昨日は思った以上に雪が降りましたね、今朝は凍結しているので注意してくださいね。昨日話に出た奥利根湖の紹介を少ししよう。
奥利根湖にて、何と言う贅沢、自然を独り占め(本当は四人占め?)
遠くの山にまだ雪が残っている、ここはカナダか?
何を飲んでも俗世間とは違う味になる、至福のとき、この非日常、贅沢だなー。流行と言うのは怖い物でここ奥利根湖にもジェットスキーなどが来るようになり静けさが打ち消されることが多くなってきた、現実に引き戻される!ここにはエンジン音は似合わない!さてクルマの話に戻ろう、ハイエースワゴンも良かったし色々思いでも作ってくれたが如何せん設計が商業車、前席が狭い。そんなわけで買い換えました。
今度はミニバンにしようと検討、結局安いので(これ重要です!)何とマツダのMPVの初期型に決定、とうとう俺も恐怖のマツダスパイラルにはまってしまったか?そうマツダ車はローターリーエンジンが耐久性・燃費が悪いというイメージで他メーカーでの下取りが凄い悪く結果、、マツダから抜け出せなくなることを言っていた。でも乗ってみればディーゼルのハイエースに比べれば静か、そこそこ速い、広いいい車だった。
このころは小さい子供もいたので若い頃のような反社会的な改造はしなかった。では何をしたか。
タイヤホイールの変更、後期モデルについていた16INの新品をネットで購入、当時大型トラックなどで使い始めたHIDヘッドライトだ、乗用車では一部の高級車についていた。今のようにアフターパーツのない時代、ネットで探すと改造して付けている人がいる。あの闇を切り裂く青白い光。昔若い頃ハロゲンランプが出た当時もそうだったな、それまではシールドビームで黄色い色だったがハロゲンの白い光に感動したもんだった、今の若い世代にはわからないだろう。
部品はいつものヤフオクで購入、中古のバラスト、バルブを落札、レシピは切れたH4バルブ二個、これは台座のつばの部分を使う、これとHIDバルブを合体、簡単そうだが細かな作業が多かった。ただこれだと下向きだけになる。上向きなし!こんだけ明るければ上向きの必要性はないがパッシングも出来ない、そこで何とH3バルブを上向きようにHIDバルブの横に取り付けた、光軸はあさってを向いているがパッシングは出来る、誰が考えたのか今思えばある意味凄かった。
その後多くのクルマにHIDが装備されるようになりアフターパーツも高いときは10万円もしたが今では大陸製なら5千円以内で買えるようになった。しかもローハイ切り替え付き、昔DIYしていたのが嘘のようだ。その後一番の改造はルーフレールの取り付け、ハイエースから乗り換えカヌーが乗らないのです、MPVは両側スライドドアなので取り付けられるキャリアが限られていた。マツダはどう言う訳かルーフレール設定車種が少なくそもそも付いているのが非常に少ない。カヌー以外にもDIYするのに長ものを買うこともあるのでしっかりしたキャリアは必要だった。それならルーフレールを付けよう、さっそくヤフオクで探したがそもそもマイナーなMPVそれもルーフレールなんてなかなか無い、半年くらい掛かってやっと見つけ落札。では早速取付開始。
まあ屋根に穴をあければいいわけだが準備が大変、位置決め、内装撤去、天井ピラー廻りすべて撤去、内装はずしはコツがいるので大変だが当時はネットで調べられるようになり助かった。
穴あけの切子が飛び散らないように磁石を使ったり、雨漏り対策など細かい気遣いが必要だった。
その後今度は今では多くの車についているドアミラーウインカーだ、純正オプションの中古をヤフオクで落札、これは思った以上大変だった、ボデーとドアの接続箇所に40Pくらいのコネクターのでかいのがついており、コネクターのあいているところにドアミラーのコネクターを差し込んで使うわけだが俺のは中古、前の人がきってしまい付いていない。このコネクター見たこともない細いもの、色々探したがないので既製品の一番小さいものを加工して取り付けた、これが一番大変だった。取付後の満足度は最高、当時まだまだついている車は少なかったからだ。
この時期は年もとったし子供もいるし改造と言うより合法的なドレスアップが中心になった、でも自分でやらないとすまない性格には変わりない。家族みんなで出掛けたりする事も段々なくなり、俺も退職したりして乗ることもなくなり(軽トラに浮気した為)昨年廃車しました、長い間有難う。
いままで特別いい車凄い改造をしたわけではないが自分で考え殆ど自分でやってきた、そう何でも自分でやらないと気がすまないのです。これにて愛車遍歴は終了となります。長々とした文章を読んでくれて有難うございます、さてミゼットの作業もやらないと!
ではこの続きはいつかな?
Posted at 2016/01/19 10:54:26 | |
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