今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」。
このドラマの中で出てくる言葉。
「ならぬことはならぬものです。」
今年のヒットフレーズ間違いなしであるが、会津教育の
「什の掟」である。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
そんな会津魂がたたき込まれた少年達の悲劇として有名なのが、会津白虎隊の物語である。
そんな幕末の話から140と数年を経た現代。
140年も昔の話しで有ると思うか、たった140年前の、ほんの少し前の現実であると思うかは、それぞれ個人の価値観によって異なるのだろう。
この140年の間に、日本国内の価値観は変わり、教育も変わってしまった。
教育は道徳観より、記憶する知識が主体になり、テストで振り分ける為の教育になってしまった。
さらに、優越が付くと差別になると称して、みんな仲良くゴールするなんて変な風潮が主流派になってみたり、聖職である先生への価値も、単なる子供に勉強を教えるだけの、サラリーマン化してしまい、教育を受けるサービスを受ける側と、教育を教えるサービスする側みたいにしか思っていないアホな親がたくさんいたりして、この国の教育も一部ではおかしくなっているようである。
さらにそんなサラリーマン化した、一部の教師が退職金が目減りするからといって、早期退職に走ってしまう現実がおこっている事実。
先生も人間であるから、受け取る金が減るから辞めるのは当然であるという意見もたくさんあるし、先生も金がなければ生きてはいけないという現実も一方では分からないではないが、子供へ教育を教える子供の手本になるべき、先生が目先の金という欲に走り去ってしまう姿は、やはり先生としての本質としては、やはりどうなのかと思う。
学校の先生になるには、自らの意志で教育者になりたい、子供達に生涯の職として先生になりたいという志があって、なるものだと思う。
安定した職だから、給料が安定しているから、名誉ある職だから、なんてよこしまな動機で学校の先生になる。なれてしまうそんなサラリーマン先生が、たくさんいるのが現実なのだろう。
だからこそ、退職金が目減りするという事実が目の前に迫った時に、副校長や、担任の先生が、突如早期退職してしまうなんて、普通のサラリーマンが行うような金の損得勘定だけで、先生という職を辞めることが出来るのだろう。
そんな自分の保身が第一の先生に、イザという時に、子供の命を預けることが果たして出来るのだろうか。
そんな目先の金で辞めてしまうような先生は、サッサと学校から去ってもらった方が子供達の為には良いのだろうと思う。
学校の先生にはサラリーマン根性は必要ない。子供が集団で教育を等しく受ける場は学校しかない。その時期は学校へ行っている今しかない。先生には来年も新しい生徒がやってきて、次の子供が来るが、子供には、先生を待って選ぶ事は出来ないのである。
年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
その言葉を子供が実践できるのは、正面から真剣に年長者が子供に接することで、成り立つのだろう。
学校での体罰の問題も、いじめの問題も、什の掟に立ち返って考えることが必要なのだろう。
ならぬことはならぬものです
そして一生懸命教育に従事している、まっとうな多くの先生方にこそ、感謝の意を表したい。
Posted at 2013/01/25 06:25:38 |
JOURNAL | 日記