今回は少し重い内容なので、流し読みするくらいの感覚でお願いします。
すべてはこの一言から始まります。
母「じーじが救急車で運ばれて、ちょっと危ないらしい」
じーじとは祖父の事です。
先月下旬に突然、祖父が救急車で搬送されたと祖母から母親に連絡があり、ちょうど春休みに入った時期だったのでエイトで母親と弟を乗せて病院へ行きました。
するとベッドには話で聞いていたよりも元気な祖父が。「おう、よう来たのう。」いつも僕が祖父の家に遊びにいくと口癖のように言っていた言葉です。
この日も、「来てくれたんかあ。」と嬉しそうにしていました。搬送時は心拍数や体内の酸素濃度が生きられる数字じゃなかったそうで、そこから考えると奇跡的な復活とも言うべき状態でした。
そこで、病院での生活や今後のことなど約30分ほど、話をしていました。「やっぱ病院のお姉さんは若い方がええわ。」なんて笑い話も出来ていました。
「回復したら皆で焼き肉行こうな。」なんて事も話していました。元気だからこそ出来る会話です。
話が一段落して僕たちは病室をあとにしました。
「また来いよ。じゃあな。」これが祖父からの最後の言葉になるとはこの時、まだ予想だにしていませんでした。
一昨日(6日)の朝…
母「いま電話があって、今度は本当に危ないらしい」
深夜に容態が急変して危篤状態だと電話があったみたいです。ただこの時は「また回復するよ」なんて思って、目も覚めてなかったので布団でぼーっとしてました。
するとおよそ30分後…
母「さっき、じーじが亡くなったんやって…」
あまりに突然の事だったので「さっき!?」とただただ驚くしかありませんでした。
それで一気に目が覚めて、急いで準備して病院へ駆けつけました。祖母や先に病院へ行っていた父親などは病院にはおらず、僕と母親で祖父が居る病室へ。
するとそこには、夜中に苦しんでいたとはとても思えないほど、穏やかな表情で眠る祖父が。
「おう。来てくれたか。」起き上がって今にもこう言いそうな程の顔を見た僕は、よく分からないですが安心したというのか何なのか、冷静になってしまいました。
「いつもより唇薄くない?」なんて訳の分からない事を母親と話しながらも、自分を必死にごまかしていたんだと思います。
この日はバイトだったので、祖父を見送ってしばらくエイトで仮眠した後そのままバイトへ行きました。
後から聞いた話では、死因は肺炎だったようです。
初孫である僕を誰よりも可愛がってくれた祖父。
僕の中でやり残したことが2つありました。
1つは祖父と一緒にお酒を飲むこと。
釣り、旅行、音楽、写真など多趣味だった祖父はお酒が大好きでした。お互いグラスに注いで乾杯することを多分誰よりも待ち望んでいたんだと思います。
あと1年頑張ってくれれば…とは言えませんが、出来れば一緒に飲みたかったです。
そしてもう1つは祖父をエイトに乗せること。
叔父の影響もあってか、車の知識は多少あった祖父と以前車の話になり、自分の買った車がRX-8だと話すと、
「ああ、あのロータリーの車か。またえらいもん乗っとんなあ。」と言っていました。まさか祖父がエイトを知っていたとは思わず、正直驚きました。
祖母は一度、エイトに乗っているのですが祖父は乗せてあげられませんでした。 「生意気な車やなあ。」って言わせたかったのでかなり後悔しています。
そして通夜は昨日(7日)の夜に行われました。
僕の整備手帳を見て下さっている方は、あれ?と思うかも知れません。昨日はエイトのボンネットにLEDを付けてました。
本当は、やらないつもりでいました。しかしTakucthとスケジュールが合わないのはもちろんですが、家でしんみりするのは皆で集まったり、楽しい事が好きだった祖父に申し訳ないと思い、プライベートではいつも通り楽しく過ごそうと決めたので、無理強いで作業しました。
僕の突然のスケジュール変更に合わせてくれるTakucthは本当に優しいやつです。今回ばかりは本気で感謝しなければなりません。
作業が終わって急いで会場へ向かい、通夜に参列しました。祖父の勤めていた会社の関係者をはじめ、多くの方にも参列して頂いていて、僕の知らないところで沢山の人と繋がっていたんだなと実感しました。
通夜が終わった後、控え室で棺におさめられた祖父の顔を見ると、心なしか病室で見た時よりも少し嬉しそうな表情でした。
遺影とよく似た良い表情をしていました。
そして今日(8日)葬儀が行われました。
初孫として最後まで笑顔で涙は流さず送り出すと決めていたので、良くも悪くも必死にこらえていました。
気丈に振る舞うなんて格好いいものじゃありません。ただのやせ我慢です。「そんな寂しい顔すんなよ。」って言われそうな気がしただけです。
途中、祖父が参加していた合唱団による「見上げてごらん夜の星を」があり、そこで絶縁関係にあった父親が号泣しているのを見て、衝撃と共にもらい泣きしそうになりました。
僕は最後まで涙は流さずに無事に祖父を送り出すことが出来ました。ただ父親の涙は、親子の縁は切っても切れないものなんだと実感させるものでした。
葬儀後の父親の顔はいつもより穏やかでした。
満開の桜のなかで、合唱団の仲間の歌声と共に皆に見送られた祖父はとても幸せだったことでしょう。
亡くなった日に撮った写真です。
70歳という歳を考えれば早すぎる気もしますが、それはそれで良かったのかもしれません。
今まで本当にありがとう。
これからは糖尿病の注射を毎日打たんくても大好きなお酒飲んで、ゴルフしたり、写真撮ったり、歌を歌ったり出来るから。いっぱい楽しんでね。
身近な人に僕の話を昔からよくしとったのも、パソコンのフォルダーに僕の写真がいっぱいあったのも、親戚から聞きましたよ。
これからも自慢の孫でおれるように頑張るから、ずっと見守っとってね。
正直、まだ心の整理がついていません。もう少し落ち着いてからこのブログを作ろうかと思っていたのですが、逆に今でなければこんなブログ作れないと思ったのもありますし、今のリアルな気持ちをどこかに残しておきたかったので。
長文失礼しました。
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2016/04/08 22:29:44