皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
大晦日、正月は家族サービスと、マンガ読み倒し。
元旦は初詣の後、BOOK OFFとTUTAYAに寄り、数冊の雑誌と
湾岸ミッドナイトの最新巻(=42巻)を買って帰った。
■湾岸ミッドナイト vol.42
この42巻は、最新巻にして、ある意味・・・というか実質、最終巻だ。
ヤンマガではまだ連載が続いているが、この42巻の好敵手であるFD3Sの荻島に主役がスイッチして、「湾岸ミッドナイト C1ランナー」というマンガに変わっている。
それはそれ・・・なのだが、42冊に渡って楠が湾岸ミッドナイトで描いてきたテーマからは完全に外れる内容となっており、個人的には興醒めだ。
湾岸もかなりマンネリ化していたので、うまく終止符を打って欲しかったのだが、この42巻がそれに該当し、その後「C1ランナー」として連載を続けたのは意外であり、意図が見えない。
で、42巻。
ヤンマガで読んでいたので、内容は知っているのだが、それでも最終巻ということで、長年の愛読者としては感慨深く読んだ。
42巻は巻頭から「締め」に入っており、オヤジ達はウンチクを語らずに、感傷的な言葉を連発する。
ブラックバードも北見も、いつもより遥かに口数が多く、おセンチだ。
長年の愛読者としては、素直にそのおセンチムードに流された。
湾岸ミッドナイトというマンガは、長い連載の中で、ある程度の方向転換をしてきたが、基本的に
「走り続ける理由」
「降りる理由」
「チューニングとチューナーの生き様」
みたいなことがテーマだ。
社会人になる前の私は、音楽屋だったが、クルマ道楽から離れて音楽をやっていた私にも湾岸ミッドナイトは共感できる内容で、常に自分やその周りと重ねてきた。
音楽業界を走り続ける者と、降りる者。
走り続けてきた者だけが見ることのできる風景。
結果として降りる理由を見つけて降りた自分。
解ろうとすること。
解り合える相手、通じない相手。
また、乗り手以上にチューナーにスポットを当てていたことにも共感できた。
ベース奏者として音楽屋のキャリアをスタートさせた私だが、途中からはエンジニアとしての活動が大半を占めるようになった。
作曲、編曲、ジングル制作、効果音制作、音作り(ゲームのMIDIデータを鳴らすための音源制作など)、声優の声データの編集、レコーディング・オペレーター、PAオペレーター、DJなどなど・・・
それらの中でも、特に好んで、また力を入れたのが、時代背景的にもリミックスとマスタリングだ。
リミックスにもいろいろあるが、私は「解体→再構築」という本来の定義に従っていた。
元曲に徹底的に手を入れ、加工・再構築することで、楽曲に新たな息吹を与え、元曲以上のパフォーマンスを狙う・・・
その工程に、クルマのチューニングを重ね合わせてきた。
音楽活動の末期になるにつれ、どんどんとのめり込んだのがマスタリングだ。
マスタリングは、映像媒体においては動画に音を付加していくポスト・プロダクション工程を指すが、音楽業界においてはレコーディング・スタジオにて録音され、トラックダウン工程で2ミックス(L・Rのステレオ)にミキシングされた音源を、CDなど最終メディア品質向けに最終調整する工程を指す。(ここでは、DVD-AudioやSACDなどのマルチトラックメディアは便宜上・・・というか時代背景的に省く)
当時は、元音源となる2ミックス音源はDATメディアで手渡された。
2ミックス音源は、例えば、ボーカルトラック×4、ギタートラック×4、ベーストラック×2、ドラムトラック×12(スネア、バスドラム、ハイハット、ライド、タム類、クラッシュ類などなど)のようなマルチトラックを、レコーディング・エンジニアの手によりエフェクト、トリートメント(イコライジングやコンプレッションなど)処理を施されて、バランスを考慮してL・Rの2トラックにミックス・ダウンされた物を指す。
マスタリングという作業が定着する前は、トラックダウン(ミキシング)工程で終わってしまっていたのだが、ある時期から、この2ミックスに更に修正を加えるマスタリング工程が急速に市民権を得た。
特にジャズにおいて、各レーベルが「リマスター盤」をこぞってリリースしたのがこの流行りの象徴であり、更にマスタリングという工程の一般化を手助けした。
マスタリングという工程は、既にミックスされてしまっているものを、更にブラッシュアップし、高音質化する工程だ。
参考となる、高音質だと評価できるCDなどと幾度も聴き較べながら、コンプレッサー(タービンやスーパーチャージャーじゃないよ)とイコライザーだけを使い、音質、オーディオ・レベル、音圧などを整えていく。
元音源となる2ミックスのバランスが悪すぎれば、マスタリングでどうしても補正できなかったりもする。
ただし、それでも、マスタリング次第で元の2ミックス音源は宝石にもゴミにも成り得る。
限定された条件下で、コンプレッサとイコライザーのパラメータを少し変更しては、聴く。この繰返し。時にはFFTなどアナライザで視覚的に確認することもある。
マスタリングは、地味で根気がいるけど、とても肝心な作業で、私はこれにとても魅せられた。
マスタリング作業に熱中していた時期、私はこの工程を、クルマのチューニングではなく、ECUのセッティングと重ねていた。
つまり、湾岸ミッドナイトでの富永氏は、音楽屋だった私には「マスタリング・エンジニア」に相当するポジションだった。
OpenECUによって、B4のECUリセッティングを始めて以来、私はずっと
「やっぱりマスタリングに良く似てるな」
と思っていた。
ハードウェア(=マスタリングにおける元2ミックス音源)が悪ければやっぱりどうしようもないが、同一ハードウェアなら、そのポテンシャルを引き出して宝石にすることもゴミにしてしまうこともできる。
ある程度「何でもアリ」なミキシング工程がチューニングに相当するならば、限られた条件の中で何度も何度も微調整を繰り返して最適解を探して追い込んで行くマスタリング工程はECUのセッティングそのものだ。
ECUのセッティングと音楽におけるマスタリング工程の類似性については、昔からブログに書きたかったことだが、非常に説明が長くなる上、私の文章力ではなかなかイメージが伝わらないだろう・・・と避けていたテーマだ。
湾岸ミッドナイトが実質的に終焉を迎えたことで、十余年に渡る湾岸ミッドナイトと自分の関係を振り返り、頑張って書いてみた。
(が、やはり破綻しているか・・・)
●自動車 書籍レビュー関連目次はこちら
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Posted at
2009/01/02 02:26:53