自分で洗車したりイジったりして、クルマのことをよく知ろうとすると、写真でもカタログでも見つけられないようなことがいろいろ判っておもしろかったりします。
デザインのことだけでもそう。
たとえば6GTIでは、ボディのキャラクターラインをなぞっていってはじめて、後端に向かってラインに隆起があることがわかって、このクルマがVとは違う放物線を描こうとしたラインの集合体なんだということに気付かされます。
6GTIのデザインはワルター・デ・シルヴァによる、シュライヤーへの挑戦、ピエヒへの密やかな叛乱、他の欧州車への暗黙の模範解答のように思うのです。
6GTI、実に、完成度の高いデザインだと思います。
VGTIもまた、たくさんの入り組んだパースの描く、架空の放物線の集合体で、後ろから眺めたときの安定感を演出していたりしますが、こういうことにしろ、深く見ないと「なんとなく」で感じてそのままにしてしまう類のことでしょう。
Vに 関しては、まずはⅣの世代からどう「ゴルフらしさ」を引き継ぎ、かつ近代的な空力的抵抗を踏まえたデザインとするかを強いられ、加えて斬新さまで求められるという位置にあったクルマです。
そんなふうにして出来上がった世界のベンチマークに、更なる付加価値を見出すリデザインを課せられたのが、GTIの出発点でした。
当時、VGTIのリデザインに関するペーター・シュライヤーのインタビュー記事を読んだことがありますが、彼はこの段で、ワッペングリルの投入と、アウディのシングルフレームの投入についてを言及しています。
ワッペングリルは実は、ビートルのイメージ踏襲だというのですね。
ともあれ、ハニカムのモチーフに、カタマリ感を演出したフロントやホイールのイメージで、VGTIはずいぶん「アグリー」なクルマとして仕上がりました。
強烈な印象です。
しかしそれは間違いなくGTIの復活にふさわしく、このデザインとその性能によって、その目的としたところが見事に成されたのだといえるでしょう。
そしてこの成果こそが、フェルディナンド・ピエヒをしてそのデザイナーやGTIそのものを大いに嫌わせる原因となって行くわけです。
ピエヒ曰く。
ゴルフはもっとトラディッショナルでなければならない。良家の子女が所有する愛車のように、とのこと。
なるほど、フォルクスワーゲンやゴルフは、経営の側からすればそうしたクルマであるというセグメントのイメージが成り立っているということなのでしょう。
グループにポルシェ、アウディをもち、社名をして「民衆のクルマ」を謳うメーカーにしてみれば、当然のことだとは思います。
でも、不思議なもので、そういうGTIだったから、世界中から支持され、あらたな世代によるGTI復権もここからスタートしていくこととなるのですね。
VGTIをよくながめていくと、おおくのひとは、もう少しおおきなフェンダーのフレアーを期待したり、のちのシロッコのような全高をイメージしたりすることでしょう。
でも、それはシロッコやTTであって、VGTIではないのですね。
大衆車のゴルフをベースに、所有し駆るものを触発するエッセンスを受け入れる、それがGTIなのです。
走ることが楽しい。それこそが、大事。
これがGTIの本質。
速さ、過激さ、豪華さを代替するクルマなら、ほかにいくらでもあります(おそらくその意味で、わたしはいまだに「R」をそんなにオモシロイとは思えないままなのでしょうね)。
残念ながら、当のGTIそのものまで、価格帯も方向性も、そもそもの定義にある「あり方」から乖離しはじめている感のあることを否めません。
ジウジアーロは引退し、シュライヤーもシルヴァも去り、重ねられるのは合理的生産都合と優れた電子デバイスによる制御管理の技術ばかり。
まあ、世界中がそうなのですから、しょうがないことなのでしょうね。
この次のゴルフはそういうところからスタートします。それを良いとも悪いとも言いませんが、ただ、言えるのは、ここに「意志」による舵取りがおろそかになるままでは、フォルクスワーゲンは間違いなく、章男社長率いるトヨタには勝てないでしょうね。
さて、お手並み拝見。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2017/05/21 15:19:58