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マンセルRED5のブログ一覧

2016年11月09日 イイね!

オンボードも古くから有りました。

オンボードも古くから有りました。6月頃にアップされてたようですが、

F1フェラーリのオンボード映像。

1950年から有ると言うので凄いですね。

トップ画像は懐かしい1989年のフェラーリを駆る、

マンセル、ゼッケン№27。サンマリノかな?


確かに古いF1GRAND PRIXのマシンから、

疾走するオンボード映像は有りましたが、

フェラーリ単体で対比するとはなかなか乙な計らい。

しかし昔は至る所に装着されてたんですね。

本戦ではなかなか見れなかったので、

フリー走行やテストの時に装備されてたんでしょうか?


フジTVが放送しだした1897年頃は、現在と同じく前方のオンボード。

少ししてから後方オンボードも現れ、

現在ではその他にもマシンに影響のない範囲で取り付けられてます。
 
前後方オンボードって今のドラレコの始まり・・・?

(笑)

まぁF1GRAND PRIX好きにはたまらない動画です。。





フェラーリのオンボードはコチラ
Posted at 2016/11/10 14:11:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記
2016年11月07日 イイね!

表舞台には出ませんでしたが他に6輪F1有ったな。

表舞台には出ませんでしたが他に6輪F1有ったな。余りにも印象的だったティレルP34。

他チームでも、ここぞとばかり開発が進み、

リアタイヤを、

フロントタイヤと同サイズの物に変更し、

装着することで駆動輪の接地面積の増大と、

空気抵抗の減少を狙った方式を採った6輪車が、

複数テストされたんです。

駆動輪は1軸、タイヤを並列配置にしたフェラーリ(312T2を改造)、

駆動輪を2軸にしたマーチ (2-4-0) 、

ウィリアムズ (FW07D, FW08B) が開発を行ってたんですが、

いずれも実戦には登場しませんでした。

ウィリアムズは実戦使用を目指してテストを行っていたんですが、

1982年のジル・ビルニューブの死亡事故による、

コーリンチャップマン開発の※地面効果(グラウンド・エフェクト・カー)の禁止や、

レギュレーションの変更も有り、1983年の車両規定改正で、

「車輪は4輪まで」と明文化され、6輪車は禁止されました。

リア6輪車は本番で日の目を見る事無く、テストするマーチの画像が残ってる位で、

過去の遺物として34年も昔に葬られました。


しかしティレル6輪車は、他に例を見ない設計であることや関連商品も多く発売されたため、

F1マシンとしての6輪車時代に存在した知名度は高く、

僕も忘れられないF1の1台と思います。

ニュルブルックリンクの旧コースを駆けるオンボードも忘れ難いし、

小学生ながら当時プラモデルも作ってました!

確かプラモデルの箱にも「タイレルフォード」と書かれてたと記憶してます。


※地面効果(グラウンド・エフェクト・カー)

チャップマンは航空力学をF1カーのデザインに導入し、

車体の前後に翼(ウイング)を取り付けることで、ダウンフォースの概念を広く普及させました。

最初は「きれいな空気」(車自体によって乱されていないという意味で)を受けられるよう、

車体の3ftほど上にウイングを取り付けました。

しかし細い支柱はしばしば壊れてしまい、国際自動車連盟(FIA)は、

ウイングを車体に直接取り付けるよう義務付けさせました。

チャップマンはラジエータを車の先頭からどかせることで、

車体前面を小さくし空気抵抗を減少させる方法を初めて採用しました。

これらの概念もやはり現代の高性能レーシングカーでは基本仕様と言えます。

そして地面効果(グラウンド・エフェクト・カー)をロータス・78でF1に導入。

最初は低圧部分を隔離するための動く「スカート」を取り付けていました。

チャップマンが次に開発したのは、ウイングを廃して高速時の空気抵抗を減少させ、

全てのダウンフォースを地面効果のみから獲得するマシンでした。

しかし、スカートはコーナリング時に破損することがあり、

その場合にダウンフォースが失われて車体が不安定になる
ことから、

可動式スカートは最終的に禁止されました。

これはジル・ビルニューブの死がきっかけで、危険とみなされた結果です。

技術進歩の裏には、こういった犠牲から得るものも有ります。

かねてからグランドエフェクトは危険と言われてた最中での事故でした。


FIAはフラットボトム(ベンチュリ形状を排除するための平坦な車体下面)を義務付けたり、

車体下面の最低地上高を大きく取るなど、

地面効果を減少させる手段を講じました。

(もちろん、デザイナーたちは、

風洞実験を通じて失われたダウンフォースを回復すべく努力しました)。

リアの6輪車、結局1度も日の目を見る事無く、歴史の彼方に葬られてしまってと書きましたが、

テスト結果として、成果が得られなかったのかもしれません。

空気抵抗を受ける前輪の小径化は何となく理解出来るんですが、

リアを小さくする事は単純にグリップダウンが大きいのでは?と思われます。

踏ん張りが効く大径のタイヤの方が、マシンを支えてる気がしますね。


Posted at 2016/11/08 23:13:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記
2016年11月06日 イイね!

ちょっと懐かしい「タイレル」時代のティレル。

ちょっと懐かしい「タイレル」時代のティレル。F1史上初の6輪車、

「ティレルP34プロトタイプ」

僕らが「タイレルフォード」と呼んでた時代。

1974年、デザイナーのデレック・ガードナーは、

空気抵抗の減少を狙い、フロントに小径タイヤを履き、

それをスポーツカーノーズの陰に収めるレイアウトを考案。

タイヤ接地面積の減少は、フロントタイヤを4輪とすることで補ったのが始まり。

このアイデアには当初ケン・ティレルも当惑しまくりましたが、

シャーシ名を「〇〇×」ではなく別プロジェクト「P34」として開発を許したんです。

ロンドン・ヒースロー空港ホテルでの発表時、

マシンを隠すシートはリアから剥がされ、

エンジンが見慣れたフォードDFVで有る事が解ると、

会場はため息につつまれたが、フロントの4輪が見えると、

一転して静まりかえり、そのあまりに奇抜なスタイルに、

ジョークと勘違いした一人の記者が笑ったのをきっかけに、

会場は止むことの無いどよめきに変わったらしい。

P34のマシン開発ドライバーは、主にパトリック・デパイユ。

結局、後輪が通常の径のため、当初期待された前影投影面積の低減は得られなかったが、

むしろドライバーにとっては6輪の為にブレーキ性能が上がり、

コーナーの奥深くでブレーキングできる副次的要素のほうが好評だったらしいです。

1976年、P34のデビューは第4戦のスペインGP。

プロトタイプP34を実戦投入のため燃料タンクの拡大を含めた、

モノコックの刷新とカウリングの変更、

新レギュレーションに対応したインダクションポッドの小型化、

フロントタイヤの様子を見るためのサイドミラー下の小窓や、

シフトノブの当たりを逃がすカウルのふくらみの追加等を行い、

P34/2として1台のみデパイユのドライブで登場しました。

翌第5戦ベルギーGPから、ジョディ・シェクターもドライブし、

第6戦モナコでは2・3位、続くスウェーデンGPにおいてデビュー4戦目にして、

なんとワンツーフィニッシュで初優勝!!!

このシーズンにチームはコンストラクターズ3位を獲得したんですよねぇ~!

最終戦の富士では、雨の中デパイユが一時トップを走行し最終2位でフィニッシュしました。

ところが、、、

1977年、チームはシーズンオフにエンジンまで覆うフルカウルを開発。

テスト並びにシーズン序盤の予選時に好成績を収めたんですが、

あくまで前年のモノコックの流用で有ること、

新カウルの重量過多などで次第に低迷。

グッドイヤーが新たに参入してきたミシュランとの競争に力を入れるために、

特注の小径タイヤの開発に難色を示し、開発規模を縮小。

フロントタイヤが小径のためコンパウンドを通常より硬くしなければならないが、

硬すぎると温まりにくくなるというようにP34のフロントタイヤの開発には、

タイヤメーカーとの連携が不可欠であった。

よって開発の進むリアタイヤと開発されないフロントタイヤとのグリップバランスに苦しみ、

第5戦スペインGPには前年型のカウリングを装着したP34が持ち込まれたが、

状況は改善されず、デザイナーのガードナーの離脱が発表されるなど、

体制の不安定も手伝い、チームのモチベーションも著しく低下。

第9戦フランスGPから、前輪のグリップを改善させるために前輪をワイドトレッド化、

更にデパイユ車はオイルクーラーをリヤからフロントノーズ先端に移動し、

フロント加重の増加によるハンドリングの改善を狙ったマシンを投入。

(ピーターソン車は第12戦オーストリアGPより)。

フロントタイヤをノーズの外側に広げたことで、

開発当初の空気抵抗の減少という利点を減少させ、

オイルクーラーの移動や度重なる改造による車両重量の増加が、

マシンの俊敏性を奪ってしまったのが完全なデメリットとなったようです。

シーズン後半は成績も多少好転しましたが、1977年終了とともにP34は消えて行きました。

今でも印象に残るマシンだったけど、子供心に目を奪われましたね!


この時代にオンボード!なタイレルはコチラ
Posted at 2016/11/08 22:37:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記
2016年06月24日 イイね!

F1アゼルバイジャン開催!

F1アゼルバイジャン開催! 石油資源に恵まれた国アゼルバイジャンが、

2016年カレンダーにその座を確保し、

今年のレース数は記録破りの全21戦にふくらんだ。

F1サーキット建築家のヘルマン・ティルケが、

首都バクーの市街地に描いた6kmのレイアウトには、

ロングストレートや90度コーナーが含まれ、

旧市街周辺のタイトなアップヒルセクションではドライビングの精度と度胸が試されます。

ストリートサーキットに華を添えるのは美しい海沿いの街をめぐるプロムナードと、

歴史薫るガバメントハウス。

大陸境界線と見なされるコーカサス山脈が西部に走ってるし、

大陸のアジア側に分類されるバクーだが、グランプリ名はヨーロッパGPとされました。

モダンで裕福、洗練された都市としてのイメージを確立したいアゼルバイジャンは、

近年に数々の文化イベントや注目のスポーツ大会を催しており、

F1グランプリが2016年にその仲間入りを果たす事に。

2012年にユーロビジョン・ソング・コンテストの主催国を務め、

2015年には初開催のヨーロッパ競技大会の舞台も務めました。

さらに、2020年UEFA(欧州サッカー連盟)欧州選手権の主催都市の一つにも名を連ねています。

今回も2位のヴェッテルだったけど、史上最高点ドライバーに復帰。

ニコ・ロスベルグは予選・決勝・ファーステストラップの3冠!

市街地コースでもオモローでしたね!
Posted at 2016/06/25 00:54:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記
2016年06月19日 イイね!

F1GP。

F1GP。惜しいなぁ~カナダGPでも、

スタートでトップの出たんだけど、

結果2位。

今週のヨーロッパGPでも、

2位。。。

マクラーレンの壁はやはり厚いですね。

それでも頑張れヴェッテル!!!


F1GRAND PRIX2016カナダGP
Posted at 2016/06/19 23:12:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | NIGEL MANSELL&F1GrandPrix | 日記

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