○蒸気車は馬より速いのか?
人類の歴史で長いこと最速は「馬」であり、人はそれ以上を望まなかった(知らなかった)。しかし、産業革命と資本主義の台頭が状況を変える。
1825:ジョージ・スティーブンスン、実用的な蒸気機関の製作に成功。
1829:英国のリバプールとマンチェスターの間に鉄道が開通。
蒸気機関は馬より速いのか?という懸賞がかけられる。スティーブンスンは自製の「ロケット号」で客車一台を引き、時速29マイルで走行して馬に勝利、賞金500ポンドを得た。
蒸気機関は19世紀の半ばには時速100キロを超えた。1890年には、時速143.9キロへ(フランスのクロンプトン604型)。
○自動車と自転車の競走
19世紀のもうひとつの話題、自転車と自動車ではどっちが速いのか? フランスの自動車専門誌が企画。自転車は専用コースを走るので併走はできない。タイムトライアルで比較。その時点での自転車のスピード世界記録は、1キロ区間を66秒で走行、時速換算で54.5キロ。(注1)
パリのアグリコール公園、長い直線のうち2キロをコースにして、スタンディング・スタートでの1キロと、その先の助走スタートでの1キロの二種類のタイムを採った。(今日でも踏襲されている計測の方法)
1898年、ジャントー電気自動車で、ローパ伯爵がコースに登場。助走スタートでのタイムは57秒。時速換算、63.158キロ。自動車は自転車より速かった! その後、このコースで電気自動車は、時速100キロの壁を破る。(1899年)
○さらに速くなるガソリン車!
19世紀末、電気自動車と蒸気自動車はガソリン車と共存していた。ガソリン車が信頼性に欠けていたためだが、しかし、レースを通じてガソリン車は改善されていく。
1902年、ガソリン車が時速100キロの壁を破った。1904年には時速150キロ超。
「20世紀は“スピードの世紀”になろうとしていた」(著者)
○カール・ベンツの挑戦
20世紀になって、レースに参加し始めたカール・ベンツ技師。1908年、当時唯一のグランプリレースである「フランスGP」で、ベンツ車は、ゴットリープ・ダイムラー社のメルセデスに次いで2位になった。
ベンツ社はスピード記録に挑戦を決意。目標は時速200キロ。
1909:排気量2万1504ccの直列4気筒エンジン搭載のマシンを完成。
その“ブリッツェン・ベンツ”(電光のベンツ)は仏人エメリのドライブで、ブルックランズ・サーキットでの助走スタート1キロ区間を17.76秒で走った。時速202.691キロを記録。
さらに翌年、アメリカのデイトナ・ビーチで時速211.267キロで走行。この記録は1922年まで破られなかった。
○飛行機の時速200キロ突破
1913:フランスのド・ペルデュサン機が時速200キロを突破。
自動車が「200キロ」を超えてから4年後。つまり、ここまでは自動車の方が飛行機より速かった。
1914:第一次大戦、勃発。
「第一次大戦中、戦争の新しい道具としての飛行機は長足の進歩を遂げ(略)そのためには自動車技術(ことにエンジン)の急速な成熟が前提となっていた」(著者)
○戦争の変化、三次元化と機動性の増大
1904~1905:日露戦争
自動車ならびにそれから派生した兵器が戦場に投入され“なかった”最後の戦争。
1914~1918:第一次大戦。
戦争の新しい特徴、その一。戦闘が立体化(三次元化)した。飛行機と潜水艦が登場。特徴その二、機動性が増大した。輸送のためのトラックの大量使用、装甲自動車、戦車=タンクの登場。
陸戦の立体化は気球の使用で始まった。地上とは電話線で連絡、敵情の偵察と着弾の観測。これに対抗して、まず自動車が使われた。(のちに航空機)
1906:大戦前、ドイツのエアハルトBAK装甲自動車。
エアハルト社は創立が1904年。BAKとは「対気球砲」の意味。砲塔内に収めた大砲で気球を狙撃した。
○装甲自動車の登場
ダイムラー社もBAKタイプを作り、続いて装甲自動車を製作。4WDシステムで不整地走行も可能。開発したのはゴットリープの長男、パウル・ダイムラー。
1916:エアハルト装甲自動車。
大戦中にデビュー、四輪操舵=4WSシステムを装備していた。
英国では、シャシーが頑丈なロールス・ロイス・シルバーゴーストが装甲自動車に転用された。RR(=ロールス・ロイス)は高い信頼性で各地の戦線で活躍。1939年(第二次大戦勃発)時点でも100台近くが現役として働いていた。
○「タンク」の出現!
イギリスで開発中は、機密保持のために「水槽」(タンク)と呼んでいた。
1916:フランスのフレール・クールスレット戦線に「タンク」が登場。
ディムラー社製の105馬力エンジン搭載、時速5.95キロ、人の早足程度の速度。しかし、“鋼鉄の怪物”が砲塔から火を噴きながら塹壕を乗り越えてくる姿に、ドイツ軍は一時パニックに陥った。
1916:ドイツ軍、捕獲したイギリスのタンクからスタートして、独自モデルの開発へ。
イタリアではフィアット社、フランスではルノー社がタンクの開発に取り組む。
1917:ルノー「FT17型」軽戦車が完成。
大戦後の戦車の典型となる。
○マルヌのタクシー
1914:ドイツとフランスが国交を断絶。ドイツは「シュリーフェン・プラン」にしたがって西部戦線のドーバー海峡側に兵力を集中。ベルギーの中立を侵犯して進撃し、パリ郊外に迫った。
対してフランスは第6軍が迎撃。9月に「マルヌの会戦」が闘われる。
フランス軍はパリ市内のタクシー600台を使って前線に兵員を輸送。マルヌ会戦で勝利した。この時に軍は、使用の度ごとに通常のタクシー料金を払ったという。この時の“マルヌのタクシー”、ルノー40CVモデルFKは、パリのルノー博物館に展示されている。
(つづく)
○注1:ちなみに今日(2013年時点)の自転車による速度の世界記録は、133.78キロ/時だそうで。車輪すら見えないようにフルカバーされている自転車だが、“動力”はあくまで人力、そして一名による走行。
(このシリーズは、折口透さんの快著『自動車の世紀』(岩波新書)をナビゲーターに、クルマ史におけるさまざまなシーンを見ていきます)