前回に引き続き、あらためて、 ”VR32GTR” には驚いた。
今号では、その作り込みの詳細と走行インプレッションが載っていて、
そこでわかったことは、
R35のメカを移植するにあたってボディをかなりカットしたりしたということ。
具体的にどこをどのくらいカットし、また形成していったのかまではわからないけど、
まあ、相当たいへんな作業だったんじゃないかと思う。
ただ、”たいへん” というのは苦労という意味もあるけど、
おそらく、それは ”たのしい苦労”。
作業者として充実した時間だったのではないかと思う。
仕事というよりも、趣味。
趣味を超えた、仕事。
というのも、革新的であればあるほど協力や情報は入ってくるものだと思うし、
独創的であればあるほど、インスピレーションはわきあがってくるものだから。
そして、どんな仕事であれ、そんな感覚を味わえるひとは幸せなんだろうね。
今号の記事本文とVR32GTRの写真を見ていると、
もはやオリジナルは手放していい段階に入っているのかもしれないとさえ思う。
「時代の変化への対応」というような言葉はよく聞くけど、
それは技術の革新や環境の変化も含めた、
そのベースとなる「人間の感覚の変化」への対応なんじゃないかと思う。
たとえば、R32のスタイルはいい。ただ、メカニズムは今の方がいい。
だとしたら、
もし、そのスタイルにあたらしいメカが入ったら、どんなだろうか・・?
VR32GTRは、そんな夢や理想をカタチにしたもの。
オリジナルにこだわっていたのでは、とてもじゃないけどできない。
そのためには、孤高であることを怖れないこと。
唯一無二であり続けることへの勇気をもつこと。
それが「独創的」であることへの誇りへとつながる。
ぼくはそんなふうに思う。
そのような感覚は、
ガレージヨシダさんのR32GTRの内部補強の記事にも同様のことが言えると思う。
あの作業で考えられる一番のリスクは、熱による歪み。
あれだけの溶接をボディ骨格に行えば、鉄系の素材ゆえに熱収縮がおきたりして、
ボディパネルのパーツが引っ張られたりもする。
最悪のケースは、
ドアが閉まらないとか、パネルに金属疲労のクラックが入ったりすること。
なので、実際に作業するにあたっては、溶接箇所の順番を考えることや、
仮溶接などによって、あらかじめ予防しておくこと、かな。
掲載の写真からして、溶接間隔がいい感じで過不足のない感じだね。
補強の効きはかなりあると思うから、
完成後のタイヤとサスのセッティングのほうは面白くなりそう。
ターゲットとするステージで実走しての課題になるんじゃないかな。
特にリヤ周りが強固になることによってリヤ側の荷重変化がどうなるか・・・。
いい意味でリヤからの安定感が増して、そのぶん直進性が高まると思うけども。
『オリジナルからオリジナリティの時代へ』
VR32GTRも骨格の補強も、そのどちらの作業をするにあたっても共通して言えることは、
たぶん、2〜3台は潰すくらいの覚悟をもっていないと、実験的にボディは切れないってことだろうね。
そんな覚悟をもてるかどうか。
いまのぼくの言い方からすれば、
それだけの自己信頼とチャレンジ精神へのコミット。
なによりも、自分の感覚への信頼をもてるかどうか。
それを、さもあたりまえのようにやってしまう両者は、さすが、というか、
すごい、というか。
もし、「すごいですね」と声をかけたら、きっと、こんなふうに答えるんじゃないかな。
「ただ、やりたいことをやってるだけだよ」
その意味することは・・・
いま、を生きているか。
いま、を楽しんでいるか。
いま、幸せか。
ということなんだと思う。
もしも、しあわせ、そのもにフォーカスして満たされていたなら、
オリジナルというのは、たぶん取り立てて問題にするポイントではなくなり、
オリジナルであり続けることよりも、とにかく、もっとしあわせを味わっていたくなる。
それが、ひととしての自然な気持ちなんじゃないかな。
正しくありたいのか、それとも、しあわせでありたいのか。
どちらなのか?
もちろん正解はないけど。
もし、しあわせを選べないとしたら、
しあわせを遠くにおいておきたいような気持ちが隠れているのかもしれないね。
これからは、ますますオリジナリティを活かせる幅が広がり進んでいけるのだろう。
そして、そのためにはオリジナリティとはなにか、
その理解と、独自の世界観に信頼をもつことへの許しが、
これからはもっと進んでいくことになるのだろう。
製廃時代のGTRを通じて、ぼくは、そんなふうに思う。