いまはあまり使われないクルマ用語のひとつになってしまったようだが、日本初の「スペシャリティ・カー」という栄誉を担うクルマが、このセリカである。「スペシャリティ・カー」とは、1960年代アメリカでのヒット作、フォード・マスタングが初めて名乗ったとされており、メーカー側の言い分としては、「これまでになかったような、特別なタイプのクルマをお仕立てしました!」ということになるだろうか。そして、その「特別性」には高性能であることも含まれていた。
しかし、そうでありながら、たとえばスポーツカーの新型であるといった表現にならなかったのは、当時のスポーツカーがみな、どことなく「ストイック」で、また性能一辺倒で作られているというイメージがあったからであろう。1950~60年代のスポーツカーは(いまでもそうかもしれないが)、一般カスタマーに向けて“開かれた”存在ではなかった。
……というわけで、スポーツカー並みの性能を持つクルマでありながら、同時に、セダン(日常使用車)と同等以上の快適性や使い勝手も保証し、かつ、デザイン的にもみんなで楽しめるようなクルマ。まあ、こんな定義をするより、マスタングみたいな……といってしまった方がハナシは早いのかもしれないが、そんな「スペシャリティ・カー」が1970年代になって、ついに日本にも出現。それが、このセリカだったというわけだ。
そのデザインは見ての通りで、このクリーンでキリッとした2ドアクーペの造形は、今日の眼から見ても、なかなか新鮮に映る。そして、そのボンネットの中には、最新鋭の1600ツインカム(DOHC)「2T-G」115psユニットが収まって、性能的にも当時の第一線級のものだった。
……というのは、もちろん事実なのだが、それは実はGTグレードだけ。このクルマの場合、一方では、1400エンジン+ATで、新しいこのスペシャルなクルマを楽しんでくださいという“配慮”もちゃんとあった。そのへんが、スポーツカーではなくスペシャリティ・カーであるという守備範囲の広さであっただろう。
さて、こうして性能的にも注目されたセリカGTだったが、しかし、当時の「走り好き」な人々が本当に憧れたのは、このGTから1年遅れの1972年に登場した、スポーツ・サスペンションで武装して車高が下がった「GTV」だった。
そしてこの時、同じようにGTVに注目した若きスウェーデン人ラリーストがいた。彼はすぐに、トヨタとコンタクトを取る。こうして、セリカによるトヨタのワールド・ラリーへの参戦が始まり、それはセリカがモデルチェンジしても続いて、やがて、ワールド・チャンピオンの獲得にまで至る。そのスウェーデン人が、そう、オベ・アンダーソンだった。
その「オベとトヨタ」の関係は今日でも継続していて、この2002年からは、そのオベ・アンダーソンを代表とするトヨタ・チームがF1マシンを走らせている。この初代セリカは、モータースポーツ界でのそんな“縁結び”の契機となったモデルでもあった。
(2002年 月刊自家用車「名車アルバム」より 加筆修整) (タイトルフォトはセリカGT、トヨタ博物館にて)
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00年代こんなコラムを | 日記
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2016/12/15 07:06:12