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堅雪かんこのブログ一覧

2010年07月31日 イイね!

生き残る理由は鈍感さにある。

生き残る理由は鈍感さにある。   今年の5月、東京で北山修の講演を聞いた。ステージの袖からスーッと現われたその姿はやはり一般人にはないオーラがすでに漂っていた。彼はご存じの方も多いかと思うが60年代に突如現われたフォークシンガーだった。「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」など、他にヒット作をたくさん作詞した人物だったが、精神科医となりここ20年間は九州大学教育学部の教授の職にあり、今年の3月に定年退職したばかりだった。


 彼の九大での最終講義はNHKでも連夜放送され、今日はさよならコンサートまで流された。彼の話す内容やステージでの振る舞い、そして最近の彼の作品を観て、彼の親友だった加藤和彦がなぜ自殺したかわかったような気がした。あくまで私の勝手な推測なのだが。


 それは、コンサートで演奏された曲は前述の昔のヒット曲以外皆ゴミだったということだ。北山修は司会進行に徹し、ほとんどステージの端でアルフィーの坂崎幸之助が歌うのを黙って聴き入っていたが、詩の内容はともかくメロディーも含めた音楽としてみた場合、今の時代にこれはないだろうというくらい工夫がない。少なくともどれもヒットもしないだろう平凡で古臭い曲ばかりだった。


 ゲイジュツ家にとって、何が大切かというとそれは「美」に対しての妥協のなさだ。コンサートの最後では「イムジン河」や「あの素晴らしい愛をもう一度」を彼も入って歌ったが、やはり聴き馴染んだことを差し引いても圧倒的な生命感がこれらの曲には宿っている。時代背景も手伝っての名曲といえる。
 加藤和彦はそれを思い知っていたかも知れない。あの時の輝きのある曲を生み出せない絶望感、北山はそれを余り感ぜず、加藤は深刻に受け止めていた。なぜなら前者は言葉を操る精神分析学の学者になり、後者はあくまでアーティストのままだったからだ。アーティストとしての自分は終っている。そう自覚したに違いない。


 フォークソングは危うい。なぜなら曲が一つの楽想しか指定しないからだ。つまり限定した同じ内容のことを何度も繰り返す。しかもメロディーも単純。クラシックやジャズのような重層的で複雑なコードも使用しない。したがって演奏者が逆に歌に拘束されるのである。自分は変化しているのに、相変らず同じ内容の歌の世界に踏み留まらされる。つまり本音と解離し演じ続けなくてはならない。


  北山修が強調する精神分析のウラ(本音)の心は、実はフォークソングでは白日のもとに標本化され固定される。いろんなジャンルの深遠な音楽の世界を知ってしまうと、いかにフォークソングが表層的で無味乾燥なものかわかるだろう(その時代の瞬間的な気分には浸れるけど)。人間の心に潜む広大な無意識の世界は、そんな安物音楽では表現しきれない。もし音楽を愛するのなら、そのジレンマは耐え難い。高級ワインの味を知っていながら、客にファンタ・グレープを出すようなものだ。


  川端康成がガス管を加えて自殺したというニュースは当時衝撃的で、その理由に様々な憶測が飛んだ。高校生だった私は、その新聞記事に添えられた彼の写真を見てすぐに了解できた。それは老醜により猿そっくりの顔だったからだ。文学で「美」を追求する者としては、それだけでも生きながらえていることに苦痛を感じるだろう。こういう本人の美意識まで「うつ病」に含めるのは早計というものだ。


  新車のまま早々と燃えてしまうフェラーリもまた美しい。911は20万キロまで走れるのは鈍感さもあるからだね、きっと。
  







  
Posted at 2010/07/31 18:47:13 | コメント(8) | トラックバック(0) | その他
2010年07月29日 イイね!

死にたくなる本当の理由はわからない

死にたくなる本当の理由はわからない  私たちは一応個人として生きているから、本人に起こる出来事は一身上の都合と考えがちだ。自殺に関しても様々な誘因は列挙可能である。例えば先日亡くなった女子アナも「産後うつ病」であると言った場合、一件落着のように思えるが、それは自殺する人は「うつ病」であるという論理と同じで、実は多くを説明はしていない。なぜなら「うつ病」そのものがよくわかっていないからである。


 気分の浮き沈みは誰にでもあることで、その時の脳内伝達物質もそれに応じて変化している。だからセロトニンの減少がうつ病の原因であるというのは見かけ上の問題に過ぎず、何が脳のシステムをそちらに偏向させていったかという本当の原因はわかっているわけではない。(ホルモンの変動による強制終了的なうつ病も確かに存在するが)
 

  「うつ」というのは実は集団的な無意識がからんでいるのではないかということを昔読んだトーマス・マンの小説に書いてあった。つまり私たちは個人史を生きていながらも同時代の歴史をも生きている。その時代の価値観がベースとなり死にたくなったり、逆に生きる喜びを感じたりするということだ。秋になり紅葉し、やがて落葉するのは葉個々の都合ではなく季節の変化がそうさせるように、そこにはもっと集団的なダイナミックな力が働いている可能性はある。


  殺人であれ自殺であれ、本人の動機に深く立ち入っていくと迷宮に入りこんだようにわからなくなることがある。自明だと思っていたその人の自我が雲散霧消してしまうかのようだ。
 「産後うつ病」の話題である掲示板に 「男はホルモンのバランス崩して痴漢すると警察に捕まる」と書き込んであったが、これは笑えた。でもいい所をついている。


     人は誰でも自分がラジコンだとは思っていないが、意外とそういう部分が多いかも。 
 
Posted at 2010/07/29 16:14:58 | コメント(13) | トラックバック(0) | その他
2010年07月28日 イイね!

ここか・・・。

ここか・・・。   今から調度一週間前、照りつける夏の炎天下の中、火葬場に向かうクルマの車列は東北大学病院の前を通りかかった。棺を乗せたクルマは新型のメルセデス・ベンツのS500をストレッチしたものだったが、私は後続のマイクロバスの中にいた。

 この付近に昔住んでいたことがある。幼稚園から小学校1年生までいた。昔の東北大学医学部の建物は帝国大学らしい趣があったが、今はそれが取り壊され新しくなっている。しかしその建物群はデザインの統一感がなく乱雑な印象を受ける。きちんと全体をオーガナイズするデザイナーがいなかったのか、それもまた仙台人らしいところではあるが。(「あそこの棟はおたくさんでやらせっからさ、こっちはうちでやらせさい。安ぐあげる様、下請けさんにも言ってあっから」みたいに)


 実はここは半世紀以上前、私の父と母が出会った場所でもある。つまり私の発祥の地だ。不同意堕胎罪の憂き目にも遭わず私は生を受けた。当時は医師と看護師の恋愛や結婚はタブー視されていたらしい。そのせいかは知らないが、父は大学の医局に長く留まれず東北地方の田舎町の病院に転々と出張に出されていた。


 そこを通り過ぎるとすぐ左手に高層のモダンな建物が見えてきた。仙台にしてはセンスのよいビルだ(写真)。ここがなんと、昨日日テレの女子アナが飛び降りたマンションだったのである。リッチな人が暮らしているのだろうなとその時は見上げていたが、車列が通過した時は悶々と悩んでいたのだろう。


    人生、いろいろだ。
Posted at 2010/07/28 08:57:32 | コメント(7) | トラックバック(0) | 暮らし/家族
2010年07月26日 イイね!

暑い日が続きますが・・

008


   「ドイツ国旗とカレラ4」






011


    「背比べ」

   
Posted at 2010/07/26 15:36:11 | コメント(10) | トラックバック(0) | クルマ
2010年07月25日 イイね!

その歌声はフェラーリ・エンジンの如く

その歌声はフェラーリ・エンジンの如く  先日行われた義父の葬儀での出棺の時、親族の参列者の中でオペラ歌手をかつて目指して留学したことのある娘が歌を添えた。その時歌ったのがプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」だった。


 聞けば誰でも耳にしたことのある有名な曲であるが、多少違和感を覚えた。確かに「私のお父さん」というタイトルだが、歌詞の内容は“私の好きになった人といっしょになれないのなら、ベッキオ橋からアルノ川に飛び込んでやるぅ~”という親不幸の話である。


 その娘もすでに独身のまま40代半ばを越えようとしている。時折涙ぐんで歌っていたが、一方ではその歌を聴きながら彼女が歌手として成功しなかった理由もわかるような気がした。
 歌はこんな感じである。(「二人のおデブさん」ではありませんよ)




 ところが、この歌をYouTubeで探していて他の人の歌も少し聴いてみたら、ランカトーレというイタリア人の歌手のものを見つけた。初めて聴いたが圧倒的な表現力!!出だしからキレている。そしてそのカァーンと伸びる高周波はフェラーリ・エンジンの吹け上がりのようだ。同じ曲でもこんなに違う。
 貼り付け禁止になっているので、下記のURLから直接見て欲しい。


   


     http://www.youtube.com/watch?v=6Ms99NI-BSU


  ゲイジュツというのは、その表現に一点の曇りもあってはいけない。目指すは最高のもの。


Posted at 2010/07/25 13:40:49 | コメント(6) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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