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とりつきいver.2のブログ一覧

2017年11月04日 イイね!

2017年10月25日 滋賀県長浜市余呉町~福井県敦賀市 国鉄北陸本線旧線跡 柳ヶ瀬トンネル・中ノ郷駅跡

2017年10月25日 滋賀県長浜市余呉町~福井県敦賀市 国鉄北陸本線旧線跡 柳ヶ瀬トンネル・中ノ郷駅跡鉄道廃線跡・遺構巡りブログです。

今回は滋賀・福井県境の旧国鉄北陸本線旧線(柳ヶ瀬線)跡を我が相棒であるパイザーにて走ってみました。

本記事の「柳ヶ瀬隧道(現:柳ヶ瀬トンネル)」と「中ノ郷駅」跡はその旧線跡に存在する遺構で、かなりメジャーな物件でもあります。



↑まずはその位置を(グーグルマップ)。

現在の北陸本線は木ノ本駅から西へ進んで余呉湖の北を通り、そして北西へ向きを変えて近江塩津駅を経由して敦賀方面へと抜けるルートを採っています。この現在線は1957(昭和32)年に開通したものです。



↑現在線開通以前は木ノ本駅から北国街道沿いに北上、今回記事の柳ヶ瀬隧道で県境を越え、刀根を経由して敦賀方面へと抜けるルート(通称:柳ヶ瀬越え)を採っていました。現在線開通の後も「柳ヶ瀬線」として存続したものの日本一の赤字ローカル線に転落、1964(昭和39)年に廃止そしてバス転換、線路跡は道路等に転用されました。

上の地図は旧陸軍作成の5万分の1地形図でスタンフォード大学のサイトにて閲覧・ダウンロード出来ます。




↑北陸本線時代はD51形蒸気機関車(画像上/長浜鉄道スクエアにて撮影)が、柳ヶ瀬線になってからはキハ52形気動車(画像下/津山まなびの鉄道館にて撮影)が走っていました。

蒸気機関車にとっては急勾配に狭小隧道が連続する難所であり、昭和の初めには柳ヶ瀬隧道内にて乗務員の窒息事故も発生しました。

そしてこの区間は単線で輸送力増強を図る上でも障害となり、早い時期からルート変更が検討される事になります。



↑福井県側より線路跡転用道路である県道140号線に入り、東へと進みます。

上の画像は「刀根トンネル」。もともとは旧北陸本線の隧道で、単線分の幅員しかない狭小隧道でしたが、道路転用後に拡幅工事が施工されて二車線幅の道路トンネルに生まれ変わりました。

両サイドに見えるトンネルは北陸自動車道のトンネルで、北陸自動車道の上下線に挟まれた格好で線路跡の道が通っています。



↑「刀根トンネル」を抜けると旧線の遺構の一つである「小刀根トンネル」があります。こちらはほぼ原形を留め文化財登録もされていて、今回の訪問の主目標でありましたが、トンネル付近で大規模な電気工事が行われており今回は泣く泣くスルーしました。



↑しばらく進んで「柳ヶ瀬トンネル」の西側に到達。

画像左に見える高架橋は北陸自動車道下り線、その下に古色蒼然とした石積みのトンネルポータルがひっそりと佇んでいました。



↑ここは昔「洞道西口」という名の駅があった所です。

画像右の石碑のあるスペースがホーム跡っぽいですが・・・。

それにしても現代の高速道路の高架橋と明治10年代の元鉄道隧道が同じフレームに収まってしまうとは、ここは何気に凄いスポットです。



↑北陸自動車道の高架橋柱の脇に佇む柳ヶ瀬トンネル福井県側坑門。

1884(明治17)年竣工、竣工時の延長は1352mで日本初の1km越えトンネルです。
そして現役のトンネルとしては日本で二番目に古いトンネルでもあります。

1964(昭和39)年の柳ヶ瀬線廃止の後、国鉄バス専用道のトンネルを経て一般開放され、今日に至ります。



↑坑門手前に設置された標識類が物々しいですが・・・。



↑この柳ヶ瀬トンネルはこう見えても自動車専用トンネル。軽車両・歩行者は進入禁止となっています。そして断面が狭小の為、大型車も通行不可です。



↑トンネル手前には信号機が設置されています。延長1300m超の長大にして狭小な断面のトンネル、そしてカーブしていて見通しが悪い為、両側の坑口手前に信号機を設置して交互通行としています。

ちなみにその待ち時間は最大6分30秒!! 日本一信号待ちの時間が長い信号機でもあります。



↑信号が青に変わると、停止線手前で待機していた車がトンネルに進入していきます。

赤信号なのに果敢にもトンネルに突進していったチャレンジャーな(?)1台の車を見かけましたが、その後一体どうなったのでしょう・・・(^_^;)



↑トンネル手前に設置された土木学会選奨土木遺産のプレート。

鉄道時代は「柳ヶ瀬隧道」という名称でした。石積みの古風な姿のこの物件、「トンネル」よりは「隧道」というネーミングがしっくり来ます。



↑そしてその傍らに建つ「洞道碑」。



ここ福井県側では冬の到来を予感させる雨がシトシトと降っていました。

雨に滴る明治の古隧道、なかなか良い感じです。



↑石積みのポータルで、迫石部は煉瓦四層巻き。

洞内に延びる各種配線類が物々しいですが、照明の他に各種保安設備が設けられている証でもあり、そう思うと頼もしく感じられます。



↑古隧道にはあまり似つかわしくない左横書きの扁額。道路トンネルに転用された際に付けられたものです。

扁額周りはコンクリートになっていて、もともとあった扁額を切り取った痕跡と思われます。



↑坑口の手前から洞内を伺ってみました。カーブしていて先が見えません。

トンネル内歩行者進入禁止の為、これがギリギリのショットです。



↑福井県側を後にして、パイザーで入洞。

ドラレコ映像からの切り出し画像なので画質は良くないですが(汗)。

トンネルは滋賀県側への一方的な上り坂、蒸気機関車の時代では洞内で停止してしまうと再起動困難だったそうですが、車では急勾配という実感はあまり感じられませんでした。



↑鉄道時代の保線作業員用の退避所と思しき小さな横穴(画像右)が残り、今も非常時の退避所として活用されています。



↑道路転用後に後付けで設置された車用の退避スペース(画像右)もあります。



↑動画です。蒸気機関車にとっては命がけの難所だったこの柳ヶ瀬トンネル、車では快適に通り抜ける事が出来ます。



↑県境の長いトンネルを抜けるとそこは秋の空、僅かながらも晴れ間が覗いてました。



↑こちらが柳ヶ瀬トンネル滋賀県側坑門。

画像右に緑色の看板が見えますが、北陸自動車道が脇を通っています。



↑ちなみにこちらが北陸自動車道下り線の「柳ヶ瀬トンネル」。北陸本線旧線跡の柳ヶ瀬トンネルに隣接しています。そして旧鉄道トンネルと同じく、福井県側に向かって下り勾配になっています。



↑古色蒼然とした佇まいの福井県側の坑門とは対照的な、コンクリートの坑門です。



↑実はこのコンクリートの坑門、鉄道時代に設置された排煙装置の遺構だったりします。そして「隧道幕」と呼ばれる開閉式のカーテンのような幕が設置され、列車が隧道内に進入すると幕を閉じ、坑門上部の排煙装置から煙を排出していました。



この坑門の上には国道365号線が通っていて、そこから排煙装置を見る事が出来るそうです。



↑こちら側にも土木学会選奨土木遺産・近代化産業遺産のプレートと、洞道碑が建てられています。



↑「近代化産業遺産」・「土木学会選奨土木遺産」のプレートと説明板。



↑こちらは鉄道時代の扁額を掲げた洞道碑。

扁額に刻まれた「萬世永頼」は伊藤博文(当時参議)揮毫によるものです。



↑県道140号線から国道365号線に入り、余呉方面へ南下。知らず知らずのうちに柳ヶ瀬駅跡を通過します。

この道も北陸本線旧線跡を転用した道です。



↑国道脇にある中ノ郷駅跡(滋賀県長浜市余呉町)にやってきました。

ここは旧余呉町の中心地的な所で近隣には市役所支所や消防署等の公共施設があります。

消防署向かいの国道沿いにホームの一部分だけが残されていて、気付かずに通り過ぎてしまいそうです。



↑ホーム跡の上には後年になって設置されたレプリカの駅名標が建っています。

この辺りの地名は「中之郷」ですが現役時代の駅名は「中ノ郷」、お隣の「木之本」にある駅名が「木ノ本」なのと同じ流儀です。





↑駅名標の裏には説明文があります。

北陸本線時代は柳ヶ瀬越えの補助機関車の基地として広大な構内を有していましたが、早い時期から用地の転用が進んだ為、その面影はほとんど残されていません。



↑ホーム跡の片隅に国鉄仕様に近い感じの駅名標が木に立てかけてありました。これもレプリカだそうです。



↑鉄の路は消えてなくなりアスファルトの路へ、そして「汽車」から「自動車」に変わりましたが、この一部だけ遺されたホームは今も人々の往来を見守り続けています。



さて今回は工事の為に訪問を断念した小刀根トンネル、この一週間後の11月1日に再訪しました。いつになるかは未定ですが、記事化を予定しております。
Posted at 2017/11/04 14:45:43 | コメント(3) | トラックバック(0) | 鉄道廃線跡・遺構巡り | 趣味
2017年10月24日 イイね!

2017年10月3日 三重県伊賀市~奈良県山辺郡山添村 国道25号線 五月橋

2017年10月3日 三重県伊賀市~奈良県山辺郡山添村 国道25号線 五月橋橋巡りブログです。

これまでは鉄道絡みの物件ばかりでしたが、今回は珍しく道路橋です。



さて、今回記事の「五月橋」は自動車専用道路ではない方の国道25号線(俗称:非名阪)にあり、三重・奈良県境の名張川に架かる橋です。

昭和初期に造られた鋼鉄製のトラス橋で、なかなか趣のある橋であります。



↑名阪国道の五月橋ICを降りて「非名阪」こと国道25号線に入ります。



↑しばらく進むと月ヶ瀬方面に向かう県道4号線との分岐に到達します。
ここを右折した所が「五月橋」です。



↑まずは車で橋を渡ってみました。



↑橋を渡ってすぐの所にて。鬱蒼とした空間です。

近くに名張川の河原に至る道があるそうで、釣り客の駐車場になっているようです。



↑名張川北岸から見た雨上がりの五月橋。

橋は両端部がポニートラス、中央部がプラットトラスとなっていて、両岸両端にオベリスク風の親柱を備えた洒落た造りの橋です。



↑ここは三重県伊賀市、そして中部地方の入口です。

この五月橋は伊賀と大和の国境に架かる橋であり、中部地方と近畿地方に跨る橋でもあります。

竣工時、橋の親柱(画像左)の上にはランプが設置されていたそうです。



↑ポニートラス部の端部に「昭和二年 株式會社 横河橋梁製作所 大阪工場製作」と刻まれた銘板が付いてました。



↑鉄骨で組まれたポニートラス。ズラッと並んだリベットが厳(いかめ)しくて良い感じです。



↑三重県寄りのポニートラス部から見た中央部。

橋の中央部は巨大なプラットトラス橋となっています。



↑橋の東側には名阪国道が通っています。上の画像の赤い高架橋がそれで、「新五月橋」を名乗っています。

あの赤い高架橋の上では物流戦士達による熾烈なバトルが日夜繰り広げられておりますが、この五月橋の上は平穏そのもの、ゆったりとした時間が流れています。



↑橋の中央部を構成するプラットトラス。

ライトグリーンに塗装されていますが、所々剥げており、「廃」な雰囲気を漂わせています。






↑これぞ中部と近畿の架け橋に相応しい、立派な構造物です。



↑橋の西側を撮ってみました。

悪天候でしたが、眼下の名張川には釣り人の姿が見えます。

この地点の数キロ先は京都府、この辺りは三重・奈良・京都の三府県の境界が接する面白い所です。



↑奈良県側のポニートラス。

橋の向こうは奈良県山辺郡山添村、ここは近畿地方の入口です。



↑奈良県側から見たプラットトラス。

ちょうど三重県側より車が進入してきました。

寂れた「非名阪」と言えどもそこそこの通行があり、ここ五月橋では数分に1台のペースで車の通行がありました。



↑二桁ナンバー国道「国道25号線」の橋ですぞ、と言わんばかりに貼られたステッカー。劣化して剥げかけているのはご愛嬌。





↑奈良県側から見た五月橋。

両脇の親柱に竣工時に付いていたというランプを復活させたら、なかなかオシャレなスポットになるではないかという気がします。



↑親柱の台座には橋の名である「五月橋」のプレートが。道を挟んで向かい側の親柱には「名張川」のプレートが付いています。



↑奈良県側にも「昭和二年 株式會社 横河橋梁製作所 大阪工場製作」と刻まれた銘板が付いています。



↑橋の傍らに建つ、錆びて何とも言えない色に変色した国道標識。

「廃」な雰囲気を演出しているアイテムです。



↑奈良県側から撮った五月橋全景。なかなか趣のある鉄橋でした。



↑例によって動画です。この五月橋を車で往復してみました。



↑オマケ。この日の「何シテル?」にも投稿したネタです。

車に戻るとフロントガラスに「お客さん」が(笑)。しばらくジッとしていたので、思わず撮ってしまいました。

何だかほっこりする光景でした。
Posted at 2017/10/24 23:04:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 橋梁 | 旅行/地域
2017年10月16日 イイね!

2017年7月24日 愛知県新城市 JR飯田線 湯谷温泉駅

2017年7月24日 愛知県新城市 JR飯田線 湯谷温泉駅多分、久々の駅巡りブログです(汗)。

そしてネタは2017年7月と少々古いですが、今回はJR飯田線の湯谷温泉(ゆやおんせん)過去記事の三河槙原駅の隣の駅です。



↑我が相棒を走らせて、湯谷温泉駅にやって来ました。



↑駅前広場の様子。画像右の大きな木造の建物が駅舎、画像左の平屋の建物がトイレです。



↑駅名の通り、湯谷温泉街の真っ只中にある駅でもあります。



↑ローカル線の駅にしては珍しい、2階建て木造建築の駅舎。

窓という窓は塞がれ、何だか曰くありげです。



↑出入口もシャッターで閉ざされています。

が、駅舎脇の通路から直接ホームに出られるようになっています。



↑駅舎脇にあるトイレ。

古色蒼然とした駅舎とは対照的にこちらは新しい建物です。利用者の立場からすれば、やはりトイレは新しい方がいいですね。



↑まずはホームに出てみます。




↑規模の大きな駅舎とは釣り合わない、線路一本にホーム一本が張り付いただけの、いわゆる「棒線駅」。

開業時から行き違い設備を持たない棒線駅だったようです。



↑棒線駅でしかも無人駅ですが、特急停車駅でもあります。



ここ湯谷温泉駅は私鉄の鳳来寺鉄道(現在のJR飯田線の大海駅~三河川合駅の区間)の停留所として1923(大正12)年に開設、1943(昭和18)年に国有鉄道の駅となりました。

JR移行後の1991(平成3)年12月にそれまでの「湯谷」駅から現駅名の「湯谷温泉」駅に改称されています。



↑ホームの辰野寄りから見た待合室と豊橋方面。



↑こちらは辰野方面です。

この線路は長野県の辰野駅まで続いていて、中央本線に接続します。



↑ホームから見下ろした木造駅舎。なかなかの存在感があります。



↑シャッターで閉ざされた改札口。

前述の通り、駅舎内を通らずに駅前とホームとの往来が可能になっています。



↑今回のメインディッシュとも言うべき湯谷温泉駅の木造駅舎を怪しく(?)眺めてみます。

この駅舎は1923(大正12)年の開業時からのもので、鳳来寺鉄道が遺した貴重な鉄道遺産の一つでもあります。

鳳来寺鉄道時代はこの駅舎に直営の宿泊施設を併設、今で言う所の「駅ナカビジネス」を展開していたのでありました。



↑こちらが鳳来寺鉄道時代の駅舎の姿(ウィキペディアより引用)。車寄せも備えた立派な建物でした。



↑国鉄時代に一旦は無人駅になったものの、JRになってから簡易委託駅として駅員の配置が復活、1階の駅舎事務室では出札業務の他、観光案内所としての業務も行っていました。

2015年にまた無人駅に戻り、以後シャッターで閉ざされています。



↑かつての宿泊施設の客室部の窓は雨戸で固く閉ざされています。



↑洒落た雰囲気を演出していた車寄せは撤去され、板で無残に塞がれていました。



↑東側から見た駅舎。

木製の雨戸というのも何気に懐かしいアイテムですね、なんて思ってみたり。



↑裏側から見た駅舎。ここにも何かを撤去し、塞いだ跡があります。



↑この雨戸の向こう側にはどんな部屋が眠っているのか、とても気になる所です。



↑動画を撮ってみました。宜しければどうぞ。



建物の老朽化と今後の処遇が気になる所ですが、旧鳳来寺鉄道が遺した貴重な遺産でもあり、末永く残ってくれる事を願うばかりです。
Posted at 2017/10/16 23:07:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 旅行/地域
2017年10月13日 イイね!

2017年10月10日 兵庫県北部~鳥取県東部ドライブ

2017年10月10日 兵庫県北部~鳥取県東部ドライブ久しぶりのブログです(汗)。

先日の「何シテル?」にも投稿したネタですが、去る10月10日に兵庫県北部(但馬)へ行き、さらに西へ進んで久々に鳥取県の東部に侵入(?)を果たしました。

今回はこの日の行路を手短にまとめてみます。



↑早朝の舞鶴若狭道西紀SA(兵庫県篠山市)。濃霧です。



↑霧の中に佇む我が相棒。



↑ドラレコが捉えた丹波の雲海。

この後春日から北近畿豊岡道に入って終点の日高神鍋高原ICへ。養父(やぶ)の辺りまでひたすら霧の中でした。



↑豊岡近辺では曇り。



↑豊岡市街を抜けると晴れ間が。そして玄武洞を過ぎた辺りで山陰線のキハ47とすれ違い。

玄武洞~城崎温泉間の山陰線&円山川沿いのこの道、以前から走ってみたかった道ですが、その願いがこの日叶えられました。



↑そして城崎の温泉街を華麗に(笑)スルー。



↑やって来たのは切浜海岸(豊岡市竹野町)。

ここは一旦通り過ぎたのですが、景色が良かったのでUターンしました。



↑空も海も青いです。そして対岸の岬に怪しげな洞が・・・。



↑切浜の集落の北にある「淀の洞門」。



↑ズームで。



↑白い砂浜の向こうは紺碧の世界・・・・。



↑「淀の洞門」と絡めて撮ってみました。



↑この後、いくつかのスポットを巡りつつ、日本海沿いをヘロヘロと西へ。



気がついたら(笑)鳥取県内に入っていました。鳥取県内にて行きたかった某スポットを訪ねてこの日のミッションは完了。帰路に就いたまでは順調だったのですが・・・。



鳥取道経由で帰る予定でしたが、鳥取ICが工事通行止め・・・(´・ω・`)。

国道29号線をヘロヘロと南下して戸倉峠を越え、中国道の山崎IC(兵庫県宍粟市)を目指す事にしました。



↑トイレ休憩の為に立ち寄った道の駅「はっとう」(鳥取県八頭郡八頭町)にて秋の穏やかな陽光を浴びる我が相棒。

鳥取市街で思いっきり渋滞に巻き込まれましたが、この辺りまで来るとかなり交通量は少なく、まったりとした雰囲気です。



↑せっかくなので、若桜鉄道の終着駅である若桜駅へ。

二年前の2015年8月にも訪れていて、今回は二度目の訪問です。



↑若桜駅に着くないなや、目に飛び込んできたのは「鉄」趣味の者なら思わず「おおっ」と叫んでしまう光景が!!

若桜駅構内にてエンジンをアイドリングさせつつ停車中のDD16形ディーゼル機関車(画像右)。3両編成の12系客車(画像左)を従えています。



↑で、思わず動画を撮ってしまいました。慌てて撮ったのでやや手ブレがありますが(汗)。

共に今や貴重な存在となった国鉄形車両。今後も末永く活躍してほしいものです。



↑若桜駅を後にして戸倉峠へ。中国道の山崎ICまで60km・・・でも、気持ち良く走れる帰路でした(^^)



↑若桜駅前から新戸倉トンネルを抜けた所までの走行動画です(6倍速・BGM付)。



この日訪ねたスポットにつきましては、いつになるかは判りませんが、後日記事化の予定です。
Posted at 2017/10/13 16:37:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2017年10月02日 イイね!

2017年9月4日 三重県津市~伊賀市 初代・二代目長野隧道

2017年9月4日 三重県津市~伊賀市 初代・二代目長野隧道廃隧道・トンネル巡りです。

今回は三重県津市と伊賀市にまたがる長野峠、そこに存在する2本の廃隧道を訪ねてみました。



↑例によってその位置を(グーグル・マップ)。



今回訪問の長野峠には明治・昭和・平成の3世代の隧道・トンネルが存在しています。さらに近代以前の山越えの峠道もあり、道の変遷の痕跡がそのまま残っているという面白い所です。

今回は明治期竣工の初代「長野隧道」と昭和(戦前)竣工の二代目「長野隧道」を訪れてみました。どちらも閉鎖されていて通り抜けは不可能となっています。

両者の位置関係ですが、二代目長野隧道のほぼ真上に初代長野隧道が位置します。



↑まずは伊賀市側(西側)よりアプローチ。旧道落ちした二代目長野隧道への道を進んでいきます。この道は現道の「新長野トンネル」開通まで国道163号線でした。

両サイドから草木と堆積物に侵食されて、実質一車線幅になっている箇所もありました。



↑例によって伊賀市側旧国道の走行動画です。



↑二代目長野隧道の伊賀市側坑門の150m手前の地点にある広場にて。



↑旧国道脇にあるこの広場には初代長野隧道の「隧道開鑿記念碑」が建っています。



↑広場からさらに東に歩いて二代目長野隧道へ。

伊勢と伊賀の国を結んだかつての国道は両サイドから草木に侵食されて徐々に自然に還りつつありました。



↑これが二代目「長野隧道」。

1939(昭和14)年竣工・延長300m・幅員5.5mというスペックの隧道でした。

2008(平成20)年の新長野トンネル開通によりその役目を終えて閉鎖されましたが、坑口全体を鉄板で塞ぐという、これまた無残な閉鎖の仕方です。



↑ちなみに現役時代はこういう姿でした(画像はウィキペディアより引用)。

竣工時の風雲急を告げる時代を反映した、質素な造りの坑門です。



↑振り返ると、荒れるに任せたこれまた「廃」な風景が。

通行する者がいなくなり、手入れされなくなると道というものはすぐに自然に還っていきます。

二代目隧道を後にして、初代隧道へ行ってみます。



↑二代目隧道から200m西に下った所に山に分け入っていく道の入口があります。この道を進んだ先に初代隧道があるそうです。



↑こんな感じの山道です。



↑山道を進んでいくとお社の鳥居が見えてきましたが、その手前はご覧の通りのシダの激藪!! 



↑シダの群生に突入、でも意外に歩きやすいです。

画像の奥に見える祠が「長野峠山王社」。でもこのシダの生えっぷりからして訪れる者はほとんどいないようです。

さて、このお社の近くに目指す初代長野隧道の坑門があるとの事ですが、それらしきモノはどこにも見当たらず・・・とりあえず橋の上に上がってみる事に。



↑長野峠山王社手前の橋から。手前に砂防ダムがありますが、その先が何だか怪しい・・・。



↑砂防ダムで堰き止められた土砂の上を少し進むと、怪しげな構造物が・・・。

この構造物こそが、初代長野隧道の伊賀市側坑門です。

大規模な土石流によってトンネルポータルの頭の部分だけを残して土砂に埋まってしまい、この姿となりました。



↑僅か10センチ程の隙間だけを残して土砂に埋没した坑口。



↑坑門脇には排水用と思しき石積みの構造物が残っています。



↑坑門前から振り返って。

この土砂の下には明治の峠道が眠っています。

この先に見える砂防ダムの真下は二代目長野隧道坑門前の旧国道で、旧国道への土砂流出を防ぐ為に造られた堰堤と思われます。

ここ伊賀市側では初代隧道は二代目隧道とそこに至る旧国道を護る為の尊い犠牲となりました。



↑ここ初代長野隧道の坑門前には小さなカニさんがじっと佇んでいました。

「廃」な風景の中でなんとなくほっこりします。



↑現道の新長野トンネルを駆け抜けて津市側へ。



↑津市側の旧国道もやや荒れ気味です。



↑これまた例によって津市側の旧国道の走行動画です。



↑二代目長野隧道の津市側坑門付近にやってきました。

パイザーの背後に見えるガードレールの向こう側に二代目長野隧道があります。



↑伊賀市側の旧国道よりはマシな状況ですが、それでも「廃」な雰囲気が漂います。



↑津市側も鉄板で坑口を塞がれ、その前の路面は緑の侵攻を受けて自然に還りつつあります。

二代目長野隧道には歴史的価値はないとでも言いたげな塞ぎ方ですが(悲)。



↑現役時代はこういう姿でした(画像はウィキペディアより引用)。

確かに素っ気ないのっぺりとした風貌の隧道ですが・・・。



↑隧道の手前には「隧道改修記念碑」が。

周囲はシダが生い茂り、あまり手入れされていないようです。



↑そして初代長野隧道に付いていた扁額がモニュメントとして飾られていました。



↑先程の土砂に埋もれた伊賀市側の坑門に掲げられていた扁額で、右横書きにて「其功以裕」と刻まれてあります。



↑道を隔てたところにも扁額のモニュメントが。



↑これから訪れる津市側の坑門に掲げられていた扁額で、これも右横書きにて「補造化」と刻まれてあります。



↑ここ津市側の坑門付近に初代長野隧道に至る道の入口があります。

案内板が整備されていて、伊賀市側とは違った感じです。



↑手作り感がプンプンする階段。

一見きちんと整備されているように見えますが、階段の一部に崩落箇所があり、やや危険な感じもします。ここを歩くなら自己責任で・・・。



↑階段の途中から見た旧国道。周囲には初代長野隧道の扁額を展示した広場があり、案内板などもあります。



↑途中にある丸木の橋。足を乗せてみるとフニャフニャしていてこれまた危険な感じの踏み心地でした。ここはさっさと渡ります。



↑一応転落防止のロープは張られていますが、崖っぷちの細い道を進みます。

この道にて木と木の間に張られた蜘蛛の巣に思いっきり顔を突っ込んでしまいました(爆)。

いや~、とても楽しい山歩きです(苦笑)。



↑スリリングな(?)遊歩道を進むと程なく初代長野隧道の坑門前広場に到達しました。

幻想的そして神秘的な雰囲気の漂う空間です。



↑振り返ると二代目長野隧道に至る旧国道163号線が眼下に見えます。

ここはちょうど二代目長野隧道の坑門の真上です。



↑これが初代長野隧道の津市側坑門。

全体的に神々しいオーラを放っています。




↑花崗岩の「荘厳」且つ「重厚」で「美麗」な感じの坑門を持つ初代長野隧道。1885(明治18)年竣工・延長216m(205mという説もあり)というスペックです、両側の住民が資金を出し合って建設されました。

前述の通り、伊賀市側の坑門は埋没。津市側の坑門が辛うじて残っています。



↑坑門の上部が欠き取られていますが、これは扁額を撤去した跡です。先程の旧国道脇の広場のモニュメントがそれで、欠損した部分には「補造化」の扁額が付いていました。

個人的には坑門に掲げたままの方が良かったような気がします。



↑洞内を少し入った所にフェンスが設置されていて、そこまでは進入可能となっています。

反対側がほぼ完全閉塞している為、フェンスの向こうは漆黒の闇。そして湧水が流れ出し、洞内には靄がかかっています。

そしてフェンスの手前の路面の泥濘が酷く、私の履いている靴では進入不能の為、坑口から先へは進めませんでした。



↑フェンスをズームで。

フェンスの注意書きからこの初代長野隧道は津市当局が管理しているようです。



↑坑口付近には一部崩落が見られます。



↑坑門脇から多量の湧水が流れ出していました。



↑動画です。初代長野隧道津市側坑門を怪しく(?)撮ってみました。



泥濘が酷く、フェンスの所まで行けなかったのがチト残念ではありましたが、この初代長野隧道は期待通りの素敵な物件でした。

伊勢と伊賀の国を結ぶ幹線道路である国道163号線、少し脇にそれた所にある「非日常」の幻想的な空間でした。
Posted at 2017/10/02 23:40:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃隧道・トンネル | 旅行/地域

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「2年ぶりの千早洞(大阪府南河内郡千早赤阪村)。
アプローチ路は以前訪問時よりも歩きやすくなったような気が(^_^)」
何シテル?   11/18 16:50
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