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2017年12月09日 イイね!

【明石城】ゆったり城めぐりツアー①

【明石城】ゆったり城めぐりツアー①木金と大阪&兵庫に出張🚄だったので、自腹でもう一泊🏨城めぐりツアーへ😁
兵庫のお城🏯は駅チカが多いので、今回は姫路を本拠地にゆったりと電車🚃で城めぐり〜

姫路駅🚉改札内のコインロッカーに仕事道具を預け、先ずは小笠原氏ゆかりの明石城🏯へ

明石城は日本100名城🏯のひとつに数えられる連郭梯郭混合式平山城で、2代将軍徳川秀忠の命により、小笠原忠真が築城🔨

JR明石駅ホームからパチリ📸

現在、中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備されている

中堀の橋を渡ると太鼓門跡の大きな石垣👀テンションが上がっていく‼️

折れ曲がった虎口を進み、いざ攻城‼️
江戸初期の造りらしい打込接ぎの石垣🤔

大手虎口を抜けると2基の立派な櫓が見える👏
右側(辰巳の方角)が巽櫓(たつみやぐら)
左側(未申の方角)が坤櫓(ひつじさるやぐら)

芝生公園の横には小笠原家の客分だった剣豪・宮本武蔵が造った「武蔵の庭園」という日本庭園があり、武蔵は築城と並行して城下町の町割りも指導したと『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』にも記載がある🤔

公園の遊具も石垣風⁉️

日本標準時の東経135度子午線が通る明石市らしく日時計があります‼️
因みに東経135度子午線は明石市を含む12市を通っているが、最初に標識を立てた明石市が「早い者勝ち」で有名になったらしい🤔

籠の幅に合わせているらしく、微妙に歩きにくい緩やかな石段を登る🚶

手前が巽櫓で奥に見えるのが坤櫓👏
聳え立つ石垣が美しい‼️
江戸期の築城らしく算木積み、と打込接ぎの組み合わせ🤔

反対の坤櫓側からもパチリ📸

本丸の西南に天守台があるが、実際に天守閣は築かれず、巽櫓・坤櫓の他に乾櫓(いぬいやぐら)と艮櫓(うしとらやぐら)を本丸の四隅に構え、他に16基の櫓と城門27棟が立ち並んでいたという🤔

天守台から見る坤櫓
創建当初の坤櫓については伏見城の建物を幕府からもらい受け、移築されたとのこと🤔

櫓を繋ぐ土塀‼️圧巻‼️

塀の内側には木製の台が設置されており明石の町を見下ろすことが出来ます👀

巽櫓の奥には明石海峡大橋がうっすらと見える😳

坤櫓  5・9・11・3月
巽櫓  4・10月
の公開ということで、中に入れず残念😱
どちらも現存の櫓で国の重要文化財👏
折りしも一国一城令(1615年)によって廃城となった近隣の三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し築かれたと伝えられている‼️

現存櫓や石垣は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けたが、現在の美しい姿へと全面修復したとのこと👏

お見事です‼️
Posted at 2017/12/13 18:16:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月25日 イイね!

【難波田城・滝の城】城めぐり

【難波田城・滝の城】城めぐり天気もいい☀️ので、洗車✨
いい気分なので、城めぐりドライブ🚐💨

先ずは、富士見市にある「難波田城🏯」

難波田城🏯は南畑城とも言われ、平安時代の武士団「武蔵七党」を祖とする難波田氏ゆかりの荒川と新河岸川の間の自然堤防上にある平城

戦国時代には珍しい、三重の水濠が大きな特徴🤔

難波田氏と言えば、「武蔵松山城」のブログでも触れた難波田弾正憲重と北条方の山中主膳の一騎討ちで、山中主膳の槍を払い落した難波田弾正が馬首を松山城に向けて走りだした際に山中主膳が和歌を詠じ、

難波田弾正も和歌で応酬したとのこと👏

この件、風流で大好き‼️

現在、難波田城公園として整備され、市民の憩いの場となっており、「城跡ゾーン」と「古民家ゾーン」に分かれている🤔
「ゾーン」って…嫌な予感が…💧

追手門から攻城開始‼️

なかなか雰囲気のあるつくり🤔

追手門を抜けると、必要以上にキレイに整備された食い違い虎口…💦

発掘調査の時に出土した橋脚をもとに復原した木橋…💦

復原土塁と水濠…

キレイ過ぎる…💦

本城跡に続く木橋と冠木門…猫が気持ちよさそうに昼寝💤

難波田氏館趾の石碑‼️
すぐ後ろに住宅がっ😱

東側の冠木門🤔雰囲気出てます‼️

水濠の奥は難波田城資料館‼️雰囲気のある佇まいではある😅

古民家ゾーンにある旧大沢家住宅

発掘調査の成果と古城図を基に、戦国時代の難波田城を復原した努力には👏だが、一言だけ言いたいっ‼️
整備し過ぎじゃないかっ⁉️

続いて、所沢市にある北条氏ゆかりの「滝の城🏯」へ🚐💨

「滝の城」も現在は「滝の城址公園」となっている…再び嫌な予感が…😱

滝の城🏯は、東京都清瀬市と埼玉県所沢市に挟まれた柳瀬川の北岸の断崖上にあった多郭式平山城

東所沢病院🏥の横を抜けると狭い下り急カーブが連続し、

いかに滝の城と天然の堀である柳瀬川の高低差が大きいかが分かる🤔

正面の小さな山が「滝の城址」

最初の築城は平安時代末期と伝わるが、河越夜戦以降は北条氏の支城となる🤔

幟にも「北条氏照公の持城」と控え目な表現😅

かつての本郭跡に建てられた城山神社⛩への入口

おーっ‼️いきなりテンション上がるわ⤴️光景😳

急な階段を登り、境内へ💦

立派なお社👏

「瀧之城本丸趾」の石碑‼️文字が赤いのがちょっと怖い😱

本丸虎口‼️抉り取った様な空堀😳

馬出🐎

門跡、両脇は空堀で土橋になってる🤔

三の丸跡 北条氏照が家臣と茶を飲んだことから「茶呑みくるわ」と言われていた😊

三の丸と本丸の間の空堀が深い‼️

三の丸からの眺め👀
滝の城は河越城と小田原城を結ぶ重要な中間地点であり、比高21.5mながら北条氏特有の縄張りが見られるまさに天然の要害‼️

一部、発掘調査中の場所も🤔

二の丸は駐車場になってる💦

二重堀跡‼️
複雑に絡み合った空堀👏

生涯学習推進センターにある「滝の城模型」を見ると、郭が見事に縁切られた滝の城の防御力の高さが分かります👏

とは言え、豊臣秀吉の小田原攻めの際、浅野長政の軍勢に大手から攻め込まれ、滝の城は落城🙏

小さいながらも明瞭な遺構を手軽に楽しめる城跡でした👏
Posted at 2017/12/02 16:51:56 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年11月17日 イイね!

【桑名城・熱田神宮】城・史跡めぐり

【桑名城・熱田神宮】城・史跡めぐり名古屋出張🚄のついでに、早朝から私の大好きな本多平八郎忠勝ゆかりの桑名城🏯攻め〜

桑名宿は、東海道42番目の宿場町で、尾張の宮宿と桑名宿の間は、東海道で唯一の海路であった

『七里の渡し跡』
その航路が距離が約28kmあることから「七里の渡し」と呼ばれ、

伊勢国の東の入口にあたることから、伊勢神宮の一の鳥居⛩が建てられており、右奥が再現された桑名城の蟠龍櫓‼️

歌川広重の『東海道五十三次』にも往時の「七里の渡し」「蟠龍櫓」が見られる👏

見た目は櫓だが、実は水門統合管理所という国土交通省の施設💦

蟠龍櫓の名前の由来である「蟠龍」🐉(天に昇る前にうずくまった龍)

桑名城🏯は揖斐川と長良川が合流する地点の岸辺に築かれた四重五層の天守、五十の櫓、四十六の多聞・城門を有する大城郭 で、関ヶ原の合戦の後、この地に移封となった本多忠勝が川の流れを変え「慶長の町割り」を行ない現在の町割りの礎をつくった👏

桑名市ホームページから拝借した天保年間の実測図と現在を対比させた図面を見ると、

幕末の戊辰戦争で新政府軍に敗れ、遺構はほとんど残っていないが、堀の位置などは当時とほとんど変っていない🤔

現在、桑名城址は九華公園として市民の憩いの場となっており、九華(きゅうか)を「くわな」と江戸時代から読ませていたとのこと🤔

桑名城の石垣は四日市港の築港に取られ、現在は石垣風のコンクリート…やっぱ味気ない💦

七里の渡しから三之丸にかけての外堀は当時の石垣がおよそ500mにわたって現存してます👏

船が邪魔だけど…

本丸跡にある桑名城跡の石碑

伊勢神戸城の天守を移築していた「神戸櫓跡」

桑名城天守閣🏯🔥焼失後は天守の代わりになった「辰巳櫓跡」‼️戊辰戦争で新政府軍に焼き払われてしまう💧

桑名城天守閣跡、四重五層の天守があったとは思えない大きさ😳規模を縮小して再現したらしい…

三之丸の道路沿いに本多平八郎忠勝の銅像がっ‼️思ってたより大きい👏
本多平八郎忠勝は、生涯57回の戦いで一度たりとも傷を負う事がなかったと言われる徳川四天王にして徳川三傑、徳川十六神将に数えられる猛将✨

『鹿角脇立兜』に『黒糸威胴丸具足』後ろには「天下三名槍」のひとつ『蜻蛉切』も‼️カッコイイ👏
忠勝の愛槍『蜻蛉切』は美しい刃紋が特徴の笹穂型の6mの大身槍であり、槍の穂先に止まったトンボが真っ二つに切れたことからこの名が付けられた😱

他にも数々の逸話があります‼️

15歳の時、叔父の本多忠真が倒した敵の武将の首を、忠勝に与えて初首を飾らせようとしたが、「我何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや」と言い放ち、敵陣に切り込んで敵の首を挙げた👏

姉川の戦いでは、朝倉軍1万に対して単騎突入‼️織田・徳川連合軍勝利のキッカケをつくり、織田信長から「日本の張飛」と称賛される👏

一言坂の戦いでは、殿軍を見事に務め、武田軍の小杉左近が
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と高札を立てた👏

武田滅亡後、織田信長からは「花実兼備の勇士」と称えられた👏

小牧・長久手の戦いでは、500の小勢を率いて豊臣軍8万の進路を阻み、
豊臣秀吉は忠勝を「日本第一、古今独歩の勇士」と称えられ、また「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と引き合いに出したと言う👏

蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり
手に蜻蛉、頭の角のすさまじき
鬼か人か、しかとわからぬ兜なり

と忠勝を詠んだ川柳もある👏

晩年、小刀を使用していた時に誤って微かな傷を負い、忠勝は「本多忠勝も傷を負う様では終いだな」と呟き、その数日後に亡くなった(享年63歳)🙏

浄土寺にある「本多平八郎忠勝公本廟」の石碑

本多忠勝の墓🙏

浄土寺の門を出る時に気づく😳

門の右側に『鹿角脇立兜』『黒糸威胴丸具足』

左手には『蜻蛉切』
こうゆうこだわり好き👏

時間が余り、熱田神宮⛩にも寄り、

ありったけの欲望を祈願🙏し、どうしても見たかった『信長塀』を見ました‼️

桶狭間の戦いに際し、熱田神宮⛩で戦勝祈願🙏をした織田信長が、今川義元を屠った後に、熱田神宮境内の周りに 400mに渡る築地塀を寄進した🤔

現在は約120mが残っている

反対側から〜
苔生す様子が歴史を感じさせる👏

土と石灰を油で練り固め、瓦を多数積み重ねており、三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び、日本三大土塀の一つといわれている👏

大満足でホテルに戻り、ギリギリ仕事に間に合いました😅

Posted at 2017/11/19 09:09:28 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年11月01日 イイね!

【千葉城(亥鼻城)】城めぐり

【千葉城(亥鼻城)】城めぐり台風🌀続きで腐っていた中、仕事で千葉県に行く機会があったので、昼休みを目一杯使って、近くの千葉城🏯(亥鼻城)へタクシー🚕で乗り付け😅

千葉城は、本来は亥鼻城と呼ばれ、現在は亥鼻公園として整備され、市民の憩いの場となっている☀️

石垣は史実とは関係ないらしい…

亥鼻城は1126年、桓武天皇の血を引く千葉介常重が築城し、その子の千葉介常胤の代に全盛期を迎えた✨
1180年に源頼朝が「石橋山の戦い」に敗れて房総に逃れてくると空かさず恭順🤔

その際に、常胤がこの井戸から水を汲んで源頼朝にお茶🍵を献じた伝説からその名のついた「お茶の水」

数少ない遺構の一つである土塁🤔ただ、いつの時代のものかも怪しいらしい💧

千葉城といえば、立派な天守閣🏯が有名‼️

ただ、天守閣🏯がデーンと建っていたなんて史実は全くなく…
昭和42年に小田原城を模して建てられた「千葉市立郷土博物館」がこの天守閣の正体💧

模擬天守閣🏯を色んな方向からパチリ📸

北側から📸ちょっと見辛い💧

東側から📸

南側から📸

南東側から📸

西側から📸
長押形のある白漆喰の天守閣🏯はやっぱりカッコイイ👏

千葉介常胤は、頼朝に鎌倉に幕府を開くことを進言したり、源平合戦・奥州合戦などの功績により、下総国・上総国・東北地方・九州地方など全国で20数カ所の所領を獲得した鎌倉幕府の中でも屈指の御家人👏

何故か天守閣に向かって矢をつがえた千葉介常胤の騎馬像がっ⁉️
「天守閣なんてなかったぞ‼️」との怒りか⁉️

内部に入ります🚶
外観は4層ですが、内部は5層です‼️

千葉介常胤の木像

伝千葉氏所用の当世具足

大身槍・十字槍・火縄銃

黒漆塗白絲素懸縅五枚胴具足

青羅紗包仏胴二枚胴具足

郷土博物館だけあって、内部の展示は充実してます🤔

この模擬天守閣は免震構造で建物が地盤と絶縁されていて、地震の時には地面と建物が最大60センチずれる構造との事🤔

実際、亥鼻城の遺構はほとんど無く、史実とは全くかけ離れた天守閣をぶち建てて、しかも、かつては内部にプラネタリウム(上の画像の4層に名残りあり)を常設していたという強者‼️

ここまで吹っ切れていると潔ささえ、感じます😅

Posted at 2017/11/03 18:56:19 | コメント(2) | トラックバック(0)
2017年09月18日 イイね!

【岩櫃城】上州真田三城城めぐりツアー③

【岩櫃城】上州真田三城城めぐりツアー③城めぐりツアーの第3弾は、真田家ゆかりの岩櫃城🏯へ🚐💨

続・日本100名城に選ばれた岩櫃城🏯は、大河ドラマ「真田丸」のオープニングにも登場していた岩櫃山(標高803m)の中腹にあった城

聳り立つ岩山‼️まさに天然の要害と呼ぶに相応しい👏

真田幸村もこの山で幼少期を過ごしたと伝わる🤔
かつて忍者修行の地であった岩櫃山⛰幼い頃に胸を躍らせた💓猿飛佐助や霧隠才蔵に想いを馳せ、登城口を探していると何やら城🏯の様な建物がっ😳

東吾妻町温泉センター岩櫃城温泉♨️でした…
現在は閉店しているそうです😅

「真田道」という細い道路を山奥に向かって走ります🚐💨

途中、道路の一部が崩れている場所がっ‼️
ギリギリの道幅にドキドキ🚐💨

漸く平沢登山口の駐車場に到着💦

登山道は「沢通り」「尾根通り」「赤岩通り」「密岩通り」の4ルートあるが、王道の尾根通りを選択🤔

岩櫃山一のスリル「天狗の架橋」もある「密岩通り」も行きたかったが、時間の都合で断念‼️

クネクネと曲がった急な坂を登り🚶💦

中城跡

栗🌰が小径に集まっている😳
熊🐻出没注意‼️の看板があったけど、ここに来たら逃げ道が無いっ💦

一際高い所に本丸が見えます👀

岩櫃城の最大の見所‼️

高い防御力を誇った竪堀跡‼️
信州上田城と上州沼田城を鳥居峠で隔てた中間に位置する岩櫃城は、武田信玄の上州攻めの重要な起点となることから、信玄は真田幸村の祖父、幸隆に岩櫃城攻略を命じました🤔

この縦横無尽に重なり合う竪堀は攻め手の心を挫くこと間違いないっ‼️

お見事👏
まさに難攻不落‼️
真田幸隆は、地域の僧侶を介して家臣団を寝返らせ、謀反によって岩櫃城を攻略したそうです🤔

竪堀を横目に見つつ🚶💦

二の丸跡

いよいよ本丸へ🚶

岩櫃城本丸址

更に頂上を目指すにはこの径を進み、

鎖と梯子のある岩場を登らなければならないっ💦

岩櫃城を崖側から攻めるのは不可能であり、当然、北側の根小屋となる平沢口からとなるが、狭く険しい山道なので、攻め手は細く伸び、少数の集団となり、両側から挟み撃ちにされてしまう😱

1582年、真田昌幸は、織田信長の猛撃により苦境に立たたされていた武田勝頼を、天然の要害岩櫃城に迎えることを提案し、勝頼を迎え入れるための御殿も急造したが、勝頼は小山田信茂の岩殿城に向かい、そこで信茂の裏切りにあい、勝頼は天目山で自刃した🙏

御殿は現在、潜龍院跡として岩櫃山の南側に残っているそうです😭

豊臣秀吉から「表裏比興の者」と称された真田昌幸の主君への想いを感じます👏

途中、番外編で「ロックハート城」の前を通りました😁

Posted at 2017/10/07 13:15:09 | コメント(1) | トラックバック(0)

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ATSUPHARDです。よろしくお願いします。 歴史(特に戦国時代)が好きな豪快且つ陽気なオヤジです。 日本中のお城を攻略する野望を抱く傍ら、オモロイ珍スポッ...
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