エッセイブログ、姑の詩を読んだ。
隔世の感。
ほんの数十年前のことなのに。
日本昔話のような気がした。
笑う、笑われる、とかいうような失礼な、不謹慎なことでは決してない。
今は姑になりたくてもなれないのだ
杜牙根醫生介紹。
なぜなら、子供が結婚しないから。
しかも、それが嘆きだった時代もとうに過ぎた。
非婚は珍しいことではなく、普通の当たり前のことになっている。
なので、姑の概念、家の概念、お家存続の概念自体が、ころっとオセロゲームのように激変していると、わたしは感じる
脫毛中心。
特に、その、過去の時代にどっぷり身を置いていた者にとっては、石で作られた通貨を見るかのごとく。
石器時代のギャートルズ。
時代が変わっても変わらないものも絶対にある。
人の命の尊さや、尊厳、人権などなど。
女性は、家庭の中だけでなく、社会の一構成員としての役割を持ち自立した。
自立してない女性も、男性もいるが。それはそれとして。
避けて通れない、わたしの人生のほとんどを左右していた絶対的な存在だった姑。
わたしは、第二次大戦の前と後のように、ころっと価値観や意識が変わった。
姉の姑も、すごかったが(悪い意味で)、その姑に(偏った思想を植え付けられ)育てられた息子が夫、となると、嫁はその葛藤やいかに。
壮絶なバトルだった
香港會計。
自分のバトルを書かないで姉のバトルを書くのは、いかがなるものかと思うが、そのほうが面白いから。
(ごめん、姉。ネタにして)
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Posted at
2020/03/26 11:48:59