正確にはこのモデルの前に、割りとジミに終わった同名のクーペがあって、それが初代。これは二代目なのだが、しかし、マーケット的には、このモデルで初めて「プレリュード」という名が知られたのではないか。そして、何でそんなにこのクルマが“有名”になったかといえば、元祖「デート・カー」という栄誉に輝いたのが、この二代目だったからである。
作り手の側は、ワイドなトレッドを活かしての走りのモデルだ!……という主張をしたかったようだが、マーケット&カスタマーの受け止め方はそうではなかった。クルマの幅の広さが、二人で乗った時に、室内であまり男女がくっつかなくてもいいという状況をもたらした。そんなプレリュードだけの「距離感」が、デートという微妙な状況にとても合っていた。……と、こんな卓説を呈示したのは、残念ながらぼくではない。でも、よくわからないけど(笑)そうだったんだろうね、きっと!
ただ、そのように「左右」では広いこのクルマだったが、「前後」でいうと、これははっきり「2+2」という割り切りで作られていた。リヤシート部分には、人が乗るにはちょっと辛いという空間があるだけ。ただ、そうした一種の排他性も「デート世代」にとっては重要だったのかもしれない。
そして、この二代目では、まだスタイリングに若干いかつい部分が残っていたが、つづく3代目では、それも払拭され、なめらかで流麗なクーペになって、「デート・カー」の究極というべきモデルに成長する。
……のだが、しかし突然、「デートにはRVだ」という時代になってしまった。クーペでデートするという習慣が、おそらく消えた。まあプレリュードでも、そういえばしばしば、フルに四人が乗っていたものだったが、そんな風にデートのカタチも変わりつつあったのだろう。三代目プレリュードの頃から、若者の交際が「クーペ」という枠からはみ出しはじめたようだ。
そういえば「デート・カー」という表現には、どこか、クルマの方を「主」として祭り上げているところがある。キャラを持ったクルマがまずあって、それに二人で乗り込むというシチュエーション──。そうではなく、クルマはむしろ「従」として、たとえばRVの室内空間を使いこなしつつ、もっと「人」にこだわる。そんなコミュニケーションの時代に、“二人のクーペ”は少しずつ生きにくくなっていった。それが、この90年代であるかもしれない。
(「カーセンサー」誌、1995年。「昭和名車伝」より加筆修正)
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クルマ史探索file | 日記
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2015/05/29 08:14:22