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2017年05月21日 イイね!
カタチと意志自分で洗車したりイジったりして、クルマのことをよく知ろうとすると、写真でもカタログでも見つけられないようなことがいろいろ判っておもしろかったりします。
デザインのことだけでもそう。
たとえば6GTIでは、ボディのキャラクターラインをなぞっていってはじめて、後端に向かってラインに隆起があることがわかって、このクルマがVとは違う放物線を描こうとしたラインの集合体なんだということに気付かされます。
6GTIのデザインはワルター・デ・シルヴァによる、シュライヤーへの挑戦、ピエヒへの密やかな叛乱、他の欧州車への暗黙の模範解答のように思うのです。
6GTI、実に、完成度の高いデザインだと思います。
VGTIもまた、たくさんの入り組んだパースの描く、架空の放物線の集合体で、後ろから眺めたときの安定感を演出していたりしますが、こういうことにしろ、深く見ないと「なんとなく」で感じてそのままにしてしまう類のことでしょう。
Vに 関しては、まずはⅣの世代からどう「ゴルフらしさ」を引き継ぎ、かつ近代的な空力的抵抗を踏まえたデザインとするかを強いられ、加えて斬新さまで求められるという位置にあったクルマです。
そんなふうにして出来上がった世界のベンチマークに、更なる付加価値を見出すリデザインを課せられたのが、GTIの出発点でした。
当時、VGTIのリデザインに関するペーター・シュライヤーのインタビュー記事を読んだことがありますが、彼はこの段で、ワッペングリルの投入と、アウディのシングルフレームの投入についてを言及しています。
ワッペングリルは実は、ビートルのイメージ踏襲だというのですね。
ともあれ、ハニカムのモチーフに、カタマリ感を演出したフロントやホイールのイメージで、VGTIはずいぶん「アグリー」なクルマとして仕上がりました。
強烈な印象です。
しかしそれは間違いなくGTIの復活にふさわしく、このデザインとその性能によって、その目的としたところが見事に成されたのだといえるでしょう。
そしてこの成果こそが、フェルディナンド・ピエヒをしてそのデザイナーやGTIそのものを大いに嫌わせる原因となって行くわけです。
ピエヒ曰く。
ゴルフはもっとトラディッショナルでなければならない。良家の子女が所有する愛車のように、とのこと。
なるほど、フォルクスワーゲンやゴルフは、経営の側からすればそうしたクルマであるというセグメントのイメージが成り立っているということなのでしょう。
グループにポルシェ、アウディをもち、社名をして「民衆のクルマ」を謳うメーカーにしてみれば、当然のことだとは思います。
でも、不思議なもので、そういうGTIだったから、世界中から支持され、あらたな世代によるGTI復権もここからスタートしていくこととなるのですね。
VGTIをよくながめていくと、おおくのひとは、もう少しおおきなフェンダーのフレアーを期待したり、のちのシロッコのような全高をイメージしたりすることでしょう。
でも、それはシロッコやTTであって、VGTIではないのですね。
大衆車のゴルフをベースに、所有し駆るものを触発するエッセンスを受け入れる、それがGTIなのです。
走ることが楽しい。それこそが、大事。
これがGTIの本質。
速さ、過激さ、豪華さを代替するクルマなら、ほかにいくらでもあります(おそらくその意味で、わたしはいまだに「R」をそんなにオモシロイとは思えないままなのでしょうね)。
残念ながら、当のGTIそのものまで、価格帯も方向性も、そもそもの定義にある「あり方」から乖離しはじめている感のあることを否めません。
ジウジアーロは引退し、シュライヤーもシルヴァも去り、重ねられるのは合理的生産都合と優れた電子デバイスによる制御管理の技術ばかり。
まあ、世界中がそうなのですから、しょうがないことなのでしょうね。
この次のゴルフはそういうところからスタートします。それを良いとも悪いとも言いませんが、ただ、言えるのは、ここに「意志」による舵取りがおろそかになるままでは、フォルクスワーゲンは間違いなく、章男社長率いるトヨタには勝てないでしょうね。
さて、お手並み拝見。







Posted at 2017/05/21 15:19:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月20日 イイね!
ネジウルトラレッジェーラをほめるので、わたしがOZレーシングを手放しで支持しているのかと思われたら、それは間違いです。
実に、これ以外のロクな選択肢がない、とも、正直、思っているところだからです。
それでも、ブランドの構築、成功したモデルの確立など、BBSに対抗しうる数少ない存在であるという事実も認識するところではありますが。
写真の新型、残念ながらサイズがあいません、ゴルフVには。
そのうち、適合サイズがでてくるかもしれませんが、なんにせよ、いまはどうでもいいです。
執着すれば、餌食になるばかり。
こういうのを組み合わせようと躍起になって、あるいはそれの「あわせ込み」を売りにして、雑誌とかのノリにほだされて大枚をはたくひとたちと、それをすいあげるひとたちがいます。
趣味のクルマの世界にはいってから今日まで、そういう、売るほうと買うほうのひとたちのぺらぺらと薄いそのノリがどうにも好きになれず、なじめないままでいます。
しかしクルマ好きとかカスタマイズを楽しんでいるとか称されるのは、つまりはそういうひとたちのことを指すのでしょうし、それもまた憂鬱なことではあります。
すくなくとも、「お仲間ですね」というノリで接せられるのはカンベンしてほしいところで、どうにもコトバもみつからないところです。
あなたの生きていることの意義、あなたの思いは、あなたの持ち物やあなたの生き方、あなたの選択のすべてにあらわれるものです。
ましてや、愛車とかよばれるソレなら、それこそその存在は、あなたのこころのあらわれそのものにほかならないことでしょう。
そう定義したとき、たとえばあなたの愛車、スタンドに洗車をまかせるベンツだったりしたら、それはどういう意味を帯びるものなのかはもう、察してあまりあるところではないでしょうか。
まあ、気にしないヒトにとってはまったくどうでもいいことなのでしょうけど。
洗車を終え、グリルを施工したわたしは、次はホームセンターに向かいます。
ネジを探しに、です。
ワーゲンが純正で使っているおおくのネジに、わたしは問題を感じています。
グリルのロッカー部分の露出しているネジなどは、あきれたことにサビがあがってそれが丸見えになる構造のままです。
以前からこのことは気にしていたのですが、なかなか純正と同じネジで材質違いというのも売ってなくて見送っていたところなのですが、今日はともかく、材質だけでも変えてみようと思い立ったのですね。
わたしはもともとネジ大好き人間で、イタリアのポジポリーニとかに大いに惹かれてしまうようなヤツなのですが、ホームセンターにはチタンのネジは売ってません。
会社の同僚のアドバイスで、ネジ屋さんでチタンのネジを寄せてもらって、試してみれば、とのアドバイスをもらっていたのでが脳裏に残っていたので未練はありましたが、とりあえず、出来るときに出来るかぎり、というところで、今日はステンレスを選択です。
ともあれ、数百円のことではありますが、満足はとても大きなカスタマイズなのですね。
靱性をかんがみ、負荷のかかりかたを見越した採用のされかたをしている箇所、たくさんあると思うのですが、構造を把握した箇所から順、適宜、このネジのカスタマイズはすすめていきたいと思うところです。
で、最終的には要所ごとのチタンボルト適用が希望ですね。楽しみです。

Posted at 2017/05/20 19:16:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月20日 イイね!
35度夏日です。
炎天下で作業をして、去年は熱中症になったりしましたが、わたしにとって休みで晴れていて、時間があって、というのは年間でもほとんどないこと。
早速、ベランダからタイヤの運び出しです。
駐車場にもち出して清掃をはじめるのですが、思いもよらなかった問題の発生。
塗装が剥げはじめたのですね。
最初、それは染みだと思いました。
ホイールのスポーク部分に他よりも深く汚れが染みついているのだろうと思い、オートグリムのホイール専用クリーナーを使い清掃です。
で、こする、とれない、また塗布する、とれない。
そうしているうちに、染みとおぼしき汚れははっきりと黒い点になっていきます。
塗装が剥げて来ていたのですね。
おそらく、クリーナーには酸が微弱に含まれているのでしょう、こするほど剥いでいったということです。
まあ、うんざりなのですが、かといって、そもそも剥げるくらいの状態になっていたものなら、おそかれはやかれ剥げたのでしょう。
割り切りました。
実は、ウルトラレッジェーラは今年は「黒」に塗り替えようかとか思っていたところでもあったからなんですけど。
このホイール、優秀です、なかなか他の選択肢も登場してきません。
19インチを使うつもりのないわたしにしてみると、このホイール、なかなかに貴重な存在ではありますし。
というわけで、作業中断、ふたたびベランダに戻しました。
メンテナンスと清掃ということで、ただ戻したとはいえ、けっこうな重労働でしたし、これはこれ、というところでしょうか。
それから洗車ですが、同時進行でグリルの補修です。
補修箇所は先日施工した5Dのカーボンシートの仕上げの修正で、終端の部分にシワがあったので、ここをなおそうというワケです。
先日一度、ドライヤーでシワをのばしてみたのですが、装着後に形状記憶されているかのごとくまたシワが復元されてしまいました。
で、根本、加工で対応しようとふたたびの作業をこころみます。
カーボンの織り目を読み、繋がりの陰影を活かして、カーブになるところから整形して上貼りをしたわけです。
結果として、おどろくくらい上手くいき、むしろ他の箇所の手抜き部分が気になってきてしまったくらいです(笑)。
なんとなく、器用なようで不器用な自分なのですが、とにかく視力がおちていることだけは毎回実感させられてしまうところですね。
さて、ホイール塗装というデカいあらたな課題が生れてしまいました。
予期していたところではあるのですが.



Posted at 2017/05/20 18:37:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月14日 イイね!
より、地味に。いろんなテストを重ね、いろんなイメージを投入しながら、VGTIはどんどん進化して来てます。
先日はCPM装着、オイル交換を成し、ホイールも調達しました。
で、メーター液晶の交換やグリルの作製です。
こまかなことの積み重ねもすすみ、ポーレンフィルターやらフットレスト装着やら、フューエル1注入やら、時間のゆるすかぎり、出来ることは自分で、をモットーに手が加えられつづけているのです。
夜の高速で、試運転。
足まわりも動力もすでに合格点で、いま以上を望むのでまだ手は加えて行きはするのですが、到達点もだいたい見えてきています。
足まわりに関してはアッパーマウント、ブッシュ類の交換に、もう少しだけ路面追従性を演出するため、あと1~2センチくらい下げて、一度タイヤをコンチネンタルにしてみる。
動力はウォーターポンプ交換を中心に細やかな点の調整と入替、そして吸気向上パーツを補えば、いまでさえありあまるパワーですので、もうよいでしょう。
で、ブレーキですね。
これ、とりあえずはパッド、フルードの交換のみとして考えています。
ほかでもありませんが、その他ができあがってきて感触が生れてはじめて、どの程度の強化が必要かを見極めるためで、いたずらに制御に不便を感じるほどのものとするより、コントローラブルなブレーキのほうが、経験的によいと感じているからです。
そんなこんなで、おおよそ、VGTI復活のめどがついてきたのですが、エクステリアに目をむけると、ちょっと困った地味さでガッカリなのです。
写真のグリル、例の5Dのカーボンシートなのですが、これを施工したことで、フロントまわりがなんとも地味になってしまいました。
アイラインガーニッシュやスプリッター装着の出番待ちで、そこまで行ってどれくらい顕在的になってくれるのか、どうにもあやしいところではあるのですが、とりあえず行ってみましょう。
地味でも、地味なりに渋いなにかの演出を施して仕上がるのなら、それもまた楽しいかな、とも思うところなのです。
Posted at 2017/05/14 23:42:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月14日 イイね!
閑話休題。
わたしのモノの考え方はよく「変わっている」といわれるのですが、たぶん、こんなこととかそんなことのような、変わった研究の下敷きがいっぱいあるからなのでしょうね。
で、そんななかのひとつ、これは遺伝子工学についてのわたしの見解のお話です。

学生のころ、「遺伝子」というものについてずいぶん掘り下げて調べてみる機会がありました。
実に個人的な関心からはじまったことです。

当時、遺伝子工学というコトバはまだ存在せず、このカテゴリーは分子生物学と呼ばれていました。
人間をつくる暗号があるなんて、おもしろくてたまらなかったのです。
で、性分なのでしょうけど、例によって徹底して調べ尽くしてしまったのですね。
この探求は大学に入ったころまで続き、そこで一応の結論にいたりました。

結論、人間は「偶然には生まれない」、ということです。
茫漠とした偶然なんて、実は存在しないのです。

このことを確信してからは更に、ひとつの大胆な仮説を持つに至りました。それは、偶然でないのなら、もしかしたら「生きていく」ということには仕組まれた物語があるのではないだろうか、ということです。

それ以来、一般のヒトが持つ「いのち」についての認識とはちょっとだけ違う感触が、わたしのなかに棲んでいます。
自分からみると、ヒトの行いの大きな流れには、その裏側に書かれた予定表があるとしかおもえないのですね。

オックスフォードの04年のレポートによると、遺伝子の拡散という点で世界でもっとも多く子孫を残した個人は、チンギス・カンだとのことです。
そのY染色体を継承する男系の子孫は、実に1600万人にも登ります。

この遺伝子には人類の繁殖と拡大に必要となる、男性の暴力的な性格や支配欲が如実に書き込まれていると分析されているのですが、同時にこの遺伝子は、チンギス・カンから数世代前に突然変異で生まれたものだとも分析されています。

チンギス・カンとは、「男たる者の最大の快楽は敵を壊滅し、その財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、奪ったその馬に跨り、その女と妻達を抱きしめることにある」と宣言しているひとです。

チンギス・カンの侵攻は「来た、壊した、焼いた、殺した、奪った、去った」と評されます。
そういう価値観に現代のわたしたちがすぐに嫌悪感を持つのは、もっぱらキリスト教文化の影響でしょう。西暦1200年頃の世界帝国でのお話しです。

「歯に衣着せぬ」この価値観は、あらゆる世界宗教を立てに寸断するものでした。

もし、世界史を、チンギス・カンのこの思想抜きに語るのなら、それは大きな歪みに至ることでしょう。いろんな事実の説明がつかなくなるからです。

「タタールのくびき」という言葉があります。
ロシア側からみたモンゴルの侵攻への脅威は、そのまま世界の歴史を彩っていくのです。
ロシアでは、アンチキリストはアジアから生まれると考えられています。
黄禍論は遺伝子のなかに刻まれて繋ぎ止められている事実です。
しかしその原因である要素もまた、突然変異というカタチで遺伝子によってすすめられた事態だったのです。

「突然変異という名の必然」、ここらへんのコトバの嘘にはもう、誤魔化されないように思考トレーニングを終了しておかないといけないでしょうね。

因果応報、振り子の揺り返しのように、ヒトが刻む歴史は続いていきます。
そうした中で、キリスト教による世界侵略は今日も続いています。
歴史上、それを一度寸断したのが、モンゴル帝国の存在です。
日本の学校で習う歴史というものはほんとうに偏っていて、様々な事態があたかも偶然の積み重ねのように括ります。

遺伝子がそうであるように、歴史にも偶然はないのです。
そしてその遺伝子には、こんなふうに明瞭に、誰かからのプログラムのような指示が書かれていて、わたしたちはその予定表に則って生きているわけです。

それを知らないで、自発的に自らの行いが自らの価値によるものだと信じているヒトたちが世の中にはほんとうに多いのですが、困ったもんです。

そのひとたちは、つまり多くのひとたちにとっては、自分の生きていく行為すらも偶然に支配されているという錯覚に支配されているのです。

ともあれ、そういうことを知った後に、わたしが抱いた仮説についてです。
それは、もし自分がそのプログラムの書き手なら、何を望むだろう?ということでした。

もしわたしが神サマなら、そこまで知ってしまったのなら、今度は、その物語り(プログラム)のアンカーを頼みたいのではないかなあと思うのですね。
物語りを突破してほしい、そんなふうに願うのではないでしょうか。
つまり、遺伝子のリプログラム、これをスタートして、自分たちの手で次の神様でもなんでも創ってみてくれよ、ということなのですね。

試してみるとわかります。神様を用意するって、キチンとあらゆることへの解を用意しなければならないということと同義なのですが、これ、宇宙の存在のすべての謎を解くのと同じ重さのシゴトです、タイヘンなんてもんじゃない。

というか、そこまで至るのなら、人間卒業できることでしょうしね。
Posted at 2017/05/14 19:29:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
プロフィール
「カタチと意志 http://cvw.jp/b/2393805/39805091/
何シテル?   05/21 15:19
GTIのことをいろいろ書いていきたいと思います。
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2015/05/18 18:10:29
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