最近賑やかな場所が苦手になってしまい、独り旅はひたすら歴史巡り
ジジイの始まりぞな~もしかしてぃ
今回の旅レポは神社と海、お暇でしたらご覧下さい。
我信州は8県に囲まれた海無し県
その信州にも海の見える地が存在する野田。
場所は小谷村戸土
地図で見ると県内からの道は無し
新潟県からのアクセスのみな野田。
そんな地に諏訪大社と繋がりのある神社が存在する野田。
この話を書くとブログでなくなる可能性があるので残念ながら割愛ぞなもし。
まずはR148を糸魚川方面に走らせ、このスキー場の方向に右折
昔の塩の道な野田。
この道を寸断されるまで進むとカーナビが「長野県に入りました。」とお知らせしてくれる。
そこが丁度この辺り、県境を示す碑は無いが4~5件ほどの廃集落が現れた野田。
上のマークは薙鎌(なぎがま)後に登場するので覚えておいて欲しい野田。
その横には戸土分校跡の碑が佇んでいた。
碑の裏には最後の卒業生二名の名が
資料によると、小谷村立北小谷小学校戸土分校1971年休校、1974年廃校とある。
どうやら長野県からと新潟県からの生徒が通い、多い時に30人以上の生徒が通っていたらしい。
そんな生徒間で県境を示す杭によるイジメがあったといわれてる。
小学生の頃だから新潟から通う生徒に「ここから入っちゃダメェ~」とそんな程度だが
意地悪がきっかけで県境を示す杭は無くなったそうだ。
現在はこんな立派な碑があり、ここが信州の地だと確認できる野田。
この下に集落が数件確認できる。
個人で建立したのか立派な石碑が
民家へ続く道を下ると廃屋が
雪の重みで崩壊寸前である
中はこんな感じ、4Mを越える豪雪地帯だけに暮らしは楽では無かったと想像できるが
各家の敷地内にお墓が存在する野田。
もちろん花も添えられており手入れもされている。
一般の廃虚のそれとは別の雰囲気!お邪魔しましたと挨拶をし、あとにしたの野田。
ここから50Mほど登ると塩の道の古道とある
昔は新潟から信州へ塩を運んだらしい
その運んだ終着地は塩尻
これで塩尻の由来が理解できたぞなもし^^
ここが今回の目的地「戸土境の宮諏訪社」この境内から日本海が確認できるらしい。
海までの直線距離は数十キロ、天気次第では容易に確認できるだろう。
この細い参道を200Mほど登ると水場が現れた。
そこから見上げると社を確認・・・
この社は御柱の前年に、諏訪大社から運ばれた二つの薙鎌のうち一つを諏訪神社に奉納した後、残りの一つを戸土または仲股に持参し、諏訪大社宮司により神木に打ち込むようになったそうだ。
次回の御柱の前年にまたここで薙鎌打ち神事が行なわれるであろう。 (薙鎌 なぎがま )
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御神木の間から海側に目をやると
海らしき反射が確認出来たが、画像には捕らえられず残念んんんん!
ご閲覧ありがとうございました。
Posted at 2013/07/10 15:51:14 | |
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