、そうすれば、さらなる剛性アップにはなっていただろう。
(もし、今やるなら多分そういう方向でのバージョンアップをするだろう)
ただ、それと引き換えになるのは当時こだわっていたスポット溶接の打痕を残すことであり、場合によってはMIG埋めでの処置をせざるをえなくなっていたかもしれない。
それはトレードオフとしての美観の耐久ということを意味し、当然またその逆のパターンも考えられる。
でも、あらためて思うところはネガティブな側面、妥協点をどこに置いたかが作業上のポイントとなるということであり、
そのようなネガティブさを見極める判断能力次第によって完成具合に差が生まれてくるということのように思う。




今号において一番心に響いたのは、やはり「限度を超えると、さすがに無理」という言葉。
そこですぐに思い浮かんだのは、実業家ロッキー青木の古い本にかいてあった「​ビジネスはノーから始まる」​​ということ。
(ロッキーがホテル王ヒルトンの出店要請を一度は断ったことによって、ヒルトンとの関係が逆にいい方向へと進んだことに基づくエピソード)
それは、断って終わる「ノー」もあれば、断って始まる「ノー」もあるということであり、
ノーと断ることによって、どうなるのか?
何か、そこから代わりのプランを考えていったり、歩みを近づけていくことはできないものか?
つまりは、無理=拒絶=終わり、と考えてしまうのは決めつけが過ぎるということなのだと思う。
一方で、僕自身を振り返ってみれば、カナザワさんが発したように「さすがに無理」と、
様々な場面で言えたなら人生全体がもっとラクだったろう。
それができなかった心理的な理由のひとつは、自分の弱さに向き合い、その隠れた気持ちを解放できなかったことにあると思うが、
「無理」と言えるということは自分を自分として生きるための基本の言葉であるとさえ今は思う。​​
それは、誰にも従属されず、また誰をも従属させないことを意味し、期待や犠牲といった相手をコントロールすることのない対等さと風通しの良い関係へとつながるのだろう。
わだかまりなくノーと言い合える関係になってこそ真の意味で親密な関係であるように思う。
なぜなら、そこから始まり、さらに深まっていくことができるのだから。
ノーと言うことはビジネスのみならず人づき合いの鍵となる言葉なんだと、今号の記事からあらためて気づかせてもらったように思う。
yoshi

Posted at 2016/08/14 07:24:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年06月07日 イイね!


『20年20万キロは気持ちの分岐点』
「降りるべきか、乗り続けるべきか」とある。
今回は、そのような心の迷いについ少し書いてみたい。

 心理カウンセリングでは、よくこのような相談が持ち込まれる。
「別れた方がいいのか、それともこの関係を続けていっていいのか・・」
そのような時、それがかなりヒドイ関係であっても無下にやめさせる方向に誘導してはならない。
なぜならば、それはそれで本人にとって必要な状況であることが多いからだ。
このようなスタンスは、きっと車を維持していくことについても同じことがいえるのではないかと思う。
つまりは、年数が経ちコンディションが落ちても、それはそれで何か意識の中では必要なことであると考えられ、もちろん諸事情から妥協的な感覚はあったとしても、少なくとも一応の許容はしてきたということなのだと思う。
であれば大事なことは、その状況から何に気づき学びとするのか、という視点に切り替えてみることになるのだろう。

テクニカル面からのアプローチは誌面で詳細に展開されているが、心理的なアプローチからすれば「降りるべきか、乗り続けるべきか」という問いに正解はない。
あるのは、ひとりひとりの気持ち次第ということであり、たとえ将来後悔するような状況になったとしても、それすらも乗り越えていけるような「自分」をまず創っていくということだろう。
というのも、あまり先々のことを憂いて考えてみても、そこからベストな解が導けるとは限らないと思うからだ。
これは以前の職人経験からもいえることで、真に熱意あるオーナーというのは強烈な情熱を秘めているその奥で、ある意味自分なりに腹を括っている。
それは、たとえどんな状況になろうとも自分と車との関係(幸せや楽しみ)は自分が創っていくんだという自立的なスタンスと、自分の価値観をあらためて見つめたり幅を広げる努力をされてきた人のように思う。
きっと、だからこそ他者との比較や情報に惑わされることがなく、自分の車を自分がどう決定づけるのか自分なりのアイデアを行動に移していけたのだと思う。
yoshi


Posted at 2016/06/08 13:52:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年05月25日 イイね!




今号の表紙、
単に32GTRのメーターパネルを映したものではなかった。
オドメーター55万キロ台を示していることに驚く。

振り返れば、
価値ある車であるからこそ、過走行になってしまっては価値が減る。
そう考えていた。
だから痛まないよう出来る限りの気を使い、
無駄に走行距離を伸ばさぬよう、乗る日を抑えて走りに行っていた。

ワンオーナーで23年、55万キロの偉業。
その事実をこうして見せられた今となっては衝撃としか言いようがない。
それは長いこと、車の価値に重きを置く業界意識に染まりきっていた自分であったのかもしれないし、
乗るのを抑えたくなるくらいに身の丈以上の車であったということだったのかもしれない。
いったい自分は何に捉われ、何を恐れていたのか・・・。
「距離が増えることに抵抗はなく、逆に増やしたい」と語る、
こんなにも度量の大きいオーナーがカッコ良すぎるくらいに眩しい。

ひとつの車をここまで乗り続け、付き合い続けてみたら、どんな感じがするのだろう。
それは、喩えれば、ひとりの女性を愛し続けるのと同じくらいの出来事がきっと起こってくるのだろう。
であれば、大事なことは、何があろうとも彼女にコミットし続けるという意志を持つことと、
自分の愛を信頼し、その愛を大きくしていく意欲を持ち続けていくことだろう。

しかし、そうは言っても”思い”だけでは疲れてしまうかもしれない。
そんなとき新鮮味を持って愛し直すには、今までとは違う観点から魅力を探り見いだしていきたい。
55万キロもの付き合いをしてこられたオーナーは、
きっと細やかに魅力を見いだす無意識の才能があるのだろう。
ここまで乗り続けてきた理由が「運転することが楽しい」という理由しか思い浮かばなかったとしても、
この「楽しい」という気持ちのうちには言葉にならないほどの数々の魅力が広がっていることと思う。












GTRマガジンに速報掲載されていたR35GTRの2017モデル
(日産グローバル本社にて)








Posted at 2016/05/26 00:15:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
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