何気に今年初ブログだったりして・・・ (激汗)
先日、被災地より無事帰還しました。
1週間程の滞在でしたが、現地は至る所で悲惨な状況でした。
現地に足を踏み入れ今回の地震・津波による被害が如何に甚大で、
報道で知り得た情報はほんの一部にすぎないことを実感しました。
毎日のように余震が有り、移動手段も無く物資もままならぬ現地に赴くことになったのは、お国の
ある機関から当社に依頼が有り急遽調査部隊を編成することになりました。
しかし3月は当社も繁栄期、只でさえ人手が足りない時期と重なり定年を控えた老兵にも出兵の要請
が下され急遽現地に赴くことになった。 と言う訳です。(バク)
今回の調査対象は、岩手・宮城・茨城・千葉・栃木・群馬・埼玉のエリア
で、私が派遣されたのは伊達正宗さんの故郷でした。
東京本社で決起集会を行い、その後ハイエースに便乗して各エリアに向かったのですが
出発した当日東北道はまだ一般車両の通行が出来ませんでした。
宇都宮まで高速を走り、その後は延々と仙台まで国道4号線を北上。 移動時間:8時間半(バク)
仙台までの道中コンビニでトイレ休憩をしたのですが、早くも被災地の現状を垣間見ることになります。
宇都宮IC近辺のコンビニには物品が並んでましたが、郡山辺りのコンビニに並んでいるのは
菓子類と飲み物が少し、それに雑誌や日用品の一部が置いてあるだけでした。
弁当は愚か、おにぎりやパンも有りません。
アルコール類は皆無、
タバコも全て売り切れ!(バク)
それでも開いてるだけまだマシです。
仙台市内のコンビニやスーパーは、殆んどの店が閉ってました。
普段何気なく当たり前のように利用しているコンビニですが、必要な物が無い、開いて無いとなると
大変不便です。 生活の一部になっていることを改めて実感しました。
仙台市内のホテルに着いたのは11時半、
会社が用意してくれたカップラーメンとおにぎり(1コ)で遅い夕食を取りました。(笑)
ホテルとは言え、仙台市内は都市ガスが止まったままです。
お湯は出ません! ・ ・ ・ 風呂に入れない!!
暖房も有りません! ・ ・ ・ 外は雪がチラチラ!!
暖房はともかく、困ったのは風呂に入れないこと。
で如何したか? と言うと、部屋に備えてある電気ポット(約1L)でお湯を沸かし、それをユニットバスの
洗面に4~5杯入れ水で冷ましタオルで体を拭きました。
でも洗髪は出来ません! (水で洗った兵も居たようですが・・・)
翌日から本格的な調査が始まります。
初日と2日目は、仙台市近辺(震度6以上)の地域を廻りました。
現地に向かう道中は、至るところで渋滞しています。
「事故?」
いやいや事故じゃ無いんです。
GSに並んでいる車が片側車線を塞いでました。 並んでいる車は延々と続いてます。
ガソリンが入荷出来ない為か営業しているGSは少なく、しかもその大半は救急車両限定になっていました。
地元の方に聞いた話では、一般車両の方は数時間並んだあげく給油出来ない方も少なく無いそうです。
給油出来なかった方には整理券が配られ、次回入荷したときまた数時間並び、やっとの思いで10~20Lのガソリンを手に入れるそうです。
調査に廻る途中、偶然開いているスーパーを見つけました。
小雪がちらつく中、大勢の人が並んでます。 店内の混雑を避ける為、入場制限をしているそうです。
入口に張り紙がして有りました。
《 お一人様15点限り 》 《 箱売りはしておりません 》
子供用のお菓子も一点になります。
ビールは6本ケースで一点になってました。
品数はそこそこ揃っていましたが、購入できる品数が限られ
しかも、次回いつオープンするかも判りません!
買える時に最低限必要な物を買っておきたいと思うのは当然でしょう。
私もタバコを1カートン買いました。(バク)
地震の被害で店内が使えず、店の駐車場で青空市場をしている店舗も有りました。
買い物を終え、リュックを背負い、両手に荷物を抱え、チャリ或いは徒歩で帰ってました。
ガソリン不足で車が使えないのだと思います。
バスも動いていません!
それでも開いてる店を見かけるのは、一日にせいぜい2~4店舗です。
近辺に住んでる方はまだしも、遠方の方はさぞかし大変だろうと思いました。
そして調査の最終日、最も被害が甚大だった沿岸部に入りました。
屋根瓦が落ち、傾き倒壊寸前の家屋
ガラスが割れ、鉄骨の柱がアメのように曲がった店舗や事務所ビル
陥没した道路、液状化現象で道路に飛び出したマンホール
町のいたる所には、津波で流された車や船、砕け散った家屋の残骸
道路には、浸水で使えなくなった家具類が溢れ
脇道や住宅の庭、店の駐車場はまるでヘドロの海
信号は付いてません。 ライフラインは止まったままです。
海岸から1.0km以上離れた場所でもこの様な有様でした。
そこからさらに沿岸部に入ると ・ ・ ・ そこはほぼ壊滅状態でした。
「本当にこれが現実!」 と我が目を疑いました。
まるで映画のシーンに立たされたような、とても言葉では言い表せない複雑な心境でした。
木造の建物は、ほとんどと言っていいほど流されてました。
残っているのは、無残な姿の鉄骨造やRC造の建物だけです。
ナビを頼りに走ってましたが、残骸の処理が終わっているのはメイン道路だけです。
脇道はどこにあるのかさえ判りません。
曲がる予定の交差点の角は、GSになっていました。
が、そこに有るののは残骸の山です。
目印となるような建物は、何も残っていません。
何とか原型と止めている住宅が有りました。
2階のベランダに洗濯物が干され、窓は開いたままでした。
地震のあったあの日から、時間が止まっているようでした。
涙が止まりません! 涙腺が壊れてしまったようです。
今回茨城に入ったメンバーは12人、震度6以上の地域を対象に約24の市町村を回りましたがどこの地域でも似たような被害を受けてました。
マスコミで報道されているのは、被災地のほんの一部に過ぎません。
比較的建物の被害が少ない仙台市内でも、食べ物の入手は非常に困難な状況でした。
毎日の食事は本社から送られた救援物資で賄っていましたが、それでも
朝食は無し、昼食はオニギリ2コとお茶、夕食はカップラーメンとオニギリ1コ
でした。(バク)
東北自動車道が一般車両でも通行出来るようになり、少しづつですが物資も届くようになりボランテアの方々も増えてきました。
各方面や地域の協力を仰ぎ、ライフラインの復旧も急ピッチで進められています。
現地を見て痛感した事ですが、不自由のない生活に戻るだけでも多大な時間と労力が必要になると思います。
既にみんカラでも多くの方が様々な形で支援されていると思いますが、自分に出来ることを一つでも多く遣っていきたいと思います。
今回の地震で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また犠牲になられた方々とご遺族・ご関係者の皆様に対し、謹んでお悔やみ申し上げます。
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