ゴールデンウェークを間近に控えて色々と計画を練っている人も多いかと思いますが、ここで山の話。
私はナチュラリストでもなければ登山や周辺を歩き回るハイカーでもない。
日本の山の名前を上げろと言われたなら、「富士山」とか「日本アルプスのいくつかの山々」後はいくつかの独立した山々の名前をあげられるくらいではあるが、考えてみれば「埼玉の山ってどんなのがあったっけ?」
埼玉といったなら秩父方面なんだけれども情けないが名前を言える山はホント少ない。
「雲取山」「甲武信岳」「武甲山」「両神山」 山々ではないし埼玉県内だけではないが「大菩薩峠」とか「志賀坂峠」なんていうのも知っているが。もっとも「大菩薩峠」なんて小説のタイトルで知っているだけだが。山好きの友人の話によれば他の山々が尾根伝いにずらっと並んである程度全体を俯瞰できるのに対して秩父の山は一つ一つが独立して東西南北に範囲がとても広くて一度に制覇するのに結構エネルギーがいるらしい。荒川源流地帯とか他ではなかなかないところだとか。
で、この本にもそういう場所がたくさん書かれているのだけれども、とにかく読みやすくてスラスラとページが進む。とにかく専門用語が少なくてわかりやすい。一度くらいは自分のような無精者でも行ってみようかなという気になるかも。それくらい魅力な場所として書かれている。
著者は山田哲哉。奥秩父がホームグランドでこの地のほぼすべての沢を踏破したらしい奥秩父の生き字引のような人らしいです。今年60歳。
私の守備範囲ではないけれども、学生だった頃この地方のことを研究している友人がいて夜な夜な酒盛りついでにおもしろおかしく研究成果を話してくれてみんなでワイワイと限りなく雑談に近い議論をしていた記憶がある。そいつによれば奥秩父一帯は民俗学を勉強するにあたっては「お宝の山」らしいです。
意外なんだけれども山々の尾根伝いに続く山道は秩父から甲州、信州へ行く最短ルートで今では想像がつかないほど人の往来があったらしく今ではハイカーのための登山道となっているが、最近までその登山道が国道140号線だった。(今の多くの人は都会人を除いてどこへ行くにも車で行くことが前提の場合が多いのだけれども、車で行けない場所は、車が通れない道はなにもない場所と思いがちなんだけれども)そんなことで昔の人の足あとの形跡はアチラコチラにあるらしくて「前人未到」なんて場所はほぼ存在しないらしい。
何年か前、今では車で直接行けるようになった140号線を走ってみたことがあったけれどもこんな山奥でも結構通行する車が多いのな。それもトラックが多い。
奥秩父登山の埼玉側の出発点となる栃本の集落なんて埼玉では人が住んでいる場所の最深部なんだろうし、集落は急傾斜の山肌に民家がへばり付いて建っている感じでちょっとした地震とかで谷底に転げ落ちそうに見える。そんな集落の中で、ちょっと場違い何じゃないかと思えるくらいの大きくて立派な家屋があってそれが栃本関所跡。昔人の往来が結構あったという証拠なのかも。
登山とかでなくその土地の古来から伝わる文化とか風習とかというのはなかなか興味を引くものが多々あります。
何と言っても私が興味が有るのは、狼伝説。この周辺の守り神は狼で多くの神社がオオカミを祀り、狛犬は犬ではなく狼で、また御札にも描かれている
日本オオカミは明治の中頃に絶滅したとされているけれども、この地ではそれ以降も結構目撃されていたらしくて昭和の時代に入っても目撃されていて中には戦後しばらくしてから遠吠えを聞いたなんていう話もある。
この辺は鹿や猪の個体数が豊富で、畑の作物とか植樹したばかりの木々の樹皮若葉を食いつくすなどの被害が深刻なんだけれども、鹿や猪を食料とする狼が害獣を適当に間引いてくれていたので人間としてはずいぶん助かっていたらしい。人間から見れば狼は守り神そのものだったと言っても過言ではないでしょうね。そんなわけでこの地の人々は狼に敬意をもって、当たらず触らずの適当な距離感を持って接していた。それは狼にとっても居心地のいい場所だったはずで昭和になっても生きながらえたらしい理由なのかも。
今狼がもし再発見されるとしたら奥秩父一帯は最有力らしい。
ずいぶんと本の内容から離れてしまったが、奥秩父と聞くと登山の話よりもこういう話のほうにいってしまう。
Posted at 2014/04/18 01:12:09 | |
トラックバック(1) |
ひま人の博物誌 | 旅行/地域