父の最後に乗った車はBMW 320i (E90セダン)
乗ったというか座ったというか、30分耐え抜いたとでも言いましょうか・・・
さて私から今は亡き父の事を少しずつ思い出して
記憶がある間に書いておこうかなと。(だんだん最近記憶を失いつつあるのです)
父は運転が大好きで大好きで仕事ではあるが私は父と二人でどれだけの距離を共にしただろう。
私が今の仕事に就くまでに我流で手にしたテクニックなるものを父に全否定されたが
父の技術は本当にどうやって体得したものやら理解できない領域だった。
公道なのにドアミラーはガードレールを常に通り越しドアパネル擦れ擦れで
助手席に初めて乗った人はみんな凍り付いた。
親戚で泣き叫んだ人もいます・・・・どゆこと・・・!?
今考えると、それっていったいどうなん?と思ってしまうが
すべてが理にかなっていて車の仕組みから何から私は刷り込まれた。
父の中ではいつかはクラウンだったみたいだけれど
話の中に継いで出てくるのはクラウンとしての美学ではなく
プリンスSKYLINEとしての栄光だと感じていた。
仕事の車を少し大きくしたいと言った時
クラウンワゴンを買うつもりだった父にはこっちだろとR31スカイラインステーションワゴンGTを勧めた。
結果
クラウンが乗りたかった父の夢をここで私が打ち砕いたことになる。
そうはいっても
SKYLINEのワゴン まんざらでも無かったようで
相当お金をかけて直して乗り続けた。
あんまりにもぶっ壊れすぎてそのまま廃車にしてしまったが今思えはあれは
父が最後に運転というものを満喫できた車だったんじゃなかろうか。
さて
マイカーを持たぬ父に中国新聞から朗報が入る
3Lと2.5Lが主流の時代に
クラウン2000ccデビュー
これはどうか?
と聞いてくるので
乗ってみて良かったら決めたら?
とちゃんと伝えたはずなのだが
相変わらず人の話を聞かぬ父はいつものお世話になってる日産へ
(お世話になってるのはぶっ壊れる会社の車達と私のシルビアなんであって正直父はあんまり関係ない)
お世話になってると言っても
俺から言わせれば
普通に乗ってるだけなのに
壊れる日産車が悪いのであって決してお世話になりたくてなってる訳ではない
特に仕事の車が壊れるなんて普通ない事ですので・・・
知ってるくせに
わからずやの父には何を話しても理解する脳がない。
トヨタがフラッグシップのクラウンやマークⅡにサイズダウンした直6の1Gを
積むのはまったくもって否定はしない
が日産のフラッグシップのセドリックやグロリアに事もあろうに
価格を下げたい一心で
事もあろうに4気筒の
1.8LのCA-18(SOHC)を積むのはどう考えてもどうかしてる。
直6を愛してやまない筈の父がなにをどう夢見てグロリアグランツーリスモを
直4で乗ろうとして日産にハンコをもって行ったのか
悪魔にでも獲りつかれていたのか
日産の営業マンにいい顔を見せたかったのか
私のシルビアを下取りに入れるのに私の意見をまるで聞かない
わからず屋の父。
”金がないからって糞重いグロリアに1カムのV6を積んだような車を買う位なら
顔見知りのトヨタオートで頼むからアリストの3000cc買ってくれ!!”
と
私が並べた正論もガン無視され
私の唯一の欲望が形になったBBSーRGとリヤスポイラーが誇らしく??
装着されたシルキースノーパールの高そうに見えるだけの車が納車された。
父が愛してやまなかった
いつかはクラウン世代の末路がこれだ。
”夢”は叶えられないものなのだと
その時心から思った。
”本当に欲しいものは買わない”
これこそがきっと我が家に込められた運命なのではなかろうか。
さて
幸いにも父は60代後半をもって闘病生活が始まり
いきなりではあるが会社からも身を引き運転をすることも無くなったが
入院する前に
”最後に好きな車を買いなさい”
と
”中古車は50万以下で買いなさい”
と少し被るようなセリフを私に伝えて自らの余生を身体から感じていたのだろう。
(と言うか勝手に私の大事なS13シルビアを下取りに出した罪を償えと・・)
好きな車を買えと言われれば
それはスカイラインGT-R R32しかないだろう!!
平本風
と父が乗らなくなった形見のグロリアのステアリングを握り
あちこちの中古車屋へ
最終的にBNR34(ベイサイドブルー)の見積もりを父に見せた時の顔色を見て
言いたいことがよく分かった。
父は気持ちを言葉にするのが苦手なのだ。
”お金は渡すから私の好きな車を私の代わりに買いなさい”
これが正解。
お陰で当時まだ玉があったので極上の32Rなど色々見れたのはありがたかったが
父の好きな車と私の好きな車を合体させるのが物凄く悩んだ。
父の命も残りわずか
残された時間は少ない。
椅子に座った瞬間にフロントガラスが寝すぎでクラウン感が0の”ゼロクラウン”
か
ベンツかBMWか。。。
ゼロクラウン、ベンツ、この二つはほぼMTがあるわけなく
BMW
BMWにはなんと新車で6MTがあった。
六気筒となると一気に探しにくくなるが4気筒なら200万ちょいだ。
これならシルビアの下取りの金額とあまり変わらない。
が中古が出てくるわけがない!!
E46のMTはたまに出てくるがあまり迫力がなかった(当時)
E90のマニュアルが出てくるのが先か父の命が尽きるのが先か・・・
その時奇跡が起こる
予算内で買えそうな車が出てきた。
E90の6MTだ父もかろうじて元気で一応試乗の時は共に乗れた。
が。
残念ながらバルコムにはあまりこちらの意志は伝わっていなかったようだ。
納車を急いでほしいと何度も伝えたが遅れに遅れ
クリスマスを過ぎたしか12月27日だったと思う。
28日の朝
父は杖を突き息も絶え絶えで助手席に乗り込む。
Mパッケージはこの年式にはまだ存在せずダイナミックパッケージと呼ばれる
いわゆるローダウンタイプは病弱な老人にはちとキツイ。
一度きりの同乗を最後にこの車に乗る事は無かった。
最後の正月を家族と過ごし
それ以降
BMWの写真をプリントアウトして病院のベットの枕元に大事に飾る父。
たかが写真だが父には本当に宝物だったんだろう。
後で冷静になるとBNRだオーテックだと訳の分からない物を探すより
ゼロクラウン一択で適当な中古車を買って来ていれば
父には幸せな時間をもっと過ごさせてあげられたのにと後悔をした。
新しいだ古いだとかそんなものにこだわらずとっとと父のために車を買ってあげられていれば・・・
父が小さな箱に収まってからというものBMWの助手席に座らせて
箱と二人でドライブ。
数か月ほど無意味な事を続けただろうか。
BMWを買って約一年
ワゴンRから一年ほど外車にいわゆる浮気をして過ごした日々があった。
父の形見と言うにはあまりにも血の薄いモノだった気がしたし
骨を乗せて走るだけの無駄なものをいつまで持つんだと
家族からも大反対だったので。
そのままガリバーさんにお渡しした。
たった一年、距離にして2000km弱
下取り額は買った金額より100万円以上落ちていた。
結局親父の形見にはなれない車と短い間過ごしたことになる。
親父が握っていたハンドルのついたものを受け継がなければ父の形見とは言えない気がする。
もし父の形見があったとしたら
それはあの枕元にあったBMWの写真だったのかもしれないな。。。
一緒に燃やしちまったからもう無いけどね。
あばよ親父 あの世でBMWで雨でもなんでもぶっちぎれ!!