2011年03月31日
職場内で机の移動があったのでついでに
床下のLANの配線を一新しようと動いたのは良いけれど
前任者がとにかくつながれば結果よしいう方針だったせいか
わけわからんところでケーブルがとぐろを巻いていたり、
結局端が切断されて死線化していたり
使わなくなって10年以上過ぎた、イエローケーブルは出てくるわで大変でした。
明らかにケーブル本数>PC数だったしハブも慢性的にふさがってどれを抜いていいのかもわからない状態だったので
配線ルールを決め不要な線は撤去、床に斜めに這っている配線を直角に配線し直し
本線・支線を決めてそれを図式化しておきました。
他の人はなんか冷ややかな目で見ていたけれど撤去した不要なケーブルを指していってやりました。
ケーブルは会社の資産。使わないことによる経費の無駄遣い。
ルール化すれば以降は誰もが工事できて生産性も上がる。
必要な線だけ残して余剰を増やせばそれを別の何かにあてることが出来て付加価値も上がる。
普段変なところで経費をケチったり、生産性が付加価値がどうのとか言いう前に
その本質をちゃんと考えましょうよ。
そんなに配線に苦労するなら無線LANにしたら?という人もいます。
確かにイニシャルコストと付加価値が上がりますが
今は個人の携帯電話でも簡単に無線につなげられてしまうことから、
暗号キーを知ってしまえば会社の資産を使って、個人の利益としてしまうことが出来るし
実際に調査したらそういう輩がいたのでケーブルたどって無線LANのルータも没収したこともあったし
セキュリティで強化するコストに難ありっていうのがわからないのかなぁ?
やっぱりすべて結果OKではなく、OKに至るまでのプロセスとか相対効果とかが重要になって
きているという事が理解できないのはそういう社質なのかなぁ?
こんなことでこれからの厳しいシェア競争やコスト競争に生き残れるのでしょうか?
Posted at 2011/04/02 11:57:20 | |
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2011年03月30日
昨日支援した営業所からお礼のメールが届いていました。
やっぱりあれだけじゃ、営業所の家族のその日の夕食だけを変えただけであまり大きな効果はない。
もっと大量に。もっと早く。それに溺れてしまうくらいにしないと。
上司(総務課課長)はなぜか役員から怒られたようだ。
出発前になぜ報告しなかったのか?だって・・・・
それまで役員からの支援命令もなく、本社の営業企画・総務が情報を収集して自己判断で
進めていたのが気に入らなかったらしい。
もう地震発生の翌週からはじめてもう3次支援目なのになぜ知らなかったんだろう?
というのは建前で本当は行きたかったのかな?
付いてきたって多分運転はしないだろうし、腹が減った、疲れたなど駄々をこねるだろうから
お断り願いたいな。
会社からその日の、日当を現金で支給されたが
そんなつもりは最初っからなかったので、そのまま右から左へ
義援金ポストに入れてしまいました。
Posted at 2011/04/02 11:15:56 | |
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2011年03月29日
遅きながら、このたび東北地方・関東で地震で被害を受けた方に
心よりお見舞い申し上げます。
本日現地営業所の社員の支援物資援助にと
地震の被災地、福島と仙台に行って来ました。
ガソリン70L、灯油40L、飲料水30L、野菜30kg位
加工食品他生活雑貨など合計すると200kgオーバーですね(笑)
当初1人が行く予定でしたが、
1人で動くには距離がありすぎて現地で1泊するなどと言い出して
現地に滞在するとなれば自分が生存に消費する水・食料・燃料分を現地で
消耗されることになり援助にならないと上司に具申したところ、
じゃあお前も行けという事でサブドライバーとなってしまいました。(笑)
早朝早く出発して、新しくできた自動車道で佐久から関越・北関東自動車道経由
東北道にでました。
今まで仙台に行くのに泣きが入るくらい、体力と精神力が必要でしたが
北関東自動車道が通ったおかげでだいぶ楽になりました。
上河内SAで燃料を満タンに入れて郡山に到着したのはお昼前
現地に近づくにつれて道路を補修して凸凹になったあとがありました。
当初燃料調達困難と時間的に郡山まで運んで仙台は物資を取りに来てもらう予定だったのですが
時間的に余裕が出来たことと、燃費計算した結果無給油でも仙台市まで行って群馬県位までは戻れると判断して仙台まで行くこととなりました。
郡山も仙台市街地では築年が古い家とかは何らかの被害を受けていました。
仙台市内はガソリンスタンドはドコも閉店していて、まれに営業しているスタンドには200台以上車が並んでいました。
仙台営業所について物資を下ろしたのは15:00前、予定より早くついたので営業所のすぐ近くまで津波がきたという話を聞て帰りに少し見てきました。
だんだんと道路がほこりっぽくなってきて、泥土が溜まっていたり、手で持てる位の大きさの廃材などを見かける所までは普通の洪水と同じ。市街地でもないのに歩いている人や、自転車にポリタンク積んで、灯油を捜し求める人とかもよく見かけてきて・・・
しかし東仙台道路から海側に抜けると景色は一変しました。
一面瓦礫の野原、比較的被害がまだ少ない方と聞いていましたが、凄惨さと面積の広さ、
何よりもその時の状況を考えるとに気持ち的にそこから奥には行けませんでした。
なんかこれ以上立ち入る事がよくない事の様に感じて・・・
人間がどんなに英知をかけても、自然の中に立ち入ってしまえばそんな事は関係はないんですね。
そんな中で飲まず食わずで日も暮れた中、栃木県で遅い昼食をとり、帰社したのは23:00過ぎ
車の燃料は会社まで無給油で持ちました。
さすがハイブリット(笑)
Posted at 2011/04/02 11:00:59 | |
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