さて・・みんカラ復旧からしばらく経ちましたので、そろそろサラブレッド第2弾やりたいと思います。第2弾は・・。
「紅蓮のヴォルペルティンガーが選ぶ感動の名馬」
・・をやろうと思います。まぁこれは・・単純に競走馬だけでなく、種牡馬やら、文献で印象に残った名馬なんかを上げてみようと思います。ちょっとマニアックなものも上げますが・・ご容赦ください。それではいってみましょう!
~ 種牡馬編 ~
①「サンデーサイレンス・・20世紀~21世紀を代表する「最強の種牡馬」」
(主な参駒・・・ディープインパクト・スペシャルウィーク等多数)
「自身の血統にノーザンダンサー、ナスルーラといった、日本で流行したことのある血統が含まれていない事から、繁殖牝馬の選定の自由度も高く良質の繁殖牝馬に恵まれ、また、折しもスピード・時計面を追求して従来より軽くなっていった中央競馬の馬場に産駒がマッチした事もあり、最初の世代から活躍馬を多数輩出し、有馬記念など主要のG1レースで出走馬の大半をサンデーサイレンスの子や孫が占めるような事態も起こるなど、日本の血統図を根底から塗り替えた。
初年度産駒がデビューした1994年にフジキセキが朝日杯3歳ステークスを勝って産駒のGI級競走初勝利。翌1995年にはジェニュインが皐月賞、タヤスツヨシが東京優駿(日本ダービー)、ダンスパートナーが優駿牝馬(オークス)をそれぞれ勝って中央競馬クラシック3勝、重賞勝利多数となった。そしてこの年に、2世代のみの産駒だけで日本リーディングサイアーを獲得するという史上初の快挙を成し遂げた。以後13年連続(1995年~2007年)リーディングサイアーを保持している。」
・・・この馬の名前は競馬ファンでなくてもかなり知られている所が特徴。とにかく重賞以上はほぼ全てこの馬の子供って事が多かったです。同時にG1馬も非常に多い(というか、最近では他の馬が勝つことすら難しくなった。)まさに「最強馬の父」と呼ぶのに相応しいかもしれません。
②「ブライアンズタイム・・20世紀最後の三冠馬を輩出」
(主な参駒・・・ナリタブライアン・マヤノトップガン他)
「種牡馬入り時は折からのリアルシャダイブームだったこともあり同じ父を持つ本馬は中々の人気となった。産駒はその期待に応え、初年度から中央競馬では20世紀最後(史上5頭目)の日本のクラシック三冠馬となったナリタブライアン、優駿牝馬優勝馬チョウカイキャロル、地方競馬でも同じく初年度産駒から、通算43勝という日本の戦後競馬のサラブレッド系最多勝利記録を樹立する事になる北関東の最強馬ブライアンズロマン、そのブライアンズロマンをとちぎダービーで破ったカルラネイチャーなどを輩出し、中央・地方を問わず競馬関係者から大きな注目を集める事となった。」
・・・この種牡馬はなんと言っても「ナリタブライアンの父」という事で、かなり有名な馬ではないでしょうか?(でもどっちかと言うと、ビワハヤヒデとブライアンを生んだ母、パシフィカスこそ有名だと思うのだが・・)
③「トニービン・・凱旋門賞優勝の経験を持つ3大種牡馬」
(主な参駒・・・ベガ・ウイニングチケット他)
「産駒は東京競馬場との相性がよく、産駒獲得GIのほとんどが東京競馬場での勝利である。産駒は東京競馬場で行われる芝のGIレース(2006年新設のヴィクトリアマイルを除く)を完全制覇している。産駒の全体的な傾向として、やや不器用なためコーナーワークが下手で加速は遅いが、左回りの直線の長い芝コースに向き、ずば抜けたスピードこそないが後方から確実に止まらずに伸び続ける差し、追い込み馬が多い。」
・・・トニービン参駒はステイヤー(3000Mクラスのレース適正をもつ馬)があまりいませんが、自身凱旋門賞を制覇した馬で、上の2頭よりも戦績は良いかも!?
~牝馬編~
④「ホーリックス・・JCの世界レコードは壮絶だった」
「ホーリックス(Horlicks)はニュージーランドの競走馬である。日本ではオグリキャップとの死闘を演じてジャパンカップを驚異的な世界レコードで制した馬として有名である。
日本のジャパンカップに出走。前走マイルチャンピオンシップから連闘で臨んだオグリキャップとの接戦の末、当時の芝コース2400mの世界最高タイムである2分22秒2で制した。この記録は1999年、アシデロがカルロスペルグリニ大賞で2分21秒98をマークするまで続いた。JRA(日本中央競馬会)芝2400mレコードでもあるこのタイムは、2002年6月に東京競馬場のコース改修が開始されるまで12年余り破られることなく君臨し続けた。
6歳以上の牝馬によるJRAGⅠの優勝は現時点においてもホーリックスが唯一であり、日本馬に至っては優勝馬は1頭もいない。」
・・・この馬、後でYOUTUBEで上げますが、全盛期のオグリキャップ(但し斤量はオグリのほうが多かったかも!?)の最後の差しでも勝てなかった・・すごい牝馬です。場外馬券場にいくといつもこのJCの戦い見てました(笑)日本に牝馬として来てくれたらなぁ・・。
⑤「ヒシアマゾン・・三冠馬に追いすがった20世紀最強の「女傑」」
「ヒシアマゾンは日本で走った元競走馬で、現在は繁殖牝馬。アメリカで生まれ日本で調教を受けた外国産馬である。その強さから「女傑」と称される。1993年JRA賞最優秀3歳牝馬、1994年JRA賞最優秀4歳牝馬、1995年JRA賞最優秀5歳以上牝馬(JRA賞の部門名はいずれも当時のもの)。
エリザベス女王杯では優駿牝馬優勝馬チョウカイキャロルとの叩きあいをハナ差制し、重賞6連勝で名実ともに4歳最強牝馬となった。続く有馬記念では並み居る古牡馬を抑えたものの、当時無敵と呼ばれていた三冠馬ナリタブライアンではさすがに相手が悪すぎ、3馬身差の2着に敗れた。しかし、同年にエリザベス女王杯を含む6連勝、有馬記念2着が評価され最優秀4歳牝馬に選出された。」
・・・繁殖ではあまり成果を上げていないものの、それならどっちにしてもナリタブライアンとの子供を期待していたのは私だけではないはず(笑)とにかく気性が荒く、そして牡馬相手でも速い。まさに女傑という名前に相応しい牝馬でしたね・・。
-牡馬編(国内で競走馬だった馬)-
⑥「ナリタブライアン・・20世紀最後の三冠馬」
「中央競馬史上5頭目のクラシック三冠馬。愛称・呼称は「ナリブー」「シャドーロールの怪物」「四冠馬」。半兄に1993年のJRA賞年度代表馬ビワハヤヒデがいる。1998年日本中央競馬会(JRA)の顕彰馬に選出。
総獲得賞金は当時の世界記録である10億2691万6000円に達した。
基本的な戦法は差し。同馬はその優れたスピードと瞬発力、そして優れたスピードの持続力を武器に後方から後続馬をごぼう抜きすることも多かった。ダービーに出走した時に、東京競馬場という直線が長い競馬場であるにもかかわらず、コーナーからスパートをかけ、まくりあげてそのままゴールインしたことがそれを物語っている。また、勝負根性も旺盛であったが、これは気性の問題もあった。」
・・・ブライアンの特徴はなんと言っても鼻に付けられた「シャドーロール」・・あまりの神経質さ(古馬になると調教して直ったが、ゲン担ぎ見たいなものらしい)から、付けられたものだけど、4歳の頃は・・「とにかく話にならないほど速かった印象」しかないですね。5歳の阪神大章典は圧倒的勝利で、6歳はマヤノトップガンとの壮絶な一騎打ち・・そして若くして亡くなった20世紀最後の三冠馬・・本当にありがとう!と言いたいです。
⑦「ライスシャワー・・・さまざまなG1馬を破った「生粋のステイヤー」」
「440kg台の比較的小柄な馬体ながら3000m以上のGIを3勝したステイヤーで、「淀の刺客」「関東の刺客」「高速ステイヤー」の異名を取った。主戦騎手は的場均。1995年JRA賞特別賞。
秋に入り、緒戦のセントライト記念をレガシーワールドの2着(鞍上は田中勝春)。この頃から東京優駿(日本ダービー)の激走が本物であったと認識されてきた(とはいえ、人気面では上がり馬のトレヴィット、ホワイトアクセルに続く3番人気に甘んじていた)。続く京都新聞杯ではミホノブルボンの2着だったものの、その着差は1馬身半にまで縮まっていた。迎えたクラシック最終戦の菊花賞では、無敗の三冠がかかったミホノブルボンを直線で差し切り、3分5秒0のレコードタイム(当時)で優勝。自身初の重賞制覇をGIで飾る。
翌1993年は、緒戦の目黒記念2着のあと、順調に日経賞を勝利し、大目標である天皇賞(春)では、3連覇がかかったメジロマックイーンを徹底マークする競馬で破り、3分17秒1のレコードタイム(当時)で快勝する。大記録のかかった馬をゴール前鋭く差し切る姿から「淀の刺客」「レコードクラッシャー」と呼ばれた。」
・・・3つのG1を獲ったのは全て3000メートル以上・・そして、当時最強馬を破ってのレコード勝ち・・と勝つときにはすばらしい速さを誇った馬でした。個人的にもっとも好きな馬(しかも滅多に取れない馬券を当てた事がある(笑))でした。宝塚記念で予後不良になってしまい安楽死という措置がとられましたが、その日からしばらく競馬を見ることが出来ないくらいショックでしたね・・。
⑧「シンザン・・・神が讃えし馬」
「シンザン(1961年 - 1996年)は、1960年代に活躍した日本の競走馬である。種牡馬としても1970年代~1980年代にかけ同国で成功した。日本競馬史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬。1964年・1965年啓衆社賞年度代表馬。1984年に顕彰馬に選出された。八大競走の勝利数から「五冠馬」と呼ばれる。その走りは「鉈の切れ味」と形容された。
デビュー時はあまり目立たず、同厩舎のオンワードセカンドの方が期待されていた。本格的に頭角を現すのはスプリングステークスでウメノチカラを破ってから、その後クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)、宝塚記念、天皇賞(秋)、有馬記念といった当時牡馬が獲得可能なGI級競走を全て制した。この間記録したデビューから引退レースまでの連続連対数19は、中央競馬におけるレコードである。「シンザンを超えろ」のキャッチフレーズと共に、この後長らくシンザンは日本競馬の目標であった。
7月13日午前2時頃、老衰により永眠(死亡)。35歳3ヶ月11日(満年齢。旧年齢表記で36歳)の大往生だった。日本国内の軽種馬の長寿記録としては現在までこの記録は破られていない。
死後は盛大な葬儀が行われテンポイント以来の土葬が行われた。土葬が行われた競走馬は他にマルゼンスキー、ナリタブライアン、パシフィカスの3頭しかいない。」
・・・えーっと・・最後にシンザン(ディープインパクトは強すぎて上げない(笑))を上げましたが、この馬はとにかく5大競走を勝ったと言うのもすごいんですが、競走馬で36年間生き抜いたという生命力がすごいと思います。死ぬ間際はNHKで特集を組んでいたので見てましたが、やはり神が讃えし馬・・その名前に相応しいと思います。
最後に約束どおりJCのホーリックスとオグリキャップの画像を・・。イナリワンやイブンベイも懐かしい(笑)馬場もあまり良くないんでしょうけど、やっぱり速いんでしょうねぇ・・。
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