
追憶バトルフィールド壱~大阪②『阪神高速環状線』~

取締りが厳しくなる一方で、京都のベースが走れ無くなり舞台は大阪へ。
昭和63年と平成1年
阪神高速環状線は熱かったです。当時9環と言って、夜9時になると船場のコーナーは閉鎖され、環状線の合流点はPC検問だらけになりました。
僕らは新御堂からのアプローチで時間を稼ぎ、梅田入口から入るか、守口線でタイヤを温めて速度を維持して合流かでした。もちろん料金は払って喧嘩も無し。一般車両のすり抜けだけですから…
シビックはワンダーもグランドもすり抜けサイズに持って来いとばかりに速く、RSは苦労しました。所構わず車線を飛ばすので動態視力の見極めが大変…下手に譲るより車線キープとか、暗黙のルールが有りました。北浜180km…本町合流スピン。中之島分岐勝手に3車線。千日前コーナーリング中の車線飛ばし、中廻り船場合流後のカメラ対策アルミ…難波のスロラーム等、今も鮮明に覚えてます。降りた後は天王寺駅前でちょっとしゃべって直ぐ退散(笑)
多い時は100台越えてましたね。天神さんの時は大渋滞の中から花火を見たりね(笑)
今は滅多に行かなくなりましたが、あの時の閉塞感、熱気は異常でしたね。
分岐後の道も楽しかったです。京都と反対の堺・松原・神戸線に逃げたり、走りながら窓越しに道聞いたりして…
あれから20年経ちました。腕も磨けましたが、ご迷惑お掛けした一般車両の皆様すいませんでした。
今日は宿直です。
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Posted at 2008/04/18 01:39:32