四十九日の法要はまだ先なんですけどね・・・^^;
思い出すのは7月上旬に始まったドタバタ劇。
父の最期を看取ったその直後から、私は悲しむ間もなく弔事の対応に追われ、その後も高齢の母の代理で諸手続きを進めるため、朝から晩まで慌ただしく奔走する日々が続きました。
実はこの間、心身ともに疲れ切った母がすっかり体調を崩してしまい、マジで気が気でない状況もあったのですが、ここは毎日のケアを強化する一方、母の主治医に相談してQOL改善のための大鉈も振るい、当座の危機をなんとか脱していたのです。
(え? 呑気にブログを書いてたくせにって?? いえいえ、ギリギリのところで心のバランスを保っていたのですよ・・・)
こうして、次々に迫り来る初体験だらけの局面を自ら乗り越えていくので精一杯で、ほぼ制御不能な環境下に置かれていた私ですが、そんな不自由な身でありながらも、自分の意志で「ぜひやらねば」と強く決意し、自分自身で何度もその思いを確かめたことが一つだけあったのです。
それは、
お世話になった病院関係者への御礼。
実は、父が最後に担ぎ込まれて息を引き取ったのは地元総合病院の救急救命センター。病院は同じでも、毎週治療で通っていた診察科には直接お世話にはならなかったのです。
このため、ともすれば患者だった父の他界を機に、つい先日まで父のために最善を尽くしてくださった方々とプッツリ縁が切れる可能性すらあったわけです。
父の身体に異変が起きてから彼是3年。
この間、要所要所で適切な診察や処置を受け、何度も絶体絶命の危機を乗り越えてこれたからこその3年であり、その間にお世話になった方々に臨終の報告もせずに、ましてや一言も感謝の意を伝えずに、ここを立ち去ってしまうだなんて、
父の通院に毎回付き添い(皆勤賞!)、また、通算5回の入院時にもほぼ毎日顔を出してきた自称・孝行息子の私としては、
全くあり得ない行為に感じたのですね。
そこで私は告別式の翌週、父が通院していた曜日に合わせて総合病院を訪れ、父が診察を受けていた2科の担当医と処置室2箇所を回って感謝の意を伝え、さらにその足で、3年前の手術の執刀医が開業した個人病院も訪れて、一連の経緯を報告しました。
私自身、こうして長年の感謝の思いを余すところなく伝える機会が得られて大満足だったのですが、それにもまして印象的だったのは、皆さんが多忙の折り、揃いも揃って最優先で私との面会時間を確保してくださったこと。
全くのアポなし訪問ゆえ「お手隙の時で構いませんから」と極めて控えめにお願いしていたのに、患者さんの診察の合間を見て速攻で呼んでくださったお気遣いが本当に有難く、感激してしまいました。
でも・・・これでもまだ
全員ではなかったのです。
父の死因となった憎き病気を最初に突き止め、家族の私に正確かつ丁寧に病状を説明してくださった主治医が、今春から遠方の総合病院に異動されたため、お一人だけご挨拶ができていなかったのです。
で、つい昨日のことですが、お盆の長期連休を利用してやっとのことで遠征が叶い、晴れて自ら課したタスクを完遂。掲題の通り、私の心の中で「ひと区切り」付けることができました。
あ・・・もちろん道中のお供は、亡き父の
アクセラXDにお願いしましたよ(^^)。
なお、そのアクセラの今後の処遇に関しては・・・
少し悩んだものの、既に納得の結論を出していますので、近いうちに報告します。
Posted at 2017/08/19 01:27:26 | |
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