2016年09月17日
私もどちらかと言えばベースとオーディオで音を出す側なので、音量には極めて慎重になる。
音を出す時間は住人がいなくなる日中にするとか。
現代では、というか、近頃は姉弟間での殺人事件が挙げられている。まあ、この事件からもわかるように騒音(だと感じさせれば)それ自体は殺人の動機にもなりえるわけだ。
私だってかつての隣人(先住民)が赤ちゃん相手に怒鳴り散らしてたりしたものだから、色々な意味でストレスが溜まった。
音を出す側は意識しないと音量というものに意外と気付かないものなのである。
私は自分で出したい音量があった場合、音漏れがしない(尚且つ良い音で鳴る)ようにした上で、外に出て音がどう聴こえるかのチェックは必ずする。ベースの場合は同じ音楽音量を鳴らして確認。
そんな中、ステレオサウンドNo,200に載っている故・某氏のエピソードは現代からするとちょっとした目に鱗というやつではなかろうか。
要約するとこんな感じ。
「こんにちは。私、新しく引っ越してきました。オーディオに関する仕事をしているので大きな音を出します。ご理解ください。お近づきの印にレコードをどうぞ」
一週間ほどして、
「先日のレコードは良く鳴っていますか?」 「ええ、とっても」 「ちょっと聴かせてください。……ああ、良い音ですね、でもこんな音量じゃダメです。もっと大きな音で聴かないと」
そうやって周りの住人すべてに大音量で聴くことを薦めたという。
自分だけ大音量で聴いていたら目立つが周りもそうだったらどうだろう。
苦情は一回も来なかったらしい。木を隠すなら森の中、というほどの悪意はなかったようだし、特異な例だが、なるほどと思わせるものがあった。
少し話がそれるが、ノイズとしての話もしておこう。
ノイズもひとつの騒音トラブルの一環なので、ついでに。
若い世代ではアナログレコードが流行っているらしい。音が良いからだという。それはいい。
ただ、アナログ特有のノイズ音が良いからだという。
ほほう、そんなにノイズが良いと思えるならピンクノイズやホワイトノイズでも聴いてればいいのに。
素と意地悪でそう思う。
昔の録音で音質がナローだから味があって良いというのなら、理解できる。
しかし、ノイズが出てるから良い音だというのは錯覚だ。ノイズが出なくなったオーディオ音楽を普段から享受して聴けるようになった世代の壮大な勘違いである。
履き違えてはいけない。
Posted at 2016/09/17 07:51:22 | |
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