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ムインのブログ一覧

2016年12月20日 イイね!

子供の頃、親から聞いた朝鮮人の話

生前、親から聞いた話

1、朝鮮の人は、地べたで食材を切る。(不衛生)
2、顔を洗うときに手ではなく顔のほうを動かす。
3、食べるときは器を持たずに犬食い(顔を食器に近づける)する。
4、焼け野原になった駅前の一等地に縄を張って勝手に占拠して乗っ取って自分のものにした。(後にそこはパチンコ屋になった)

1~3は、習慣だから日本人とは違うのねという感じで聞いていたが、4については火事場泥棒というか、戦場泥棒というか、とにかく盗人なのでケシカラン!と親は憤っていた。(そらそうだわ)

ねずさんのひとりごとより引用
/////
太平洋側の多くの都市は、駅前の一等地にパチンコ店があります。
戦時中、艦砲射撃や、空襲で焼け野原になったその一等地に、半島から逃げてきた朝鮮人たちが、縄張りを張り、その土地を占拠した。

その土地の本来の所有者は、空襲ですでに死亡。そしてその土地の所有者のご家族が、土地に戻ると、すでに半島人がその土地を占拠している。交渉し、立ち退きを要求すると火病を起こして抵抗する。仲間を集めて、遺族に復讐する。
そうやって占拠した土地が、いま、駅前一等地のパチンコ店です。
/////

親の言ってたことは、本当だったのね。(疑ってはないけれど、全国的とまでは思っていなかった)
パチンコに行かないのは、そういう話が記憶にあるからかもね。
行ってもカモにされるだけだろうし。


一見、日本人の苗字でも戸籍乗っ取りの背乗りとか、あるから本当に怖いと思う。
顔も整形という手があるから、もう、人間は性格と行動から中身、質で見極めないといけませんね。

こわいこわい。
Posted at 2016/12/20 07:16:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2015年04月16日 イイね!

中華文明圏の生き残り戦略

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AIIB(アジアインフラ投資銀行)とドル覇権(3) 中華文明の生き残り戦略

中華文明圏の生き残り戦略は、きわめて単純です。


1 まず相手の強さを見極め、弱ければすべて奪ってぶっ殺す(チベット・東トルキスタン・自国民)。
 
2 強ければにこやかに「一緒に戦いましょう」と近づく。
表面上は協力するふりをして相手にだけ働かせ、裏で足を引っ張りながら気付かれないように相手の力(権力・人脈・資金・技術)を乗っ取ってゆく
 
 そのとき相手組織の中に自分の味方になってくれそうな人を見極めて支援する。つまり敵の中で内通者(裏切り者)を出世させる。
 
3 相手(家族・会社・国)の内部で争うようにウソをつき、利益をちらつかせて切り崩す。
特に重要な同盟国や取引先に、相手を支援しないよう働きかける。
両方にひどい噂を流してお互いが信用できないようにする。
 
4 相手が孤立し弱ったところですべて奪い、葬り去る。
敵組織の中で利用した内通者はすぐ粛清。
 
5 次のカモに笑いながら近づく


これは中国の歴史やビジネスに詳しい人ほど賛同してくれるのではないでしょうか。

どうも中華圏(北朝鮮・韓国含む)では「勝ち負け」「序列」以外は価値を持たないようなのです。つまり「どんなに卑怯なことをしても勝てばよい」という人生哲学です。
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 この中華文明圏の生き残り戦略に激しく同意!

以前勤めていた日本の会社も乗っ取られてましたもの。

○年間税金免除するよ~とか、その他諸々の甘い言葉に誘われて、中国に進出した数年後、反日デモで工場被害、その後外資に工場売却。
工場で働く人も半年、1年で仕事を覚えた頃に同業他社へ転職して行き、定着しない。
同じ業界でぐるぐる回って、前の会社で経験を積んだからと報酬を高く要求して回遊するらしい。
引きとめようと給料アップを提示しても彼らは”既に転職を確定”してから退職を伝えてくるので、引き止めは成功しないと人事担当が嘆いていた。

いくら人件費が安いといっても定着しないのでは教える手間賃が掛かる。
かといって即戦力として経験者を募集すると給料の相場が上がる一方。
新製品情報などもダダ漏れ。
泥棒に知恵をつけてやったようなもん。

これは同業他社への情報、技術の流出と同時に日本から中国への流出でもある。

日本の工場を閉鎖して中国に工場を出すのは、危ないから別の国へといっても「決定事項だから」と強引だったのも「これからはグローバルだから採用も日本人より外国人(ほぼ中国人)を多くする!」となったのも幹部が赤く染まっていたからだろう。

中国の上海、蘇州で老若男女、ホワイトカラー、ブルーカラー問わず、50人以上に「騙すほうと騙されるほうのどちらが悪いか?」と問うと一人の例外もなく、
「騙されるほう!」と笑顔で答えてくれました。
当たり前のことを聞くなという感じでした。
「騙すほうは賢くて悪くない。自分も早くそうなりたい。騙されるのは馬鹿だから悪いのだ。」という。

一見、まじめそうな若者(特に女性)にまで笑顔でそう答えられたとき、カルチャーショックを受けた。

まさに弱肉強食のお国柄、こういう教育なんだなと。

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彼らの手口がわかってしまえば、対処方法を考えることはそれほど難しくありません。

中華思想では生産活動を「卑しいもの」と考えるので、誰かの生産物や信用を横取りし続けないと生きて行けないのです。

ということは「仲間と情報交換をして同士討ちさせられないように注意し、資金・技術・信用を与えなければ勝手に自滅する」ということになります。


しかしここで厄介なのは、各国で育てられた親中派(パンダハガー)がいまや大きな権力を握っていることです。

日本の国益に反し、おかしな動きをする政治家・マスコミ・官僚・銀行・企業は数えきれないほどいます。

彼らは自分の会社や国が滅んでも、中国共産党を助けるように働くのです。


彼らは「中国を助けて日本を支配下に入れたら、ご褒美で自分をトップにしてもらえる」と期待しているに違いありません。

しかしそれは相手を良く知らないからでしょう。
彼らは利益を他人に与えませんし、そもそも約束を守りません。

多くの故事ことわざが示す通り、侵略が成功すれば内通者は真っ先に粛清されるのを知らないようです。
だってもう用はないのに「ご褒美」をしつこく求められるのも面倒です。
そして何よりも祖国を裏切るような奴は自分のことも簡単に裏切るだろうからです。


彼らの手先となって働く人々に共通するのは、相手の歴史や文化も知らず馬鹿にされながら利用されていることに気付いていないことです。
そういった人々が日本の中で高い地位を占めていることは、軍隊が攻めて来るよりも恐ろしいと思います。

そして彼らはいま、移民という名前の占領軍を日本に進駐させようとしています。

この間接侵略に気付かなければ、いまの先進国はすべて乗っ取られて滅ぼされるでしょう。
/////

”中華思想では生産活動を「卑しいもの」と考える”・・・だから略奪したり騙して寄生したりするのね。

自ら生み出さず、創造せず、他者から富を奪わないと生きていけないというのは、本当に寄生生物みたいだ。
日本人の持つ恥という概念がないのかもね。

”共存共栄、みんなで幸せになろうよ”という考えがないのね。

そんなかわいそうなアクマのような思想など滅んでいいと思う。
勝手に自滅したらいいんだ。
変化できないなら絶滅が定めだろう。
Posted at 2015/04/16 08:11:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2015年04月14日 イイね!

ペリリュー島 サクラ サクラ

動画もいいけど文字でもあったので、メルマガを転載してみた。

米国側の視点も書いてある。

こういうの学校でも教えてくれないし、本当に知らないものね。

/////
「ペリリュー島のサクラ」

 ニミッツ提督は「この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったか」と語った。

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■1.ニミッツ提督を感銘させた日本将兵の玉砕

 フィリピン南端から東に1千キロほどの太平洋上に浮かぶパラオ諸島の一つ、ペリリュー島では大東亜戦争中、日米の激戦が行われ、1万余の日本将兵が玉砕し、米軍も1万人を超える死傷者を出した。

 日本将兵の戦いぶりを、米太平洋艦隊司令長官だったニミッツ提督が次のような詩に詠んでいる。

__________
Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

 諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったかを伝えられよ。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ニミッツ提督は著書『太平洋海戦史』の中でも、ペリリュー島の激戦について、こう書いている。

__________
 ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40パーセント〉を甘受しなければならなかった。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.護国の英霊のお陰

 ペリリュー島は南北9キロ、東西3キロの珊瑚礁からできた小島である。
この島を防衛していた中川州男(くにを)大佐率いる1万2千名の日本将兵は、洞窟・地下壕を利用した持久戦で、昭和19(1944)年9月から73日間も米軍を釘付けにして、1万人を超える死傷者を出させた。[a]

 その持久戦法は翌年2月の硫黄島での戦いにも引きつがれ、2万余の日本軍は36日間持ちこたえて、米軍に2万6千人近い死傷者を出させた。
続く4月からの沖縄戦でも日本軍は同様の戦法に特攻を加え、米軍に7万5千人もの損害を与えた[b]。

 島を一つ取るたびに万単位の死傷者を出していたら、この先、日本本土占領までにどれだけの損害を受けるのか。
本土決戦までいったら100万人の死傷者が出ると予測された。

 日本が無条件降伏を受け入れるまで侵攻しようとするルーズベルト大統領の過酷な方針に対して、米国内で疑問の声があがったのだろう。
無条件降伏では、皇室が滅ぼされても、あるいは日本全土がハワイやフィリピンのように属領とされても文句は言えない。
日本は全滅するまで戦いを続けるだろう。

 ルーズベルトの急死を機に、その方針が急転換されて、ポツダム宣言で降伏条件が出された。ここでようやく日本は降伏を受け入れることができたのである。

 大東亜戦争での日本将兵の強さを認識したアメリカは、戦後、日本を頼れる国と見なして日米同盟を結び、それがソ連・中国との冷戦から日本を守った。
同時に戦後の日本国民は英霊の死を無駄にしないよう祖国の復興に力を尽くした。戦後日本の平和と復興・高度成長は、護国の英霊のお陰と弊誌は考えている。


■3.ペリリュー島原住民を退避させた中川大佐

 パラオ諸島は第一次大戦後、日本の委任統治領となった。大東亜戦争が始まると、日本はフィリピン防衛の防波堤として、ペリリュー島に東洋最大といわれる飛行場を建設した。

 フィリピン奪回を狙う米軍は、まずペリリュー島攻略から始めた。昭和19(1944)年9月15日、ニミッツ提督率いる大機動部隊がペリリュー島沖合に現れた。

 空母11隻、戦艦3隻、巡洋艦約25隻、駆逐艦約30隻、その他に多数の水雷艇、掃海艇、輸送船からなる大機動部隊が島全体を十重、二十重に包囲した。
島から見れば、水平線がすべて敵船に覆い尽くされているような光景だったろう。

 ペリリュー島には899名の原住民が住んでいた。
彼らは産業開発や教育普及に尽くしてくれた日本に恩義を感じ、全員一致で日本軍とともに戦おうと決めたが、中川大佐はそれを許さず、乏しい船舶をやりくりして、空襲を避けて夜間に住民全員をパラオ本島に避難させた。[2]

 ちなみに、戦いが終わった後、帰島した彼らは多数の日本将兵の遺体を見て泣き、埋葬して、その後も墓地の清掃を続けてくれている。[1]


■4.「攻略完了までに4日間もあれば十分だろう」

 上陸前に、米軍は艦砲射撃と空爆で、徹底的に日本軍を叩こうとした。
9月6日から14日までにの3日間に米軍機のべ1400機がペリリュー島と隣接するアンガウル島を空襲した。
さらに12万発、3490トンの砲弾を艦砲から撃ち込んだ。
島の大地は揺れ動き、太陽は黒煙に包まれた。

 輸送船から水陸両用装甲車に乗り込もうとしていた海兵隊第一連隊長ルイス・ブラー大佐に、船長が声をかけた。
「大佐。今晩は船に帰って豪華な食事でもしようかね」

「どうしてかね」と聞く大佐に、船長は艦砲と爆撃の煙の間に垣間見える、ジャングルも中央高地も崩れた島を指さし、「戦争はなかば終わっていますよ。大佐の仕事は敗残兵狩りくらいのものでしょう。あれだけ完全に叩いたあとですからね。島の軍事施設は全部ふっとんで見えませんよ」

 攻略完了までに4日間もあれば十分だろう、という見込みが、第一海兵師団に下された命令書にも書かれていた。

 49隻の輸送船から、起重機で20隻の大型舟艇と3百余台の水陸両用装甲車が次々と降ろされ、それらが海岸に向かって接近した。
大型舟艇は海岸から2千メートルの地点で停まり、その前部が口を開けて、3百隻にも達する上陸用舟艇が繰り出された。米軍の新兵器である。


■5.「こりゃ大変だ」

 海岸から6~8百メートルのところには、珊瑚礁が島を巡っていた。
上陸用舟艇が珊瑚礁線を乗り越えようとした途端に、無数の水柱があがり、舟艇は折り砕かれ、米兵の身体も飛び散った。
またたく間に、海は朱に染まり、死体が海上に漂った。

 立ち往生している舟艇から、次々と無線通信が司令部に送られた。
「ああ、すごい、ひどい。あそこで5両、そこで10両、その向こうで5両、ジャップの機雷にやられて吹っ飛んでしまった。こりゃ手強い」「どうしたらよい、動けないんだ」

 米艦隊は無数の発煙弾を撃って煙幕を張り、それに隠れて残存する上陸用舟艇は、注意深く珊瑚礁線を越えようとした。
そこに日本軍の一斉砲撃が襲ってきた。

 珊瑚礁線は大小無数の砲弾で大穴だらけになり、その穴に米将兵が折り重なって倒れている。
いくつもの水陸両用装甲車が紅蓮の炎と黒煙に包まれている。

 米艦隊の一人の砲術士官は双眼鏡でその状況を観測して「こりゃ大変だ」と思ったが、ふと飛行場横の高地の中腹には無数の洞窟を見つけた。
その入り口に四角い鉄の扉があり、それが開くと、中から砲身が出て来て、真っ赤な火を吐く。
そんな洞窟が数百もあった。

 それらの洞窟に砲撃を加えたが、炸裂した砲煙が消えると、何事もなかったように、また鉄扉が開いて、砲身が火を吹く。そのたびに上陸用舟艇や装甲車が餌食になっていく。
日本軍の中核は満洲関東軍の中でも精鋭部隊で、砲撃の精度も正確無比だった。

 この数時間の初戦だけで、米軍は上陸用舟艇60数隻、水陸両用装甲車30両が撃破され、約千名の死傷者を出した。


■6.山地に立て籠もる持久戦

 しかし米軍の猛攻は止まなかった。
砲撃によって珊瑚礁線を打ち砕き、島の10メートルもの断崖を崩して、その上に鉄板を敷きつめ、その上で次々と装甲車が押し寄せた。
この辺りを守る守備隊はこれに対しても精密な砲撃を行い、17台を撃破して押し戻したが、ついに砲弾が尽きて、最後は敵に斬り込んでいった。

 9月15日、11時間の激戦で、米軍は2千名以上の犠牲を出したが、なんとか飛行場の一角を占領した。
米軍は日本軍の夜襲にも耐え、陸続と3万人近い大軍を上陸させた。

 9月19日に島南部平地の飛行場が制圧されると、日本軍は北の山地に立て籠もる持久戦に変えた。
山の斜面には無数の陣地が作ってあり、そこで米軍を待ち構えたのである。

 米軍は5、6両の戦車を先頭に、5、60人の歩兵がついてくるという態勢をとったが、坂の上から精密な射撃を受けたり、地面の中から手榴弾が飛んできたりした。
地雷を抱いて、戦車に飛び込んで爆破する日本兵もいた。

 山地でのゲリラ戦となると、米軍の物量作戦も効かず、陣地を一つ一つ潰していくしかなかった。
日本軍の将兵も次々と倒れていったが、米軍の被害も拡大していった。


■7.「勇敢な日本軍の皆さん、夜間の斬り込みは止めて下さい」

 島北部に追い詰められつつあるペリリュー島守備隊に加勢せんと、パラオ本島から、夜陰に乗じて、9月22日から25日にかけて780名の援軍が逆上陸をした。
ペリリュー島を取り巻く敵艦隊の間を縫い、敵砲撃で150名の犠牲を出しながらも、死地に飛び込んできたのである。

 守備隊は「よく来てくれた」と涙を流し、志気はいやがうえにも高まった。
昼間は寄せ来る米軍を狙撃し、夜は切り込み隊を繰り出した。
拡大し続ける損害に、米軍は日系二世兵に日本語でスピーカーから放送させた。

__________
 勇敢な日本軍の皆さん、夜間の斬り込みは止めて下さい。あなた方が斬り込みを中止するなら、我々も艦砲射撃と飛行機の銃爆撃は即座に中止します。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 放送を聞いた守備隊は、逆に喜んだ。

「米軍の腰抜け目、自分の弱さを認めて宣伝してやがる。ざまあ見ろ!」
「もっとやろう、死ぬまでやり抜くぞ!」

 しかし、米軍も闘志では負けていない。
一部の部隊は、日本軍陣地に夜襲をやり返した。


■8.「ここを渡せば米軍は祖国に一歩近づくのだ」

 じわじわと包囲網を狭める米軍に対し、中川大佐は最後の戦法に出た。
ペリリュー島北部の山地の頂上部分には、南北約800メートル、東西約350メートルに渡ってトンネル上の地下陣地が作られており、日本軍はあちこちから地上に出て、登ってくる米軍を攻撃するのである。

 米軍は爆撃機から500キロ爆弾を500個以上投下したが、硬い岩肌に守られた洞窟陣地は激しく揺れ動くのみで、崩れはしなかった。

 登ってくる大軍を恐れもせず、守備隊は鍛えた射撃の腕で、米兵の一人一人の頭部を狙って狙撃する。
高地から打ち下ろす銃弾は、米兵の鉄帽を貫通して即死させる。
夜は毎夜、斬り込みを繰り出した。

 かつて1万2千人いた守備隊は1ヶ月の攻防の後、10月13日時点で1150名しか残っていなかったが、なおも
「ペリリュー島を米軍に渡すな。ここを渡せば米軍は祖国に一歩近づくのだ」という決意を緩めなかった。
守備隊はこの戦いをさらに1ヶ月以上も続けた。


■9.「サクラ、サクラ」

 11月24日、すでに食料も手榴弾も尽き、小銃とわずかな弾薬のみが残る状況となった。
兵員も健在者50名、重軽傷者70名のみとなっていた。
中川大佐は洞窟内の指揮所で、軍旗と機密書類を焼き、午後4時、パラオ宛に電文を打たせた。

「サクラ、サクラ」

 玉砕を告げる暗号である。中川大佐と2名の幹部は、最後の攻撃へのはなむけとして、収容として古式に則った割腹自決を遂げた。
見事な最期を見届けた将兵は、嗚咽をこらえかね、その慟哭が洞窟内にこだました。
重傷者たちは、もはやこれまでと大佐に続いて自決した。

 その後、56名からなる最期の決死隊が組織され、米軍と激しく交戦し、全員玉砕した。

 日本軍の組織的戦闘はこれで終わったが、各地で孤立した生存兵34名はその後もゲリラ戦を続け、昭和22年4月の投降まで、さらに2年半も戦い続けるのである。

 ニミッツ提督の「この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったか」という感銘は、このような戦いからもたらされた。
それは敵味方の別を超えた武人としての共感であった。

 この戦いで戦死したある日本軍将兵は、次のような最期の言葉を残している。

__________
 われらここに祖国を遙かなる南海の孤島に英霊となり、祖国の繁栄と平和、同胞家族の幸福を見守る。願わくば我等のこの殉国の精神、永遠に銘感されん事を。[3,p101]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(文責:伊勢雅臣)
/////

「祖国の繁栄と平和、同胞家族の幸福を見守る。」

今の日本人は、幸福なのだろうか?

自殺者が年間3万人とか、命がけで守ってくれた英霊に顔向けできない気がする。


<追記>

先人に顔向けできるように 各人が幸せになるのが何よりの供養 と考えよう。

幸せの定義も感じ方も人によって異なる部分もあるだろうしね。
Posted at 2015/04/14 10:05:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2015年04月11日 イイね!

両陛下 祝 パラオ訪問

パラオの人は、うれしかったでしょうね。

海外旅行に行くなら台湾とかパラオとかトルコとかの親日国にもっと行くべきだと思う。


パラオの国旗って日の丸を意識してお月様にしたのね。






パラオ語で、ツカレナオールはビールを飲むことだとか。
千語位パラオ語に日本語が溶け込んでいるらしい。

パラオ独立を無視したって、外務省は害務省かよ!

戦没者の遺骨収容が早期になりますように。
Posted at 2015/04/11 12:15:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2015年04月10日 イイね!

大阪の難読地名

大阪の難読地名いくつ読める?大阪の難読地名

大阪府民なのでやってみた。

ありゃりゃ!
10問中2問も間違えてもうたw(T_T)



見たことも聞いたこともない地名は仕方がないが、第一問の「日本橋」の読み方は不注意だった。

発音するときはちゃんと「にっぽんばし!」っていうのに。
「でんきの街!にっぽんばし!」
「でんでんタウン!にっぽんばし!」っていうのにw
最近は、ヲタクロードとか出来てメイド服きた娘が客引きしてますね。

地球最後の日の前に行くなら十三ミュージックより冥土喫茶のほうかな。


フリガナをふる感覚で、な~んも考えんと「にほんばし」を選んでしまったw

これはきっと、TVのCMの影響だな。
三井不動産ストーリー TVCM 「活気ある街で」篇で蒼井優が「にほんばし」って言ってるのが耳に残ってたんだろう。

そっかー、「にほんばし」っていうと東京の日本橋を指すのね。

「日本」の読み方は「にっぽん」でも「にほん」でもどちらでも良いらしい(池上彰さんがいうてた)から、大阪府民の私は「にっぽん」を標準使用することにしよう。




くまた? 今のところ読めなくても特にくまんないからいいや。




ハナテンといえば、ハナテン中古車センターの色っぽいCMで有名。
「あなた、車売る?」



何を放出するのかと思ったら中古車だったのね。



ゴヘイモチ(五平餅)があるから「ごへいじま」もあるだろうと思った人は食い意地が張ってるかもしれません。




栃木県に喜連川(きつれがわ)とかあるからこれは読める人が多いでしょうね。
”つ”は省略されたのでしょう。
”きつれ”と読んでもその後の”やぶれ”は地名としては、ふさわしくないので消去法で消えますね。

名前がくっつくのは、2つか多くても3つまでにして欲しいものです。
どっかの保険会社のように4つも5つも名前が合体したら迷惑です。

個人的には、あのCMで保険会社と出演者全員を嫌いになりました。(それ以前は好きでも嫌いでもなかったけど)



天の川が流れてます。




大阪で京橋といえばグランシャトー!十三といえば十三ミュージック!(ストリップ劇場)がTVのCMでお馴染みでしたが、最近、CM見なくなりました。
学生の頃は大人になったら一回見に行こうと思いつつ、社会人になったら忙しくて見にいけてません。
阪急電鉄の十三駅は乗り換えの駅なので、そこで乗り換える際に立ち食いそば屋さんでそばを食べるだけです。
火事で焼けてしまった有名なしょんべん横丁も行ったことが無いです。

もう、十三ミュージックには興味がなくなったので、一生行かないと思います。
明日、地球が滅亡するとしても行かないな。



関西圏なら”ひらかたパーク(略称ひらパー)”のCMは流れているでしょうから間違わないですね。
年間120万人の来場者を集める(夏場のプールとおばけ屋敷が効いているんだろうな)大阪府下ではUSJに次ぐ第二位の遊園地。
昔は大菊人形展も開催していたが、菊師の高齢化と後継者不足で、2005年12月4日、第94回大会「義経」の閉幕をもって毎年行われる開催としては96年の歴史に幕を下ろした。

歴史の教科書では、江戸時代の”淀川のくらわんか船”でおなじみです。(くらわんか?=食べない?≒ねぇねぇ、お客さん~、何か食べ物買って♪と渡し舟に小船で寄って行く)

昔、栃木県の人が「まいかた」って読んでたから確かに難しいのかも。



枚方市の北部の地名です。
京阪電鉄の駅名でもあります。
お隣の京都府八幡市の竹で作ったフィラメントでエジソンの白熱電球が実用化(寿命1200時間)されたといわれています。(記念碑あり)

地名の由来として「久須波(くすは)」が、「古事記」、「日本書紀」にも話が登場するという古くから人が住んでいた地域。

南海トラフ震源の地震の際、津波が淀川をさかのぼって、水位上昇するギリギリのところ(淀川河口から34km上流)とも言われています。

計算では塩分がここまで上がってくることはないようですが、給水制限されて想定外ではすまないので、飲料水の備蓄は必要でしょう。

一人2L/日で一月なら60L
水がないときのトイレは携帯トイレにするか、ゴミ袋に新聞紙入れて固く口を縛れば臭わないかな。
臭い対策では、重曹も重宝する。
溜まった洗濯物も袋に入れて重曹を振り掛ければ臭い対策できる。

食糧と水と燃料(ボンベとコンロでOK)とゴミ袋と重曹があれば、何とかなる気がする。
Posted at 2015/04/10 05:26:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

プロフィール

「フォークス・オーバー・ナイブズ(DVD)を見た http://cvw.jp/b/267137/40053658/
何シテル?   07/08 07:13
38年式 関西人です。 環境を住めなくする危険をはらむ原発より、LNG、光合成(食料以外のバイオマス、廃材や藻の油)を利用すべきだと思いませんか?
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早く起きたので、教科書に載っていないことを。 
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2013/04/27 03:59:01
【靖国参拝批判に首相「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」】 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/04/27 03:56:34
(気をつけるしかできないけど)三宅島地震と昨日の宮城県沖を考察して 
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2013/04/22 12:22:53

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