自分が自分らしく、と表現されるところってどんなものがあるでしょうか?
何が言いたいかって言うと…私の日記を読むと、文章を見ただけでこれが私の書いたものだと分かる人がいるかもしれません。
…いや、いないか。まだそこまで沢山文章書いている訳でもないし。
ただまぁ、
その人のIdentityを決定付けるものにはどんなものがあるでしょう?
例えば洋服。
言うまでも無く、色んなスタイルや着こなしがあると思います。
例えば車。
乗っているのはスポーツカー?高級車?ワゴン系?SUV?
そんなことでその人となりが何となくだけど分かってくるものです。
例えば音楽なら?
以前から音楽はありましたが、mp3やそれに順ずるフォーマットのおかげで数千を超える音楽を扱うのが今や当たり前。それどころか出先であってさえ、そんなジュークボックスを扱っています。
一昔前はそんなの考えられなかったんですけどね?
(カセット、MD…うっ、頭が…)
そこまでの楽曲に囲まれてしまうと、私達は苦労して手に入れるわけでもなく音楽に囲まれた生活の中で、恰も今日着ていく服を選ぶような感覚で、今日身に着けていく音楽を選ぶ生活になっていくわけですよ。
…あ、そこまで音楽に興味無ければ該当しないかもしれませんが。
それが数十であったのなら良いのですが、数百以上に及ぶと"その人の嗜好"が丸出しになると思いませんか?
これって洋服よりも性質が悪い…なぜなら、判断材料が数百、数千もあると細部まで分かってしまうものだからです。もっと言えば再生頻度が表示されたりすると、どんなシチュエーションでその曲を聴くのか、そんなことまで予想できてしまいそうです。
音楽が偏在性を持ってウェアラブルになっていくことは、端的に言ってしまえば
私達の自己同一性と強固に結びついていってしまうことです。
中にはそういうのを気にして、人前では格好良い楽曲ばかりを集めている人は、逆に格好ばかりの見掛け倒しで音楽のセンスないねってバレてしまうかも?
詳しくはまた今度にしようと思いますが、これからの技術はそれがそのまま自己同一性に直結していくようになるのでしょうか。
…いや、既になってきているか。
基本的に私自身は非常に矮小なので、こういう「自分」が出てくるものが極端に苦手だったりします。厳密には
「この長ったらしい戯言を書いている人間=現実の自分」というリンクを作っておきたくないという感じですね。
なので、Twitterや今まで扱ってきたSNSや日記等…全部自分にリンクしない様にしてきていました。
みんカラは流石に現実の自分にリンクしていますけどね、内容が内容なので。
いやはや、どうしてここまで捻くれて矮小な人間になってしまったのやら('A`)
…時たまこういう文章を書きたくなる発作がありますが、特に意味は無いです。
多分ね(´ω`)
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Posted at
2017/02/20 01:10:53