【スペシャルマシン】
オンリーワンという言葉がよく聞かれるようになってから、もう何年も経つ。
そして、いま、あらためて周囲を見渡してみると、いったいどれだけのオンリーワンに出会うことができるだろうか。
言うのはカンタンだが、なかなか、そうはなれていないのが実態のような気がするのは、おそらく僕だけではあるまい。
というのも、独自な存在であり続けるということのデメリットの分量のほうが多いと感じてしまうからだと思う。
それは、羨望が偏執した感情、嫉妬を怖れることや、人と違うことによる孤独感が高まってくるからなのかもしれない。
しかし、そういった怖れは自分の価値観のなかでつくりあげた思い込みであることに気づき、自分自身の心の自由さへの挑戦を諦めたくはない。
まずは、そんなふうに思った。
92ページに掲載のKUHL JAPAN PROJECTが、いまの時代をどことなく具象化しているように思える。
それというのは、セレブ感というか、きらびやかな優越感のようなものが、このクルマ全体の造形と目を惹くカラーから発せられてくるように感じられてくるからだ。
かつてのバブル期頃のことだったか、GT-Rファンのあいだで話題となったHKSのコンプリートカー、ZERO-Rをはじめ、TRUSTのGReddy RXや、APEXのA450などなど。
どれも驚愕的な話題にはなったものの、実際のオーダー数は極めて少なかったというのが実情であったのではないだろうか。
フラッグシップ的な存在の意味というよりも、パーツ販売やチューニングメニューの見本としてのデモカー的な色合いが強かったと思う。
そして、もしかすると、GT-Rというクルマを好む人たちは、外観上の大きな変更を望まないものなのかもしれない。
一番敷居の低いカスタマイズ、誰もが許せるようなモデファイは、ホイール交換くらいのような気すらしてくるくらいだ。
ちょっと冒険心のある人や、個性にこだわりのある人がレストアをする際にボディーカラーを純正色ではないオリジナルカラーにすることはままあるが、それも奇抜なアメリカンカスタムな方向ではなく、あくまでも純正ベースの色合いに落ち着くケースが多い。
かつての経験でも、レストア・全塗装の依頼のほとんどが同色での塗り替えであり、ついでR34の純正色への変更が多く、カスタムペイント系への変更はかなり少なかった。
なにも、それでもってRオーナーは保守的であるなどと批判的な見方をしたいというわけではない。
Rオーナーたちの意識の大勢が、たまたまそうなっているということなのだろうし、なによりも単に純正色がカッコイイからという意見が大半を占めるものだろう。
もしも、これを心理的に分析してみるとすると、可能性のひとつとしてまず思い浮かぶことがる。
それは、自分のオリジナリティを表現することを禁止するという罪悪感に基づく自罰的な意識が深い部分にあるからなのかもしれないということであるが、
強調して言っておきたいことは、どのような理由が潜在的な意識にあるにせよ、その人自身がそれを好むという趣向の選択は絶対的に尊重しておくべきものであると思っている。
なので、これからも、ご自身の選択に自由であって欲しいと思うし、もしも自分の選択に何か躊躇うような気持ちがあるのならば、その隠れたホンネを見出し、それを大切にしていくことをお薦めしたいと思う。
さて、このKUHL Racingのコンプリートカーのメタル塗装が、かなり強烈に目を惹くものだが、ついにGT-Rもここまできたかという驚きと感慨深さが入り混じった思いを感じる。
価格は、なんと3900万円の設定をしているそうだ。
おそらく、ラッピングという手法を使って似たようなメタル感を出すほうが安上がりになるとは思うが、そここそが他の手法で仕上げたカスタマイズとの差異となり、オンリーワンのスペシャルマシンとしての存在価値が高まるといえるのだろう。
作り手も、やりがいが相当あったに違いない。
量産体制は難しいものになるとは思うが、たとえリリース数が少なかったとしても、このレベルになると職人冥利につきるといえるものになるのだろう。
場合によっては、これでもって引退してもいいと思うくらいに、入れ込んで作業していったのかもしれない。
むしろ、そのくらいの意気込みと鬼気迫る思いがあったほうが、オンリーワンという言葉の持つ意味に対して真にふさわしいものとなるようにも思える。
しかし、それによって、いくら価値が高まっていったとしても商業ベースからはどんどん外れていってしまうリスクもまた高まるものだろう。
つまり、そのレベルにまで追い込んでいったものが匠の技術によるスペシャルマシン作りの最大の魅力であり、しかし、それがまた弱点にもなりうるということなのだ。
なにか、人の思いの結集として究極的に優れたもの、いわゆる尖ったモノというのは、その優れた性能や美観と引き換えに、物凄く脆い一面を裏面に併せもっているといえるのだと思う。
たとえば、あまりにも塗装が綺麗であるからこそ、どこか他の箇所の粗が目立ち、どうにも気になってしまったという悩ましい経験をした方もいるのではないだろうか。
人間心理として、求めるものが究極的になればなるほど、その期待の落差は広がっていくものなのかもしれない。
オンリーワンのスペシャルマシン作り、そのコンセプトは素晴らしいし、崇高でさえある。
きっと、これからの時代をRと共に歩んでいくRオーナーにとってのスタンダードなコンセプトとなっていくものだろう。
そして、そのために大切なことは、スペシャルマシン作りというものは、じつは、同時に自分作りにもなっていくということなのだと思う。
それは、なぜならば、常に自分自身の表面的な趣向のみならず、人生上の目的とするところや、人間としての夢や理想といった、きわめて主観的かつ人間的な意識の部分にもフォーカスを向けなければならないからだ。
そうでないと、ただのバブリーな金銭消費という一時的な快楽に終わってしまうかもしれない。
それは、ある意味、悲しいマシンの末路を辿っていくものとなってしまうものなのかもしれない。
古くからのRオーナーならば、そのようなRを何台かは見てきたことがあるのではないだろうか。
ゆえに、できるならば、長く所有する気になる、飽きないマシンをプランニングしていただきたいと思う。
そうしてオンリーワンのスペシャルマシンが出来上がったとき・・・・、
すべての思いがつながっていたということを実感として体験することになるのだろう。
このマシンは自分自身を投影したもの、自分自身の分身となっているものだと。
yoshihisa