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2017年05月26日 イイね!
電車の中、行きに読む、楽しみの読み物。
それは、自分のブログだったりする。

アップしていない日は、つまらない。

誤字脱字を発見したりして、スマホでちまちま訂正したりして。
なにやってんだか。

ここのところ、あまりアップしていない。

売れない女芸人だから。


ちなみに、最近、2歳半の孫が、どうも、売れない男芸人路線をひた走りしている感がある。
表情が、めちゃくちゃ面白い。
派手派手、顔中がキャンバスというぐらい、感情表現の大技の連続。
ずこっとコケたりするしぐさが、わざとやってないにしても、ユーモラスすぎる。
弟1歳は、クールな二枚目、眉間に皺タイプ。
兄弟なのに、えらい違いだ。

言葉が、また面白い。
はじめの頃は、日本語カタコトの外人みたいだったが、
最近は、関西コテコテおっさんみたいになっている。

ほんの短い時間で、こうもまあ、ころころ変容するものだ。

「おばちゃん、おばちゃん」、と、あんなに懐いて、片時も離れなかった、次女に対しても、
ここのところ、見向きもしない。
必死で力の限り尽くして、遊んであげていた次女は、お気の毒。
人間の熱は、いかに醒めやすいか、身を持って体験する、良い機会になることだろう。

義母がよく言っていた。
「いくら孫に尽くしても、しょせん、孫は親のもの」
なるほど。
親として子供に一生懸命尽くしても、子供は親のものではないけれど。

変化目まぐるしい2歳と1歳の孫と、ちょっと落ち着いてきた90歳手前の母親、
動と静、上昇と下降、相変わらずの対比。
ぎっこん、ばったん、シーソーのごとく。
また、どちらかに手を焼く時が突然やってくることだろう。
ただいま、小康状態。

秋の一日。
電車の中の読み物は、時間切れにより、短編ながら、無理やり完成した。
Posted at 2017/05/26 11:47:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月17日 イイね!
とある人のブログ記事から、インスピレーションを受けて、勝手に自分のことを書く。

自分の頑張りの最盛期は、小学4年生ぐらいから、中学3年まで。
あとは、もぬけの殻、余生。
しかし、余生が活きたのは、その頑張りがあってこそ。
頑張りの後に、しばらく暗黒時代が、高校の3年間続いたが、それまでの暗さに比べると、自嘲する余裕はあった支付寶 HK

その後の余生は、足のない明るい幽霊みたいで、けっこう楽しく暮らした。
時代背景が、良かった(とらえようによっては、悪かった?)
わたしのような者にも、受け皿があった。
今なら、すっぽり、「発達障害」の枠に収まる。
どうにか、単なる劣等生というだけで済んで、やれやれである。
昔は周りも大らかだったのか、変わった子はいっぱいいて、ひとりひとりにかまっていては、時間も労力も足りなかったのだろう。

今の子どもは、かわいそうだ。
窮屈そう。

ま、優秀でもなんでもない、凡人(以下?)のわたしは、なにかの間違いで(親の策略で。「教育方針」ともいう)、やたら優秀な人間がウヨウヨいる教育現場に放置、置

き去りにされた。
落ちこぼれようが、いじめられようが、先生に叱られようが、家庭でのフォローは、一切なし。
救いの手など、なにもない。
崖から突き落とされ谷底へ支付寶 HK


たまたま、その学校が近所にあったから、という子供も放り込まれ、わたしと同じような、苦汁を舐めている。
彼らは、卒業後、一度も同窓会に顔を出さず、その後の行方も本人が全く知らせてこないので、同級生たちは、皆んな消息を知らない。

わたしを含め、彼らも、醜いアヒルの子。といっても、「白鳥の子がアヒルに囲まれ、一羽だけ周りのアヒルと外見が違うため、醜いアヒルの子と言われ悲しい思いをした

、実は美しい白鳥」の反対で、「白鳥たちに囲まれた、正味、醜いアヒルの子」だった。

わたしの劣等意識は、このようにして、多感な時代に培われた。
本来、花よ蝶よと、いろはカルタや塗り絵、蹴鞠をして遊んでいればそれでよかったのに、否応なく劣等感まみれになる、複雑な環境で学生時代を過ごした。

その、白鳥たちの園を無事、卒業というかたちで脱出し、当時の受け皿に、どうにか軟着陸した。
今の世の中では、その受け皿はない。
(と、わたしの意識の中ではそう思っている。が、まだ、旧い価値観を堂々と主張して止まない人もいる)

(受け皿って、なんやねん?
はっきり書かないと、わからないではないか。
という流れでしょうが、あえて書く気なし。
自分のブログって、いいなあ。なんでもアリだから支付寶 HK
これで閲覧数が減っても自己責任であります。)

しかし、この、明記、名言しない「受け皿」のおかげで、一時は身の置き所を確保したように思えたが、その日から、新たな、わたしの「受け皿」に対する苦悩が始まった



なんでも、ちゃんと解決してマイナスをゼロにリセットしてから次に進まなければ、マイナスを根本解決せず、その場しのぎ的に、うやむやに誤魔化して体裁だけ整えて次

に進むと、ろくなことがない。
やがて、持ち越したマイナスと対峙しなければならない時がやって来る。
自分自身の負の遺産のようなものだ。

受け皿は、根本的な受け皿ではなく、一時的、セーフティネット、駆け込み寺みたいなもので、羽を休め力をチャージし、やがて自分で自立するまでの補助機関のような役

割を持つ。
(抽象的で、わかりにくくて、すみません、です。)
が、クリアできずに先送りしていることに対して、一時的には力を貸してくれても、最終的には自分でどうしかしないとダメってことだ。

余生なのに、未解決案件を抱えている。
そうすると、今は余生ではないのかも。
余生を送るまでには、解決せよ、という命題を持ち続けている。
なので、実質的には、一向に余生に移行できない。

解決できない問題を抱えることは、じつは、生きがいだったりするのか。
生きがいって、プラスのことばかりではないようだ。
マイナスをゼロにしなければ、あの世に行けない。
厄介なことだ。
逆に、問題を抱えて闘い続けているかぎり、マイナスではあるものの、生きがいがあるということか。
マイナスは要らないから、プラスだけの生きがいが、いいと思うが、そうはうまくはいかないのが人生のようだ。

マイナスはマイナス要因として、そっと静かに温存し、別の分野のプラスを増やして、プラスマイナスした総合点で、プラスになればそれでよし、かなと。
乗り越えたり、克服したりしようと、無理やり頑張って、弱点をほじくり出してもつまらないかな、と。

またまたファジー、うやむや、靄にかかった、先送りである。
Posted at 2017/05/17 12:19:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月08日 イイね!
 エアコンが苦手というカノジョが開け放った窓の下で、カノジョはコミックを、ボクはパソコンの雑誌を眺めている。背もたれにしているベッドが暑い。蝉の声と、隣家のエアコンの室外機がたてるブーンという音も暑苦しい。その向こうから時々風に乗って電車の音が聞こえてくる。
 
 ボクは少し退屈して、横目でカノジョの膝小僧を眺めていた。
 体育座りをした長い脚の、ツルツルで、ドキドキの膝小僧。
 その視線に気づいたからなのか、カノジョはゆっくりと右足を上げると、左膝の上にその足首をかけ、つま先を少し高く掲げながらボクの方をチラと見て言った防脫髮洗頭水

「ねぇ、ジュンちゃん、こんなことできる?」

「なんだよ」と、ボクは今初めてカノジョの脚に気づいたみたいに雑誌から目を上げて、さも面倒くさそうに言う。ずいぶん久しぶりに口を開いたような気がして口の中がねばねばする。

「ほら、こうしてさ……」と、カノジョは足の5本の指を開いたり閉じたりしてみせた。
 グーパー、グーパー。 
 まるで、風で膨らむレースのカーテンの裾を掴もうとするみたいに、真っ赤なペディキュアが見えたり隠れたり。
 
 それくらいならボクにもできる。汚ねぇ足だけど、
 グーパー、グーパー。
 
 カノジョはボクの足を見てフフンとひとつ鼻で笑うと、動かしていた足の指を、パーの形でいったん止めた。そうしてから、ひとーつふたーつと指折り数える時の手の動きと同じようななめらかさで、親指から人差し指、中指……と一本ずつ順番に折り曲げて少しずつグーの形にしていく。
 
 なんだそれは。どうしてそんなになめらかなんだ奶粉券
 ボクが今まで一度だって見たこともなければ、やってみようとさえ思ったことのない動き。できるわけがない。指がつりそうだ。
  
 いや、ひょっとして、そういうことができるのが当たり前で、できないのはヒトとしてボクの方がおかしいのだろうか?

「なーんだジュンちゃん、できないの?」

 案の定カノジョはおかしそうにケラケラ笑う。
 それから今度は、両足の指を床にぺたりと並べてボクに見せながら、もう一度親指から薬指までをひとつずつ折り曲げていった。そうして残った小さな指だけをピンと立て、作り声で「バイバーイ」と言いながら小指を左右に振って見せる。

 右の小指で「バイバーイ」
 左の小指が「バイバーイ」

「できる?」
「できないに決まってるだろ」

 なんだろう、このショック。

 赤い小さな爪がバイバイしながら意地悪くボクを見ているような気がする。
 まるで小指だけが別の生き物みたいで、それはもう、ボクが今まで何度も口づけたカノジョの脚じゃないようだdha 功效

 少しも思うように動かないボクの足の指を見て、カノジョは「変なのー」と笑い続ける。そんなことができる方がおかしいんだ、おまえは猿か? と笑い返したいと心の半分では思っているのに笑えなくて、それどころかなぜだかどうにも不愉快で、ボクはボクの不器用な足でカノジョの足の指を押さえ込むと、ほとんど踏みつけるようにしながらカノジョを押し倒した。

「いったぁーい!」
 そう言いながらもカノジョは笑っている。くすくすくすくす笑っている。
 ボクの頭を胸に抱えこんで、これからボクがすることをカラダ全体で待っている。
 
 だけどボクはボクの足の下でもぞもぞと動くカノジョの足の小指がもう気味悪くて気味悪くて、すっかりなんにもする気をなくしていた。
 
 バイバーイ、バイバーイ。
Posted at 2017/05/08 13:08:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年09月28日 イイね!
さわやかな風の中に、金木犀の香りが届くと秋を感じ、なんだか嬉しい季節の到来と心ワクワクした青春時代でした。

昔は秋が好きでした居二按揭

本日、金木犀の香りが初出荷で私の鼻に届きました。が、むわ~~~~っとした熱い空気の中での初対面は嬉しいような、悲しいような。

あきらかに季節感が私の生きてきた短い人生の中で変わってきています。
春から夏への「合服」が不要になり、いきなりほとんど「夏」

夏から秋へは、爽やかな空気と青空を喜ぶことが少なく、秋雨で湿気が多いときが増えているように思います。
まあ、そういう楽しくない天気が多いと、たまに来る、スカッとした抜けるような青空やツンとした空気の清澄さが、より新鮮に感じるのかもしれませんけどね業主貸款

食欲の秋、芸術の秋、読書の秋とか言いますし(なぜか食欲を一番に書いてしまいましたけど)、野原には草の中に小さな花々も咲いて安野光雅の絵本「野の花と小人たち」の世界を彷彿とさせてくれ、ちょっとだけ嬉しくはなりますが、私は湿気が大嫌い。

なので、ここ数年秋を心から楽しむことができないでいます。

人生61年で、そろそろ飽きがきたり、慣れがきたり、いろんなことに新鮮味を感じることができにくくなってきたのかもしれません。
若いときは大好きだった秋ですが、最近はあまり好きではないかもと思う今日このごろです居屋貸款

ではまた
読んでいただいてありがとうございました。
Posted at 2016/09/28 17:49:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年09月15日 イイね!
僕が子供だった頃のアメリカは
《強国》であり、《悪党揃いの共産主義国家と
闘う西側のヒーロー》でした。


あの頃は、かの有名なジェームス・ボンド氏も
同様によく共産主義国家と闘っていましたよね
(まあ、その背後にはスペクターがいたりも
するのですが)海外 報奨旅行
CIAのエージェントも出てきて、ボンド氏と
共闘したりするんです(これは、デンジマンと
サンバルカンが一緒に闘うみたいなものでしたね)。
素晴らしき米英同盟というわけです。
『世界の警察』バンザイ!! ってなもんです。


しかし、あの頃のアメリカは豊かな大国でしたね。
アメリカ人のイメージといえば、
でっかい車に乗り、手には瓶のコカ・コーラを持って、
地平線が正面に見える真っ直ぐな道を
すっ飛ばしているというものでした
(もちろん、レイバンのサングラスもかけてます海外 買い物)。
おおらかで、
正義感に溢れ、
すべての良きものはアメリカから生まれるという感じでしたね。


ただ、彼らが真っ直ぐな道を通した
その土地は、もともと他人のものだったんですよね。
『フロンティアスピリット』なんていうと
格好良く聞こえますが、
けっきょくは先住民の土地を強奪する行為を
聞き心地のいい言葉にかえただけのことです。

つまり、
アメリカ人は、他人から奪った土地を
取り返されないために武装し、それを
いまだにつづけているというわけです香港 食事


もともとそういうことをして成り立った国だからか、
彼らの根底には強い怯えの心情があるように思えます。
銃の所持に関する議論を聞いていると、
「悪事を働くかもしれない人間がいるのだから、
武装する必要がある」みたいなことを言う奴が
出てきますが、
「それって、ビビってるってことでしょ?」としか
思えません。


では、なぜ彼らはビビるのか?


こたえは簡単。後ろ暗いところがあるからです。
アメリカ人に限らず、自分の行為にやましさを
感じていたり、そもそも自信を持つことのできない連中は
必要以上に強く出ようとします。
タフぶるってことですね。
怯えた猫が毛を逆立てるように
人間も自らを大きく見せることによって
恐怖をやり過ごそうとするのです。
アメリカ人が銃を持つというのも、
そのひとつのあらわれに過ぎません。


ちょっと前にも白人警官が丸腰の黒人を
撃ち殺していましたよね?
あれだって、単にビビっていたからでしょう。
過剰に自己防衛しようとしてパニックになり
無抵抗の人間を撃ったというだけのことです。


だいぶん前には、日本人留学生が撃ち殺された事件も
ありました。あれだって、《犯人》が怯えていたから
起こったことでしょうね。
怯えた人間が手に銃を持っているんです。
これじゃ、なにも起こらないはずがありません。


ところで、
銃規制反対派は、子供にまで自らの怯えを
伝染させようとしているようです。
『赤ずきん』を改竄し、かわいらしい
赤ずきんちゃんがライフルを携行して
おばあさんのもとへ行く話に変えて
しまいました。これじゃオオカミも
赤ずきんを襲えませんよね。
おばあさんも武装しているのでオオカミは
手も足も出ません。しかし、
それではいったい
この話はどう進むのでしょうか?



いや、ほんと、まったく。


危険は巷にあふれています。しかし、
それは当然のことなのです。
怯えるのはかまいませんが
過剰になってはいけません。
また、
妙にタフぶったりするのも駄目ですね。
怖かったら、素直に「怖い」と言えばいいだけです。
「怖くなんかねえよ。俺様は強いんだ。
どんな奴がきたってノシちまうさ」などと
強がってみせていても、最終的に
銃をぶっ放して解決するというのでは
情けない限りです。


いえ、
これはアメリカ人だけの話ではありません。
すべての人間が、ものに怯え、過剰に
自己防衛しようとしています。
国家レベルでもそうであれば(思いあたること
ありますよね? 僕たちはこの何年間か、ずっと
恐怖心を煽られています)、
個人でもそうです。
Posted at 2016/09/15 16:53:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
プロフィール
「自分のためのショート?ストーリー http://cvw.jp/b/2613088/39831784/
何シテル?   05/26 11:47
musicwhです。よろしくお願いします。
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