車・自動車SNSみんカラ

  • 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
2017年02月17日 イイね!
ブラバム BT23  for sale !!!






1967年式 ブラバム BT23
F2 の走行動画です。
売りに出ている車両そのものです。


ブラバム BT23 が135000(US)ドルで売りに出ているのを見つけました。

元はフランク・ウイリアムズのチームがレースで使用していた車両みたいで、履歴もしっかりしています。

しかも、F2。

ヨッヘン・リントが1967年のヨーロッパF2選手権で優勝しまくったのも、このBT23。

欲しい。。

(´・∀・`)
Posted at 2017/02/17 17:26:30 | コメント(4) | トラックバック(0)
2017年02月15日 イイね!
993 全塗装進捗状況 その4










エンジンフードのリアスポイラー廻りと
フロントバンパーの画像です。

エンジンフードのリアスポイラーは、
通常であれば分解しない部分までバラバラにして
作業をして貰っています。

バンパーは、一本まるごと小さな飛び石キズに至るまで
修正して塗装して貰っています。

小物類の塗装もほぼ終わっているそうですから
後は、組み上げていく作業に入って行く予定です。
完成が楽しみ!

(`・∀・´)ノ
Posted at 2017/02/15 01:31:13 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年02月11日 イイね!
面子を潰されるという事







先日、僕の職場に
5年程前から、お付き合いをさせて頂いているAさんという方がみえたのですが
会話の途中、
突然、Aさんが驚きのカミングアウトをされました。

Aさん「僕、実は ほにゃららの マネージャーなんです」

二階堂「えっ!? ほにゃららさんて、あの ほにゃららさんですよね?」

そちらのAさんは、住まいは東京で
職場も東京ですが
何故か、僕の職場に出入りされるようになって早5年。
以前から、芸能のお仕事をされているのは知っていましたが
そういった職業の方は、普段から、不特定多数の方々に、興味本位で根掘り葉掘り色々と聞かれて、嫌な思いをされているであろうと思い
お仕事の深い話しは、此方も気を遣って、突っ込まない様にしておりました。

それが、突然、その方自らのカミングアウト。

しかも、そのほにゃららさん は超大物の国民的大スター。

久しぶりに驚きましたよ。
この歳になると、あんまり驚くこともないんですけどねぇ。。

んで、僕は その ほにゃららさんの、昔からの大ファンだったので

二階堂「僕も大ファンなんで、応援していますと、是非お伝え下さい。」

Aさん「分かりました。伝えておきます。今は、来年のイベントに向けて大忙しです。」


んで、それ以降はその ほにゃららさんの話題は避ける様にしました。
Aさんに嫌な思いをさせたくなかったですから。。

そのAさんは、昔から腰の低い方で
いつも、丁寧な挨拶と義理堅い対応で
此方が恐縮することもしばしば。

ほにゃららさんのマネージャーさんなら
そちらの業界では
威張り散らしても、それがまかり通るレベルの
位(くらい)の高い方です。

ですが、とても それが信じられない程の腰の低さ。

ほにゃららさんが「恥をかかない様」に、ほにゃららさんの「面子を潰さない様」に、
いつでも、準備万端で全く隙がありません。
例えるなら、高倉健さんのような方です。

なるほど、大物スターとは、こういった方々に支えられているのかと、感心することしきりでした。





「面子を潰される事」
このテーマで、書かれたブログを以前ネットで読んだ事があって
非常に鋭い指摘だったのを思い出し、探してみたらありましたので
此方で紹介したいと思います。
税理士もりりさんのブログです。
問題があれば削除しますから、連絡下さい。





ビジネスで付き合う人にやってはいけないこと

 それと、そうそう、ビジネスに生きる人が絶対にやっちゃいけないことがあります。それは「相手のメンツを潰すこと」「恩を仇で返すこと」「恥をかかせること」。これは相手が誰であれ、絶対にやっちゃいけないことです。

 これは、メンツを潰された相手は信じられないほど怒りますからね。もうそれは、一生かかっても恨まれて、修復不可能なほどの怒りを買います。それを修復するためには膨大な時間と誠意が必要になりますから、相手のメンツを潰したり、相手の顔に泥を塗るようなことはやっちゃいけません。

 これ、中国でビジネスをしている人に聞くと、同じこと言いますよね。「中国人とビジネスをする際には、信用とコネが大事。だから絶対に相手のメンツを立ててビジネスをしなければいけない」って言いますね。それは中国だけじゃなくて、日本でも全く一緒です。いえ、世界中どこでも一緒だと思います。

「中略」

 まあ、とにかくビジネスをしていて、というか人付き合いをしていて一番腹が立つのは「メンツを潰す奴」と「恩を仇で返す奴」ですねぇ。そういえば、以前勤めていた職場には上司にそんな人いましたね。もうこれだけは許せなかったですね、だって自分のミスを部下のせいにするんですもの。それも公の場や、取引先の前で部下に恥をかかせるわけですからね。それも一度じゃありません。いつでも(笑)。

 いえ、そうやって自分の立場を守りたいのなら、事前に「悪い、もりり君、申し訳ないけど、ちょっとお客の前で悪者になってくれるか。ゴメンな。」と言ってくれれば、それなりにこっちだって上司の顔を立てて演技してあげますやんか。それを言わずに、自分のミスをいきなり部下のせいにするなんて、そりゃ腹立ちまっせ。それまでのお客さんに対するこっちの顔が丸つぶれですやんか。こんな奴、ぶん殴ったろか、と思います(笑)。

 ま、とにかく人付き合いでやっちゃいけないこと、特にビジネスにおいて絶対にしちゃいけないことは、相手のメンツ、相手の顔を潰すこと、そして相手の誠意を踏みにじることです。こんなことをしたら、それで得た利益を遙かに上回るしっぺ返しがあることを覚悟しておくべきですね。それほど人の恨み、憎しみというのは強くて怖いものですよ(笑)。

 これから社会で活躍しようという方は、どんな世界に飛び込んでも、このビジネスにおける人付き合いの鉄則だけは絶対守っておいたほうが得策です。「いや、俺は優秀だから、そんなのカンケーねぇ。俺のルールが一番や。邪魔する奴は全部やっつけたる。」と活きのいい方もおられるかも知れませんが、忘れた頃にしっぺ返し、必ず来ますよ(笑)。ご注意あれ。

(終)





永遠のライバル、F1ドライバー
ジェームス・ハントとニキ・ラウダが壮絶なタイトル争いをした、1976年の死闘を描いた2013年製作の米独合作映画。
「ラッシュ」は本当に良く出来た映画です。
1970年代のF1ファンである自分は、暇さえあれば何度も、観てしまいます。

ただ、あの映画で描かれなかったエピソードで
僕がどうしても映画に入れて欲しかった出来事があります。

僕の一番好きなF1ドライバーが
ジェームス・ハントだという事は、今までもブログで散々語ってきました。

でも、ハントに負けず劣らず好きなドライバーがいます。
それは、ハントの最大のライバルであった
ニキ・ラウダ。
正反対の2人ですが、お互いが意識し合っていた
奇妙な友情関係で結ばれていた2人です。
F1デビュー前は、一緒のアパートで2人で暮らした事もあったそうです。


1973年のBRM時代のチームメイト
クレイ・レガツォーニの推薦と
1972年のマーチでのラウダの活躍を見た
エンツォ・フェラーリがラウダを気に入った事もあって
低迷していたフェラーリを再建する目的で
ラウダはフェラーリに迎えられました。

エンツォの読みは見事に当たり
1974年シーズンから息を吹き返したフェラーリは久しぶりの優勝を勝ち取ります。
そして翌年の1975年には
早くも、ラウダのドライバーズ・タイトルとフェラーリのコンストラクターズ・タイトルを獲得する事になります。

翌年、1976年は
映画「ラッシュ」でも描かれていたとおり
マクラーレンのジェームス・ハントとの熾烈なタイトル争いが勃発します。結果的には、最終戦の富士でハントが3位でゴールした事で、1ポイント差で、ドライバーズ・タイトルはジェームス・ハントの手に転がり込みます。
しかし、コンストラクターズ・タイトルはフェラーリが死守する形になりました。

この時、映画では描かれていなかった事が、舞台裏では起きていました。

ドイツGPで事故を起こし、ニュルのコース上で燃え盛る炎の中から、助け出されたラウダは一時、危篤状態。
この一報を受けたエンツォは、ラウダはもう走れないと判断して
イタリアGPにゼッケン・ナンバー35のカルロス・ロイテマンを送り込みました。
これにラウダは激怒したと言われています。
ラウダは、次戦のオーストリアGPとオランダGPは欠場するも
イタリアGPに満身創痍の状態で戻ってきました。

これだけでも信じられない事ですが
ラウダは何と、このGPで4位に入り、奇跡の復活を遂げます。
ラウダが「不死鳥」と呼ばれる様になったのは、このレースがきっかけです。
尚、このレースでは
クレイ・レガツォーニは2位
カルロス・ロイテマンは9位。
完全にエンツォの読みは外れました。

しかし、カルロス・ロイテマンを気に入ったエンツォは
翌年1977年クレイ・レガツォーニをチームから追い出し、フェラーリは
カルロス・ロイテマンとラウダでGPに参戦。
これにもラウダは怒りに打ち震えたと言います。

1976年の最終戦、豪雨の富士で「人生にはレースのタイトルより、もっと大切なものがある」と言い残し自らリタイアしたラウダ。
チーム・マネージャーのダニエル・オーデットは
312T2から降りたラウダに、こう耳打ちしたと言います。

オーデット
「イタリアには、何と報告しよう。マシン・トラブルという事にしておくか?」

ラウダ
「いや、結構。ありのままの事実を伝えてくれ」

この事実を知ったエンツォは大激怒。
電話口で怒鳴り散らしたと言われています。

1977年シーズン
フェラーリはチームとしてカルロス・ロイテマンを全面にバックアップするも
功労者のラウダは蚊帳の外。
チームは真っ二つに分かれます。

静かに闘志を燃やしていたラウダは
全レース、圧巻の走りをみせて
残り、カナダGP、日本GPの2戦を残し、ドライバーズ・チャンピオンを獲得。

しかし、エンツォに激怒していたラウダは、残り2戦を欠場します。

これは、フェラーリのチームとしてのコンストラクターズ・ポイントの関係もあり、本来ならありえない事です。

一方、カルロス・ロイテマンは
最終戦まで参戦して、ドライバーズ・ランキングは4位


2戦欠場したラウダのポイントは72。

全てのレースにフル参戦したロイテマンのポイントは42。


シーズン中、チームから冷遇を受けながらも、ラウダは見事にエンツォへ向けての
痛烈なメッセージを送る事に成功しました。


因みにラウダはロイテマンをどう思うか?と聞く記者に、こう答えたそうです。
「ロイテマンはチームメイトでもなければ、ライバルでもない」



1977年、シーズン終了後
ラウダはエンツォに呼び出されます。

フェラーリに3年連続のコンストラクターズ・タイトルをもたらしたラウダに対して、エンツォの出した答えは「白紙の小切手」でした。

ラウダ
「これは何ですか、エンツォ」

エンツォ
「白紙の小切手だ。好きなだけの金額を書いてくれ。それが来シーズンのお前の契約金だ。」

ラウダ
「せっかくだが、お断りしますよ。」

この予想もしなかった、ラウダの発言にエンツォは激昂し、問い詰めたそうです。

それに対して、ラウダは静かにこう答えたそうです。

ラウダ「あんたのチームでは、走りたくないんでね。」



しかし、ラウダの次の移籍先はブラバム。
1977年シーズンのコンストラクターズ・ランキングでは
フェラーリの1位に対して、5位という平凡な成績。

1977年の時点では
ブラバムに移籍すれば、F1ドライバーとしては勝てなくなる事を意味しました。

F1チームのブラバムといえば
伝説のF1ドライバー ジャック・ブラバムが1960年代に作った名門チーム。
1966年シーズンには
自らチーム・オーナーとなり、自らレーサーとしてGPに出場。
ドライバーズ・タイトルとコンストラクターズ・タイトルの2つを獲得するという快挙を成し遂げました。
これを実現したのは
現在においても、ジャック・ブラバム
ただ一人だけです。

1960年代には華々しい成績を残したブラバムでしたが

ジャック・ブラバムがチームを売却した後は低迷。

1977年当時、ブラバムはトップチームとは呼べず
チーム・オーナーはバーニー・エクレストン。
エンジニアには、まだ無名のゴードン・マレーが在籍していましたが
どう贔屓目にみても強豪とは呼べないチーム。

そのブラバムへ移籍するため、ラウダはフェラーリを去りました。
つまり、当時のラウダのブラバムへの移籍は
F1では、勝てなくなる事を意味しました。

何故、そこまでしてラウダは信念を貫き通したのか?
そこには、エンツォがラウダに対して行った
数々の「無礼な行動」に原因がありました。
「面子を潰された」ラウダは、それを許せなかったそうです。




僕が、1970年代のF1ドライバーに惹かれるのは何故か?
考えた事があります。

彼らの華麗なドライビング・テクニック?
彼らのスピード?
彼らのルックス?
ロックンロール・スターの様な派手な生活?
豪放磊落、自由奔放、勇猛果敢なレース展開?
「走る棺桶」と表現してもおかしくない、危険なマシン?

どれも、全部正解です。

でも、本当に惚れ込んでいる理由は
何回優勝した?とか
ファステスト・ラップを何回出した?とか
そういったレースでの
結果の裏側にある


「信念を持った、生きザマに惹かれるからです。」


ジェームス・ハントやニキ・ラウダは
チームに主導権がある、現在のF1の世界では契約すらして貰えないでしょう。
でも、彼らが命を懸けて、刻み付けた
生き様の「爪痕」。
これは、未だに消えていません。
未だに、僕だけでなく
世界中の人々に感動を与え、夢を与えてくれます。

大切なのは、F1での優勝回数なんでしょうか?
年間、何十億を稼いで、セレブな生活をする事なんでしょうか?


F1に、どうして、これ程までに感動が無くなってしまったのか。。
熱気が無くなってしまったのか。。
それは、少しずつ、ほんの少しずつ
洗練され、「人間くささ」が無くなり
「勇気」や「面子」が軽視され。。
「金」が全てを支配するようになってしまったからじゃないのでしょうか?


一度きりの人生。
人生の色々な瞬間に
僕は何時も考えます。

こんな時、ラウダだったらどうしただろうか?
こんな時、ハントだったら何と言っただろうか?

ハントやラウダがレースから離れて
もうどれ程の時間が経ったか分かりません。

でも、僕の心の中では
彼らは未だ、現役です。
まだ、コースを走り周って、激しいバトルを繰り返しています。
彼らが残した「爪痕」は

僕にとって、消え去ることは
永遠にないのです。







Posted at 2017/02/11 14:44:27 | コメント(6) | トラックバック(0)
2017年02月02日 イイね!
人生初のピースサイン。。




直近の
私の「何してる投稿」の内容的に
おどろおどろしいブログを期待した方々。
メッセージから情報を送って頂いた方々。
メッセージから僕を励ましてくれた方々。
本当にありがとうございました。
アッシュさんにも感謝です。





おどろおどろしいイメージ画像



申し訳ありませんが、おどろおどろしいブログは次回となります(笑)

まぁ、事実を淡々と書くだけで済ますつもりですから
そんなに期待しないで下さいね。
ただ、こっちも顔を潰されてるんで
キッチリ、ケジメだけはとらして貰います。

まっ、そういった「仁義なき戦い」(松方の兄貴、レスト・イン・ピースじゃああああ)的な展開は次回という事で







今回は、期待外れのほっこりブログです。。アハハ。



昨年末からブログを休んでいました。
というより、みんカラ自体も覗く余裕がありませんでした。
9月頃から仕事が過密過ぎて、全く余裕の無い年末を突っ走っておりました。

年明けからも、そんな感じが続いていましたから
とうとう倒れましたわ(爆笑)
いずれ、来るとは分かっていましたが
人間、限界の限界を超えると
自然に倒れます。

先週、朝起きたら、声がでない。水も飲めない。食事も摂れない状態になっていました。
リンゴの擦ったものすら、飲み込めなかったのは初体験❤️

慌てて病院に行って、血液検査、心電図、肺のレントゲン、インフルエンザ検査、ファイバースコープで咽頭のチェック。
結果は、急性咽頭炎。
主治医の先生から有無を言わさず
緊急入院の指示。
結果、金曜日の朝から月曜日の午前まで点滴に繋がれておりました。。















72時間以上点滴で繋がれて
最初の24時間は絶食という状態でした。
主治医は火曜日までの入院を強行に主張しました。
もし、二階堂さんが、どうしても月曜日に退院されるというなら、二階堂さんが自分の意思で退院して下さい。
分かりやすく、言い換えると
(命の保証は出来ません)と脅してきました。

まぁ、僕が死んだら主治医の先生の責任になるんで
先生もリスクマネジメントしないとなんで、それは致し方ありません。

だがしかし
そこはこっちも譲れない部分もあるんで
ほんじゃ、驚異的な回復力で早よ退院しますよと宣言。
土曜日の主治医の先生の診察では、驚くほどの回復力をみせ
主治医の先生も、「あれっ?、良くなってますねぇー。何でだろ?」


それは先生、俺はそこらのボンクラと違って 仕事に命賭けてますから
精神力で免疫力をコントロールしちゃたりするんですよ。


つーことで、主治医の先生
当初の予定を変えてくれて、これなら入院は月曜日の午前までで、午後からは仕事に戻れそうですよとのこと。

後から弟に聞いたら、急性咽頭炎での緊急入院は非常に珍しいそうで
相当、酷い状態だったようです。
因みに主治医の先生からは、「気道が閉塞する危険性もあるんで、その場合は気管切開します。」と宣言されておりました。

まぁ、でも久しぶりの入院は
静かな場所で、久しぶりにゆっくりできて
心穏やかに過ごせました。
最後の方は、耳鼻科の先生達や病棟の看護師さんたちとも仲良くなって
退院するのも名残惜しかったです。


さて、そんな超多忙な昨年の秋
ガレージ・ゴッドハウスの営業くんから
電話がありました。


営業くん「二階堂さん、今回はツーリング参加して頂けませんか?」

俺「でも、993 まだ出来上がってないしなー。。」

営業くん「そんなの全然気にしないで下さいよ。そうだ! あの新車で買われた BMW 220i で参加されたらどうですか?」

俺「あれで、良ければ行こうか?」

営業くん「ありがとうございます!嬉しいです!」


実はガレージ・ゴッドハウスは、毎年、春と秋に
ツーリングを開催しています。
毎回、お誘いはあったんですが
その都度、断ってたんですね。
まぁ、あんまり断り続けるのもあれだし
気分転換にもなるかなと、昨年の秋は、ちょっと無理して参加してみる事にしました。
道中、退屈しない様に、嫁に強制参加して貰いました(笑)


場所は、自殺の名所「東尋坊」。。


なんだよ、もっと浮かれポンチ感一杯の愉快な場所なかったのかよと(笑)

でも、これが意外と良かったんですわ。。

先ずは、朝早く 養老SAに集合








































このクルマだけ、写真撮り忘れたんで
ネットで拾いました。



まぁ、来るわ来るわ。
超高級車のオンパレード!!

こんな貴重な車両で走ったら
距離延びてまうけど、ええんかいのう。。と
何故か此方が心配になってしまうような車ばかり。。
流石、老舗ですね。



















後方に私のBMWが置いてあります。
若干、肩身が狭そう(笑)




















後は写真に撮れませんでしたが
フェラーリ2台と
ベントレー1台も参加していました。
カレラGTや993GT2も
ファクトリーでよく見かけますが
残念ながら、今回は不参加です。



ガレージ・ゴッドハウスは1978年創業です。
もう直ぐ開業40周年の老舗中の老舗。
日本のポルシェ・ファンなら
知らない人はいない、全国的に有名なポルシェ専門店です。

初代社長さんは開業される前に
ガレージ・ヨーロッパという外車屋さんで修行されて
それから、1978年、名古屋市 緑区にガレージ・ゴッドハウスを設立されました。
まだ国内に、ポルシェの専門店が数少なかった頃です。

んで、ガレージ・ヨーロッパは、実はウチの義理の父親が、昔から車をメンテナンスに出していたファクトリーだったので
嫁の実家は、ガレージ・ヨーロッパの社長さんとは深い付き合いがありました。
名古屋は狭いトコです。
1970年代に外国車に乗っていた人たちなんて
極一部の方々に限られていましたから、横も直ぐに繋がっちゃうですよ。

20年くらい前に
ガレージ・ゴッドハウスへ遊びに行った際
突然遠くから
「お嬢さーーーーーーん!!」

何かと思って振り向くと
僕じゃなくて(笑)
ウチの嫁に向かって手を振る見覚えのある老人。
ガレージ・ヨーロッパの社長さんでした。
聞けば、自分の店を畳んで
かつての愛弟子であった、ガレージ・ゴッドハウスの社長さんの元で、社員として働いているとの事。
最初は面食らいましたが
ガレージ・ゴッドハウスの若いスタッフに混じって
溌剌と働かれている姿が印象的でした。


僕「おまえ、ちゃんと挨拶しとけよ」

嫁「あんなに大きな声で呼ばれたら恥ずかしいじゃん。それにウチに代車持って来るとき、いっつもボロボロのクルマばっかり持ってくるし」

僕「(笑)(笑)(笑)」


話を養老SAに戻して
ガレージ・ゴッドハウスのクルマたちをツラツラと眺めながら
ぶらぶらしてると

おっ!っと何処かで見た顔です。
こりゃ、一緒に写真撮って貰おう。





元、ポルシェ・マガジン編集長
現、ナインイレブンデイズ編集長の
日比野さんでした。


僕「今日はどうされたんですか?」

日比野さん「今日は僕はカメラマンです(笑)」

僕「えっ!日比野さんがカメラマンやるの?? 一日??」

日比野さん「ええ、ガレージ・ゴッドハウスのツーリングでは、毎回ではないですが、よくカメラマンをやらせて頂いております。」


老舗のポルシェ屋さんって凄いんですねぇ。。
こんな有名な方にカメラマンやらせちゃうんですから。。
一応、有名人さんですから、名刺交換しておきました(笑)


この撮影の時、ちょっと困った事がありまして。
日比野さんに一緒に写真を撮りたいとお願いしたのは良いのですが
日比野さんが、サービス精神を発揮して下さって、ピースサインをしてくれたんですね。。
これ、本当に困りました。
今までの人生(ちょっと大げさ)で
ピースサインをして写真を撮った記憶がない、二階堂。
ピースサインが、こっぱずかしくて出来ない。
でも、日比野さんが 俺のためにピースサインをしてくれている。
俺もピースサインをするのが筋だよなぁ。。
でも、俺がピースサイン??
柄じゃねぇなぁ。。どうしよう。
ピースサイン。
する??しない??どうする二階堂!!
などと、数秒の間に、脳細胞の中での複雑な葛藤があった後
私の指は、恐々と不慣れなピースサインの形を作っておりました。
それは、まるで産まれたての子鹿の様な弱々しくも愛らしい。
ピースサインの初体験❤️





日比野さんはご自身所有の
996GT2で参加されていたので
車両を手に入れた経緯も少しお聞きしました。





元はガレージ・クレヨンの岡本さんのトコにあった車両で、それを譲り受ける形で手に入れ
その時既にメーターは8万キロを刻んでいたそうです。
もっぱらサーキットを乗り倒す目的で購入されたそうですが
現在は12万キロ。
今も、サーキットを中心に使用されているそうです。

普段は、鈴鹿国際コースより
富士スピードウェイをメインに走られているとの事でした。

此処からが、僕たち一般人との決定的な違いですが
普段、どなたとサーキット走行されているのですか?
とお聞きしたら。。


日比野さん「羽根幸浩さんです。」


























僕も、あまり詳しくないので
羽根幸浩さんの、Wiki貼っておきます。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/羽根幸浩


日本のレーシングドライバー。愛知県名古屋市出身。本格的なレース活動を開始したのは1985年から。フォーミュラレースだけでなく、国内外の耐久レースでも数多くの好成績を収め、1999年には日本人初のFIA-GT選手権へフル参戦を果たした(2000年もフル参戦)。フォーミュラカー以外では、ポルシェでの出走がもっとも多いのも特徴。
Le Mansにも何度か参戦されている
日本を代表する有名レーシング・ドライバーさんです。


来歴
1985年 鈴鹿FJ1600クラスに参戦。デビューとなった開幕戦を4位で飾り、12戦中優勝1回を含む7回の表彰台にあがる(シリーズ3位)。
1987~89年 全日本F3に参戦。
1990年 全日本F3選手権で優勝1回を含む7度の表彰台に立つ(シリーズ4位)。同年、全日本スポーツカー耐久選手権にフロムAレーシングより参戦、ポルシェ962Cをドライブ。
1991年 マカオグランプリギアレースにHKSスカイライン参戦(総合6位)。
1992年 全日本ツーリングカー選手権に参戦(HKSスカイラインGT-R)。
1993年 全日本ツーリングカー選手権で初優勝。ポールポジション2回。
1994年 十勝24時間レースでユニシアジェックスGT-Rをドライブ。ポールポジションからスタートし総合優勝。
1995年 全日本GT選手権にポルシェ993GT2で参戦。ル・マン24時間レースにフライジンガー・モータースポーツより参戦。BPRヨーロッパGT選手権にスポット参戦。全日本F3000選手権にスポット参戦。
1996年 デイトナ24時間レースGTS-1クラスにポルシェで参戦。フォーミュラ・ニッポン参戦。BPRヨーロッパGT選手権ニュルブルクリンク、ZUHAIにスポット参戦。
1997年 十勝24時間レースにGT300クラスのポルシェで参戦(クラス優勝、総合4位)。
1998年 全日本GT選手権に993RSRで参戦。
1999年 FIA GT選手権にドイツのフライジンガー・モータースポーツよりポルシェ993GT2で参戦。鈴鹿1000km FIAクラス優勝。富士1000kmクラス2位。FIA ZUHAI総合6位。
2000年 FIA GT選手権へフライジンガー・モータースポーツから996GT3Rで参戦 第1戦 バレンシア(総合5位)、ゾルダー(総合6位)、ハンガリー(総合4位)、鈴鹿1000kmFIAクラス(2位)。
2001年 フライジンガー・モータースポーツからFIA GT選手権に参戦したほか、同チームとともにデイトナ24時間に参戦。
2002年 全日本GT選手権GT300クラスに、チームタイサンから996GT3Rで参戦。
2003年 スーパー耐久レースにポルシェ996GT3で参戦。菅生で総合優勝。
2004年 スーパー耐久レースに、ポルシェ996GT3でグースネックチームから参戦。菅生/総合3位、仙台/総合3位。
2005年 スーパー耐久レースにポルシェ996GT3で参戦。
2006年 スーパー耐久レースにポルシェ996GT3で参戦。
2007年 全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)に997GT3RSRで参戦 岡山(クラス優勝)、もてぎ(クラス2位)。



名古屋が誇る
イケメン・ポルシェ・レーシングドライバー
羽根幸浩さん



これは比較的最近の画像だと思います。
とあるイベントでマッチと組んで
レースに参加した時の画像。
レジェンド・レーサーを集めたイベントだったかな。。



実は羽根さんは、名古屋市、北区で
現在、ポルシェの車屋さんを経営されていて
僕はそこにもちょこちょこお邪魔させて頂いております。

ポルシェGT2はおろか

現役時代
ポルシェ956やポルシェ962でレース活動をされていた
僕たちからみたら神レベルのレーシング・ドライバーです。









確か、フロムAポルシェ(ポルシェ962)では中谷さんともチームメイトだったと思います。





古いポルシェ・マガジン探したら
こんな記事も。。







































HKS時代のお話を聞かせて頂いた事があるのですが







あの車両は、製作するのに
当時、約2億円程かかったそうです。
((((;゚Д゚)))))))


今は、ミニカーにもなっているので
お安く購入できます(笑)




そんな有名なレーシング・ドライバーの方と普段からサーキット走行されている
日比野さん羨ましい。。


で、結局、東尋坊のツーリングなんですが(やっと本題かよ∑(゚Д゚)
予想に反して、すっごく良かったですよ。






















時期や天候にもよるでしょうが
中部地方の方は、ツーリングに使われるのには
丁度良い距離かと。

って、東尋坊の紹介はこれだけです(笑)


んで、年末 は
サーキット系ロータス・ドライバー忘年会もありまして。

僕を含めた
5人で開催されましたが、これはこれで
滅茶滅茶楽しかったんですが
ここでタイヤとホイールの話になりまして。
結果、ガレージ・◯◯◯の社長の件に繋がっていくわけです。。



この話は次回のブログで
キッチリ、事実だけを公表させて頂きます。

わしも、顔を潰された以上
立場ゆうもんがありますけぇ
きっちり、落とし前は
つけさせて貰います。

病み上がりじゃけぇ
暫く待って、つかいや。

そゆことで
トゥビーコンティニュードじゃああああああああ。


Posted at 2017/02/02 17:42:54 | コメント(9) | トラックバック(0)
2016年11月16日 イイね!
993 全塗装進捗状況 その3ご無沙汰しております。

全塗装、60パーセント完了です。
(´・∀・`)


























Posted at 2016/11/16 00:42:48 | コメント(2) | トラックバック(0)
プロフィール
「@sh21
ですよね(笑)」
何シテル?   02/17 18:31
無意識過剰 2017年、2月 長期に渡って交流のない方のお友達設定を解除致しました。
みんカラ新規会員登録
ユーザー内検索
<< 2017/2 >>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728    
リンク・クリップ
今さらながら乗ってみたい車シリーズ 19 ポルシェ997カレラ後期PDK 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/02/18 02:31:26
F40盗難 トシ55 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/11/20 00:50:25
ジャガーのリコールについて。。。。。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/10/31 16:40:25
ファン
40 人のファンがいます
愛車一覧
ロータス エリーゼ ロータス エリーゼ
ロータス エリーゼ 111S (Type 72) に乗っています。 2003年発売 ...
ポルシェ 993 カレラ ポルシェ 993 カレラ
ポルシェ 993 6MT 1994年式 走行距離 46800キロ ディーラー車 色 スピ ...
ポルシェ 964 カレラ2 ポルシェ 964 カレラ2
2014年7月に購入。 92年式5MT 前期型のカレラ2。 走行距離50000キロ。 1 ...
ジャガー Sタイプ ビッグ・キャット (ジャガー Sタイプ)
ジャガー・Sタイプ V6 3.0 Exective(エグゼクティブ) 2006年モデ ...
過去のブログ
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
QRコード
QRコード
このブログを携帯でご覧になれます
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2017 Carview Corporation All Rights Reserved.