1969年 ウルトラセブンのモロボシ ダンが乗っていても違和感なし
色がジミー。マシーングレーでも合いそう。デザインの印象は建築的。没個性といえなくもない。
側面。ウチら子供のころからお馴染みのスタイル。
ミッドシップスポーツカーはとにかくこんな感じ。牛でも馬でもこんなんいっぱいあったよね。
再三再四書いたけれどもイタリアンデザインのキモは綺麗な骨格に皮を被せるだけ。彼らの文脈ではクルマのデザインはそれで終了。導きだされる解答は没個性になってしまうけれどノープロブレム。ミロのヴィーナスにケチをつける人はいない。没個性なカタチでも美を最大値キープ出来ているのでそれでオケ。ジャパニーズカーデザイナーじゃ考えられないけれどね。マツダの魂動デザインの根っこはこのイタリアンデザイン。それをまんまやるとイタリアンデザインを凌げないのでジャパニーズカルチャースピリッツを練り込んでいるけれど。でもたぶんそのジャパニーズカルチャースピリッツはデザイン的には誰も解ってもらえないし普遍的な文化としても浸透しないと思う。なんでかって言うと言葉の問題。例えば日本人が怪獣っていうとそのイメージの広がりはあってもあれも怪獣だねこれも怪獣だねっていう共通理解が成り立つけれど、海の向こうの国々には円谷プロも東宝も大映もないので怪獣という言葉自体が全く機能しないから我々の感覚は伝わりようがない。説明は出来ても理解は出来ても伝わらないのがカルチャーというものなのだ。魂動デザインは哲学なので理屈はシェア出来るけれどフィーリングは無理。
前田先生や中山先生をはじめとする我らがマツダデザイナーの腕は相当なものだけれどいくらガン詰めして追い込んでも我らのカルチャーでデザインを捩じ伏せることは出来ないだろう。どこのメーカーでもジャパニーズカーデザイナー達と話をしていていつも思うのは
①話が長い(理屈っぽく難しい…たぶん喋っている本人も理解出来ていない)
②その話に中身が無い
③提案されたクルマのカタチと色が死んでいる
マツダデザインは③がクリア出来ているのでかなりマシだけどね。
デザインなんて没個性でも哲学がなくても美しければそれでいいのさ。
魂動なんていう屁理屈は要らない。美しければ魂が揺さぶられるので。骨格を整えてカタチを追求すればそれでオシマイ。オケ?
Posted at 2018/01/04 22:13:35 | |
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