会社から3連休になると言い渡された。
即座に、ここに来ることを決めていた。
「何が『節目』だ!何が『一年が経った』だ!」
そんな気持が、渦巻いていたから。
自分の棲み家から、一般道路で約8時間の所に、その場所はあった。
そこは今なお、凄惨な出来事の現場で有った。
仙台港付近。
真っ青の空のもと、家の土台と思われるコンクリの基礎が一面に並ぶ。
とにかく、白い。砂漠のようだ。
津波に巻き開けられた砂が残り、今なお地面を覆っているからだ。
所々に、まるでワカメやコンブみたいなカタチになったガードレール等が立つ。
残った家の窓からは、カーテンが、風にだらしなくなびいている。
それらの建物の窓ガラスには、水面の痕跡が残る。
とんでもない所に打ち上げられた船が、まだ残る。
呆然と眺めていた景色の地面では、白く、またはもっと光沢を帯びた物が眩しく光る。
ガラス、食器、置物…それらの欠片が、地面に散らばっているからだ。
寺が流されたらしく、瓦礫の山の横に、墓石が並べられていた。
そこでは、白い物が多かったのが、印象的だった。
小さな丘に、追悼の石碑と、鳥居が作られていた。
登ってみた。
そこに居合わせた人同士で、自然と話が始まる。
今必要なのは、「カネ」と、「人力」と「決断」、そして「仲裁」と「記録」。
話を聞いた人は、そのどれも足りない、と仰っていた。
この景色の広がる所から内陸側を見ると、仙台市街中心部のビル群が見える。
ここから車で、渋滞込みで20分ぐらいの距離だ。
その中心部に行けば、(建物の被害は見え隠れしているものの)、
震災を感じさせない賑わいがあり、活発な経済活動が行われている。
以前から行われてきた日常とやらが、そこにはある。
「ここに居たばっかりに…」大事な物事を失ったと思しき人が、つぶやいた。
この現場から車で市街地に向かっていくと、
津波のダメージを受けたか否かのラインがハッキリと確認できる。
そのラインのむこうとこちらで、ダメージのレベルや今の境遇があまりにも違いすぎる。
そこに、同じ被災者の中に、気持ちや捉え方の差があるのが見えた。
なお、僕に何が出来る訳ではないが、僕なりの復興支援として、少しばかりお金を落としてきた。
地元の商店で食料を買い、トランクに積んでいった夏タイヤへのタイヤ交換をお願いした。
貴方の目の前にある道は、その場所まで、確実に繋がっている。
世の中には、キーボードと画面を駆使しても、得られない、分からないものばかり。
心が動いたら、その道を辿り、事の現場に行ってみてはいかがだろうか。
車は、そういう為にも使える移動手段、で、ある。
Posted at 2012/03/29 10:54:49 | |
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