6月23日(木曜日)奈良の「大安寺」で竹供養がありました。
前々から一度は大安寺へ行ってみたいと思っていたので午前中の雨を押して行って来ました。
幸いに雨は昼前にはあがり午後からはカンカン照りの夏日でした。
大安寺は奈良時代に創建され東大寺、興福寺、元興寺などと並ぶ南都七大寺という歴史と格式のある名刹です。
ただいまは伽藍も大部分を喪失、寺運衰退し奈良の郊外にひっそりと佇んでいる古刹となっています。
この日は6月23日の「竹供養」という催しがあり「大安寺」は参拝者で賑わいます。
午後一時から儀式が始まります。
門から本堂までのお練り行列。虚無僧、笹娘、僧侶が列をつくる。
本堂へ僧侶方が入る。その後、参詣者が堂内に招かれてがん封じの読経などの儀式が行われる。
虚無僧は京都明暗寺派ということです。
天蓋、袈裟、印籠など古式ゆかしい虚無僧スタイルと思われます。
天蓋は顔を隠すほかに野外で尺八を吹くときので風よけにもなります。
江戸時代には虚無僧は腰に刀をさしていましたのでけっこう怖い存在だったのです。
護摩法要が行われているようです。
冷やした日本酒が振る舞われます。銘柄はわかりません。
これらの女性は藤影きもの専門学校の生徒さんだということです。
浴衣姿が似合いますね。みなさんアジア系の外国人さんです。
浴衣の笹酒娘さんたち、どこからの留学生か聞いてみたら「ベトナム」「インドネシア」だということでした。
ドイツ人の参加者もいました。
こちらはお酒ではなく「水」が振る舞われています。
車を運転する人のための配慮のようですね。
正面は本堂。ここはろうそくを供養する場所です。
もう真夏日。
大安寺にはインド、ベトナム、唐などから来た僧侶がいた。
なかでもインド僧侶の「菩提僊那」は有名である。
以前の「頭塔」見物のところでも書いたが東大寺の大仏開眼供養ではこのインド僧の菩提僊那をはじめ外国からの渡来僧が重要な役割を担っている。
東大寺大仏(盧遮那仏)の開眼供養は752年(天平勝宝4)4月9日孝謙(こうけん)天皇、聖武太上(しょうむだいじょう)天皇、光明(こうみょう)皇太后らが臨席して行われた。
この儀式には文武百官、僧一万人が参列した。その代表として大仏の眼に墨を入れて開眼したのが大安寺にいたインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)である。
現代において僧侶が一万人も集まることなど想像もできない。
だが実際に僧侶一万人が参列したというから凄い。その名簿も残されている。当時の日本全国のお寺は空っぽになったんじゃなかろうか。
また大仏の眼に墨を入れたときに使われた筆も東大寺正倉院に保存されている。
1300年前の「リアル」がここ奈良には普通にある。
奈良市内で石を投げたら13、400年前の寺院に当たる。
大和盆地の恐ろしさはそういう歴史のリアルな連続性にあると思う。
しかも日本民族だけでなく奈良はシルクロードの終着駅であり古代から国際都市であった。
菩提僊那は唐から
九州の
大宰府に赴き、
行基に迎えられて
平城京に入り、その中の
大安寺に住した。
751年(
天平勝宝3年)
僧正に任じられ、翌
752年(天平勝宝4年)
4月9日には
東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師をつとめている。こうした功績から菩提僊那は、
聖武天皇、
行基、
良弁とともに東大寺「四聖」としてその功を称えられている。
かつての大安寺は東大寺をはるかにしのぐ学僧、高僧が集った仏教最高学府だった。
栄枯盛衰は世の常とはいいながらまさに釈尊の言うようにこの世は諸行無常ではある。
「竹林の七賢人」という言葉がある。
竹林は独特の空間である。
涼しい風が吹き抜ける大安寺の竹林でなにやら儀式が行われた。
★関連情報★
「大安寺」笹供養。
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奈良見物 | 日記
Posted at
2016/06/25 22:55:28