バイクのジャケット等で有名な「イエローコーン」
そんなイエローコーンのヒストリーです。
以下Webからの引用です。
東京・世田谷の玉川と横浜の保土ヶ谷を結ぶ総延長16.6kmの国道466線、通称・第3京浜線。 その開通は東京オリンピック翌年、1965年のことで 1968年の東名高速道路・東京-厚木間が開通するよりもひと足早い完成だった。 第1京浜と呼ばれた国道15号線、第2京浜の国道1号線に続く、 東京ー横浜間を結ぶ第3の幹線道路として位置づけされていた事が 「第3京浜」の名前の由来だと言われている。
時は下って80年代後半。 この第3京浜をステージに多くのバイクが集まるようになる。 そしてそんなライダーの溜まり場は当時唯一の保土ヶ谷パーキングだった。 集まるライダー達が口にするのは最高速はもちろん、何分でその16.6kmを駆け抜けたか? 著名なカスタムショップが看板バイクを持ち寄ってくるようになって、それはますますヒートアップする。 都市伝説も含めた多くの伝説が生み出される混沌とした中に バイク界屈指のアパレルメーカーとして知られるイエローコーンがいた。
イエローコーンとはイエロー(危険な)コーン(戦士)の意味。 洋服屋の彼らのチームは中でも一目置かれる存在だった。 その伝説とはイエローコーンは16.6kmを4分を切る速さで走り抜ける・・・。 雑誌主催の谷田部テストコースでのタイムトライアルで使用する マシンセッティングでも第3京浜を選んでいるなど数々の伝説を残す。 そしてイエローコーンは90年ごろから本格的にドラッグレースに参戦、 SLEDGE HAMMER(スレッジハンマー)と名付けられたプロストックドラッグレーサーは 国内外の記録を次々と破り、Ⅷ号車まで発展。
ROAD&TRACKがコンセプトのイエローコーンはロードレースにも積極的に参戦し、 2000年には自社チームで全日本ロード選手権に参戦し見事チャンピオンに輝いた。 2001年にはスーパーGTシリーズGT500クラスにマクラーレンGTRで参戦、 09年度にはオリジナルフレームのZで空冷エンジン世界初の最高速300.9km/hを達成。 イエローコーンの最新マシン、DUCATIデスモセディチRRが ベースのイエローコーンXXでは316.78km/hの記録をたたき出した。 2010年度はアメリカで行われるドラッグレース、 AMA DRAG BIKEシリーズへ引き続きOrient Express Racingより参戦。
イエローコーンの挑戦は続いている。
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2017/07/05 13:28:29